第十六章 悲しみの果てに(4)
春も終わりを告げるからか、少し暑い。
昔なら一番嫌いな季節だった。
夏でも腕輪を隠すために半袖は着られない。
真夏でもいつも長袖だったから、感じる暑さが尋常じゃなかった。
それに腕輪がかなり大きくて、しっかりしていたから、隠すために薄着をするわけにはいかなくて、生地もしっかりした厚手を選んでいたから、尚更暑かったんだ。
クレイ将軍に愚痴れば、よく仕方なさそうに笑われたっけ。
「今日は突然思い立ったから、花も酒も用意してやれなかったけど」
そう呟いて墓前で膝をつき両手を合わせる。
隣のフィーリアも手を合わせてくれるのが見えて、ふっと目を閉じた。
言いたいこと言わなければならないことは沢山ある。
でも、多分一番伝えなければならないことは。
「仕事とはいえ俺の命を守り抜いてくれて、この歳まで育ててくれてありがとう。お陰で来年には成人だよ? クレイ将軍。本当にありがとう」
この言葉なのだろうと思う。
恨まれていても嫌われていても、それでも傍にいてくれた。
なにも言わず守ってくれていた。
見返りを与えてくれるはずの父王は、とっくに殺されていたのに、損得抜きでただ愛して育ててくれた。
それを有難いと思う。
「お兄ちゃんがクレイ将軍に感謝しているところ、初めて見るかも」
「まあ昔は反発ばかりしていたからな」
言いながら立ち上がる。
風に吹かれる髪に父を思う。
全く同じ髪の色だったらしいし、面影もそっくり。
クレイ将軍はどんな気持ちで、誰にも言えない秘密を抱えて、アベルを育てていたんだろう。
そういえば今まで考えたことがなかったな。
「事情をなにも言えなかったから、仕方ないと言えばそれまでだけど、当事者にしてみれば、クレイ将軍の態度は理不尽にしか見えなかったから。特に理屈じゃ納得できない小さい頃は特にさ」
「そうだね」
「今振り返ればわかるんだ。どうして何度問われても、両親の名を言えなかったのか。どうして自分の傍には親がいないのか。その説明すらできなかったのか、すべてが」
それは真実をすべて知ったから言えること。
知らない頃は真実を知っているのに、なにも言わないクレイが悪者にしか見えなかった。
恨みは積み重なり彼への反発となった。
大きくなればなるほど、それは顕著になり、一番酷かった時期は、彼とは話そうとすらしなかった。
ひたすら彼を無視するアベルと、無視されても突き放さず、見放さず離れなかったクレイ将軍と。
傍で見ていたフィーリアは、どんなふうに思っていたんだろう?
「クレイ将軍が今も生きていたらどうしてたの? お兄ちゃん」
問われてふとフィーリアを振り返る。
考えるまでもなく答えはすぐに出た。
「謝った、かな?」
「やっぱり」
そう言ってフィーリアは笑った。
すべてお見通し。
そんな笑顔に肩を竦める。
「死なれてしまえば仲直りもできない。相手に死なれてから後悔しても遅いんだよ」
「そうかな? クレイ将軍には十分に伝わってる気がするけど」
「そんなふうには」
「だってお兄ちゃんは、あれだけ嫌っていたのに、クレイ将軍の最期をちゃんと看取ってあげたじゃない」
それは事実だ。
病気で軍を退役し孤児院の近くに引っ越してきたクレイを、最初こそ敬遠していたアベルだが、彼が起き上がれないほど具合を悪くすると、渋々とした顔を作り看病に行っていた。
クレイは嫌そうな顔で看病されても嬉しそうで、いつも「すまないな。ありがとう」と笑って言ってくれた。
その言葉を伝えなければならないのは、アベルの方だったのに。
最期まで素直になれなくて。
「満足してなかったら、あんな安らかな顔で最期は迎えられないよ。お兄ちゃんが看取ってくれただけで、クレイ将軍は十分だったんだよ。それまで頑張ったことが報われたんだよ」
そうだと良い。
そう思いながら墓を振り返った。
そこに眠る人を思い浮かべて。
あんな後悔は二度としたくなかった。
だから。
ふっとフィーリアを振り返った。
「エル姉はどうしてる?」
「エル姉? 元気にしてるよ?」
「俺の話題を出したりする?」
「さあ。どうかな」
フィーリアはふたりの妹分だから、エルの肩もマリンの肩も持てない。
それはわかっていた。
だったらと問いを変えてみる。
「エル姉とマリンは、これまで通り仲良くしてるか?」
この問いにはフィーリアは黙り込んでしまった。
「気になるならエル姉に自分で逢って訊けばいいじゃない」
遠回しに促されても頷けなかった。
一番エル姉が逢いたくない人物。
それは自分だと自覚があったから。
「俺のせいでエル姉とマリンが仲違いするのは見たくないんだ」
「それは違うんじゃない?」
「フィーリア?」
「お兄ちゃんのせいじゃない。マリンお姉ちゃんは、幼馴染みとしてエル姉が許せないんだよ。例え原因がお兄ちゃんだとしても、それはなんの意味もないよ。だってエル姉がエル姉である限り、そしてマリンお姉ちゃんがマリンお姉ちゃんである限り、いつかは決裂してたと思うから」
それはマリンが宮仕えなんてやってる時点で予想可能な未来図だ。
価値観がマリンとエルでは違うのだ。
それは知っていた。
でも、引き金になったのがアベルなら、それはアベルのせいと言えるのではないだろうか。
例えば他の誰かの問題だったら、結果はどうなるかわからない気がするから。




