【16】
ぼうっと照らされた街灯の下、シンディは静かに弟を見つめていた。夜風に靡くのは髪と衣服のみ。冷たい空気にも関わらず、姉はじっと身を動かさないでいた。
フィオンは姉から漂う冷たい雰囲気に、体を動かせず、じっと見返すばかりだった。姉には普段から、色々と小言を言われている。けれど、今日ほど彼女から叱責されるのが恐ろしいと思ったことは無かった。
気まずい沈黙が続く。その間、フィオンは様々な思考を巡らせていたが、ある時切り出した言葉は酷く情けの無い言い訳だった。
「……探しはしたんだよ。」
喉仏を絞る様な心地で、やっとそれだけの言葉をひねり出す。そんなフィオンの言葉を、シンディは手のひらを見せて制した。
「わかってる。別に怒ってるわけじゃないよ。そんなに涙と鼻水垂らして、目を真っ赤にして……。フィオンを見れば、頑張ったんだってことはよくわかる。」
フィオンはあっけにとられて、先ほどとは別の意味を持った眼差しで、じっと姉を見返した。フィオンは怒られると思っていたのだ。それなのに、姉の表情は柔らかくなり、掛けられた言葉はあまりにも暖かいものだった。
「アリッサ、フィオンが迷惑かけちゃったみたいで、ごめんね。」
シンディはそう声を掛けると、にこりと笑いながら二人に近づく。フィオンの隣のアリッサは返事をする代わりに、寒さからかぶるりと身震いした。
「……それで、フィオン。もう遅いから、帰りなさいよ。」
二人の目前へ立つと、シンディは切り出した。
「わたしはちょっとしたら後を追うから、フィオンは先に帰ってて。」
「ちょ、ちょっと待ってよ、シンディ。」
フィオンは慌てた様子で言葉を挟んだ。
「まだ、おれは帰れないよ。だって、まだ見つけてないんだ。まだ、箱が無いから……。」
「それは駄目だよ、フィオン。」
優しい口調だったが、フィオンはその言葉に、有無を言わせない厳しい表情を見た。
「頑張って箱を探していたのは分かるよ。けれど、あなたがそうやって帰らないようにしてるのは、単にあの子と顔を合わせるのがつらいからでしょ?」
「そ、そんなんじゃ……。」
フィオンは力なく肩を落とした。姉の言ったことが、実に的を射ていたからだ。必死に探し回ったからと言って、箱が無いのでは妹は納得してくれないだろう。そう考えると、家に帰るのは実に気が重かった。箱を探している限り、家に帰らなくて済む。そんな思いが無いわけではなかったのだ。
「……後で追うって、一緒について来てくれないの?」
観念したフィオンは、家に帰ることを決めた。けれど、一人で帰るのはどうにも心細かった。つい、姉を頼ろうとして、情けなく縋った。
しかし、姉は静かに首を振った。
「わたしは、アリッサとちょっとだけお話があるから。」
言葉と共に投げかけられたその視線は、目配せをするようにアリッサへと向けられた。すると、アリッサの方も、「……うん。」
と、何かぎこちなく頷いたのだった。
それからフィオンは、二人から離れて家へ向かった。公園の街灯が届いていない場所へと向かう足取りは、何か後ろ髪をひかれながら歩くような、酷く重々しいモノだった。家に向かうのにシンディが居ないだけで、ここまで心細くなるものか。
フィオンは家へ向かう途中、大きく町を迂回して歩いた。極力、家に辿りつくまでの時間を引き延ばそうと、無意識のうちにしたのだ。歩調もゆっくりとしたものであり、仮にシンディが共に歩いていたのなら、酷く叱咤を受けたことだろう。
しかし、そんなことをした割にはあまりにも早く町の出入り口に辿りついてしまった。実際にどれほどの時間をかけたのか、具体的なことは分からなかったが、少なくともフィオンの体感的には、町を彷徨っていた時間はあまり長い時間には感じられなかった。
