カルタセット【ジンジャーブレッドとニルギリ】
参考文献
アフター0
喪神
「今日はちゃんとしたカルタをやりましょう」
先生がカルタを半分にわける。
「多くないですか?」
「じゃあそのまた半分に分けましょう」
競技カルタはまず百首を五十首に分け、お互いに25首ずつ自陣に置く。
自陣の25枚を先に全部取った方が勝ちだ。
敵陣の札を取った場合、自分の札を一枚敵に送ることができる。
自分の苦手な札や、相手の苦手な札を送るのが定跡だ。
今回は半分の12枚を取れば勝ちになる。
先生は自分とアリスに12枚ずつ配ると、カルタをもう一組取り出して俺と瑞穂に同じ札を配った。
「え、2組同時に対戦するの?」
「はい」
「札を読む人がいないじゃないですか」
「こういう時のためのパソコンです」
先生がノートパソコンを起動し、何やら操作すると、
『侘びぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ』
とやたらいい声で歌が詠まれる。
「こ、この声は!?」
瑞穂が神速で反応する。
声フェチでもあるらしい。
「声優さんの音読CDです。これで自動的に読み上げてくれます」
便利な世の中になったものだ。
ただ競技カルタの独特な読み方とは違うのが気になる。
まあ、声優が声のプロといっても短歌の正しい節回しを理解していなければ、音だけ真似ても必ずボロが出る。
百首もあればなおさらだ。
中途半端なCDを作るぐらいなら、いっそ競技用の読み方は捨てて、初級者に親しみやすく、現代的で格好よく読もうという方針なのだろう。
「……いい声ね」
「そうだな」
瑞穂の反応を見てみると、その判断が正解だったのがよくわかる。
「さて、今日は何を賭ける?」
「オススメは?」
「ジンジャーブレッドだな」
「オー、イギリスのスイーツですネ!」
イギリス人は甘いものに生姜を入れたがる。
その象徴ともいえるスイーツだろう。
「しかも『ジンジャーブレッド坊や』だ」
「びゅりほ!」
「なにこれ?」
「イギリスの童話に登場するキャラだ」
イギリスではよくこのキャラの形にしてジンジャーブレッドを作るという。
「変わった風味がしますね」
「それはモラセス、サトウキビから作った糖蜜の風味ですね。黒糖のような色をしてるんで、ジンジャーブレッドも黒っぽくなります」
「へー」
「お茶はニルギリだな」
ニルギリはインドの茶葉で、現地の言葉で『青い山』を意味する。
『紅茶のブルーマウンテン』だ。
スリランカに近いため、茶畑の環境がよく似ているのか。セイロンティーを髣髴とさせる香りがする。
すっきりした味わいのお茶であり、それにジンジャーブレッドの生姜を合わせれば、口内は清涼感に包まれるだろう。
リフレッシュには最適だ。
「始めましょう」
先生がターン! とパソコンのENTERキーを押した。
『しの』
バンッ
『つき』
バンッ
『ゆら』
バンッ
隣のアリスが物凄い勢いで札を取りまくる。
「……さすがの速さですね」
腐っても空手家だ、反射神経と手の速さがずば抜けている。
さながら『一刀流』の『夢想剣』か。
夢想剣は敵の殺気に反応し、己の間合いに一歩でも踏み込んだ瞬間、電光石火で容赦なく斬り捨てるという。
アリスは夢想剣と同様に、音に全神経を集中させ、読み札の言葉尻を逃さず手刀で取り札を切り伏せていた。
余りの速さに先生が全くついていけてない。
「それならこれで!」
先生が関係のない札に手を伸ばすなどしてフェイントを交える。
しかしブタの尻尾で慣れたのか、アリスは全く動じない。
「ヴィクトリー!」
あっという間に勝負がついた。
6首ほど遅れて俺も勝ちをおさめる。
「次は俺とアリスか……」
「負けまセンよー」
……正攻法では勝ち目がない。
アリスに先んじて場のカルタを回収し、俺が取り札を配れるようにおぜん立てする。
問題は何の札を選ぶかだ。
中学の古典の授業でカルタをやったことがあるので、勝つ基本テクニックは知っている。
百人一首には『決まり字』というのがある。ここまで読んだらこの札で決まり、という確定ポイントのことだ。
