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将棋セット【ところてんと冷ほうじ茶】

「……そろそろ負けを認めたらどうだ?」


「のん。負けまセン」


 アリスの長考が続き、チェスクロックで時間を計っていなかったことを後悔する。

 やはり持ち時間の概念は大切だ。

 時間無制限だとなかなか終わらない。

 アリスはこちらの思惑など関係なしに、座禅を組んで最善手を考えていた。

 長考して指したのは結局大悪手。

「王手」

「ぐぬぬ」

 即座にそれをとがめる。

 それでもアリスは負けを認めなかった。

 空手で礼儀作法は教わったはずなのだが。


 どうやら『お願いします』や『ありがとうございました』を教わっても『参りました』は教わらないらしい。


「アタック!」

 結局、アリスが次の一手を指すのに30分かかった。

 これだから負けず嫌いは困る。

 アリスの無駄なあがきを軽くさばき、三手詰めで仕留める。

「お前の将棋は詰将棋みたいに直線的だ。攻撃的でハマった時は強いが手を読まれやすい。大山名人を参考にしろ」

「マスターオーヤマのショーギはディフェンシブで退屈デス」

「棋譜だけみればな。機会があれば大山名人の感想戦を見てみるといい」

「かんそーせん?」

「プロ棋士が対局後にやってるあれだ」


 お互いの手の良し悪しを検討しあい、どこで勝負がついたのかを見極め、ついでにテレビの視聴者へ解説する。


 それが感想戦だ

「ヒドイテヲサシタ」

「……お前は余計なことばっか覚えてるな」

 感想戦の定型句だ。


『初手7六歩が敗因』というのもある。


 悪手を検討していくと『この手が悪かった』『いやそれならその前の手の方が』『いや更にその前の』とどんどん手を遡っていき、最終的に『初手から勝負がついていた』となるオチだ。

 感想戦の定番ジョークである。

「大山名人は対局こそ受け将棋だが感想戦では別人のような攻め将棋だぞ。攻めの棋風なのにあえて受けて立つ。いうなれば横綱相撲だ」

「ヨコヅナ!」

 今でこそ『攻めの升田、受けの大山』と言われてるが、修業時代はむしろ『攻めの大山、受けの升田』だった。


 『最初のチャンスは見逃す』というのも前のめりな攻め将棋を戒めるためなのだろう。


 もちろん自分の腕への絶大な自信と信頼がなければできない芸当だが。

「『将棋は二度負かせ』と木村名人も言っている。昔の棋士は感想戦も本気で戦ったもんだ。勝負で負けたならせめて感想戦で勝て。感想戦でいい手を指したら一食タダにしてやるぞ」

「レッツ、かんそーせん!」

 現金なやつだ。

「プッシュ!」

 アリスがところてんの塊を天突きで押す。


『清滝の水汲ませてやところてん』


 松尾芭蕉の句のごとく、清滝の流れのようにところてんを突きだして、涼やかなガラスの器にこんもりと盛る。

 琉球グラスだ。

 琉球グラスは米軍基地に捨てられていた酒やジュースの瓶を溶かして作られたのが始まりであり、透明なところてんに他のガラス細工ではあまりない類の雑多な色が映りこんでいる。

「ハシがイッポンしかありまセンが?」

「ところてんは一本箸で食うもんなんだよ」

 一本箸でところてんをすくって小皿に取る。

「ワザアリ!」


 一本なのに技ありとはこれいかに。


「さて……」

 ところてんならば最初は蜜でいきたい。

 蜂蜜にざくろやメープルのシロップ。

 だがやはり一番は関西風の黒蜜きな粉だろう。


『ところてん逆しまに銀河三千尺』


 与謝蕪村の時代に『銀河』という言葉が使われているのも新鮮だが。

 ところてんを黒蜜と星のようなきな粉で覆えば、正しく逆さまになった銀河、わんの中の宇宙だ。

「ぼーの」

「たまに食うとめちゃくちゃうまいな」

 ところてんに合わせるものは他にも酢醤油や、鰹節のつゆにしょうが、和三盆がある。

 酢醤油は関東風、鰹のつゆは土佐、和三盆は吉原の花魁の食べ方だ。

 もちろんどれで食っても美味い。


「お茶はほうじ茶だ」


 それも冷たいやつがいい。

 濃厚な黒蜜には、香ばしくてキンと冷えたほうじ茶が一番だ。

「さっきの対局でいうと、検討すべきは中盤のあれか……」

 ところてんを食いつつ、中盤の棋譜を再現するために駒を動かす。

 するとアリスも即座に駒を並べ始めた。

「……お前、自分の指した手を覚えてるのか?」


「? ふつーは覚えまセンか?」


「覚えたくても覚えられねえよ」

 最初から最後まで、ちゃんとした意図を持って指していなければ覚えるのは難しい(たまに覚えられないプロ棋士もいるが)。

 ただアリスの場合は、異常な記憶力で棋譜を暗記しているだけの可能性もある。

 ……どちらかというとそっちのほうが怖い。

 この記憶力だけで常人よりもはるかに強くなれるからだ。

 末恐ろしい。


「ここはこう指すべきだったな」


 先ほどのアリスの悪手をとがめる。

「でもこう指されたら同じデス」

「その場合はこうだ」

「それならこうデスね」

「いや、そうするとこうなるから……」

異議あり(おぶじぇくしょん)!」

 ……なかなか自分の悪手を認めない。


 負けたのはあくまで俺が強かったからであって、自分のミスではないとの主張だ。


 感想戦で『こう指されていたらあるいはこちらが負けていた』と述べられると 必死に否定する棋士がいる。

 『ミスをして負けた』『勝てる勝負だった』という事実は後を引くからだ。

 精神的によくない。

 だから是が非でも自分のミスを認めず『仮にそう指したとしても自分が勝っていたとはいえない。こう指されていたら同じ展開になるからだ』と突っぱねる。


 簡単に負けを認めないくせに、いざ負けると勝っていたかもしれない事実を認めない。


 ……こうなると厄介だ。

 討論なので間違った手を指してもそれを戻してまた別の手を指せる。

 感想戦にはチェスクロックもない。

 将棋ソフトのごとくあらゆる可能性を総当たりで検証し、時間を目一杯使って全力で負けに来た。


「ここでアリスが投了とーりょー!」


「ぐ、どうやっても俺の勝ちだ……!」

「ふふん」

 負けて勝つ。


 それが感想戦の恐ろしさだ。


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