【15】
辺りはいよいよ、暗闇に包まれた。日の光は完全に消え失せ、ぽつぽつと点灯する町の街灯の明かりだけが、足元をぼうっと照らしている。
フィオンは、町の公園で一人、ベンチに腰かけて項垂れていた。街へ入ってから二刻ほど、フィオンは絶えず走り回ったが、その成果は表れなかった。
探せる範囲は全部回ったはずだ。図書館へは最初に向かった。閉館していたが、事情を話すと中へ入れてくれたので、昼間居た場所を重点的に探した。しかし、やはりそこにはない。フィオン自身、図書館を出た時は、まだ箱を見た気がしていた。
次に、家への道を戻りながら辺りをしっかり見まわした。もしかしたら、何かの拍子にアイリュスが落としてしまったのかもしれない。……望み薄なのは分かっていたが、これも徒労に終わる。気が付いたら、フィオンは町の出口に立っていた。あれだけしっかりと見て回ったのだ、あの大きさの箱を見落とすはずはない。
早くも当てがなくなってしまった。しかし、だからと言って諦める訳にはいかなかった。
次にフィオンの足は、馴染みの酒場へと向いた。店主に、何か見てないだろうかと尋ねに来たのだ。店じまいをしようとしていたところだったが、店主はフィオンに時間を割いてくれた。詳細を話すと、残念ながら心当たりがないとのことだった。店主は、後日何かを見つけたら教えると約束をしてくれた。フィオンは店主に深く感謝し、その場を後にした。
その足で、フィオンは雑貨屋も尋ねた。時刻もあって、昼間よりも少々年齢層の高い少年達を相手にしていた店主だったが、フィオンが来るとそちらに意識を向けてくれた。結果的に、これも空振りに終わる。店主のオバサンは何も知っていなかったのである。
いよいよ当てがなくなったフィオンは、落胆した。おぼつかない足で街を彷徨い、しかし家に帰るのも気まずくて、気が付いたらここに居た。
夜の街は、昼よりも冷える。風が一陣、びゅうっと吹き付ける度に、フィオンは寒さで身震いした。指先が冷え切り、感覚が消えていく。奥歯をガチガチ言わせて、街灯にぼうっと照らされた足元を見つめて、時間が過ぎていくのに任せていた。
風が幾ら寒くても、しんと静まり返った夜に寂しさを感じても、フィオンはその場から動く気にはなれなかった。探す場所はもうない。しかし、箱は未だ見つかっていない。箱なしで帰ったりしたら、家族にどういう目で見られるだろう。シンディは怒るに違いない。母はがっかりするに違いない。父はため息をつくだろう。そしてアイリュスは、きっと、もっと泣いて、自分を嫌うと思う。
考えるほど、気が重くなっていく。フィオンは、帰る場所がなくなってしまったような、消失感に見舞われた。悪い方へ考えるほど、フィオンは寒さから身を守ろうと、深く自分の体を抱え込んだ。腰は石の様に重く、持ちあがらなくなっていった。
「フィオン?」
突然かけられた声に、フィオンは身をびくりとさせた。まだ幼い少女の声だ。フィオンの頭には、咄嗟にシンディかアイリュスの顔が浮かんだ。恐ろしくなって、フィオンは顔を上げられなくなった。
「フィオン、どうしたの? こんなとこで何してるのよ?」
再びかけられる声。良く聞くと、声は頭に浮かんだどちらのものでもなかった。
恐る恐る顔を上げると、姉程ではないが良く見知った顔があった。声の主は、アリッサだった。
「……アリッサか。」
「“アリッサか”、とはご挨拶ね。」
頬を膨らませるアリッサに、フィオンはふぅっとため息をついた。
「おまえこそ、こんな時間にこんなところで何してるんだよ。」
するとアリッサは、目を逸らしながら言った。
「図書館の人が、……まぁ、うちの執事なんだけどさ。貴方が尋ねて来たって言ってたから。なんか、探し物してるって言ってたけど。」
その言葉に、フィオンは顔を伏せた。一瞬忘れかけたが、自分は絶賛探し物中なのだ。そしてそのことで、酷く落ち込んでも居た。
「……見つかんないんだ。」
「何が?」
「……アイリュスの箱。」
ぼそぼそとつぶやくフィオン。アリッサは相槌を打つと、すとんとフィオンの横へ座り込んだ。
「……別に良いじゃん、あんな汚い箱くらいさ。」
「……っ、アリッサはわかんないんだよ!」
そのぶっきらぼうな態度が気に障って、フィオンは思わず叫んだ。
「あれは、アイリュスにとっては大切なものなんだ! ……それが、おれのせいで無くなっちゃって……っ!」
「べ、別にフィオンのせいじゃないんじゃない?」
大きな声にひるんだアリッサだったが、咄嗟にそんな言葉が出た。それはフィオンを慰める為に言った一言であったに違いないが、フィオンは首をぶんぶん振って否定した。
「違うんだ……。おれが変なことを言い出さなきゃ、アイリュスは箱を手放さなくて済んだんだ……。それに、おれがもっとちゃんと見てれば、箱がどこかへ行っちゃうなんて、そんなことも起らなかったんだよ……!」
「箱、はこ、ハコって……。何度も言ってるけど、そんなに大事なことなの? 貴方の妹さん、あのボロ箱の中に、そんなに価値があるモノ入れてるの?」
「……それは、知らないよ。」
アリッサの畳み掛けるような問いかけに対して、答える声はか細かった。