街を出て、長い長い上り坂をとぼとぼと歩く。ふらふらした足取りから、時折足がもつれてつんのめることがあった。やはり歩く速度はゆっくりとしたもので、宛ら千鳥足での歩行には、フィオンの虚ろな気持ちが前面に現れていた。心ここに非ずな面持ちで歩いていると、いつの間にか真っ暗な林に差し掛かり、程なくして家の前に辿りついた。
フィオンは家の扉の前で、一人腕を組んで立ちすくんだ。ここに来るまでの経緯が、あまり記憶にない。あっという間に辿りついてしまったような、そんな気分だ。明かりも無しに、どうやってあの暗い林を横断したのだろうか。体が道を覚えていたか。
フィオンは扉に手をかけて、しかし開けることが出来ないでいた。姉はああ言っていたが、妹や、母や父にはどう説明したものだろう。妹には顔を合わせづらいし、両親は二人とも怒ってるんじゃないのだろうか。考えるほど、家へ入りづらくなる。
「ぼっちゃま、お帰りでしたか?」
フィオンは驚いて飛び上がった。まさか背後から従者が声をかけて来るなど、想像もしてなかったのだ。こんな時間に何故家の外にいたのだろうか。執事は手に油のたっぷりささったカンテラをぶら下げて立っていた。ぼやっとした光が顎の下から彼の顔を照らしだし、幽霊屋敷の住民のような風貌を醸している。
「お嬢様共々、なかなか帰ってこないのでこうして見回っていたのです。……入れ違いが恐ろしくて、庭から離れられずにいたのですけれどね。」
そういうとバトラーは、自分の着ていたコートを脱ぎ、そっとフィオンに被せてやった。フィオンの背丈よりもずっと長いコートは、裾を地面に引きずる形に収まったが、従者は嫌な顔一つせずニコリと笑いかけた。
「どうされたのですか。寒かったでしょうに、早くお上がり下さいまし。」
「……。」
フィオンはぐっと押し黙った。従者の優しげな言葉に身を委ね、家に上がって温まる。本当はそうしたいのだ。
「……アイリュス様なら、泣くことにお疲れになったようで、先ほどお休みになりましたよ。」
「……。」
従者はフィオンの心境を、手に取るように把握していた。フィオンが何を恐れて中に入られないのか、良くわかっていたのだった。
「コーネリア様は、アイリュス様のご就寝を見て居られていますし、ダグラス様はまだお帰りになっていません。故に、ご帰宅なされるなら、今が絶好の好機かと。」
「……バトラー、おれ、それでいいのかな。」
扉にかけた手を下しながら、呟いた。
酷く短縮的で、つかみどころのない言葉ではあった。しかし執事はううんと唸ると、そっとフィオンの肩に手をかけて、声をかけてやった。
「フィオン様が何をどう思っているのか、私にわかる等とは言えません。けれど、何か悔やみ事があって、どうしても諦めきれないことがあるならば、ご自身の納得いくまで追求してみることもまた、一つの答えではないでしょうか。」
「バトラーはそうした方がいいって、そう思ってるの?」
少年の言葉に、老人はゆっくり首を振った。
「私としては、ですが、それは好ましい選択です。こんな時間におぼっちゃまを外出させるなど、ご主人様に知られたらどう咎められるか分かったものではないですからね。従って、ここで諦めてしまうことも一つの選択肢です。それは楽で魅惑的なな選択しです。……けれども、もし、それでフィオン様が後悔なさるのなら、それはフィオン様にとっては、好ましくない選択だったと言えるでしょう。」
「……難しい言い方しないで、もっとわかりやすく言ってくれないかな。どっちが正しい選択なのか、おれにはわからないんだ。」
歯切れが悪そうに、フィオンは言う。すると、老人は肩を張って笑った。
「正しい選択なんてものは無いのです。こと人生にかけては、自身の行った選択全てが正しいものなのです。ここぞという時、選択をする際に大切なことは、その選択が正しいか正しくないか、ではありません。一番大切なのは、フィオン様がどっちの選択肢を取りたいのか、ということです。」
フィオンはバトラーの言葉に、少し唸って考えを巡らせた。しきりにバトラーの言っていた言葉を、ぶつぶつと復唱してみたりもした。
