【7】
「ん~、ぅー……。」
眉間にしわを寄せて腕を組み、唸るような声を上げていたのはフィオンだった。
休日の昼下がり、終末休みで学校の無いフィオンは家の庭で呆けて過ごしていた。普段の彼ならこういった休みの日には、宿題や習い事も後にして外へ出かけてやんちゃをするものだったのだが、この日はそういう気分では無かった。有り余って仕方のない元気が取り柄の少年にも、しんみりと腕を組み、柄にもなく俯いて居たい時があるのだ。
「どうしたの、フィオン? お腹でも痛いの?」
思いがけなくかけられた声に驚いて振り返ると、シンディが怪訝な表情を作っていた。
少女の声にしどろもどろしたフィオンだったが、話しかけて来たのが姉だと知ると、ため息交じりに「そんなんじゃないよ。」と、そっけない態度を取ってみせた。そんな弟の顔を覗き込むと、
「最近ため息ばっかりついてるね、良くないよ? お姉ちゃんが相談事乗ってあげようか?」
「なんだよ、それ。ねえちゃんこそ、最近そーゆーお姉ちゃんぶる様なこと、多くなってきてるね。前は殆ど構っちゃくれなかったくせにさ。」
「ちょっと寂しかった?」
「別に。ただ、なんか大人ぶってるなって思っただけ。」
にこにこと姉は弟の髪を撫で、弟は鬱陶しそうに手を払う仕草をしてみせた。そんな弟に吹き出しそうになりながら、
「ま、伊達にあんたより長生きしてないってことよね。」
と、得意げにシンディは鼻を鳴らした。フィオンは、あまりに姉が得意げに言うので、思わずフッと吹き出すと、あざけるつもりで一言いった。
「おれより無駄に年喰ってるだけだろ。」
「今はいいけど、五年後、十年後にもその言葉を言ってきたら、その時はぶっ殺してやる。」
突然混じった物騒な言葉に、フィオンは身の危険を感じて押し黙った。一方でシンディも、脅かし過ぎたかもしれないと、今更ながら口を慎んだ。
家の庭は太陽が照りつけ、周囲を囲う林が冬の冷たく湿った風を遮っている。たいして寒さを感じない二人は、庭のベンチに腰かけ、何を喋るでもなく過ごした。
流れる雲を眺めるばかりの二人。雲が太陽を隠し、辺りが少し暗くなった時、フィオンは不意に、思い出したようにつぶやいた。
「……じゃあ、相談に乗ってくれるって言うなら、一つだけいいかな……。」
「……ん?」
それまで俯いてばかりだったフィオンは、不意に顔を上げた。シンディはぴたりと動きを止めた。弟がこんなにも弱々しい表情を見せて自分を頼るなんて、夏休みの宿題に手を付けずに登校日前日を迎えた時以外ではあまりないことだ。
「ねえちゃんさ、……あいつと仲、いいだろ。」
「あいつ……? あぁ、アイリーのこと?」
フィオンは聴きなれない言葉にむっとした顔をした。
「なんだよ、その呼び方?」
「アイリュスって言いづらい名前だったから、もっと簡単に呼ぶことにしたの。あの子も嫌がってはいなかったし、愛嬌がある呼び方でしょ? それより、頼みってなんなのさ?」
少しだけ、フィオンは躊躇った。口も悪く配慮も無い姉のことだ、こんな頼みごとは出来ればしたくはない。しかし、他に頼れるあてなど、フィオンにはいなかった。少なくともこの件に関しては、この姉にしか頼れない。背に腹は代えられず、しぶしぶとフィオンは言った。
「……あいつと遊びに行きたいんだけど。」
「……? あら、そう。なら行って来ればいいじゃない、誘えばきっと嫌とは言わないと思うけれど。」
あっけらかんと言って除けた姉に、フィオンは口を尖らせた。
「そ、そんな簡単に済む話だったら、わざわざねえちゃんに言ったりするもんか!」
急に声を張った弟に、シンディは困惑してきょとんと首を傾げた。フィオンときたら、何をそんなに気負ったりしているのだろうか。
シンディは腕を組み、揉み上げを弄って考えてみた。十数秒ほど動作を続けた後、思い至ってなるほどと相槌を打った。
「あぁ、なるほどね、そういうこと。フィオン、あの子のこと大好きだから、一人だと恥ずかしくて遊びにも誘えないんだ。」
姉の容赦のない言葉にカッとして、フィオンは咄嗟に何か言い返してやろうと思ったが、結局やめた。
