ゲームブックセット【利休饅頭と青きな粉ミルク】
「新しいゲームブックを作りました!」
140と記された方眼紙を渡される。
「私には?」
「アユ太君が終わるまで待ってください」
「えー」
紙は裏側らしく、表の絵が若干光で透けている。
裏返して何が描いてあるのか確かめようとしたところ、
「ダメですよ? これは140でないと拾えない地図ですから」
「は?」
「これは複数人プレイ用のゲームブック『ラビリンス』。プレイヤーがそれぞれ個別にプレイして、地図を繋ぎ合わせていく仕組みです」
「面倒臭くない?」
「マッピングはゲームブックの華です!」
先生が拳を握って力説した。
これだけは譲れないらしい。
「どうやってマッピングすればいいんですか?」
「たとえば……」
ゲームブックを広げる。
『40 十字路だ』
北に進む →55へ行け
東に進む →72へ行け
西に進む →80へ行け
南に進む →95へ行け
「この十字路の選択肢で示されている番号は、そのまま地図の番号でもあります。番号に従ってマッピングしてください」
55
↑
80←5→72
↓
95
「手書きのマッピングって、何年ぶりかしら」
デジタルゲームではオートマッピングが標準装備されている昨今。
地図の手書きは珍しい。
「昨日テストプレイしてみたら140で死にました。なので140へ行けば地図だけでなく装備やアイテムも回収できます」
「140の場所は?」
「秘密です」
「……ですよね」
ゲームブックを始める。
物語の始まりは『お玉ヶ池種痘所』。
ラビリンスといえば、ギリシャ神話で牛鬼が閉じ込められているクレタ島の迷宮なのだが……。
舞台は日本、それもマニアックすぎる場所だ。
お玉ヶ池種痘所は東大医学部発祥の地で、蘭医(オランダ医学を学んだ医者)が建てた天然痘の種痘施設だという。
種痘、すなわち予防接種だ。
「『半七捕物帖』にこのあたりの記述が出てきますね」
『今じゃあ種痘といいますが、江戸時代から明治の初年まではみんな植疱瘡といっていました。(中略)さてその植疱瘡をする者がまことに少ない。牛の疱瘡を植えると牛になるという。これもあなた方のお笑いぐさですが、その頃にはまじめにそう言いふらす者がいくらもある』
種痘は牛痘(牛・猫・人が感染する天然痘に極めて近い病気)にかかった牛から『雄牛』と呼ばれる疱瘡を取り出して人に注射する。
……昔の人が牛になると恐れるのも無理はない。
もちろん主人公も得体のしれない物体を注射されることを恐れるのだが、手塚良仙(漫画の神さまの祖父)に
『牛が病気を防いでくれるのは、八坂神社の神・牛頭天王のご加護です』
と諭され、種痘に応じる。
→13へ行け
「え」
パラパラとページをめくると、目に飛び込んできたのは『牛の頭に虎の尻尾を生やした鬼』の姿だった。
日本のミノタウロスこと『牛頭鬼』が主人公に武器を振り下ろすイラストだ。
だがそれは『14のイラスト』らしく、13の主人公は家に帰って寝るだけだった。
そして13から別の番号に飛ぶと、主人公は悲鳴を上げながら目覚めてこう言う。
『変な牛の化物に殺される夢を見た』
「構成おかしくないですか? 14には行ってないですよね?」
「ゲームブックをプレイしているとパラパラ何度もページを行ったり来たりしますから、どうしても先の話のイラストが目に入りますよね?」
「そうですね」
試しにパラパラめくってみる。
嫌でも先の展開が目に入った。
「それを利用した演出です。主人公には『未来を予知する力』があって、プレイヤーはイラストを見ることで未来を予知する仕掛けです」
「未来を変えなきゃ14に飛ばされて死ぬわけね」
「そういうことです」
イラストの弊害を逆手に取った演出らしい。
主人公が冷静になって周囲を見回すと、そこは自宅ではなく夢で見た迷宮だった。
寝ている間に何者かに迷宮へ投げ込まれたらしい。
探索の始まりだ。
『方角がわからないから、ここは仮に南東にしておこう』