“おれが、どんな選択肢を取りたいのか。……それが一番、大切なこと。”
しばらくして、フィオンは不意に明るい表情を浮かべて、バトラーを見上げた。
「おれが選んだ選択で、バトラーが怒られるかもしれないんだけどさ。」
すると老人は、困った様なおどけた表情を浮かべてみせた。
「それは大変です。ならせめて、私はこの場にいなかった、フィオン様とは話さなかったと、ダグラス様にはお伝え下さいね。」
「怒られるときは一緒に怒られようよ、バトラー。」
言いながらフィオンは、コートをバトラーへと返した。
それから目元に溜まっていた涙のつゆを拭い去った。
「おれがどうしたいのかってことでやることを決めるのなら、最初からどうするかは決まってるよ。見つかるまで、徹底的にやってやる。例えば何日かかかっても、ずっとずっと、見つかるまで探してやるんだ。」
「ずいぶんと急な心変わりですね? 先ほどまでは、帰りたくてたまらないと言わんばかりに虚ろな目をしていらしたのに。」
「……気が気じゃなくて、焦ってたからだよ。見つけなきゃ、おれのせいだってことばかりに気を取られてて、どうやったら自分の失敗を被らない様に出来るかってことを思って物を探していたんだ。……けど、そうじゃない。わかったんだ。シンディにも言われてわかったんだ。おれは、おれの失敗から逃げちゃいけない。アイリュスの箱が無くなったのはおれのせいで、おれはこの後どんな風に怒られたっていい。アイリュスに嫌われたっていい。それを避けるつもりは無い。……けど、それとは別に、箱は探す。それがおれに出来る、ただ一つの事だから。」
バトラーを真っ直ぐに見つめるフィオン。執事はそのきらきらとした目に見据えられて、やれやれとため息交じりに手に持ったカンテラを手渡した。
「こういう時は、最初に探した場所を探すと良いかと思います。なにせ、焦っていたのなら見落としていたこともあるでしょう。当てもなく探すよりも、まずは原点へ立ち戻ってみるべきです。」
バトラーの言葉に、フィオンは頬を膨らませた。
「あんなに大きな箱を見落とすかな。」
「物事に絶対はありませんから。……それと、夜道は暗いですから。転んで落とさない様にお気をつけて。」
「わかってるよ。」
最後に返事をして、フィオンは屋敷へ背を向けた。バトラーが見送る少年の後姿は千鳥足になどなっておらず、すっかりいつもの活発な彼そのものであった。
坂道を転げ落ちるように走りぬけ、再び林の中の広場へと出た。
フィオンは先ほど以上にくまなく探す気でいた。夕暮れの暗さが、探索の妨げになっていたのは否めない。今回はきちんと灯りを持って来ているし、しっかりと周りが見えそうだ。
「……ん? あ、あれ?」
意気込んでいたフィオンだったが、その行進は早速止まる。フィオンの視線は、中央の大樹の根元へと注がれた
というのも、大樹の根元に、きらりと光る何かが突き刺さっているのが見えたのだ。月明かりに反射して、それは存分に存在感を放っていた。フィオンは首を傾げながら近づいた。先ほど探したとき、あんなものはあっただろうか。
近づいてみると、それは見たことも無いような、湾曲した剣だった。フィオンはじっと剣を見つめた。湾曲した形といい、片刃の造形と言い、こういうものは本でも見たことが無い。非常に珍しい剣なのだということは、すぐに分かった。
フィオンはハッとして、辺りを見渡した。その剣の周囲に、黒い木片が散らばっている。カンテラの灯りを掲げて、注意深く見てみると、木片は古びてずいぶん年季を感じさせるもので、ところどころ黒の塗装が剥げている。
こつんと、フィオンの靴に何かが触った。金具の擦れた様な音に気付いたフィオンは、足元のそれを拾い上げる。それは、金色に塗装された、これまた年季の入った取っ手のようなものだ。
最早疑いようが無く、フィオンは呟いた。
「……これ、中身?」




