【9】
雑貨屋を出たところで、アイリュスはシンディの服の裾をつついた。
「ん、どうしたの?」
シンディは立ち止まり、アイリュスの顔をまじまじと見た。
まだ家族に加わってから間もない妹は、積極的に自分を呼び止めたりはしたことがない。服の裾を持つなど、以ての外だ。ならば、よほど何か気がかりな事があったに違いない。
シンディは、アイリュスの次の言葉を待った。
「フィオンお兄様って、凄い方なんですね……。」
「え"っ。」
何事かと身構えていたシンディは、餌を喉に詰まらせた猫の様な、くぐもった声を出した。妙な声を出したせいで咳こみもした。思いがけない一言に、シンディは一瞬言葉を失った。
俯いたまま話す妹はといえば、姉の様子に気が付かず言葉を続けた。
「行く場所、行く先々で、みんながお兄様を慕っているようでしたから。……なんだか、すごいなって、思って。」
「そ、そんなんじゃないよ、アイリー。」
シンディは否定した。
本来なら、最初に”フィオンはすごい”と言った瞬間に否定しているところだ。フィオンは凄いヤツじゃあない。これは事実である。少なくともシンディにとってはそうだ。
「おれ、凄いかぁ? へへ、そうかなぁ?」
姉の否定を意に介さず、フィオンは照れてへらへら笑った。
「あーあ、聞こえてたか……。」
呆れたことを隠さず口に出すと、シンディはため息をついて首を振った。
お調子者のフィオンが情けない、によによとした顔をして喜んでいる。シンディは思わず目を背けた。フィオンはお調子者だが、今まで誰にどんなほめ方をされたって、あんなヘラヘラした顔をすることは無かった。どうやらフィオンは、余程妹のことが気に入っているらしい。
シンディはフィオンの表情に幾分かのいら立ちを感じたが、堪えた。アイリュスがフィオンを“すごい”と思ったのなら、それは、フィオンの姉としては嬉しいことなのである。悪く思うよりはずっといい。妹と仲良くなろうと前向きに取り組んでいるフィオンにとっては、これは一つの前進だろう。
シンディは堪えた。あのへらへらした、イラッと来る顔を歪めてしてしまいたいという願望と、一人必死に戦った。
「ねえ、フィオン。図書館に行かない?」
場を仕切直そうと思い立ったシンディは、フィオンの肩を掴んだ。
普段見る以上に調子に乗って、すっかりおしゃべりになっている弟に見かねたのもある。妹に”自分が如何にすごいか”なんてことを言いだしたものだから、”そろそろ止めないと何かがマズい”と感じたのである。
シンディはフィオンの話を断ち切り、次の目的を定めさせようと努めた。
「アイリ―って本が好きなんでしょう? なら、図書館の場所は知っておいた方がいいんじゃない?」
「あー……。あぁ、確かにそうだね。……けど、今日はやめようよ。」
フィオンは言った。
「どうしてよ?」
浮かない顔の弟に尋ねる。先ほどまでの浮かれようは、すっかり見られなくなっていた。
「……いや、ちょっとさ。またしばらく今度ならいいけれど、今日はちょっとさ。」
フィオンは言葉を濁しながら、姉から目を逸らす。すると隣に居た妹と視線が交わる。アイリュスは図書館へは向かわないとわかると、少し悲しそうに肩を落としていた。どうやら少し期待していたようである。
「ご、ごめん。今度案内するからさ。」
慌てた様子で謝るフィオンに、アイリュスは小さく首を振った。
「いえ、いいんです。また後日、です。」
そういうアイリュスは、どこか寂し気に見える。フィオンは酷くつらそうに、妹の顔を見た。しかし、決して“やっぱり図書館に案内するよ!”とは言わなかった。何をそこまで頑に拒んでいるのだろうか。シンディは不思議に思った。
「それじゃ、どうする? もう帰るの?」
シンディは提案した。この提案に対してフィオンは小さく首を振った。
「いや、まだもう一か所。公園にいこうって思ってたんだ。……っていうか、これから帰るにしても、あの長い坂道を歩くんだぞ。おれたちはともかく、町にも慣れてないアイリュスにはつらいと思うし、少し休んでいこう。」
「ああ、そうね! ちょっと歩き疲れちゃったし、足を休ませるにもちょうどいいかな。」
シンディはふくらはぎをもみながら言った。歩き通しで居たためか、立っているだけでも足が少しぷるぷると震えている。あまりに震えが強いものだから、何かの拍子にヒールを踏み外して倒れてしまいそうである。
フィオンは大きくため息をついた。
「……靴のせいだろ、それ。おれ、知らないぞ。帰りも同じ場所を、今度は上りで歩くんだからな、その靴で。」
