【17】
話は一刻ほど遡る。
暗闇に消えて行った弟を見送ったあと、シンディはすぐに行動を開始した。
泣き止まない妹に困り果てたシンディは、とりあえず彼女を母の部屋へと案内した。事の次第を説明すると、母は優しくアイリュスを宥め始める。そのまま母は、寝かしつけようと彼女を寝室へと連れて行った。
その様子を見ていたシンディは、鈍く唸った。アイリュスの様子を見れば、あの箱が彼女にとってどれほどの価値を持っていたのかは明白だ。フィオンもそれを知っているから、制止も聞かずに飛び出して行った。
妹も弟も、それぞれ苦悩している状況で、何もしないでいるのは非常に気分がよろしくない。姉は唸るのをやめ、ふんと鼻をならして覚悟を決めた。
シンディは踵を返して母の部屋を出ると、真っ直ぐ物置部屋へと走った。道中居合わせたバトラーにも協力を仰ぎ、目当ての物を探し始める。
探し物はすぐに見つかった。五分と経たないうちに、シンディは屋敷の倉庫から古びたランタンと油、それから父親の部屋からライターを拝借した。取っ手のさびついた古いランタンなど、勝手に持ち出したところで気が付かれまい。父のライターに関しても、アイリュスが来てからは禁煙気味であるから、たぶん大丈夫だ。帰って来ても、暫くは気づかれない。自分に言い聞かせながら、シンディはポケットにライターを忍ばせた。
バトラーにランタンの準備をしてもらう間、厚手のコートを羽織り、バトラーの用意した暖かなココアを一気に喉へ通した。そうしているうちに、バトラーが準備を終えてランタンを持って来る。出来上がったランタンを受け取ると、礼もそこそこにシンディは寒空の下へと駆けだした。
家から離れると、早速ライターでランタンに火を灯した。ほんわかとした優しい光が、暗い林の中を照らしだす。視界を確保したシンディだったが、少女の身に油のたっぷり注がれた金属製のランタンは少々重く、その足取りはおぼつかない。これを持って先を往く弟には追いつけやしまいと悟ると、シンディは小走りで先を急いだ。
歩みを進める度に、手に持ったランタンがカタカタと音を立てる。持ち手の金属は冷えついていて、掌からあっという間に体温を奪い去っていく。家から出て間もないのに、指先の感覚が薄れていくのを感じる。
シンディは歩きながら悪態をついた。”こんな寒い中、あんな薄着で走っていくなんて、フィオンはどうかしている”。”風邪でも引いたらどうするつもりだ”。などと、口を開いている限り文句は絶えなかった。
シンディは、フィオンの足跡を辿ろうと考えていた。フィオンは確かに調べたのだろうが、うっかり見落としているということもある。自分の目でも、一度現場は見ておくべきだろうと考えたのだ。……というか、他にすることが思いつかない。だからと言って、何もせずにじっとしているのも間違っている気がする。シンディは、自分に出来ることをやろうと、暗闇に向けて迷いなく歩を進めた。
程なくして件の、林の広場へと出る。幼少期から、ここはフィオンとシンディの遊び場だ。
この場所を見つけたのは全くの偶然だった。二人で林を探検して迷ってしまった時、偶然この場へ辿りついたのだ。
あの真ん中にそびえる大きな木を、二人で協力して上ったのを良く覚えている。幼い身体で必死に昇って、頂上付近から辺りを見渡した。そうして周りを見て、家のある方向が分かったのだ。
この場所は、二人だけの秘密の場所ということになった。例外があるとするなら、余程仲のいい友達とか、そういう存在だけだ。ここは大人には決して教えない、子供の聖域なのだ。
懐かしいことを思いだしながら、シンディは大樹の根元まで来た。どうやらフィオンはここへ来なかったか、そうでなければ立ち去った後らしい。辺りには何の気配もなく、躍動を感じさせるものはシンディ以外には無かった。
木に触れながら、周囲を見渡す。虫の声さえ聞こえず、冷たい風が葉をかさかさ擦らせる音だけが響く。僅かな月明かりとランタンの光が、辺りを優しく照らしていた。
シンディは考え込んだ。
フィオンの言葉を全面的に信じるなら、アイリュスはここに箱を置いたのだ。
広場は平地で、辺りには背の低い草。箱の大きさを考えれば、多少強い風が吹いたところで独りでに動いたりはしないだろう。ましてや斜面も無しに林の中まで箱が運ばれることはまずありえない。
瞬間的に強く吹き付けた風が、木に立てかけた箱を倒すことはあるかもしれない。だが、箱は周囲の草の背丈よりも大きい。草に埋もれて見逃すことなどは考えられない。
状況証拠から“何故箱が無くなった”かを考えても、結論を得ることは出来ない。ならばとシンディは、“どうなれば箱がこの場から消えるのだろうか”と考え出した。見方を変えれば、非常にシンプルなことだ。箱がこの場から無くなるとしたら、“元から箱など無かった”か、もしくは“誰かが持ち去った”以外には考えられないのだ。
