第八章 秘密の漏洩(2)
「レティ。そろそろ休みなさい。今度はあなたが倒れるわ」
姉に優しく肩を揺すられても、レティシアは動かない。
じっと寝台の傍に付き添ったままで。
ふたりの背後にはマリンが無言で控えている。
「いやよ。離れない」
「レティシア」
「だってもう10日になるのよ? 従兄さまはいつお目覚めになるの? 本当に峠は超えたの? だったらどうして目覚めないのっ!?」
泣き崩れるレティシアをレイティアは強く抱きしめた。
もう限界なのだ。
レティシアはもう精神的に耐えられる限界を越えている。
でも、アベルの眼が覚めないかぎり、レティシアが傍を離れるとも思えなかった。
困り果てたとき、トントンとノックの音がした。
「はい?」
「おふたりとも、こちらですか? リアンです」
「リアン? どうぞ、入って」
レイティアが妹を抱いたまま、そう声を投げれば公爵令嬢リアンが入ってきた。
心配そうにふたりをみる。
実は眠っていないのも部屋に戻っていないのも、レティシアだけに当てはまることではなく、説得している当のレイティアも部屋には戻っていなかった。
それどころか疲れている妹姫が、無意識に眠ってしまっても、彼女はじっとアベルの様子を見守っていた。
それをマリンは知っている。
従兄妹だとしても度を越えたふたりの態度に、もしかして……と疑いだしている。
態度には出していないけれども。
「アルベルト様の意識は……戻られましたか?」
「戻ったように見える?」
「まだのようですね」
「ごめんなさいね? 毎日お見舞いにきてもらって」
「いいえ。わたくしなど公爵家の城から日参するくらいしかできなくて。おふたりに比べればお恥ずかしいかぎりです」
小さくなる公爵令嬢にマリンは眼を細める。
この人もなの? と。
「とりあえずお食事をお持ちしました。おふたりともろくに召し上がっていらっしゃないのでしょう? どうかお召し上がりになってください」
「でも」
「毒は入っていません。なんならわたくしもご一緒しますから」
「バカね。リアンのことは疑っていないわ。それはお父さまのご様子をみていてもわかるもの。リドリス公爵を疑っていないことが。でなければアル従兄さまのことで全権を委ねたりしないわ」
「そうですね」
そういうリアンもすこし痩せたようだ。
ろくに眠れていないのかもしれない。
それから3人はマリンの給仕で食事を摂った。
今はそのくらい信じられる人材がいないということである。
だれもかれもが疑心暗鬼に陥っている。
それは明白な事実だった。
食事を終えるころ、レティシアが言った。
「ごめんなさいね、マリン」
「はい?」
「本当は孤児院に帰りたいのでしょう? アル従兄さまのことを伝えに」
「お父さまが口止めしているのと、それからわたしたちの身を案じて帰らないのでしょう? ごめんなさい。あなたの足手纏いになって」
ふたりに揃って謝罪され、マリンはかぶりを振った。
「この状況では仕方がありませんから。それに今戻っても皆にどう伝えればいいのか見当もつきません。
まさかアベルが毒を盛られたなんて言えませんし。言ってもお見舞いにもこられませんからね。居場所が宮殿では」
一般の庶民が毒を盛られるというのは常識的に考えてあり得ない。
毒はそう簡単に手に入る物ではないのだ。
これが狩猟を生業にしている者なら、手に入れる方法もあるだろうが、一般人なら普通は毒物など目にする機会もない。
なのにアベルは毒を盛られた。
今も意識が戻らない。
そんか説明できるわけがない。
説明したらきっと皆アベルに逢いたがる。
だが、今彼がいるのは宮殿だ。
皆には逢いにくることができない。
それがわかっているから、どう伝えればいいのか、皆目見当もつかないのだ。
だから、戻れなくてホッとしている自分がいることをマリンも自覚していた。
冷たいなとは自分でも思うのだが。
ただシスター・エルのことは、ずっと脳裏で引っかかっていた。
彼女が怪盗なのだろうかと。
もしそうならアベルがこんな目に遭ったのは彼女のせいでもあるのだ。
なのにアベルが王子だなんて知ったら、きっと彼女は反発する。
アベルを憎み恨む。
自分たちを騙したと。
そうなったらきっと自分はエル姉を許せない。
だから、帰って確かめるのが怖い。
そういう部分も確かにあるのだった。
エル姉を慕っていた気持ちは嘘じゃない。
なのに裏切られることが怖いのだ。
アベルのときとは事情が違う。
彼の場合はおそらく彼自身も知らなかった素性だ。
そのことは彼のせいじゃない。
知って戸惑ったのは彼の方だろうから。
だが、エル姉は違う。
前代の怪盗とアベルは言っていた。
つまり怪盗は代々続いているのだ。
本人には怪盗をやっているという自覚もあっただろうし、それを隠して周囲を騙している自覚もあっただろう。
この場合、裏切ったのはエル姉の方だ。
なのにエル姉を庇おうとしたアベルを当のエル姉が恨む、憎む。
そうなったら自分もきっとエル姉を嫌う。
憎んでしまう。
それが怖い。
無自覚で自分でも知らない秘密を抱えていたアベルと、自覚して周囲を騙していたエル姉。
どちらが悪いかと言われれば答えは簡単だ。
でも、エル姉にそんな常識が通じるとも思えない。
アベルが王子であるという現実に拘るエル姉には。
だから。
「顔色がお悪いですね。なにか心配事でも? マリン様」
「いえ。なんでもありません、リアン様。お気にかけていただけて光栄です」
