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将棋セット【モナカと高級煎茶】

「居飛車の基本は攻めだ」

「居飛車って飛車を初期配置で使う戦法よね?」

「ああ。アマチュアは受けが下手だから強引にでも攻めれば勝てる」

「攻めが失敗したら?」


「受けに回ればいい。受けは失敗した時点で負けだ。最初から受けだと最悪なにもできずに終わる」


「最初に攻めていればチャンスは二度あるわけね」

「そうだ。だから攻めて攻めて攻めまくれ。まずは攻めの基本を教えよう。棒銀ぼうぎんだ。飛車先を棒のように突いて銀で殴るから棒銀と呼ぶ。棒銀は居飛車の4大戦法である矢倉・相掛かり・角換わりで使える」

「最後の一つでは?」

「横歩取りでは使えない。それでも4大戦法の内3つで使えるんだ。矢倉をある程度マスターしたら次は角換わりだ、ちゃんと覚えろよ」

「はーい」

 盤上に駒を並べ、いきなりルールを無視してすーと2五まで歩を進める。

「さて、こうやって飛車先の歩を突かれたらどうする?」

「金で角の頭を守る?」

「そうだな、角の弱点である頭を守る」

 そして再びすーと1五に銀を進め、瑞穂の歩を1四に進める。

「これは棒銀でよくある形だ。ここから2四歩と仕掛ける」


挿絵(By みてみん)


2四歩と仕掛けた局面


 瑞穂にその歩を取らせ、銀で取り返す。

「私は2三歩か3四歩?」

「ああ。俺はどっちにしても2三銀成りだ」

 瑞穂は金で成銀を取り、

「最後にこうなる」

 飛車を成りつつ金を取って金銀交換。

 2四歩と仕掛けた場面で、瑞穂が1五銀を取っても2三歩成りだから結果は同じだ。

「綺麗な攻め方ね」

「銀よりも金の方が価値があるから駒得で、しかも飛車が龍王に成って更にお得なんだが……」

「なにか問題あるの?」

「実戦ではこんなにうまくいかない。基本的に棒銀というと銀交換を目的とした戦法だしな」


 というわけで今度は矢倉の3三銀の形に組んで2四歩と仕掛ける。


挿絵(By みてみん)


「2四に歩を突いて相手に取らせ、その歩を銀で取り、相手が銀で取り返す。その銀を飛車で取り、飛車の頭に歩が打たれるから2八に引く。これで棒銀成功だ」

「は? お互いの歩と銀を交換しただけじゃない」


「銀を剥がして守りを薄くしてるだろ。同じ駒を交換する『等価交換』の場合、攻めている方が有利なんだよ。攻める方は交換した駒を好きな場所に打つことで攻めが繋がるわけだが、受けが交換したのは守りの駒だ。守りの駒は盤上にないと働かない。攻めと違って好きな場所に打てず、守りに置き直すと無駄な一手を使うことになる」


「わかったようなわからないような……」


「攻めの成功の定義は4つある。『成る、駒交換する、駒得する、守りを剥がす』だ。仮に駒損をしても飛車を成りこんだり、守りの駒を玉から引き離すことが出来たら成功なんだよ」


「なんとなくわかった気がする」

「最初は何となくでいい」

 感覚を掴ませるために何度か指すことにする。


「『金は斜めに誘え』。金は真後ろにしか下がれない。その金の斜め前に駒を打って、それを取らせれば、金は一手で元の位置に戻れない。銀も同じだ。『銀は真っ直ぐに誘え』。銀は斜め後ろにしか下がれないから、正面に誘えば戻れない。『王の守りは金銀三枚』って格言もある。一枚剥がすだけでも守備は崩壊するんだ」


「金は斜め、銀は前、守りは金銀三枚……」

 瑞穂は脳裏に刻みこむように、ぶつぶつ呟きながら指し続けた。

 引き続き棒銀と駒交換した後の指し方を指南していく。

 しかし、

「王手」

「あー!?」

 やはり初級者なので棒銀が成功しても、その後の攻めが上手くいかない。

 かなめの銀の使い方も下手すぎる。

「……棒銀の前に銀の手筋を教えておくべきだったな」


 ホワイトボードに『銀が泣いている』と書く。


「銀を無残に封じられた坂田三吉の名言だ。映画や織田作之助の著書で有名な棋士だな」


 織田作之助の『聴雨』いわく、


 「銀が泣いてゐる。」といふ人である。

 ――ああ、悪い銀を打ちました、進むに進めず、引くに引かれず、ああ、ほんまにえらい所へ打たれてしもたと銀が泣いてゐる。銀が坂田の心になつて泣いてゐるといふのだ。坂田にとつては、駒の一つ一つが自分の心であつた。さうして、将棋盤のほかには心の場所がないのだ。盤が人生のすべてであつた。将棋のほかには何物もなく、何物も考へられない人であつた。