自分よりも体力のある姉が弱音を言っている。フィオンは、それがどうにも不満に感じて嫌味を言った。姉は弟の嫌味を理解して、口を尖らせた。
「わたしは街中を歩くために、この靴を履いてるのよ? だから町から帰るんだったら、その時は裸足で歩けばいいわ。」
シンディは言いながら、フィオンよりも先をずんずんと歩いて行った。つま先立ちのシンディは一歩歩くたびに、かかとがぐらりとして、今にも倒れてしまいそうである。ぐらぐらずかずかと歩く少女は、旗から見ると非常に危なっかしく映っただろう。
フィオンはさっさと進んでしまう姉を、マイペースに歩いて追い始めた。
「……淑女が聞いてあきれるよ、全く。行こうアイリュス。ねえちゃんがまた先に行っちゃう前に。」
アイリュスは控えめに頷くと、フィオンの後ろをとことことついて歩いた。
「……うーん、ここに二人揃って来るなんて、いつ以来かしらね?」
早足で歩く姉に追いついた頃、三人は目的地に着いた。無茶な早歩きのせいでシンディの脚はもはや限界寸前だったが、姉としての威厳を保つため、それを隠そうと必死になっていた。幸いなことに、シンディの上擦った声から内情を読み取るほど、フィオンは姉のことを気に掛けてはいなかった。
「……三年くらい前かな? ねえちゃんがまだ、おれや男友達を殴ったり蹴ったりしてて、喧嘩強かったって怖がられてた時だったから。」
弟の言葉にシンディは顔をしかめる。
「そういう事ばっかり覚えてる……。覚えててもアイリーの前で言う? もう今はそんなことしてないのに。」
「最近大人しいのって、今ならその気になったら死人が出るからなんでしょ? その尖った靴底で蹴られたら身体に穴が空いちゃうもんな。」
「そうじゃない、わたしはそういうのからは卒業したの。今はわたし、淑女なんだから。」
フィオンがあざけると、シンディは口を尖らせた。
姉弟が言い合っている最中、アイリュスは周囲を見渡していた。石造りの町の中にあるにしては、緑の涼しげな風貌を醸し出す場所である。周囲は樫の木が植えられ、町のむさくるしい空気を遮断している。公園の中央を見ると、規模こそ小さいが綺麗な池があり、池の中央には簡素な噴水まで備わっている。一面は刈りそろえられた芝で覆われていて、その辺りに座り込んでぼうっとすることも悪くないように思える。
「学校帰りとか、買い物とかで疲れた時に寄るんだ。」
呆然と首を回すアイリュスに、フィオンは言った。
「最も、この町で働いてる人なんかは殆ど来ないけどね。大人はみんな忙しいんだ、こんな場所による余裕が無いくらいに。だから、ここはおれたち、子供の場所なんだ。」
アイリュスは、ふんふんと頷いて見せた。
鼻を擽る緑藻の香りで肺が満たされる。なるほど、ぼうっとして休むにはいい場である。アイリュスは兄の言葉に納得した。
「学校帰りに寄る子供なんて、フィオンみたいなのばっかりだけどね。」
苦笑交じりにシンディがそう付け加えると、フィオンは首を傾げた。
「おれみたいなのって?」
「非行少年?」
シンディの難しい言葉に、フィオンは再び首を傾げた。
「ひこ……なんだって?」
「……やんちゃってことよ。」
フィオンは“やんちゃ”という言葉の真意を問おうと、口を開きかけた。
「フィオン? フィオンじゃん!」
ちょうどその時、何者かがフィオンを呼んだ。
「あぁ、なんだ。お前らも居たんだ。」
驚いて振り返ったフィオンだったが、自分を呼び止めた人物を見るなり、肩を竦めて気の抜けた返事を返した。
「“なんだ”とはなんだよ、俺達がここに居るのはいつも通りだろ。寧ろフィオンが休みに家から出るなんて珍しいじゃん。あ、シンディも久しぶり。」
フィオン達に声をかけてきたのは二人組の少年たちだった。フィオンと同学年で、良く帰りに公園で遊ぶ仲間である。彼とは長い付き合いで、故に以前はシンディとも良く遊んでいた仲であった。
「ええ、御機嫌よう。」
シンディはさらりとしたブロンド髪をかき上げると、丁寧にお辞儀をして見せた。すると友人は思わず吹き出した。
「うえ、なんだこのシンディ。なんか変だぞ。」
「お前、今は許すけど五年後、十年後にも同じこといったら殺してやる。」
シンディの言葉に場は凍りついた。
こうして脅しをかける時のシンディは、冗談を言う男たちを黙らせる迫力がある。なにせ彼女は遊び仲間の中では最も腕っぷしが強く、言葉よりも先に手が出るタチである。それが口で事を済ませようとするのなら、それで済む様に口を慎むのが自然な流れである。
