第七章 望まれぬ王子(2)
「そういう事態になっても一度は戻ってくるつもりだから心配はいらないよ」
「戻ってくるとどうして断言できるのですか、アル従兄さま?」
「戻りたいと言って戻れるようなら、わたしだって家出しないで、宮殿からお忍びで出掛けていました」
呆れるふたりにアベルは困った顔だ。
「そう問い詰めなくてもよろしいのではないですか?」
「「でも」」
「アルベルト様にはお考えがおありな様子。きっとなにかあったのですわ。戻れなくなることを承知でも、宮殿に行かなければならない事情が。そのことで悩んでいらしたのではないでしょうか?」
リアンの取りなす声にふたりとも仕方なさげな顔になる。
それから支度を整えるため孤児院へ向かった。
そこではマリンがふたりの着替えなどを用意してくれていた。
庭仕事をした後はいつも服などが汚れてしまうため、マリンは付き添わず着替えなどの準備をしてくれているので。
サボっているように思われがちなマリンだが、護衛騎士は縁の下の力持ち。
見えないところでしっかり働いている。
「アベル。アンタ。レイ様方のお着替えに立ち会うつもり?」
部屋に一緒に入ってきたアベルを見てマリンが目の色を変えた。
うっかりしていたアベルは慌てて扉に逃げる。
「ごめん。俺も支度してくるよっ!!」
「支度?」
アベルが飛び出していった後でマリンは首を傾げた。
「ごめんなさい。今日は正装をお願いするわ。もちろんリアンの分も」
「レイ様?」
「宮殿に帰ることになったの。もちろんお世話になった孤児院の皆さんにお礼もせずに戻るつもりはないから一時的なものだけれど」
「……もしかしてアベルも一緒にですか?」
「そうよ?」
屈託のない笑顔を向けられて、マリンは問いかけても無駄だと悟った。
レイティアは詳しい事情を教える気がないのだ。
そしてレイティアは3人の少女たちの中ではリーダー的存在。
彼女に教える気がないなら、当然だがレティシアもリアンも教えてくれない。
仕方がないかとマリンは慌てて3人の支度を急いだ。
遠くに見えていた宮殿が目の前まで迫ってきている。
レイティアたちは当然だが、王家所有の馬車などは用意していなかったため、今回利用したのは辻馬車である。
王女たちが辻馬車で宮殿に戻るというのも問題だとマリンなどは食い下がったが、レイティアたちは一向に気にしていなかった。
というのもアベルが「決心が鈍らないあいだに行きたい」と言ったからである。
宮殿に使いを出して馬車を用意する時間も惜しんでいる。
彼女たちにはそう思えた。
だから、渋るマリンを押し切って強行突破したのである。
もちろんアベルが睨まれたのは言うまでもない。
何年前だっただろうか。
吟遊詩人として働き出す前のことだ。
アベルは腕試しのつもりで国王主催の剣術大会に出たことがある。
そのときは確かまだ7歳くらいだった。
クレイには反対されたが教え込まれた剣術が、どのくらいの腕前か知りたくて押し切ったのだ。
あのときはいいところまでいったよな、と、アベルは振り返る。
幼年の部に出たのだが、アベルはいい線までいっていた。
だが、後少しで優勝という段階にきて、クレイが急に怖い顔をして言った。
『アベル。次の試合にはわざと負けるんだ』
卑怯な八百長試合などを嫌っていたクレイが言うとは思えない科白だった。
アベルは「なんでっ。どうしてっ」と食い下がったが、彼は頑として譲らなかった。
『近衛隊長のわたしから剣を教わっているアベルが勝つのは当たり前だ。恥ずかしいとは思わないのか』
特別な稽古を受けているアベルが勝つのは当たり前。
それを恥だと思え。
そう言われて結局アベルは不本意なまま次の試合はわざと負けた。
勝てた試合だった。
その試合に勝てば次は国王の御前試合だったのだ。
おそらくわざと負けろと言われたのはそのせいだろう。
決勝戦は国王の前で行われる御前試合。
いくらまだ7歳の幼子とはいえ、ケルトが兄王の幼少期の顔を忘れているはずがない。
アベルを見れば顔色を変えただろう。
だから、わざと負けさせた。
そういうことだろう。
悔しい思いを噛み締めたアベルは、遠くなる城を見て決心した。
こんな悔しい思いをするなら剣の道には進まないと。
城へくるのはあれ以来二度目だ。
でも、あのときは大会が行われていた広場に行っただけだったから、国王との謁見を希望して入城するなんてさすがに初めてだ。
宮殿への立ち入りはレイティアたちのお陰で顔パスだった。
どんな場所も素通りできる。
だが、アベルの顔を見て顔色を変える者の多さにさすがのアベルも頭が痛かった。
前王がこれほどまでに忘れられていないとは、アベルは想像していなかったので。
それはまあ親友だった公爵などは鮮明に憶えているだろう。
それほど面識のなかった者でも忘れていないのだから。
マリンはチラリ、チラリとアベルを盗み見ていた。
アベルは舞踏会などに出席し演奏するときのための正装を着ているが、人々がアベルを見るとヒソヒソと噂話を交わしているのが気になるのだ。