「そうですか? 本当にお顔の色が優れませんけど」
「本当になんでもありません」
「もしかして怪盗の話?」
「レイ様」
「それはあなたにもショックでしょうね。アル従兄さまの知り合いということは、あなたとも古くからの知り合いって意味だもの」
「だれなのか心当たりでもあるの?」
レティシアに問われてマリンは固まった。
彼女には駆け引きという思考はない。
ただ純粋に思いついたことを言ってくる。
だが、だからこそタチが悪いのも事実だった。
不意をつかれて誤魔化せないことが多いからだ。
だが、ここは頑張って平静を装った。
「いえ。だれなのか考えてはみているんですが、心当たりがなくて……。あればやめるように説得もするんですけどね。アベルの行動を無駄にはしたくないですから」
「あなたはまだアル従兄さまのことをそう呼ぶのね」
レイティアに言われてマリンは目を伏せる。
恐れ多い言動であることは自覚していたから。
彼は世継ぎの王子なのだから。
「本当はアル従兄さまがだれなのか、薄々悟っているのでしょう?」
「なんのことなのかわかりません」
そうシラを突き通すことだけが、マリンの現実を受け入れたくないという唯一の抵抗だった。
(だってあたしだってアベルのことを)
もう伝えることさえ許されないかもしれない。
疑いが事実ならこの3人の令嬢だって彼を想っている。
高貴な令嬢が似合う男性。
それが王子としてのアベル。
自分にはもう……手が届かない。
その現実が辛かった。
「うっ……ここは?」
突然そう声がして4人は脱兎の如く寝台に近付いた。
覗き込めばアベルがその空色の瞳を開いている。
「爺っ。すぐにきてっ」
今は別室で休んでいる爺をレイティアが慌てて招いた。
アベルが意識を取り戻したことで、事態は急速に動いていくことになる。
「そうか。あの青年は助かったか」
大きな椅子の向こうに隠れている男性がそう呟いた。
報告にきていた彼の娘が泣き出しそうな声で訴える。
「お願いです、お父様っ!! リージアを助けてくださいっ!! 悪いようにはしないと必ず助けるからと、そう申されるから、こんなことに手をお貸ししたのですっ!! あの子を……リージアをどうか助けてくださいっ!!」
「なにを怯えている、フィリシア?」
クルリと椅子を回転させて隠れていた男性が振り向いた。
黒髪に黒い瞳をした老人だ。
前王の教育係でもあり、そのため親友と呼ばれた人物。
年齢的にリドリス公の好敵手と呼ばれるには不都合のあった人物。
そう呼ばれることが不快だった。
ずっと年下の男が何故自分の好敵手などと言われるのか納得できなかった。
現王は自分がリドリス公爵を宰相にしたと思っているかもしれない。
だが、現実はそうじゃない。
前王がまだ健在な頃から宰相の代替わりの準備は進んでいた。
密かに、ではあったが。
自分はずっと宰相の家系に産まれて、死ぬまで宰相だと信じていたのに、前王はリドリス公爵を宰相に迎える準備を着々と進めていた。
あの日。
前王に毒を盛った日。
前王は訪れてきた自分にこう言った。
『そなたに落ち度があるわけではないのだ、アドレアン公爵。ただいつまでも同じ体制でいてはいけない。
新しい風が王宮には必要なのだ。そのためには宰相の代替わりが必要。聞き分けてくれないか?』
弟王子が宮殿から逃げ出すしかなかった現状。
それを嘆いていた前王はそんなことを言っていた。
体制が変わらないなら変えるまで。
そんな強い眼をして。
自分がそう育てたはずだった。
王として揺るぎなく進んでいくよう教育したはずだった。
だが、その聡明なる王に自分が掌を返されるとは思ってもみなかった。
今はまだ水面下で進んでいる計画。
だが、それが露見してからでは遅い。
あのとき、決意した。
殺すしかない、と。
宰相を代替わりさせると発言される前に、王を殺すしかない、と。
だから、受け入れることを笑顔で伝えて最後にワインを呑みたいと告げた。
お好きなワインを用意しました、とも。
前王は疑わなかった。
あの男は確かに聡明だったが、一度信じた相手を疑えない気性の持ち主だった。
そして……そう育てた自分は、それを1番知っていた。
だから、容易かった。
王を手にかけるという弑逆は。
ただ……躊躇いはあったかもしれない。
王に盛った毒は遅効性だった。
即効性を盛ることはできなかった。
本当はだれかに気付いてほしかったのかもしれない。
王に毒が回るまでに。
でも、だれも気付かなかった。
手遅れになるまで。
だから、自分は王を弑逆した大罪人になってしまった。
王の柩に縋って流した涙は、今思えば後悔の涙だったのかもしれない。
だが、王の遺体を見て青ざめた。
消えていたのだ。
王子か王女が産まれないかぎり、王の腕から外れないはずの継承権の腕輪が。
青くなって徹底的に捜した。
二の舞は演じたくなくて。
父を殺した仇。
そう思われて反撃されるのが怖くて。
でも、見付からずに時は過ぎて、自分は宰相のままでいられるのだと、前王の子に反撃されることもないのだと安堵した頃、現王が即位した。
そうして儚い夢は費えた。
現王は徹底的な政治の改革を行った。
その手始めが人材派遣のやり直し。
的確な場所に的確な人材を。
そういう方針の王だった。
そうしてその王が新しい宰相に選んだのもリドリス公爵だった。
何故だと何度悔しい想いを噛み締めただろう。
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