「……しかし、フィオンはなんか久しぶりに見たな、最近付き合い悪いじゃん。放課後すぐに帰るなんてらしくないことして、何してたんだよ?」
凍りついた場を何とかしようと、もう片方の少年は、話題をフィオンに振った。フィオンはだいぶ焦った。どう説明したものか、少し間が欲しく思った。
「フィオンはね、妹に会いたくて早く帰ってたんだよ。遊び仲間も放っておくほど会いたくって。」
フィオンが黙っていると、シンディはにやけ面を隠さず、面白がって言いたい放題言った。このことに、フィオンはだいぶ焦って声を荒げた。
「う、うるさいよ!? シンディは黙ってて!」
シンディの言葉に、少年たちは首を傾げて互いの顔を見合わせた。
「妹? フィオンに妹なんて居たっけ?」
「最近出来たのよ。……ほら、アイリ―。ずっと後ろに立ってないで、みんなに挨拶なさい。」
アイリュスは、シンディとフィオンの後ろに隠れていた。シンディが急かすので、しぶしぶといった様子で二人の前に出る。
「えっと……。アイリュスです。この度、エルフォードのご家族にお世話になることになりました。……えぇっと、……。宜しくお願いします。」
養女は視線を右往左往させながら、もじもじと自己紹介した。お辞儀をした拍子に、二つに束ねた髪がふわりと靡く。ゆっくり、流れる様に丁寧な仕草は、少年たちの視線を釘付けにした。幼いながら、動きに気品が感じられたのだ。
顔を上げ、自分よりも背の高い相手を上目遣いで見やる少女は、それこそ人形の様な、整った可愛らしさを秘めている。友人二人は揃って息を飲んだ。
「……へぇ、可愛いじゃん。」
「変な目で見んじゃないよ!」
片方が言うと、フィオンは目の橋を吊り上げて声を荒げた。
「ああ、なるほどなー。なるほどなー、フィオンなるほどなー。」
フィオンが必死なものだから、もう片方は頻りに頷きながら、フィオンをじっと見やった。フィオンは両手をぶんぶんと振って、二人に捲し立てた。
「ナルホドな、じゃない! おれは別になんとも思ってない!!」
「”なんとも”って、なんだよ?」
「あー、もう!! いちいち突っかかって来るなよ!!」
年頃の少年たちというのは、こういった弱みを見せると恐ろしいものである。少年二人はつつけばつつくほど過剰に言葉を返すフィオンを弄って、その反応を楽しみだした。
言われる側のフィオンは顔を真っ赤にして怒るのだが、友人二人は容赦なくフィオンをからかったし、火付け役になったシンディも、先ほどの情けない照れた顔を写真にでも撮って見せてやれたのならどんなに面白かっただろうかと想像しながら、場の流れに任せてにやついていた。
「あ、あの、わたし……。もしかしてまた、何かご迷惑を……?」
アイリュスはシンディに言った。そこで姉は、不安そうな表情を浮かべる彼女に、優しく声を返してやった。
「またもなにも、アイリーは一度だって、迷惑なんてかけてないよ。ただ、フィオンがちょっと変なだけ。」
シンディはにっこりと笑顔を見せた。
「……ん? おい、フィオン。」
「なんだよ、いい加減にしないと怒るぞ。」
「違う、そうじゃなくて。別にからかおうってわけじゃなくてさ。あれ、もしかしてさ。」
「ん? ……げっ。」
フィオンは友人が指差した先を見た。そしてすぐにむっとした表情を作ると、慌てて視線を別へ逸らした。
アイリュスは首を傾げた。兄が取り乱すなんて、一体何を見たのだろう。兄が見た先は、先ほど入ってきた公園の入り口だった。じっと目を凝らすと、ちょうど誰かがこちらへ歩いてくるのが見えた。見た様子だと背丈は小柄で、恐らく子供である。こちらに大手を振って歩いている。
その子供は早足で、こちらへと近づいてくる。近づくにつれ、そのシルエットがよくわかって来る。
身に着けた衣服には装飾が施されている。年ごろの少女なら一度は憧れる様な、キラキラとした宝石の類と、それを自然に服と繋ぐふりふりのリボンが、圧倒的な存在感を醸し出している。その子供は幼い顔立ちの少女だったが、その辺りを歩いている子供には見られない様な、特別さを感じさせた。
「御機嫌よう、シンディ。それにフィオンと、その他有象無象共もね。」
第一声。芝居の掛かったような調子の、甲高い少女の声が響く。
「うぞう……? なんだって?」
「心底どーでもいい連中ってことよ、おばかさん。」
新しく来た人物は、フィオンの友人に威圧的に振る舞った。
アイリュスはフィオンの背後に隠れた。この人からはやけに高圧的な印象を受ける。アイリュスは、なんとなく、その少女を苦手に感じた。