主人公と一緒にマッピングしながら迷宮を進むと、
「お、140!」
「見つけるの早くない?」
「装備品や地図を回収しないといけませんから。もうすぐ死にそうだと思ったら、スタート地点に近い場所で死ぬのがコツです」
「……嫌なコツね」
紙を裏返し、先生が描いたマップと重ねる。
地図はほとんど埋まらなかった。
これは長期戦になりそうだと思いながら冒険を続けていると、
『牛頭鬼が現れた』
「げ!?」
祈りながらサイコロを振るものの、
→14へ行け
……完璧な初見殺し。
牛頭鬼の戦闘力が高すぎる。
2ダメージ与えることさえできなかった。
「私の番ね」
「おう」
やむなく瑞穂にバトンタッチし、
→14へ行け
「ああー!?」
交互に死につつ、地図と装備品を交換(回収)しながら攻略を続けること1時間。
「小腹が空いたな。なにか食うか?」
「うん。なんか江戸っぽいやつ!」
「和菓子だな」
しかし和菓子のストックはなかった。
「サツマイモぐらいしかないぞ」
「なら利休饅頭はどうでしょう」
「……落語に出てくるやつですか?」
「はい」
「なにそれ」
「『茶の湯』って噺でな。ご隠居が見様見真似で茶の湯をやろうとしてひどい目に合う噺だ」
「といっても、ひどい目に合うのはほとんど周りの人間なんですが」
「へー」
さつまいもを蒸し、青きな粉と牛乳を用意する。
「ご隠居はうろ覚えだから、抹茶じゃなくて青きな粉を買ってしまうんだな」
「ただの青きな粉なら害はないんですが、抹茶のように泡立たないのでご隠居は石鹸を入れてしまいます」
「うえ」
「さすがにそこまで再現したら死ぬから今日はきな粉ミルクだ。利休饅頭もうろ覚えだから、サツマイモを蒸して潰したものに黒蜜を混ぜる」
「なんか普通に美味しそうなんだけど……」
「そうだな。これはわりとそのままでイケそうだ」
落語では茶碗で形を整えようとするものの、ねばついて抜けなくなるので茶碗に油を塗っていた。
昔の油だから魚臭いのかもしれない。
サツマイモには無駄なねばりをつけずに形を整える。
イモに黒蜜と大ざっぱな味付けだが、大学イモがあるのだから蜜との相性は悪くない。
味はそこそこ、きな粉ミルクも市販されているものがあるぐらいだから普通にうまい。
茶の湯ごっこを楽しむだけなら問題はないだろう。
見様見真似で茶の湯をする落語の真似をするという趣向もいい。
「ではここからは口数を減らしていきましょう。協力型ゲームブックなので、コミュニケーションは地図を中心にしてください」
「はーい」
「わかりました」
お互いに地図の裏へメッセージを残して会話をする。
『死ぬたびに牛頭鬼増えてるわね』
『主人公が牛頭鬼になってるんだろうな』
明らかに種痘の影響だ。
この予知能力が怪しい。
『たぶん件だ。『人に牛』と書いて『件』と読む。牛頭鬼の逆で人の頭と牛の胴体を持った妖怪だ。たしか未来を予知する能力があったはず』
先生がニヤッと笑う。
どうやら正解らしい。
ゲームを進めると、この迷宮を作ったのは漢方医だと判明した。
鎖国の影響もあって江戸時代は漢方学が幅を利かせていたものの、蘭学の流入で徐々に勢力を失っていったらしい。
焦った漢方医が目を付けたのが種痘。
『種痘をしたら牛になる』という迷信が現実になれば、蘭学は衰退するはずだと考えたのである。
そこで漢方医は中国の地相占術『奇門遁甲』で迷宮を作り、種痘を受けた人間を閉じ込めて呪いをかけた。
半七捕物帖の作者・岡本綺堂は『中国怪奇小説集』で『奇門遁甲』という短編も書いている。
ひとりの男が垣をこえて忍び込んで来たが、彼は堂下をぐるぐる廻りして、一つの橙に出逢うごとに、よろけてつまずいて、ようようにまたいで通るのであった。
それが初めは順に進み、さらに曲がって行き、逆に行き、100回も200回も繰り返しているうちに、彼は疲れ切って倒れ伏してしまった。