下手なことを言って再び姉の機嫌を損ねるのは得策ではないし、何か言ったところで結局からかわれるのが関の山だろう。それに何より、なんだかんだと言い訳がましく言葉を並べたところで、姉の言っていることがそれほど間違った事でないのは、自分が一番良くわかっていた。
フィオンは顔が熱くなることには耐えることにして、代わりにむんずと腕を組んで姉の言葉を待った。
シンディは、そんな突っ張った態度のフィオンを見て、ニヤニヤとするのを我慢できなかった。意地っ張りな弟が自分を頼ることなど、これまで殆ど無かったし、これからもきっとそんなにはないのだろう。
なんだかんだ言いながらも弟は、自分なりに新しい家族を大切に考えているんだろう。シンディは少しばかり、弟の為に動いてやろうという気になった。
「いいよ、町に行こうって声はかけてみる。……しっかしフィオンもそういう御年頃かぁ、お姉ちゃん考えちゃうなぁ。」
「そういうことは言わないでいいよ、ほんとに。そうやってニヤニヤするのもやめろってば! ……ところでシンディもさ、好きな人が出来たりとか、そういうことはあったの?」「ないけど?」「……あ、そう。」
『おれより年は取ってるのに、まだ”そういう御年頃“には至っていないんだな。』……などと口にしそうになったが、フィオンはなんとか押し黙った。
フィオンは同世代や姉に対しては、基本的に一言多く言ってやりたくなるタチだった。
やけに協力的な姉のおかげで、フィオンの思った以上に事は早く運んだ。誤算があるとすれば、あの破天荒な姉は少しでも早く行動を起こしたがったため、その日の午後と言う恐ろしく急な時間に出かける羽目になったことくらいだろうか。
シンディに言われて、フィオンは家の前で待った。シンディは自分に配慮して、“シンディが遊びたいと言い出した”ことにしてくれるという。妙に親切心溢れる姉に違和感を感じたが、フィオンとしてはありがたい事だったので、素直にありがたがることにした。何故だか若干の後ろめたさは感じたが。
フィオンは家の前で待ち続けた。待ち始めてから、既に半刻程が経過していた。
もしかして、誘えなかったのではないだろうか。アイリュスの都合が悪かったのではなかろうか。そもそも、誘うことを忘れて二人で遊んでいるのでは? フィオンは待っている間に、色々なことが頭によぎって、だんだん胃がキリキリしてきていた。
「ごめんごめん。フィオン、待った?」
シンディが姿を現したのは、ちょうどフィオンがトイレへ向かおうと決意した時だった。つかつかと小走りしながら、シンディはフィオンに声を掛けた。
シンディの姿を見たフィオンは、思わず渋い顔をした。
普段ならフィオンよりも活発に走り回れる彼女が、あんなにしとしとと走っている。それは彼女の着ている物のせいだ。淡いベージュ色をした子供用のドレスで着飾って、シンディはにっこりと笑みを浮かべていた。腰を締めるコルセットはきつく絞られ、木の枝みたいに細いヒールのついた靴のせいで爪先立ちを強いられている。あんな恰好じゃ、小走りだって大変だろうに。
姉の恰好にあっけにとられ、フィオンの胃の痛みは瞬時に消え去った。
「……ねえちゃん、そんなカッコでどこへ行くつもりなのさ……?」
フィオンは遠まわしに、姉の姿格好にいちゃもんをつけたつもりだった。ただ、言われた当人は文句を言われたことに気付けなかったようだ。言い回しこそ遠まわしだったが、嫌な表情は全く隠してはいなかったのだが。
故に、シンディは上機嫌に言った。
「だって、可愛い妹との初めての外出だもの。変な恰好は出来ないわ。着付けてくれたバトラーも、わたしにはこの色が良く似合うって!」
フィオンは思わず、額を手で覆った。
『たかが町へ遊びに行く程度で、そんな大げさな恰好する方がよっぽど変だよ。』等と、不満を言いたい気分でいっぱいだった。現に喉まで言葉が出かかっていた。彼女のすぐ後ろに、まだ見慣れぬ妹の姿が無ければ容赦なく吐き出していたところだった。
さて、件の妹はというと、横に立つピカピカした服を着た姉と比べて、ずいぶんと質素な服装だった。袖口が手のひらまで隠す程に長く伸びた、少し身の丈よりも大きめのロングコートで身を包み、襟元を立てて口元が見えない様にしている。ずいぶんと地味な印象を受ける服装だったが、フィオンとしては目立ちすぎる姉の恰好よりもずっと魅力的な見た目をしていると感じた。
