手裏剣セット【べったら漬けと玄米茶】
「アタック!」
アリスが平家物語の那須与一よろしく、扇を的にして折紙の車手裏剣(十字手裏剣)を打っていた。
しかし手裏剣はなかなか当たらない。
「かみ!」
ジーザスと言いたいらしい。
横回転する手裏剣は右へ左へ曲がり、次々とカフェの壁に弾かれる。
「違う」
「ほわい?」
「手裏剣は縦回転で打て」
「うつ?」
「手裏剣は『投げる』じゃなくて『打つ』っていうんだよ」
「ぬ、もしやニンジャの末裔デスか?」
「家系を辿れば一人ぐらいいるかもな」
昔、漫画の真似をして練習したことがあるだけだ。
ちなみにトランプを投げてロウソクの火を消したり、壁に突き刺すこともできる。
「てー!」
アリスが帝国軍人のごとく、縦に手裏剣を打った。
「Hit!」
一発で見事に扇を沈めた。
まぐれにしては上出来だ。
「次は棒手裏剣だな」
「スティックタイプ?」
「ああ。たとえばこれだ」
使い古してやや曲がり始めた箸だ。
買い替え時だと思っていたから丁度いい。
「見てろ」
古畳を壁に立てかけ、距離を取る。
距離はおよそ二間(一間は約1.8メートル)。
「せいっ!」
ドッと鈍い音がして箸が突き刺さった。
「ふぁんたすてぃっく!」
スティックだけに。
「やってみろ」
もう一本の箸を渡す。
アリスは肘を支点にし、車のワイパー運動で手裏剣を『投げた』。
箸はくるくる回転して畳に弾かれる。
「ぬ、刺さりまセン」
「手裏剣はダーツと違って羽もないから、肘を支点にすると回転するぞ。回転させると棒手裏剣は通らない」
「トール?」
「手裏剣を刺すことを『通る』って言うんだよ。車手裏剣と違って棒手裏剣の切っ先は一点だけだ。漫画みたいに避わした棒手裏剣が後ろの壁に刺さったりしない。距離が変われば打ち方も変わる」
言葉だけではわかりにくいので動きも交える。
「棒手裏剣は縦に持て。そこから四分の一だけ回転させて通す。肘は上下に動かせ」
「こーデス?」
「そうだ、肘を回せ。肘を支点にすると手裏剣は回転するが、肘を回転させれば手裏剣は回転しない。肘を理想的に回転させるには二の腕や肩、肩甲骨も重要だ。腕を綺麗に回転させるには腰や膝も連動させないといけない。ようするになんで手裏剣は『打つ』なのかというと、手裏剣を打つ動作は武器で打つ動作と本質的に同じだからだ」
「ふむふむ?」
「……」
明らかに俺の説明を理解していない。
動きを交えたのは正解だった。
アリスが俺の動きを正確にトレースする。
耳では理解できなくても、目と体では理解できているようだ。
こういうセンスだけはいい。
「長距離はとーりまセンね」
「確かに距離が長くなるほど四分の一回転、いわゆる直打法で通すのは難しくなる。そういう時は棒手裏剣の持ち方を変えて半回転打法だ」
五間(約9メートル)の距離を取る。
半回転打法で棒手裏剣を打つ。
「せいっ!」
「ぶらぼー!」
綺麗に通って自分でも驚いた。
「まあ、この距離なら直打法で通すのが本当だ。一般的に棒手裏剣というと二間か三間の距離で修行する人が多いけどな。三間ならギリギリ槍の間合いだ。一瞬で詰められる距離から打っても意味がない。敵の間合いの外から打つから飛び道具なんだ。棒手裏剣を極めたいなら五間の距離を直打法で通せるようにしろ」
「さー、いえっさー!」
それから数日後。
「たのもー!」
「……見るからに暑苦しいな」
「ニンジャと言えばマフラーなのデス!」
