第七章 望まれぬ王子(3)
「もしわたしが今回だけは目を瞑ると言ってもだ。その怪盗が、盗みをやめる保証があるのか? 次は見逃せないぞ?」
「わかってる。だから、二度とさせないよ」
「そなたがここにきた時点で、そなたはもうその人の傍には戻れない。それでどうやってやめさせる? できない約束はするべきじゃないな」
「孤児院にいる皆にすべてを正直に話す。その上で俺がやるから、もう盗みはやめてほしいって説得する」
「……従う保証がどこにある?」
「その人のことは俺が1番よく知ってるよ。そしてその人も俺をよく知ってる。俺の言っていることが真実だと理解してくれたらしないと思う」
お互いの真実を知っているから言えること。
それはケルトにも伝わった。
ケルトは彼が自分を責める気持ちもわかったので、今回は見逃してやってもいいようなしたが、肝心の被害に遭った公爵がどう思うかわからなかったので、黙って成り行きを見守っている公爵を振り向いた。
「公爵はどう思う? その怪盗を許せそうか?」
「アルベルト様」
名を呼ばれアベルが彼を見た。
意外な名で呼ばれたアベルを見てマリンが目を見開く。
なによりも宰相である公爵に「様付き」で呼ばれるという事態が飲み込めない。
だが、アベルは疑問を抱いていないようだった。
「これは我が家の家宝です。公爵夫人になる奥方が代々受け継いできた宝物。その価値は値段ではないのです。受け継いできた歴史です」
「うん」
「愛娘リアンに譲るために大切に守ってきた家宝。それを盗まれたのです。心労は凄いものがありました」
「……ごめん」
それしかアベルに言える言葉はなかった。
「少なくともわたしはその怪盗が言っているような、横暴な貴族ではないつもりです。なのに狙われた。その事実をアルベルト様はどうお考えですか?」
「今回のことはやり過ぎだと思う。俺も公爵は違うだろって責めたんだ。そんなことも見抜けないくらい、貴族への不満が高まっていたみたいだった。だから、俺は自分のせいだと」
「それは違いますよ」
「リドリス公」
「あなたの存在が知られていて、あなたがそうしていることで責められたのなら、それはあなたのせいかもしれない。
ですが現状であなたのことを知っている者などいないのです。それであなたの責任になるわけがない」
「でも」
「百歩譲ってあなたにも責任があるとしても、それは根本的な部分で関わっていることだけです。盗みを働く人の責任はその人にしか取れません」
なにも言えなかった。
宰相としての冷静な言葉に。
「あなたがその人を庇うことが、その人のためになるのでしょうか? 盗みを働いても咎められないことが、その人にとって良い事だと本当にお思いですか?」
罪を犯してその責任を問われないことが、本当に本人にとって良い事かどうか?
自分に問い掛けても答えは見えなかった。
「もう一度よくお考えください。罪を犯した者は償わなければなりません。なんのための法律ですか?
善悪はなんのためにあるのですか? そして治世者の責任とはそういう形でとるべきものかどうか。もう一度よくお考えください」
「俺……間違ってる? 叔父さん」
振り向いたアベルに不安そうな目を向けられてケルトは困ったように笑った。
「そうだな。間違ってるとも言えるし、間違っていないとも言える」
「どっちなんだよ、それ」
「人としては間違ってはいない。自分のせいで罪を犯したなら救いたい。そう感じることは親しい人を守りたい人間としては当然の心理だ。
だが、そこからこういう形で責任を取ろうとするのは……治世者としては過ちだな。その程度の覚悟では国は治められない」
この王の発言にはマリンはわからないように息を飲んだ。
今確かにアベルを治世者と言った。
アベルが国を治めると言った。
どういうことなのだろう?
そのとき、王が立ち上がった。
謁見ではありえない行動に出たのだ。
玉座から降りてアベルの正面に立ち彼の髪を撫でる。
その仕種に愛情が籠もっていた。
「悩みなさい」
「叔父さん」
「そなたの悩みは無駄にはならない。それにそういう場面でもし微塵も責任を感じないなら、それもまた治世者としては失格。だから、悩みなさい。正しい答えを導き出せるように」
「まだ……捕まえない?」
「怪盗の素性も知らぬのに捕まえるも捕まえないもないだろう? そなたが口を噤んでいるかぎり、そなたの周囲に怪盗がいるかもしれない。という憶測でしかない。安心しなさい」
この言葉にホッとしたアベルだったが、続いた言葉に心臓を抉られた気がした。
「だが、もし今度怪盗騒ぎが起こって捕まったら、そのときは庇えない。わかるな?」
今は見てみぬフリをしてくれる。
だが、次にエル姉が怪盗を騒ぎを起こしたときは、おそらくアベルの周囲の人間は見張られている。
すぐに捕まるだろう。
そのときは庇えないと言われて、アベルは絶対に彼女に盗みはさせるまいと決意した。
その日の夜はアベルは宮殿に泊まるように言われた。
アベルが意外な形で人々の前に姿を見せてしまったので、このまま孤児院に帰すことに問題があると判断されたせいだ。
宮殿にいればケルトや公爵が護ってやれる。
だが、一度孤児院に戻ってしまえば、護衛の数も減るし(アベルは知らなかったが、素性がハッキリしてから、ケルトに護衛をつけられていたらしい。こっそりと)どうしても危険が増す。
だから、泊まっていくように言われたのだ。
アベルは窓辺に腰掛けて遠くに見える街明かりを見ている。
宮殿は高台にあるので街明かりが見渡せるのだ。