フィオンはじっとアイリュスを見遣った。アイリュスの姿も気になったが、彼女の持つ黒い、長い箱も気になった。ここに来る以前からずっと持っているというあの箱。一体なんなのだろうか。
詮索したい気持ちはあったが、先日触ろうとして睨まれた時のことを思い出すと、フィオンは縮こまってしまうのだった。
「ねえアイリー、そんな恰好でよかったの? わたしのおさがりでよければ、昔来てた良い服もあったのに。」
「い、いえ。わたしは……その、この方が落ち着くので……。」
フィオンが呆然と眺める中、二人は自分たちだけで会話をする。
アイリュスは相変わらずおとなしい話し方をする。その上で、控えめな言い方ではあったが、シンディの提案だけは明確に断った。ああいう派手な恰好は好まないらしい。シンディは気にしても居ないようだったが、フィオンから見て、アイリュスは少しばかり迷惑そうにしているように見えた。
フィオンはどうにも落ち着きなく、そわそわとし出した。こういった衣服などの話になると、男子はのけ者にされた様な心地になるものだ。フィオンは少しばかり、居心地の悪さともどかしさを感じた。姉ばかりが仲良く喋り、自分はどうにもついていけない。それが何とも、もどかしかった。
「あの、フィオン……お兄様。」
ちょうど、女の子たちの会話に飽きて明後日の方向を見遣った時だった。アイリュスはフィオンに声を掛けた。突然声を掛けられたものだから、フィオンは大いに慌てた。
「なな、なんだよ?」
フィオンはなんとか声を絞り出した。しかし、ずいぶんと素っ頓狂な声が出た。
妙な裏声である上に、変に威圧的な言い方である。当人はしまったと顔を顰め、それを見ていたシンディも深いため息をついた。フィオンは慌てて言葉尻を濁すと、大きく息を吸って言い直した。
「……な、なにかな。」
一度咳払いをして、今度はなるべく威厳のありそうな風を装って言った。そんなフィオンの姿がどう映ったのかはわからないが、アイリュスは小さくお辞儀をすると、
「今日は、よろしくお願いします。」
と、細々と言った。
フィオンがなんと返したものかと呆けていると、アイリュスは言葉を続けた。
「その、フィオン兄様が町を案内して下さるそうで……。お礼が言いたくて。」
「べ、別にお礼なんていいって!」
やけに丁寧に話すアイリュスに、フィオンは背筋にちくちくとした何かを感じた。言葉を遮るように言うと、そっぽを向いて、「元々シンディが行きたいって言い出したんだし。」と、素っ気なく言った。
「……? そうなんですか?」
アイリュスは首を傾げ、不思議そうな表情を浮かべた。
「お姉さんは、“フィオン兄様が行きたいって言い出した”って言ってましたけれど……。」
「……シンディ!!!」
フィオンは思わず怒鳴りつけた。
アイリュスの隣では、シンディが腹を抱えて笑い転げ出した。清楚で豪勢なドレスに身を包んでも、弟の怒鳴り声を思い切り笑い飛ばす彼女は、淑女からはほど遠い存在だった。
「いいじゃんいいじゃん、時間無くなっちゃう前に、もう行こうよ!」
掴み掛らん権幕のフィオンから逃げるように、シンディは小走りで街へと向かった。
「……くっ、やっぱり頼むんじゃなかった……。」
「……あの、お兄様? わたしは、なにか悪いことを言ってしまいましたか……?」
悔しげに歯ぎしりしていたフィオンだが、アイリュスが呟くようにそういうと、慌てて言葉を改めた。
「いや、そんなことは無いよ。それより行こう、シンディはこういう時、すぐに追いかけないと何処に行ったか分からないくらい離れて行っちゃうんだ。」
そういってフィオンは、シンディの背中を追いかけだした。少し離れて妹も続く。黒い箱を抱え込む様に、ふらふらと歩いて来る。危なっかしくて、手を貸したいとも思ったが、箱に関しては触れない方がいいということは、もう良くわかっていた。
フィオンにはどうにも、妹と自分との、この距離感が随分と遠いものに感じた。
「……お兄様、か。」
つぶやくと、フィオンは小さくため息をついた。




