第十一章 因縁の対決(2)
「アルベルトの容態は?」
突然の容態の急変を受けて、ケルトがリドリス公とアベルの部屋を訪れたときには、アベルは懇懇と眠りについていた。
その傍に爺が控えている。
「なにかでひどく衝撃を受けられたようじゃ。後遺症の治っておらん心の臓を直撃されたらしい。なにやら酷く魘されておるが」
手厚く看護する爺がアベルの額に浮いた汗を拭う。
その様子を眺めている王の背後に立つ公爵に、アベルの護衛を任されている近衛隊の将軍が一枚のカードを差し出した。
「宰相閣下、これを」
「なんだ?」
「お倒れになったとき、殿下がその手に握りしめられていたカードです。取り出すのに苦労しました。かなり強く握りしめられていましたので」
くしゃくしゃになったカードをリドリス公が丁寧に開いていく。
そこに書かれていた文字に目を見開いた。
「どうした?」
振り向いたケルトに問われ、黙ってカードを差し出す。
受け取ったケルトの顔色がみるみる変わっていった。
「これは……」
「この文面が王子の心の臓に負担を与えられたのでしょう」
「フィーリアの身柄は? 部屋にいるのか?」
この問いには将軍が答えた。
「確認しましたがおりませんでした」
「おい。もう真夜中だぞ? いないで済むかっ!!」
「東の塔への呼び出し、ですか。王子は赴かれるでしょうね。こんな状態であっても」
それはさっきから頻りに魘されているアベルの様子を見ればわかる。
妹代わりとはいえ、それは血が繋がっていないという意味であって、アベルにとってフィーリアは妹と同じ。
とても見捨てられるものではない。
「アドレアン公の身辺を洗い、なんとしてもフィーリアを見つけ出せっ!!」
「はっ」
踵を返す将軍を見送って公爵は王を見る。
「王子は……どうなさいますか?」
「……行かせることはできない。どんな手を使っても、わたしが止めてみせる」
「恨まれますよ?」
「構わない……とは言えないが、仕方がないだろう。わたしだって嫌われたくないが、わたしにはアルベルトの身柄の方が大事だ」
ここまで話し合ったときにアベルが口走った。
「フィー……リア。……フィーリアっ!!」
ガバッと跳ね起きて同時に胸を押さえる。
アベルの心臓に後遺症が残っているらしいとは知っていたが、一時的なものだとも聞いていたケルトは、心配になって彼の肩を掴んだ。
「大丈夫か、アルベルト?」
「叔父……さん?」
見上げる顔に精彩がない。
倒れたばかりのせいもあるだろうが、たぶんフィーリアが捕まったせいだ。
「なんで叔父さんがここに……」
「そなたが倒れたと聞いたからだ。まだ無理をしてはいけない。休みなさい」
「休んでる暇なんてっ」
言いかけてアベルはハッとして口を噤んだ。
脅迫状に「ひとりでこい」と書いてあったことを思い出したからだ。
カードを見付けてすぐに気絶したアベルは、カードを見られたことに気付いていなかった。
それを利用して爺に合図を送るとさりげなく彼に声を投げる。
「どうして休んでいる暇がないのだ? 倒れたときは休まなければいけないぞ?」
「……」
なにも言えないアベルに公爵も爺も悟る。
彼は呼び出された場所に行くつもりなのだと。
だから、ここで口を噤むのだと。
「ごめん。休んでいるからひとりにしてくれないか? 爺も下がっていていいから」
「……そなたは嘘が下手だ」
「え?」
アベルが振り向いたとき、ケルトの大きな腕が背中に回っていた。
油断していたアベルはかわせなかった。
なにかの液体を染み込ませた布で口と鼻を塞がれる。
驚いて息を吸ったときにクラッと目が回った。
「叔父……さん?」
くぐもった声があがる。
急激に力の抜けていく身体。
もがいても大きな手は外れない。
それどころかますます力を込めて抱きしめられ、呼吸ができないように妨げられる。
そもそも息ができなくて無理に息をするほど、急激に目が回るのだ。
遠くなっていく意識を引き止めようとアベルは頑張ったが、どうやってもケルトの腕の中から逃げ出せなかった。
(フィーリア……)
ガクリと頽れたアベルをケルトは無言で受け止めた。
以心伝心、というのだろうか。
ケルトになにを指示されたか、無言で察しそれを差し出した爺は、眠ってしまったアベルをみて気の毒そうな顔になる。
「旦那様も無茶をなさる。今の弱った心臓に薬の類は毒ですぞ?」
「命じられるままに差し出しておきながらよく言う。それに……こうでもしなければ、アルベルトを止められなかった。いや。今はアベルと呼ぶべきか」
今の彼は世継ぎの王子ではない。
妹を気遣う吟遊詩人アベルだ。
だが、彼の意識がどこにあろうと彼が世継ぎであることは変わらない。
恨まれようとこれがケルトの取るべき道だった。
「リドリス公」
「はい」
「わたしはアルベルトの目が覚めたときのためここにいる。絶対にフィーリアを見つけ出し、アドレアン公を捕まえろ。もう……野放しにはできない」
「了解しました」
「もし」
背を向けかけたとき声をかけられ、公爵は王を振り向いた。
痛みを押し殺すような目をしている。
「フィーリアを助けなければ、それはそれで致し方ない」
「陛下」
「アルベルトの生命には換えられない。だが、なるべく犠牲にはしたくない。だから、頼む。アルベルトが自分を責めなくても済むように彼女を……助け出してやってくれ」
妹の生命を犠牲に自分が生き延びる。
そんな現実をアベルが受け止めることができるかどうか、ケルトにも自信がない。
それまでの聖人君子なアベルを知っていれば、だれもがそう思うだろう。
だから、その真摯な願いを公爵は強く首肯して受け入れた。
アベルのために、そして彼を止めるため、助けるために憎まれる言動を起こした王のために彼女は助けてみせる、と。
東の塔の最上階にフィーリアは囚われていた。
アベルの部屋から去ってすぐに声をかけられて、気がついたらここだった。
傍には数人の騎士とひとりの老人がいる。
狙いはアベルだろうとすぐにわかった。
彼に必要以上に近づいたフィーリアの存在を知って利用しようとしたのだ。
フィーリアは怯える心を叱咤して、心の中で初めて神ではなく、アベルに祈っていた。
この願いが彼に通じるようにと。
(お兄ちゃん。絶対にきちゃダメだよ? わたしなんてどうなってもいい。この人たちの狙いはお兄ちゃんなんだから、お兄ちゃんは絶対にきちゃダメっ!!)