「……何しに来たんだよ、アリッサ。」
フィオンは不機嫌な様子を隠さず、あからさまに嫌そうな顔をしていった。すると、アリッサと呼ばれたその人物は、
「たまたま通りかかったら、最近姿が見えなかった間抜け面が居たから笑いに来てあげたのよ。」
と、威圧的な言い方で、また気取ったような声でフィオンに言った。
アイリュスは兄の背に隠れながら、まじまじとその人物を観察した。
少女はアイリュスよりは多少高い身長で、髪は肩よりも下まで伸ばしている。先ほど述べた様に、服がとにかく派手だった。お金持ちの屋敷で働く従者の制服を、これでもかと言うほどに豪華に飾ったような服だ。そんな服で街中を歩くなど、道行く人々の視線を奪うに違いない。
初対面のアイリュスがキツそうだと感じるのは、口調や常に相手を睨め付ける様な鋭い視線のせいだろう。その鋭い視線が、自分をじろりとにらみつけた気がした。
アイリュスは恐ろしくなって、目を合わせないようにしながら、今度はシンディの背後へ逃げ込んだ。
「おれをからかう為にわざわざこんなところまで来たのか? 暇なのか?」
フィオンはすっかりアリッサと向き合っていた。相手に当たるような、ねちっこい口調の少女に対し、アイリュスにする優し気な口調とは正反対の棘を含んだ強い口調を以てして、フィオンはアリッサをけん制した。
アリッサは何故だか気を良くしたようで、髪をかき上げながら言った
「うぬぼれないでくれる? なんであんたなんかの為に、わざわざ私が外出しなきゃならないわけ?」
「おれが知るわけないだろ。でも、いつも家に引きこもるか親父さんと出かけるかしかしないお前がわざわざ来るなんて、そうとしか考えられないだろ。」
それからしばらく、フィオンとアリッサはあーでもない、こーでもないと言い合いをしていた。アイリュスはその姿に、普段のシンディとフィオンの言い合う姿を重ねていた。最も、それほど穏やかな雰囲気ではなかったのだが。
「それじゃフィオン、俺ら帰るから。」
フィオンとアリッサが険悪な雰囲気で向き合ってからしばらくして、友人二人はそそくさと場を離れて行った。フィオンはその後姿を、目を丸くして見つめた。
「え、お前ら? もう帰るの? 早くない?」
「うぞうむぞう共は帰るんですよ。」
「じゃあなー、フィオンー。」
それだけ言うと、少年たちは走って公園を後にした。
「あらあら、ずいぶん人望があるんですこと。仁徳ってこういう時に出るわねえ、フィオン?」
「難しい言葉を使うなよ、わからないだろ!」
フィオンは地団太を踏んで怒り狂っていた。シンディと話している時の冷静さはすっかりなく、アイリュスは困惑していた。
「あの、姉さま。」
今日三回目になるが、アイリュスはシンディに声をかけた。
「シンディで良いって。それかお姉ちゃんでもいいけれど。……それで、どうしたの?」
アイリュスはチラリとアリッサを見やった。相変わらず兄に対してガミガミと言い合いを続けている。そんな彼女が、今はこちらを見てはいないということを確認して、アイリュスは言葉を続けた。
「アリッサさん……でしたか。あの人はどんなお方なんでしょう。兄様とはあまり良い間柄ではないのですか?」
「そう見える?」
シンディは首を傾げた。
「みんなそういうのよね。……うーん、そんなことは無いと思うんだけどねぇ。別に仲が悪い訳じゃないと思うよ、わたしが思うにはね。」
「そうなんですか? だけど、なんだかとても、言い合っていますが……。」
アイリュスが首を傾げる。姉はうーんと唸ってしまう。それから、アリッサを見やりながらアイリュスに言って聞かせた。
「かいつまんで言えば、あの子はフィオンがとっても小さいころからのお友達なのよね。フィオンと同い年で、私よりも一つ下。アイリュスよりは、三つ上かしらね。……悪い子じゃないんだけど、フィオン相手だったり、近くにいると素直になれないのよね、あの子。」
「どうして兄様だと?」
「ずっと顔を合わせてきた相手だし、同い年だからね。お互いに、変に対抗意識持ってるのよ。」
シンディはため息交じりに言った。
「まぁ、それだけじゃないんだろうけどね。」
アイリュスに言いながら、眼の端で弟と、その幼馴染が不毛に言い争っているのを眺めた。アイリュスの目には、心なしかこの姉は、今の二人の対立を楽しんでいるようにも映った。なにせ、口端が少しだけつり上がっていたのだ。
アイリュスは姉と兄を交互に見つめ、首を傾げた。