アベルが国1番の吟遊詩人と言われていることは知っているが、それにしても異常なほどだ。
国1番の吟遊詩人の噂は知っていても、その顔を知っている者は稀。
そう言われていることをマリンは知っていたから。
つまりその路線からアベルが騒がれることはないということである。
噂だけが先行してだれもアベルの顔を知らないのだ。
それで一目見ただけで噂の吟遊詩人だと騒がれるわけがない。
なのに年老いた者、少なくとも王や公爵と同年代、もしくはそれ以上の世代の者はアベルを見ると青くなって噂話に勤しむのだ。
これを疑問に思わないわけがない。
やがてマリンは4人を先導して謁見の間に辿り着いた。
国王にはすでに連絡がいっているはずである。
その場に公爵を招くようにレイティアから指示があったが、その理由もマリンは知らない。
入城の鐘が鳴りマリンは恭しく扉を開けた。
鐘が鳴りやまないあいだにアベルは謁見の間へと通された。
当然だが下座だ。
その場で上座に立つべきは第一王女のレイティアなので、彼女を先頭にし続いてレティシアが並び、その後ろにリアン。
アベルは更に後ろにいた。
だが、4人が入ってきた途端居並んでいた老人たちが、ギョッとしたようにアベルを見て固まった。
困ったなとアベルはこめかみを掻く。
「レイティア、レティシア。どういうことか説明を聞こうか?」
玉座からケルトが声を投げた。
その顔は険しい。
どうしてアベルを連れてきたと顔に書いているようだ。
公爵も同じように渋面だった。
「申し訳ございません、陛下。この度のこと、わたしの判断ではありません」
「どういうことだ?」
ケルトが眉を寄せる。
こういう場での作法はアベルは知らないので、呑気に割って入ってしまった。
それが非礼だと知らなかったので。
「レイティアたちに宮殿に俺を連れていけって言ったのは俺だよ。別に彼女たちのせいじゃない」
「……黙ってください、従兄さま」
レティシアに囁かれ、アベルはキョトンとした。
しかし時すでに遅し。
アベルがレイティアを呼び捨てにしていることから、ざわめきは更にひどくなった。
「ふう。そなたはなにを考えているのだ? 大臣たちもいるのだぞ?」
「え? なにか悪いこと言ったか? 事実を言っただけなんだけど?」
まだ理解しないアベルにケルトは頭を抱えてしまった。
「とにかく人払いを」
ケルトが言いかけると大臣たちが焦ったように割り込んできた。
「それはなりません、陛下っ」
「だが」
「この場は人払いをするべき場ではございません」
「まるで我々が同席していては、まずいことでもおありのようにも受け取れますが?」
痛いところをつかれてケルトは黙り込んだ。
「……アンタら邪魔だから下がっててくれる?」
アベルに睨まれて大臣たちが冷や汗を掻く。
賢王と言われ敬われていた前王の影を見て。
「必要なら王様がきちんと説明するだろ。大臣のくせして、それすら待てないのか?」
「あなたは一体?」
「俺がだれだろうとどうでもいいだろ。大臣なら王命には従えよ」
アベルの逆らうことを赦さない目付きに大臣たちは慌てて一礼し去っていった。
それを見送ってケルトが思わず感心して呟いた。
「さすがだな。わたしではああはいかないぞ」
「……俺の実力……ってやりたいけど、違うことはアンタも知ってるだろ。知っててそういうことを言うのは嫌味だぜ?」
アベルに文句を言われケルトが笑う。
それまでのやり取りに飲まれていたマリンは慌ててアベルを小突いた。
「なにすんだ、マリン」
「アンタはなにを偉そうに大臣方に命令してるの!? 大体相手は国王陛下よっ!! すこしは弁えなさい!!」
「そんなこと言ったって……あんなのただのオッサンだろ」
「オッサン……?」
マリンが固まり国王陛下は拗ねてみせた。
「オッサンはひどいぞ」
「あー。悪かった。拗ねないでくれ……叔父さん?」
初めて叔父と呼ばれ、ケルトは瞳を見開いたが、すぐに笑顔になった。
満面の笑顔の国王を見て、国王を「おじさん」呼ばわりしたアベルを叱ろうとしたマリンは仕方なく口を閉じた。
「それで? リドリス公をこの場に呼んだのもそなたなのか?」
「ああ。うん」
アベルは気まずい顔で言ってからリドリス公の顔を見た。
王の傍に侍って公爵はじっとアベルを見ている。
「リアン。これ公爵に渡してくれないか?」
すぐ目の前に立つ公爵令嬢にアベルは、そう言って懐から取り出した物を握らせた。
戸惑いながらリアンは黙って受け取り父親へと近付いた。
公爵は黙ってそれを受け取り布から取り出した。
「これはっ」
目の色が変わる公爵にアベルはこめかみを掻いている。
「おや? それは先日公爵が賊に盗まれたと騒いでいた家宝のネックレスじゃないか?」
横から見ていたケルトが言う。
「お訊ねしてよろしいでしょうか? これを……どこで手に入れられました?」
「話すと長くなるけど、その前に……ごめんっ」