怖すぎて声は出ない。
本当は……助けにきてほしい。
でも、周囲がそれを赦さないだろうことも、フィーリアには予測可能だった。
アベルはもう個人の意思で動ける立場ではないのだ。
彼の無謀な行動は周囲がなんとしても止めるはずだ。
だから、アベルはきたくても助けにはこられない。
今頃監禁されているかもしれない。
だったらそれでいいとフィーリアは思う。
アベルが無事なら自分なんてどうなってもいいと。
(なにこの臭い?)
風に紛れて変な臭いがしていた。
フィーリアは眉をしかめる。
『しばらく息を止めていて、フィーリア』
(お姉ちゃん?)
微かに聞こえた声はエルのものだった。
幻聴かとも思ったが言われたとおり息を止める。
するとどうしたことだろう。
騎士や老人がグウグウと眠りだしたではないか。
呆気にとられていると怪盗姿のエルが現れた。
「お姉ちゃんっ!!」
「シッ。フィーリアが連れていかれるところを目撃してね。追いかけてきたの。大丈夫?」
「うんっ」
「もうこの縄、厳重ね。どうせアベル絡みでしょう? これだから貴族はろくなことがない」
「お姉ちゃん。そんな言い方するものじゃないよ。王子様に産まれたのはお兄ちゃんのせいじゃないし、それにお兄ちゃんだってこんな現実望んでない」
フィーリアに諌められてエルは黙って彼女を縛っている縄を解こうとした。
「エル姉、後ろっ!!」
後ろからマリンの声がして、エルはとっさに横っ飛びに飛び退いた。
ヒュッと風を切っていくなにかが光る。
「この鼠が。この程度の薬が効くと思っているのかっ!!」
半分ふらつきながらも騎士のひとりがエルに立ち向かおうとしている。
エルは薬の類いは逃げるときのため、持っているが武器は持っていない。
どうしようかと迷って動きが止まったとき、降り下ろされた剣を受け止めたのは割り込んできたマリンだった。
「マリンっ!!」
「マリンお姉ちゃんっ!!」
「あたしのことはいいから早くフィーリアを連れて逃げてっ!! 城中がフィーリアを捜しているわっ!! 合流できれば助かるっ!! だからっ!!」
剣戟の合間を縫うようにマリンが叫ぶ。
護衛騎士などを勤めるマリンである。
薬で弱った男など相手ではなかった。
徐々に相手を圧していく。
それをみてとってエルは慌ててフィーリアの縄を解き、彼女の手を握って立たせた。
「お姉ちゃんっ。マリンお姉ちゃんを見捨てて行くのっ!?」
「あたしたちがいる方が、マリンの足手まといになるのっ!! 聞き分けて、フィーリアっ!! あたしだってマリンひとりを置いて行きたくないのよっ!!」
感情的に叫んだフィーリアは、泣き出しそうなエルにそう言われ、グッと唇を噛んだ。
引っ張られるまま走り出す。
何度も背後を振り向きながら。
どのくらい走っただろうか。
右も左もわからない場所ではどこに助けがいるのかもわからない。
さすがのエルも王宮の間取りなどは知らないため、勘だけで走っていた。
とりあえず明かりの見える方へと走っていたふたりは、目の前に立ちふさがった影に息を呑んで立ち尽くした。
「見付けたぞ」
それはあの塔で眠らせたはずの老人だった。
「あの女騎士も手こずらせてくれる。配下の者が総出でかからなければならないとはな。さすがは王女たちの護衛騎士だ」
「マリンをどうしたの?」
「さて。今頃どうなっているかはワシは知らんな。興味もない。興味があるのはあの青年の死だけだ」
どこか狂ったような目をする老人にフィーリアは直感的に悟った。
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