たとえば頭文字が『つ・ゆ・し・も・う』の札はそれぞれ2枚ずつ存在している。
二文字目まで読まれないと『つき』と『つく』、『ゆら』と『ゆう』、『しの』と『しら』、どちらの札か確定できない。
だが『む・す・め・ふ・さ・ほ・せ(娘、房干せ)』は他の札と頭文字がかぶっておらず、最初の一文字で確定できる『一字決まり』の札だ。
これを知っているのと知らないのとでは大きな差だ。
競技カルタでは競技前に取り札の位置を記憶する時間が与えられる。記憶力が重要なゲームなのだ。
初級者にはカルタの位置を記憶することは難しい。
そもそも今回は競技カルタではないので暗記時間など設けられていない。
しかし一字決まりの7枚に限定すれば、暗記時間などなくても、同じ頭文字の札がないのでお手つきを恐れることなく取りに行ける。
7枚を確実に取れれば必勝。
……のはずだったのだが。
『め』
バンッ
『ほ』
バンッ
『す』
バンッ
「ぐっ……」
「なかなかやりマスね」
7枚の位置を完全に記憶しているのに、一字決まりの反射神経勝負はほぼ互角。
一字決まりでさえ互角なら他は目も当てられない。
……と思うのが普通なのだろうが。
「お手つきだぞ」
「ぐぬぬ」
カルタは読まれた札のある陣の札にしか触れない。
つまり読まれた札のない陣に触れたらお手つきで、一枚札を送られる(読まれた札のある陣の取り札ならいくら触れてもお手つきにはならない)。
アリスの反応は先生と対戦した時よりも速い。
俺が一字決まりに反応している分、反応を速めているせいだ。
先生相手ならまだ余裕もあったのだろうが、今はない。
それがお手つきを呼ぶ。
「お前は小野忠明だな」
「ほわい?」
「将軍の剣術指南役ですね」
「ショーグン!」
徳川家の剣術指南役といえば柳生家だが、実は最初は柳生新陰流と小野派一刀流の2派が存在していた。
柳生家に後れを取ったのは、別に一刀流が新陰流に劣っていたからではない。
現に江戸初期から幕末までの約300年、日本全土に最も普及した剣術は一刀流だ。
小野家が衰退したのは、ひとえに忠明の人間性によるところが大きい。
兄弟子を殺して一刀流を継ぎ、主君である二代将軍秀忠にも遠慮のない口を利き、手合せした相手を容赦なく叩きのめしては、戦場で味方と揉め、命令違反。
おそらく夢想剣を歪んだ形で極めていたのだろう。
夢想剣は殺気に反応する。
殺気とはあいまいな概念で、どこまでが殺気なのかわからない。
解釈の仕方によっては悪意や嫉妬、嫌悪感なども殺気に含まれるのではないかと思っている。
夢想剣を極めた小野忠明は、人が自分に向けるあらゆる負の感情を殺気と一括りにして認識していたのだろう。
だからこそ彼の周りでは諍いが絶えなかったのだ。
いかな夢想剣とて、自分の間合いに踏み込んだ人間を無条件で斬り殺していては、辻斬りと同じだ。
『あま』
バンッ
「お手つきな」
「ノー!?」
夢想剣はカルタにも通じる。
カルタには一字決まり、すなわち同じ頭文字の札がない1枚札を始め、同じ頭文字が2枚ある2枚札、続いて3枚ある3枚札から4・5・6・7・8枚札があり、最も数の多いのが『あ』の16枚札である。
そして同じ頭文字の札の中でも『2字決まり』の確定札がある。
『あ』の16枚札なら『あい』『あけ』『あし』だ。
この3枚は2文字目まで聞けば札が確定する。
残りの13枚は『あまつ』『あまの』や『あきか』『あきの』のように、3文字目まで聞かないとどの札か確定しない。
ちゃんと歌を覚え、場に何の札が出ているか把握していないのなら、1字2字で安易に取りにいくと自滅する。
アリスはなまじ反応が早すぎるために、目についた札を反射的に取ってしまうのだ。
殺気とそうでないものの区別がついていない状態で、目につく札を切っている。
これでは勝てるものも勝てない。
「うー、なぜアリスばかりオテツキしてしまうのでショー」
「お手つきしてしまうんじゃない。させてるんだ。抜かずに斬る。人を活かす活人剣。それが柳生新陰流の天下泰平の剣だからな」
「サムライ!」
「自分に都合のいい札ばかり配っている人の言葉とは思えませんね」
なんのことやら。