「お前の銀は泣きすぎだ」

「でも銀が泣いているって、一度は言ってみたいセリフじゃない?」

「いや、言ったらダメだろ」

「どうせ何度も言うことになるし」

「……開き直るな」

 盤上に駒を並べ3・5・7筋の歩を突く。

「『序盤は奇数の歩を突け』。理由の一つは角道を開くため。もう一つは銀を活かすためだ」


挿絵(By みてみん)


「これなら銀は3七、4六、5七、6六、7七、8六と自由自在に動ける。角も7九、6八、5七、4六、3七と好きな位置で使える」

「ジグザグに動いて格好いい」

「だろ? 『銀は千鳥に使え』ってやつだ。金だとこうはいかない。将棋は価値の低い駒で高い駒と交換するゲームだから、価値の低い歩の前に駒を置くのは『歩越し』の悪形と呼ばれてる。だが銀は自由に動き回れるから、歩越しの銀を特別に『腰掛け銀』と呼ぶ」

「角換わり腰掛け銀ね」

 角換わり腰掛け銀は角換わりの三大戦法の一つだ。


「銀とは関係ないが。歩越しの悪形で素人がやりがちな『式部の大輔たいふ』にも触れておこう」

「紫式部の式部?」

「そうだ。式部に歩を敷く敷歩をかけてるんだな。大輔は飛車だ。飛車先の歩を交換して飛車を下がらせるときに、2八じゃなくて2六に引くひねり飛車があるんだが。初級者がやると飛車を狙われて敷歩を右往左往することになる」


挿絵(By みてみん)


式部の大輔 歩が邪魔で飛車は後ろに下がれず右往左往


「話を銀に戻そう。シンプルすぎて説明するのを忘れてたが、一番基本的な銀の手筋は『銀は不成りに好手あり』だ」

「敵陣に踏み込めば銀の動きをしつつ、いつでも好きなタイミングで金に成れるってこと?」

「そうだ。金は銀に成れないが、銀は金に成れる」

 銀は金よりも強い。

「それから『割り銀』と『桂頭の銀』だな」


挿絵(By みてみん)


割り銀 金や飛車の斜め後ろに銀を打って両取りをかける


挿絵(By みてみん)


桂頭の銀定跡  桂馬の頭に銀を打ってどちらに跳ねても取れるようにする。


「おおー」

 中級者には当たり前の手筋だが、初級者には目から鱗だろう。

「棒銀ではよく銀の横にいる歩を突くが、ハサミには気を付けろ」

「ハサミってこれ?」

 人差し指と中指を伸ばしてチョッキンとする。

「それだ。自分の歩が隣にいるのはいいが、相手の歩に挟まれると銀が死ぬ。俗にいう『銀バサミ』だ」


挿絵(By みてみん)


銀バサミ 相手の銀は身動きが取れない


 腰掛け銀の前に歩を突く。

「『歩越し銀には歩で受けよ』」

「歩を取らせて、あわよくば銀バサミを狙おうってわけね」

「そういうことだ。じゃあ銀の手筋を覚えるために一局。……と、その前に。おやつにしよう」

「やった!」

「今日はモナカだ」

「モナカって口の中に張り付くからあんまり好きじゃないのよね」


「モナカだから泣くのは仕方ない」


「泣く?」

「モナカが湿気ることを泣くって言うんだよ。モナカが口に張り付くのは泣いているからだ」

「へー」

 今日のモナカは湿気てないから大丈夫だろう。

 お茶は煎茶。

 それも奮発して高級なもの、特に宇治がいい。


「『古い歴史や文化を誇る国々は東洋の茶を、その重量の二倍の銀で売り買いしている』ってな」


「なにそれ?」

「ヨーロッパのオークションポスターに書かれていたフレーズだ」

 今日は銀がテーマなだけに、豪勢にお茶を淹れる。

 パリパリの種に濃厚な甘さのあんこ、そして宇治の香りがそれを引き立てる。


 これなら二倍の銀を払っても損はない。


 伊達に高級なわけではないのだ。

「じゃあ始めるぞ」

「お願いしまーす」

 モナカの支払いを賭けて一局指す。

 初級者だから仕方のないことだが、やはり銀を活かせていない。

「いいか、銀はこうやって活かすんだ」

「すごい」

 銀に活が入って盤上の駒が躍動し始めた。

 瑞穂がうんうんと感心して指し継ぎ、俺の玉を追い詰めていく。


 そして20手後。


「いい銀の使い方だった」

「……どう見ても私の負けなんだけど」


「坂田三吉は銀泣きの局で勝ってるからな」


「だったら泣いたままでよかったじゃない!」


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