「知らないって……。中身もわかってないのに、なんでそんな一生懸命になって探すのよ。」
「あの子が泣いてたからだ。」
「……っ、だから、それがそんなに重要な事かって言ってるの! こんなところでうずくまる程重要な事かって……!」
「おれは父さんに任されたんだ!」
話していると、アリッサの声が大きくなり、フィオンも気づけば、それよりも大きな声で言葉を遮るようになっていた。
「それに、今日は母さんにも、シンディにだって頼まれたんだ……! 今日、アイリュスの誕生日を祝おうって! おれ、その手伝いがしたくて、おれなりに頑張ったんだけど……っ!」
大きなフィオンの声は、急にかすれだした。目の端に熱い滴が溢れ出してくる。それにつれて、フィオンの声は押し殺したような、か細くて甲高いものになる。目の端の滴を止めようとしたのに、胸の奥からどっと泣きたい気持ちが溢れだした。
言葉を言い終わらないうちに、フィオンは泣き出してしまっていた。
「だ、だけど……っ。アリッサにも手伝ってもらったのに、なのに、おれ……。」
一度溢れた涙は、もう止まらなかった。視界が涙でぼやけている。街灯の灯りがあるのに、アリッサの顔も良く見えない。
フィオンはうずくまって、涙を堪えようと必死に押し殺しながら、泣いた。
そのままフィオンは半刻ほど泣き続けた。今までの人生、失敗はいろいろあった。先生に怒られたり、いたずらが父にばれたり、シンディとの喧嘩に負けたり、色々と。
けれど、こんなに悲しくて、情けない気持ちになったのは初めてだった。フィオンは人前で泣いたことが無い。そういう気分の時も、情けない自分を曝すのが嫌でいつも堪えていた。それが、今回はこらえきれなかった。情けなくてもいいから、誰かに“頑張ったんだ。けれど、駄目だったんだ”ということを聞いてほしくて仕方が無かった。
泣きながらずいぶんと弱音を吐いた気がする。その間、意外なことにアリッサは反論せず、口を挟まず、ただ相槌を打って話を聞いてくれていた。
「……ごめん、もう大丈夫。……大丈夫だから。」
フィオンは瞼を擦りながら言った。アリッサに打ち明けたおかげか、少し心が楽になっていた。まだうるんだ瞳は、今にも涙がこぼれ落ちそうになっていたが、ひとまず津波の様に押し寄せる泣きたい衝動は収まった。
「……ねぇ、アリッサ。ありがとう。」
フィオンは不意に、アリッサに礼を言った。突然のことに、アリッサは頭上にはてなマークを浮かべて、呆然とフィオンを見つめた。
「……それと、ごめん。おれのお願いを聞いてくれたのに、おれはそれに見合ったことが出来なかった。……こんなはずじゃ、無かったのに。」
「べ、別にそんなの、良いし……っ。」
アリッサはぷいっとそっぽを向いた。
フィオンはそれをみて、薄く笑った。
「どうしちゃったんだよ、なんか今日のアリッサ、やけに優しくない?」
「……っ、べ、別に今日に限ったことじゃないわよ! 私はいつでも寛大なの!」
あわただしい口調でまくしたてるアリッサ。フィオンはそんな彼女をみて、薄く浮かべた笑みを、徐々に暗くしていった。
アリッサが落ち着いたころ、なんのきっかけがあった訳でもなく、フィオンはぽつぽつと話し始めた。
「……あの日さ、おれ、頼む前はアリッサは絶対に断るって思ってたんだ。そう決めつけてたんだ。いじわるするに決まってるって、シンディにも言ってた。」
唐突な罪の告白に、アリッサは唖然とした。それから、不機嫌だと言わんばかりにふんと鼻を鳴らしてみせた。それを受けてか、フィオンの口調は、少し気まずそうにトーンを下げた。
「……ごめんって。だけど、実際のアリッサは違った。おれの突然のお願いに、なんの迷いもなく良いよって言ってくれた。……おれ、アレは嬉しかったんだ。」
「……フィオン、それは―――。」
「いや、別に良いんだ。例えばアリッサの気まぐれだってなんだって、アリッサはおれの願いに応えてくれたんだ。問題は俺の方だよ。人をそうやって問題視しておいて、でも蓋をあけてみたら、一番の問題は俺だったんだ。……アリッサじゃなくて、おれが問題だったんだ。」
言い終わると、フィオンは深く頭を下げた。腰掛けたベンチの下に頭を入れるくらい、深く、深く沈み込んだ。
それっきり、フィオンは喋らなくなった。アリッサも、何を言っていいのかわからなくなった。
時折気まぐれに吹く冷たい風に、アリッサは幾度となく身を震わせた。フィオンはといえば、そんな風さえ感じられなくなっているのか、そのままの姿勢でぴくりとも動こうとしない。
「……ねぇ、フィオン。」
不意に、アリッサが声を掛けた。
「フィオン。……あの、実はさ。」
そこまで言いかけた時、アリッサはハッとして周囲を見渡した。さくり、さくりという、公園の草を踏みしめる足音が聞こえたのだ。
フィオンもそれに気が付いたのか、顔を上げた。
さくり、さくり。足音は徐々に近づいてくる。
草を踏む音が、ほぼ目前にまで迫ってきたとき、音を立てている主の姿が街灯の下に曝された。
「こんなところにいた、フィオン。」
フィオンは思わず、背筋を伸ばした。
声の主はシンディだった。