この暑いのに、今やすっかり忍者ファッションの一つとして定着した長いマフラーを首に巻きつけて胸を張る。
珍しく髪を結っているのだが、そのかんざしが明らかに棒手裏剣として打てるものだった。
バッグにジャラジャラ垂らしているアクセサリ類もまた手裏剣。
いつもよりスカートも長い。
普段はミニスカートでスパッツが膝の上まで伸びているのだが。
「……スカートの下になにを仕込んでる?」
「ふふーん」
アリスが自慢げにちらっとスカートをめくる。
女スパイが銃のホルスターを太ももに巻くように、手裏剣ホルダーを巻いていた。
三本の棒手裏剣を指に挟んで抜く。
よく見ると冷麺を食べる時に使う金属製の箸だった。
「これでアリスもニンジャマスターでーす!」
「よかったな」
忍者がそんなに手裏剣持ち歩くわけないだろと思ったが、夢を壊すのはやめておこう。
そもそも当時の金属は今よりも高価で、加工にも手間と金がかかる。
おまけに金属製だから重いし、手裏剣は飛び道具だから一発限りの消耗品。
安易に打ったら身を守る武器もなくなってしまう。
だから掌剣術といって、手裏剣で敵と戦う技術も確立されている。
忍者だからといって手裏剣は気軽に打てるものではないのだ。
手裏剣のルーツは印字打ち、いわゆる投石である。
投石術が発展して、手の裏(内側)のものはなんでも剣にする手裏剣術が誕生した。
打てるものは何でも打つ、つまり無駄な武器は持ち歩かずに現地調達するのが真の忍者である。
辛子や塩、胡椒のような調味料だって、袋などに入れて打てば立派な目潰しになる。
「手裏剣用に店は改装してある」
「ぐっじょぶ」
的はやはり古畳だが、ダーツのように得点計算できるようになっている。
距離は二間・三間・五間。
近いほど通った時のポイントは低い。
手裏剣も本格的なものをいくつか入荷した。
特徴的な形が多く、手裏剣の尾を飾る房が美しい。
職人芸だ。
ただ使い回しなので曲がっていたり、尖端が欠けているものも多い。
儲けが少ないので刀工も大量生産はしてくれないのだ。
打つ分には問題ない。
箸でも通るのだから破壊力は充分だ。
「打つ前になんか食うか?」
「べったらをぷりーず」
「……漬物かよ」
べとべとするのでべったらだ。
タクアンより太く切るのでボリュームがあり、大根だから歯ごたえもいい。
「シブミが欲しいデス」
「あいよ」
甘い漬物なら渋みのあるお茶だ。
べったら漬けは米麹の香りがするので玄米茶がいいだろう。
熱めのお湯で淹れればさらに香りと渋みが出る。
「ていすてぃ」
お気に召したらしい。
とりあえず腹ごしらえを済ませたので、打ちたい手裏剣を物色する。
「根岸流の蹄に畳針、簪、風魔手裏剣に卍手裏剣、銭形平次の寛永通宝、包丁。何でもあるぞ」
「うー、迷いマス」
「くノ一なら苦無だろ」
「苦しゅう無い!」
そのボケは百万回ぐらい聞いた。
苦無は突き刺して壁を登ったり、スコップに使ったり、サバイバルナイフのように多目的で使える平らな手裏剣だ。
剣尾にはヒモを通せる穴も開いているので、テントのペグとしても使えるだろう。
フィクションではくノ一がよく逆手持ちで戦っている。
アリスが苦無を取って構えた。
「てー!」
鈍い音がした。
力みすぎたせいか苦無がすっぽ抜け、高い天井にクレーターを作っている。
パラパラと破片が降ってきた。
……手裏剣のルーツは投石。
つまり通らなくても石や金属の塊をぶつければ敵は倒せるということだ。
「弁償な」
「のー!?」
ただし借金だけはどう頑張っても倒せない。




