ダーツセット【イギリストーストとシナモンコーヒー】
「サインプレート落ちてたわよ」
「またか」
サインプレートとは喫茶店などによくある『開店』『休業』と書かれたプレートだ。
うちのは吸盤式で入り口のドアにくっつけてあるのだが、何かとよく落ちる。
「外だから落ちても気づかないんだよな」
「雨降ってたら汚れるし、中においてもいいんじゃないの」
「そうだな」
入り口のドアの内側にプレートをくっつける。
店が開いているのか否か少しわかりにくくはなるものの、うちに入る気があるのなら入り口のドアぐらい覗くだろうから特に問題はないだろう。
たぶん。
「じゃあクリケットでもするか」
「あー、野球に似てるあれよね。知ってる知ってる」
「……違う。ダーツのクリケットだ」
「ダーツ? ……そういえば『虎が如く』のミニゲームにあったかも」
この様子だとプレイしたことはないようだ。
「ダーツの大会はゼロワンとクリケットの組み合わせが多いらしいぞ」
「へー」
大会は第1試合ゼロワン→第2試合クリケット→第3試合ゼロワンの構成が多いようだ。
「で、どういうゲームなの?」
「簡単にいうと『陣取りゲーム』だ」
「1を刺したら1が自分の陣地になる、みたいな?」
「そんな感じだな。ただクリケットで狙うのは15・16・17・18・19・20とブルだけだ。これをクリケットナンバーと呼ぶらしい」
「他の数字に刺さったらペナルティ?」
「特にペナルティはない。陣地にできないだけだ。クリケットナンバーにシングルを3本刺せばオープン、その数字を自分のものにできる」
「トリプルなら1本でオープンできるってこと?」
「ああ。ちなみにブルはインナーブルが2本、アウターブルが1本とカウントされる」
つまりブルは他の数字と違って、トリプル1本でオープンすることは出来ない。
「そしてオープンした数字にダーツを刺して、そこでやっと得点が入る。加点することを『プッシュ』と呼ぶらしい」
「オープンしてからじゃないと点は入らないの?」
「そう言っただろ」
「私が言ってるのは、ダブル2回とかダブル→トリプルみたいに3を越えた場合よ。3を越えてもただのオープンで、次の1投からじゃないと点は入らないの?」
「あー、そういうことか。3を越えたらオープンと同時に点は入るぞ」
本数を損することはない。
「相手はオープンされた数字に3本刺せばそこをクローズできる。クローズされると、もうダーツを刺しても得点は入らない。15もしくは20ラウンド終了時に得点の多い方が勝ち、あるいは得点が勝っている状態で全ての数字をクローズしたら勝ちだ」
「オープンして加点しつつ、相手の数字をクローズしていくゲームなのね」
「そういうことだ」
どのくらい時間がかかるのかわからないので、先にスイーツを用意しておく。
「お金ないから安いのね」
「ならイギリストーストにするか」
「なにそれ」
「簡単にいうとシュガーサンドイッチ。日本だとトーストにマーガリンを塗って砂糖をまぶしたものが主流だな」
「……イギリスっぽくないわね」
「貧乏人の食うものだからな。高級なものになるとバナナが加わる」
「じゃあバナナはさんで」
「あいよ」
俺はマーガリンではなくバターにする。
飲み物はシナモンコーヒー。
シナモンをイギリストーストにまぶすのもオススメだ。
世界中に『貧乏人の○○』と呼ばれる料理はあるが、このタイプの料理はだいたいなにを食ってもうまい。
極限まで引き算されたシンプルな美味しさであり、なおかつ足し算しやすいからだ。
このチープな味がたまらない。
「さて……」
一服し、ルールも把握した所でクリケット開始。
「えいっ」
瑞穂が20を狙う。
同じオープンでもトリプルでの加点は20なら60、15では45。
これだけの差が出る。
だから大きな数字からオープンしていくのがセオリーだ。
トリプルでブルより得点が高くなるのは17~20だが、ブルはトリプル一発でオープンできない。
オープンするのに最低でも2本必要なわけで、そうなると得点機会が他の点数より1本少なくなる。
なのでブルを狙うのは最後になるだろう。
「俺の番だな」
瑞穂は20のシングルが2本で、オープンに失敗した。
ここで俺が20を狙っても意味がない。
なぜなら20をオープンしても、瑞穂はシングル1本でクローズできる。
狙うなら19。
理想はトリプルを決めて加点、最低でもシングル3本でオープンしておきたいものだが……。
「ちっ」
やはりそううまくはいかない。
瑞穂と同じくシングル2本でオープンに失敗した。
「20ゲットだぜー!」
「くそっ」
「じゃあ次は18!」
「は?」
シングル2本が18に突き刺さった。
「……なんで18なんだ?」
「え、これ陣取りゲームでしょ? 20取ったんだから、次は18じゃない」
「18をオープンしている間に20をクローズされたらどうするんだ? 仮に陣地を2つにしても、一度に投げられるのは1つだけなんだから意味ないだろ」
「あ」
「1ラウンド3投だから、初級者の俺たちはシングル3本でオープンするのが精一杯だ。加点するには最低でも4本必要で、最短でも2ラウンドかかると思ったほうがいい」
「あ、クローズはシングル3本でできるんだ!」
「そう、クローズは1ラウンドでできる。加点するよりもクローズするほうが簡単なんだよ。陣取りゲームって響きにダマされたな」
「うぅ……」
クリケットは厳密には陣取りゲームではない。