シンディは木の根元に腰掛けた。ランタンを置くと、コートの裾を手繰り寄せて、なるべく暖かな恰好でうずくまった。
容赦なく吹き付ける冷気が、頭の芯を冷却する。しゃっきりはっきりとした意識を集中させて、シンディは随分昔に母親のくれた推理小説の一節を思い出していた。“犯人の動機に迫ることが、事件の解決に大きく迫ることだ”という、主人公の探偵のセリフだ。
シンディは、“元から無かった”か“誰かが持って行った”かの推測では、誰かが持ち去った可能性の方を正しいものだと考えていた。フィオンの言ったことは真実だと、そう仮定しようと決めていたからである。必死になって言っていた弟の言葉が本当のことだと、そう思いたかったのもあった。
さて、誰かが持って行ったのなら、その“犯人”について考えなければならない。犯人も人だ、何らかの動機を持ってして、それを行ったのに違いないのだ。ただ何となく、というふざけた動機で、こんな丘の上の林の奥まで少年少女を尾行し、持ち去っていくなどあり得るはずがないのだ。そういう考え出したらきりの無い可能性は、極力なかったことにしようと、シンディはばっさり切り捨てた。
シンディは犯人の顔を思い浮かべようとしていた。どんな人間が犯人なのだろうか。どのような動機を持っているにしろ、犯人の人物像には二つのパターンがある。一つは見ず知らずの人間。もう一つは、良く知る知人である。
こういう推理をするときは、まず知人の線から考えるのが常である。少なくとも、小説の主人公はそうしていた。何故なら、見ず知らずの人間が犯人だと仮定するとなると、圧倒的にめんどうであるからだそうだ。人一人の知人の数に比べれば、未知の人物の数は圧倒的に多い。情報量の少ないときは、まずは少ない候補の中から絞って考える方が合理的であるのだ。
故に仮定を重ねて考える。フィオンを良く知る人物、とりわけ、この場所を知っている人物が犯人だと仮定するなら、候補はだいぶ絞られる。あとは尤もらしい動機の有りそうな人物がその中に居るだろうかと、思い返すだけだが……。
「……っ、寒っ!」
シンディは胃にむかむかしたものを感じだしていた。ごまかす為に身をぶるりとゆすって、ランタンの火を見つめたが、どうにもそれは収まりそうにない。
知人を顔を犯人として思い浮かべ、一人ひとりに対して、”こんなことをする動機は何か”とネガティブなことを浮かべて当てはめる。それはシンディにとって、心地のいい作業とは言い難かった。あまり続けていると心が病んでしまいそうである。
胃を抑えながら、ゆっくりと立ち上がった。考える以外にも、やれることはあるだろう。そう思い立ち、頭上に聳える大樹の先を、しっかりと目に焼き付けた。
フィオンとアイリュスが町を眺めている最中に、犯人が木の下にあった箱を取ったとして、考えよう。犯人は、なるべく気が付かれない様にことを運ぼうとするだろう。だとしたら……。
シンディは思いついたことを試そうと、恐らくフィオンがそうしたのと同じように、木に登りだした。ある程度の高さまで上ると、夜の街の灯りが見えるようになる。街灯や、まだ働いている人々の作り出す営みの光だ。こうして高い場所から見下ろすと、なかなかに良い景色である。
シンディは景色に浸ることもせず町の方角を確かめると、それとは正反対の方を向いた。どっちが町側で、どっちがそうでないのか、シンディは何度も確かめ、木から降りる。根本でランタンを拾い上げると、シンディは町側とは正反対の方向へ向かった。
犯人が居たとして、その犯人が何らかの動機のため、箱を奪おうと動いたと仮定しよう。そんな人物はきっと、町側を見ていた二人の死角を突くように動くだろう。町の景色に夢中な二人は、恐らく下のことなど気にはしない。だが、犯人からすれば、上の二人は気になって仕方が無かったに違いないのだ。二人に少しでも気づかれない様にと動いた可能性は、きっとある。
その死角を見てみよう。もしかしたら何かが見つかるかもしれない。
淡く、きっとありえないことを期待しているのは分かっているが、やらずには居られない。今のところ、頭の中だけで構築した空想だけが、ここへ来て得たものだ。シンディ自身、“こんなことがあっているわけがない”。“推理小説の通りに動くなんてちょっと子供っぽい”。そう思っているし、自分のしていることも考えていることも、酷く馬鹿げているとも思っていた。
しかし、何かをしたいという衝動は空想を加速させ、無意味にしか思えない確認の為に歩を進ませるのだった。
広場と林の境目から数歩進んだところで、ランタンを掲げてみる。こんなことで”何か”が見つかったら苦労しないと、自分に呆れた時だった。
ランタンの光に煽られ、ちかりと何かが光を反射した。一瞬だったが、シンディはそれを目の端に捉えた。
しゃがみこみ、目を凝らして足元を見た。シンディはその、“何か”を見つけてしまったのだ。