「わたくしは泥坊でございます。お宅へ忍び込みますと、低い垣が幾重にも作られております。それをいくたび越えても、越えても、はてしがないので、閉口して引っ返そうとしますと、帰る路にもたくさんの垣があって、いくたび越えても行き尽くせません。結局、疲れ果てて捕われることになりました。どうぞ御存分に願います」
友達は笑って彼を放してやった。
「きのうあの泥坊が来ることを占い知ったので、たわむれに小術を用いたのです」
「その術はなんですか」
「奇門の法です」
ようするに地形を利用して敵を迷わせる術だ。
三国志でも孔明が奇門遁甲で霧を呼んだと恐れられたりしているが、地相を利用した術なので天気も読める。
なので霧を呼んだのではなく、霧が出る場所に敵を誘い込んだだけだ。
この技術を応用すれば、霧の出やすい地形を作ることもできる。
それがこの迷宮だ。
なお日本の地相占術『鬼門』の概念も取り入れられているらしい。
奇門と鬼門は同音異義語。
言霊、いわゆる『言葉の呪い』である。
鬼門は鬼のくぐる門。
日本には『鬼は北東=丑寅の方角からやってくる』という迷信があり、北東を鬼門と呼ぶようになったという。
昔話の鬼に牛の角と虎の尻尾が生えてるのは、鬼が丑寅の方角からやってくるからである。
『丑寅を擬人化したもの』が鬼という解釈もありだろう。
こうして鬼門遁甲の呪いを受けた患者たちは鬼になってしまった。
ただ牛頭鬼が件になって予知能力を手に入れたのは漢方医も計算外で、迷宮に閉じ込められた人間たち=つまりプレイヤーである俺と瑞穂は時を越えて協力しあう。
「でも江戸にこんな迷宮作れるの?」
「地下なら不可能ではありません。『魔都』という小説にも江戸の排水路についての記述があります」
芝田村町からこの日比谷一帯へかけた地下には、徳川時代の神田、玉川二上水の大伏樋の分樋が相交錯しながら縦横に走っている。
明治の中期に水道が敷設されると同時にこの伏樋は廃棄され、少数の土木学者を除くほか、今ではそんなものがあることさえ知っているものはないが、廃棄された大伏樋はそのまま地下の暗道となり、延々十数里、さながら蜘蛛の巣のように東京の地下を這い廻っている。
元来この伏樋の工事は、一定の方針の下に施されたのではなく、必要に応じて次々に増設されたのだから、分樋ははなはだ無秩序に放射され、かのクレエト島の迷宮にもゆめゆめ劣らぬ複雑多岐な大迷路を作り上げている。
一旦この中へ入ったら、再び地上に出ることは到底不可能であろう。
まさしくこのゲームブックのために作られたような水道だ。
これなら江戸に地下迷宮があっても不思議はない。
何度も死にながら大伏樋を探索していく。
『十二支の石像、これどう使うと思う?』
『丑寅の対角線上にある『未申』の方角が鬼門封じになるって占い番組で見たことあるわよ。その番組では北東に『見ざる・言わざる・聞かざる』の置物置いてた』
羊と猿の石像を鬼門に持っていけばいいのか。
石像は重いのでいくつかアイテムを捨てないといけなかったが、何とか敵の襲撃をかいくぐって鬼門に配置する。
しかし、なにもおこらなかった!
困惑していると牛頭鬼に遭遇してしまう。
→14へ行け
……なぜだ?
丑寅に奇門遁甲、なによりこのマップ。
ゲームとしてそれらを最大限に活かす演出は方角のはず。
考え方はあってるはずだ。
探索を進めると、俺たちの推理を裏付ける証拠も出て来た。
やはり羊と猿の置物で鬼門封じを行い、牛頭鬼の力を弱めるのが正解としか思えない。
なのになぜ鬼門封じが発動しないのか?
なにか見落としがあるのかもしれない。
ゲームブックを読み直してみる。
「あ!?」
ヒントは思わぬところにあった
冒険のシーン。
迷宮の隅っこで目を覚まし、地図を描きながら探索しようと決める主人公。
『方角がわからないから、ここは仮に南東にしておこう』
……やられた。
この地図の方角は『主人公によってつけられた仮の方角』だ。
つまりスタート地点は南東じゃない。
鬼門の呪いをかけられているんだから北東だ!
スタート地点こそが最終目的地だったのだ。