陣地を取って加点するゲームだ。
クローズされてないのに陣地を広げても意味がない。
そもそもクリケットは先攻有利に出来ている。
先攻は常に後攻よりも3本多く投げており、かつ相手よりも大きな数字をオープンしている可能性が高い。
必然的に後攻は追いかける展開が多くなる。
先攻は先にオープンし、加点してリードを保ち、充分な点差を広げたらクローズする。
先行逃げ切りだ。
新しい数字をオープンするのは、相手にクローズされてからでいい。
ただ安定してトリプルが刺さるのなら、陣地を増やすのも手かもしれない。
「これで俺の勝ちだな」
「ああっ!?」
18のオープンのために投げた2本で、20のシングルを2本決めて40点取っていたら全然違う展開になっていただろう。
その後も何回かプレイしてみたが、頭の回転の早さの分だけ俺が勝ち越した。
「……難しいわね」
状況に応じてオープン、クローズ、加点を使い分けないといけないので、闇雲に投げているだけでは勝てない。
「『1ラウンド3本のうち1本は外れる』と考えるのなら、加点に2本、クローズに1本使うみたいなやり方もある」
「それいいわね」
「あとは点差じゃなくてマーク差で考えるのがいいみたいだな」
「マーク?」
「シングルが1マーク、ダブルが2、トリプルが3。当然シングル2本なら2マークだ」
「それで何が変わるの?」
「トリプルなんてめったに当たらないから、俺たちが1ラウンドでマークできるのは3。つまり4マーク以上の差があれば、1ラウンドで逆転される可能性は低い。これなら他のナンバーを狙えるだろ」
「なるほど」
先攻は後攻より常に1点高いナンバーで加点している。
つまり1本刺せば、後攻は2マークしないと逆転できない。
3本刺すだけで自然と4マーク差になるわけだ。
……先攻が有利すぎる。
「問題は時間制限だ。今15ラウンド制でプレイしてるから、投げられるダーツは45本。オープンかクローズするのに平均4本必要として、7個のクリケットナンバーをすべてオープンかクローズするのに最低でも28本。加点に使えるのは17本だ。しかもそのうち5本ぐらい外れる」
「……思ってたより少ないわね」
「でも何回かプレイしてみた限りだと、毎回ラウンドリミットで終わってるんだよな。15ラウンド以内にゲームを終わらせたことがない。へたくそだから投げすぎてしまってるんだろうな。だから勝利条件の1つ『得点が上回っている状態で相手のナンバーをすべてクローズする』は意識しすぎないほうがいい」
「初級者同士だとラウンドリミットで終わる可能性のほうが高いから、クローズより加点しにいったほうがいいってこと?」
「そういうことだ」
ラウンドリミットだと、15ラウンド終了時に相手より得点の高いほうが勝ちなので、終盤ではクローズより加点したほうがいい。
あくまで俺たちがへたくそだからこうするのであって、たぶん上級者やプロの試合だと全く違うゲームになるだろう。
あとは別のクリケットナンバーに刺さった場合にどうするか。
初級者だと大きく狙いが逸れて別の数字に刺さることは稀によくある。
特に19は左右に16と17があるから、20・18、17・15よりも刺さる可能性は高い。
セオリーに従うなら、より得点の高くて開かれていない数字から狙っていくものだが、1マークを捨てるのはもったいない。
同じ高さにあり、なおかつ1マークでも早く加点に繋がるのなら、そちらを優先したほうがいいだろう。
「やった、19クローズ!」
「くそ、なら17だ!」
「え、18じゃないの?」
「こっちのほうが狙いやすい」
19と17はボードの下にあるので、19(下)→18(上)へ行くよりも19(下)→17(下)のほうが狙いやすい。
ダーツはなるべく同じ場所、同じエリアを狙うのが鉄則だ。
同じ場所を狙えば狙うほど命中率は上がっていく。
19→17を狙う利点はまだある。
「18クローズだ!」
「ああっ、当たんない!?」
俺が17を取ったことで瑞穂は18を取り、そしてそこをクローズすると、次は16(下)を狙わないといけない。
18(右上)→16(左下)はある意味、一番ターゲットの変化が激しいのだ。
どうしても命中率が下がってしまう。
集中力の問われる中盤から終盤にこれはきつい。
だから若干得点が下がることになっても、俺は19→17を選んだのだ。
上と下の違いはあれど、18と同じ縦のラインということで15を狙うか、ブルを狙ったほうがいいのかもしれない。
だが瑞穂にそんな頭が回るはずもなく、命中率の下がった16を狙い続ける。
「17クローズよ!」
「15も19・17と同じ高さだから狙いやすいなー」
「ぐぬぬ!」
19(下)→17(下)→15(下)は得点こそ低いものの、刺さりやすくて加点しやすい。
カウントアップやゼロワンなどの『対戦形式ではあるが、やっていることは個人競技』のゲームと違い、お互いに陣地を取り合うクリケットだからこそできる戦略だ。
「……1マーク足りない」
「よし!」
これがクリケットの面白さだ。
大会に採用されている理由もわかる。
ゼロワンが計算能力と正確さを問われる競技ならば、これは駆け引きと決断力を問われるゲームだ。
「やっぱり加点かオープンかクローズか、その見極めが難しいな」
「この店みたいにはいかないのね」
「どういう意味だ?」
瑞穂が無言で入り口に歩み寄り、開店になっていたサインプレートを引っ繰り返した。
「開店休業」