こうして宮殿から王都を眺めることがあろうとは想像すらしなかった。
あのとき、レティシアに逢わなかったら、今こうしているアベルはいなかっただろう。
すべてが運命だったのだろうか。
アベルはここに戻る運命だったのか。
そう思ったとき、ノックの音が響いた。
「アベル。起きてる?」
「マリンか? 入れよ。起きてるから」
答えると静かに扉が開いた。
騎士姿のマリンが戸惑ったような顔で立っている。
「レティたちの護衛はいいのか?」
「このところ休みがなかったからって、同僚が気遣ってくれて今夜は非番なの」
「そっか」
アベルはまだ彼女には詳しい説明はしていない。
ケルトに口止めされたからだ。
宮殿に戻ってくる気にならいいが、今のアベルの覚悟では、王子としては迎えられない。
だから、黙っているように、と。
甘かったなあと今更のように感じている。
「アベル」
「なに?」
顔を上げればマリンが真っ直ぐに見据えてくる。
曇りのない視線。
それが心に痛かった。
「アンタは何者なの?」
「何者って。吟遊詩人のアベルだよ。それはマリンが1番よく知ってるだろ?」
「そうね。今日までは知ってるつもりだったわ。あの謁見に立ち会うまでは」
言われて当たり前のことを言われ口を噤む。
「アンタは何者なの? アルベルトってだれのこと?」
「……ごめん。今は言えない」
「アベル」
「近い内に話すことにはなると思う。でも、あの人に……王様に口止めされてるから今は言えない。あの人には借りがあるからな」
「借り?」
「大きな借りだよ。生涯をかけても返せるかどうかわからない借り。その貸し借りにレイやレティを巻き込んでいるのが、俺としても辛いんだけど」
「なんの話?」
「なんでもない」
肝心なことはなにも言えないアベルに、マリンが食い下がろうとしたときに、またノックの音がした。
「だれ?」
「お休み前のワインをお持ちしました」
女の子の声がしてアベルはマリンを見上げた。
「寝る前のワインなんてあるのか、マリン?」
「レイティア様やレティシア様は紅茶を好んで飲まれるわ。お休み前にワインを好まれるのは陛下くらいかしらね。その陛下も王妃様の元へ出向かれる夜には飲まれないと聞いているけれど」
身体が弱く酒類を飲めない王妃のために、ケルトは妃の元へ出向く夜には酒類は飲まない。
彼の正妃は今長く患っていて、離宮で静養しているのだ。
従って夜に出向くと言っても、どちらかといえば看病に近い。
夫婦として過ごす時間は最近では看病に充てることが多いとマリンは聞いていた。
「アンタはまだ成人してないから、ワインは用意しないと思うけれど、陛下が気を回されたのかしら?」
この国の成人年齢は20歳である。
飲酒もそれまでは認められていない。
だが、吟遊詩人などをやっていると飲酒は早くから始める。
だから、ケルトが気を回したのかとマリンは思ったのだ。
そう言われてしまえばアベルとしても断るのは気が引けた。
「わかったよ。どうぞ」
そう答えて侍女を通す。
「失礼します」
立ち入ってきた侍女はガタガタと震える手でアベルの手にグラスを渡し、そのグラスにワインを注いだ。
赤ワインだ。
「なにをそんなに緊張してるんだ?」
アベルが怪訝そうに問いかけても、侍女はなにも言わない。
ただ強張った笑みを浮かべるだけで。
それでアベルはもしかして前王の顔でも知ってるのかなと勝手に納得した。
呑むつもりはなかった。
確かにアベルは職業病飲酒はできる。
仕事のときに呑むことがあるからだ。
だが、それほど好きではなかったので、ここで受けたのはケルトの好意を無にしないためで呑む気はなかった。
だが、侍女がじっと手元を見たまま下がらない。
「なに?」
「……どうぞ……お呑みください」
聞き取りづらかったが、どうやら呑むまで下がらないつもりらしい。
諦めてアベルはグラスを煽ろうとしたが、さすがにここまでくるとマリンも異常に気付いた。
就寝前の飲み物などを用意するのは確かに侍女の仕事だが、それを飲むのか飲まないのかは主人に委ねられる。
気分的に飲みたくないときだってやはりある。
なのに無理強いして飲ませようとするなんて、どう考えてもおかしい。
「アベル。ちょっと呑むのは待ってっ」
そう止めようとしたときには、アベルはグラスを煽っていた。
とっさにマリンはグラスを取り上げようとしたが、それよりアベルの手からグラスが落ちる方が早かった。
グラリとアベルの上体が揺れる。
倒れかかるアベルをとっさにマリンが抱き止めたとき、侍女が脱兎の如く逃げ出そうとしていた。
「だれかっ。その侍女を捕まえて!!」
マリンの声に反応して近くにいた近衛たちが侍女に飛びかかる。
小さな少女は悲鳴を上げて捕まった。
それを見届けてマリンは慌ててアベルの身体を揺すった。
「アベル!! アベル!!」
まるで人形のように力なくアベルの首が動く。
その唇から血が流れていた。
「なに? なにを飲まされたの?」
グラスを確かめたが、すでにワインは残っておらず、なにが混入されていたか確認もできない。
マリンは慌てて近くにあった水瓶から水を直接口に含み、アベルに口移しで飲ませた。
なにを飲まされたとしても状況から考えておそらく毒物だ。
だったら水を大量に飲ませて吐き出させるのが1番の近道だから。
(お願い!! 助かって!!)
そう祈りながら何度も口移しを繰り返した。
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