将棋セット【いちご大福と深蒸し煎茶】
「将棋の駒はこうやって持つんですね」
難しい棋書に飽きたらしく、先生が雑学系の棋書を読みながら将棋の駒をつまんだ。
中指は駒の上。
人差し指と薬指で挟んで持ち上げ、さっと駒の下に人差し指を入れる。
そして人差し指を抜きながら盤上に置く。
ピシッ
いい音だ。
正しく駒を指せるようになると、自然と盤上もきれいになる。
きっちり真ん中に駒を置きたくなるからだ。
「こーデスか?」
「ちょっと違うな。最初は玉みたいに大きい駒で練習した方がいいぞ」
「さー、いえっさー」
「買い物する時、つい音を立てて小銭を置いてしまうから気を付けろ」
「それは囲碁でも同じだけどね」
棋士の職業病らしい。
「音は立てないといけないんでしょうか?」
「その辺は自由ですよ。盤を破壊する勢いで叩きつける人もいれば、坂田三吉のような音無し流もいますから」
「オー、タカヤナギ」
「……どこで覚えた」
江戸時代の剣客・高柳又四郎は相手に刀を触らせずに戦うことから『音無しの構え』と呼ばれていた。
彼にちなんで高柳敏夫九段は又四郎の筆名で観戦記を記している。
なお高柳九段の弟子である芹沢博文九段もまた新撰組初代局長『芹沢鴨』にあやかって鴨の筆名で観戦記を書いている。
「駒の並べ方にも流儀とかあるのね」
瑞穂も興味を持ったらしく棋書をパラパラとめくっていく。
将棋の歴史や成り立ち、棋士のエピソード、俳句など様々なことが載っている良書だ。
「『大橋流』と『伊藤流』だな。大橋流はまず玉、それから金、銀、桂、香を左右交互に並べ、角、飛車、5筋の歩、そして6、4、7、3と左右交互に歩を置いていく。それからこれは意外に知らない奴が多いが。対局が終わったら玉・金・銀・桂・香・角・飛車・歩と数えながら駒箱に戻す」
「やっているの見たことありまセンが?」
「やってないからな」
だから駒がなくなってても気付かない。
「伊藤流もまず玉、それから金、銀、桂を左右交互に並べて、そこから歩を並べる。それも左右交互にじゃなく、左から順番にな。歩を並べ終ったら香車、角、飛車だ」
「どうしてそんな並べ方をするんですか?」
「香車・角・飛車はいわゆる走り駒です。初期配置から歩を取り除くと、相手の陣地に直通しますよね? 走り駒を銃だと考えれば、これは銃口を相手に向けてるような状況です。だからまず歩で壁を作ってから後ろに並べる」
「れーぎ正しいのにしゅりゅーではナイ?」
「単に大橋流が覚えやすいとか、昔からの慣例とかそういう理由だろう」
ちなみにプロも5人に1人は伊藤流だ。
「コレはどーいう意味デス?」
「どれ」
アリスが読んでいたのは将棋の句をまとめたページだった。
『尻から金と打たれて石田負け』
有名な句だ。
「振り飛車の『石田流』は棒銀ならぬ『棒金』に弱い。それに関ヶ原の戦いをかけてるんだな」
「石田は西軍の総大将・石田三成、金は金吾中納言こと小早川秀秋ですね。小早川秀秋は西軍を裏切って家康に味方したので尻金。いかにも歴史好きの句ですね」
「『恵瓊僧石田に組んで都詰め』ってのもありますよ」
恵瓊は坊さんでありながら戦国大名という異例の経歴の持ち主だ。
「都詰めってなに?」
「5五の位置で詰ませることを都詰めっていうんだよ。恵瓊は京都の六条河原で斬首されたから都詰めなんだろうな」
「ナルホド」
「素朴なもんだと『雨宿り助言を言っておんだされ』や『半分は口で指してる下手将棋』がいいな。『宗桂に負けた話も手柄なり』もわかる。小学生の頃、指導対局で名人にボコボコにされたのを自慢したな」