アベルに勢いよく頭を下げられて公爵は戸惑っている。
「それ盗んだの。俺の知り合いなんだ」
「どういうこと、アベル?」
マリンが絶句している。
アベルの知り合いということは、マリンの知り合いでもあったので。
幼い頃の付き合いの者しかいない間柄なのだ。
その中のだれかが泥棒だなんてマリンには信じられなかった。
「詳しい説明をしなさい。できるな?」
ケルトに諭されてアベルは唇を噛む。
レイティアたちも意外な成り行きに驚いていた。
「詳しい説明はする気できた。でも、盗んだ相手を許してやってほしいんだ」
これにはだれも答えなかった。
公爵の城から家宝を盗んだのが、今話題になっている怪盗であることは、公爵もそしてケルトも知っている。
アベルはそれがだれなのかを知っているという。
なのに許せと見逃してくれと言うのだ。
できる相談ではなかった。
「それがどういう意味を持つ言葉なのか、そなたは承知しているのか?」
「承知しているつもりだよ」
「いや。わかっていないな。わかっていたらそんなことを言えるはずがない」
ケルトに断言されてアベルは悔しそうな顔になる。
「公爵家の城から家宝であるこのネックレスを盗んだのは巷で騒ぎになっている怪盗だそうだ。
予告状もきたという話だ。つまり前科が沢山あるということ。それを見逃せとそなたは言う。罪を犯したことは承知で許せ、と」
「だってそれは……俺たちの罪なんだ。叔父さん」
「わたしたちの罪? 何故?」
首を傾げるケルトにアベルは街中で平然と行われている貴族たちに対する不平不満を打ち明けた。
それ故の犯行であることも告げた。
これには支配階級の者はすべて黙り込んでしまった。
(何故そういう理由でアベルの罪なの? アベルは庶民でしょう?)
話の飲み込めないマリンは怪訝そうにアベルを見ている。
「貴族なんて全員が悪どい。罪を犯していない貴族なんていない。だから、宰相はその頂点に立つ悪者だ。そんなふうに言われて」
「そうか。だが、どういう理由があれ罪は罪だ。我々はそれを取り締まらなければならない。それはわかるだろう?」
「わかるよ。だから、公爵に直に逢わないでここにきたんだ。危険を承知でね」
苦い笑みを見せるアベルにケルトと公爵は顔を見合わせる。
「俺のせいだと……責められてる気がした」
「そなたのせいではない」
「慰められても惨めなだけだよ、叔父さん」
「そうではない。本当にそなたのせいではないのだ。赤ん坊のそなたになにができた?
まだ3歳だったそなたになにができた? むしろ本当にそういう反抗的な動機から犯行に及んだなら、責められるべきなのは民の不満を解消できなかった王たるわたしだ」
違う、違うとアベルはかぶりを振った。
「前王の時代にその怪盗の前代は怪盗をやめようとしたらしい。前王なら民を楽にしてくれる。信じられる。そう思って」
「わたしが相手ではそう判断してもらえなかったということか。結構辛いな」
「そうじゃないよ。前王が暗殺された時点で、その怪盗たちは貴族を見放したってだけだ」
「……暗殺って」
ケルトが驚いた声を出す。
「その怪盗に言われたよ。民のことをだれよりも考えてくれて、だれよりも民を味方をしてくれた前王は、それ故に暗殺されたって。……本当なのか?」
真っ直ぐに問いかける視線にケルトは眼を伏せる。
「……真偽のほどはわたしにもわからない。だが、一時期そういう噂があったのは事実だ。そしてその可能性が無ではないことも」
「そっか。やっぱりな。アンタはそういうことは俺には言わない。そんな気がしたよ」
アベルがそう言えばケルトは一言だけ「済まない」と謝った。
「なんでアンタが謝るんだ?」
「何故って」
「アンタは精一杯やってくれた。本当ならアンタがするべきことではないのに必死になってやってくれた。そのことを誇ればいい。謝る必要なんてない」
「しかし」
「謝らないといけないのは俺の方だ」
真剣な眼をするアベルにだれもが言葉もなく彼を見た。
「そんな現実を目の当たりにするまで、俺は現実を見てなかった。
自分の周囲にある小さな現実を護りたくて、もっと大きな現実に目を向けなかった。
その結果親しい人が罪を犯した。俺がやるべきことをやろうとしないから。そんな俺たちに愛想を尽かして」
「だから、きたのか、ここに? すべてを覚悟して?」
「俺が家族を護らなきゃ。ずっとそう思ってた。思ってたから否定してたんだ。なのにその家族を俺は護れなかった。
俺がやるべきことをしないから。自分が果たすべき責任を果たさないから。これは俺の罪だ。その瞬間そう感じたよ」
どうして彼がその怪盗を許してほしいと言うのか、だれもが理解した。
彼はその人を怪盗にまで追い込んだのは自分だと思っている。
だから、罪に問われたくないのだ。
そのために認めなかった現実とも正面から向き合う決心をして。
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