「私も格ゲーのウメから1ラウンドだけ取ったことあるわよ!」
「ウメは1ラウンド目遊ぶからな」
宗桂は初代名人・大橋宗桂。
桂馬の使い方が上手かったので信長から宗桂の名を貰ったという。
本には句だけでなく将棋や棋士の名言、扇子の揮毫も収録されていた。
揮毫とは毛筆で文字を書くことである。
「これ下ネタ?」
「違う」
瑞穂が指さしたのは一部で有名な『感性』の扇子。
初見ではだいたい『性感』と読んでしまう。
「日本では昔、右から左に文字を書いてただろ? 棋士が扇子にサインする場合も右から左へ書くんだ」
「紛らわしいわね」
感性と同じぐらい有名な『平安』の扇子も載っている。
平安も『安平』を草書体で書くと『あほ』に見えるからだ。
平仮名の『あ』は『安』の文字を崩して生まれたものだから当然として、平の漢字の崩し方が独特だからどうしても『ほ』に見えてしまう。
ちなみに俺が愛用しているのもレプリカのあほ扇子だ。
「いちご大福でもつまみながら読むか」
「いえー!」
『雪原の赤い宝石』という大袈裟な名前が付けられた高級品である。
個人的に大福でも饅頭でもパンでも、生地は厚い方がいい。
この大福は生地が厚くてうにゅーと伸びがあり、中身の半分は苺でバランスも取れている。
濃厚なあんといちごを、分厚い生地が一つにまとめあげている感じか。
「炭酸みたいにシュワーってしてるのがいいのよね」
「あんこの糖分でいちごが発酵してるんだな」
「へー」
小豆の甘味に発酵した苺から滴る果汁の酸味が、深蒸し煎茶に調和する。
濃い目に淹れるのがオススメだ。
宇治の抹茶でもイケる。
「やっぱり将棋の名言といえば『前進できぬ駒はない』だな」
「菊地寛の『人生は一局の棋なり、指し直す能わず』が好きです」
「look・oute!」
「私は『新手一生』ね」
「升田幸三の名言だな」
最近は研究会やらネット・将棋ソフトの発達ですぐ研究されてしまうので『新手を発見しても一勝しかできない』と煽られるのだが……。
それは黙っておこう。
「この『鋼鉄流』とか『光速流』っていうのはなに?」
「棋士の棋風だ。『鋼鉄の受け』で鋼鉄流、『光速の寄せ』で光速流だ。鋼鉄の受けは説明するまでもないとして。光速の寄せは谷川名人の終盤が異常に速いことから付けられたあだ名だ」
「なにそれ格好いい」
「谷川名人が終盤の戦術を確立したから現代将棋では終盤の逆転が減ったといわれるレベルだ」
終盤までにある程度リードを保てば、横綱相撲のように安定して寄せきれるようになったので、今度は逆に序盤の戦術が発展したという。
なお強い棋士にあだ名は付き物だが羽生名人のような例外もいる。
どんな戦型も指しこなせるオールラウンダーなのであだ名の付けようがないのだ。
いつかオールラウンダーのことを羽生流と呼ぶようになるのかもしれない。
「コレはどーいう意味デス?」
『ふんどしをはづして裸で王は逃げ』
「桂馬で王手両取りかけられて玉を逃がすところだな。桂馬の両取りはふんどしの形に見えるから『桂馬のふんどし』と呼ばれる」
「ではコレは?」
『手にあらば桂馬打ちたき姉妹かな』
「……姉妹に両取りをかけたいっていう下世話な句だ。両取りかけても一人には確実に逃げられるけどな」
「コレは?」
『捕まえた亭主は飛車手王手なり』
「……妻の浮気現場を押さえて、妻と浮気相手の王手飛車取りって意味だ」
ただこれも将棋というゲームの性質上、一人逃がしてしまう。
ふと横を見るとアリスは『将棋好き内儀の二歩に気が付かず』の句をチェックしていた。
「……お前わざとやってんのか?」
「ほんとーに意味がわかりまセン」




