推理ゲームセット【コショウのタルトとインドネシア】
カフェに入ると瑞穂が死んでいた。
カウンターの床に横たわり、血が飛び散っている。
明らかにケチャップだが。
「……なにしてる?」
「推理ゲームよ」
「探偵ごっこか」
「推理ゲーム!」
どっちでもいい。
「世の中には『探偵カフェ』というのがあるそうですよ?」
「探偵カフェ?」
「特殊メイクで変装の体験したり、盗聴器探したり、小型カメラで撮影したり、推理ゲームするんだって」
「それで探偵ごっこか……」
「推理ゲーム!」
「はいはい、推理ゲームな」
メイドカフェや執事カフェのみならず探偵カフェとは。
もう何でもアリだな。
心なしか瑞穂の血色が悪く感じるのも、死体のメイクをしているからかもしれない。
「では始めましょう。制限時間は15分です」
先生が時計をセットする。
「ミッションスタート!」
アリスの言葉を合図に、時計が回り始めた。
とりあえずカウンターを中心に店を見回す。
瑞穂の周りには(こいつはいつまで死んだふりをするつもりなのか)遺留品が散らばっていた。
ペン、ティッシュ、ガム、ハサミ、マスク、ハンカチ、トランプetc
かなり数が多い。
瑞穂の右手の人差し指がケチャップで赤く染まっているが、犯人に消されたのかダイイングメッセージは見つからなかった。
「死因は?」
「硬いもので撲殺」
凶器も見当たらない。
レジは開いており、1984と表示されている。
レジが開いていて、金額が表示されているということは会計の途中だったということ。
そしてカウンターにある伝票は2つ。
その合計が1984だ。
2人の客がいて、会計を1つにまとめたらしい。
会計中に襲われたということは、犯人は会計してた奴か?
「レジの金は盗まれてるか?」
「盗まれてないわよ」
「……本当か? なんか妙だぞ、このレジ」
ドロアー(現金を管理する引き出し)に違和感を感じる。
なにかがおかしい。
「ん?」
よく見ると5円と50円だけ80枚を越えている。
うちのレジは各列ごとに100枚入る。
小銭が切れそうになったら『棒金』という、硬貨を50枚1組にまとめて包装したもので補給するのだが、他の列は20から30枚しかない。
つまり5円と50円も他と同じく30枚残ってたわけで、本来ならまだ補給するタイミングではないのに、なぜか補給されているのだ。
「金が減ってるどころか増えてんのか」
しかも補給されている硬貨がおかしい。
よく使われる硬貨といえば1・10・100だ。
この3つは一度の会計で最大4枚使うことがある。
だが5・50・500が一度の会計で1枚以上使われることは(他の硬貨が足りないという例外を除いて)絶対にない。
つまり念のために小銭を補給しておくことがあっても、5円と50円だけを補給するなんてことはありえない。
だが、この事実から何かを推理するには材料が足りない。
忘れないようにホワイトボードへメモしておこう。
「なんか食いながら考えるか」
「私コショウのタルトね!」
「アリス・イン・ワンダーランド!」
不思議の国のアリスの11章『誰がタルトを盗んだか』だ。
ハートの女王のタルトがハートのジャックによって盗まれたらしく、その裁判が行われる章である。
ただ何のタルトかよくわからない。
タルトは何でできているのか聞かれた料理人が『タルトはだいたいコショウでできてる』と答えるものの、そのすぐあとにヤマネが『シロップ(原文ではトライクル)だ』とつぶやき、女王に首を刎ねられそうになっている(『首を刎ねよ』が女王の口癖なのだ)。
「とりあえずスパイスを効かせたタルトとシロップのタルトを作ってみるか」
「やった!」
複数の小さなタルトを焼き上げる。
タルトは語源からしてラテン語の焼き菓子だ。
焼き菓子なら玄米茶、アッサム、ディンブラ、ウバ、ケニア、ラプサンスーチョンあたりだろう。
フルーツならハワイコナやモカ、スパイシーなタルトならインドネシアのコーヒーもいい。
タルトの上になにをのせるかで飲むお茶は変わってくる。
ちょっとしたタルトパーティーだ。
「甘いのもいいけど、しょっぱいのもいいわね」
「だろ?」
交互に食べると深みが増し、手が止まらなくなる。
「さて、続きだ。……死亡推定時刻は?」
「正午」
「アリバイは?」
「マスターは地方で業者と交渉、先生とアリスは12時に別の場所で目撃されてるわね」
「2人は店に来てないのか?」
「来てますよ? ただし12時にではなく、11時から11時半にですが」
「この伝票は誰のだ?」
「調べてみマスか?」
「調べるってどうやって?」
「指紋」
「は?」
「探偵カフェでは指紋採取体験もできるのよ」
意外に本格的だ。
「粉末をかけてポンポンするやつだな」
「ガラスならそれで取れますが、紙なのでヨウ素液ですね」
「ヨウ素液? そんなのうちにあったか?」
「大丈夫よ、うがい薬で代用できるから。それを空き缶に入れて」
「こうか?」
「ではホットプレートで温めマショー」
指紋採取とは思えない。
「蒸気が立ち昇ってきたら紙をそれに当てるの。ヨウ素には軽い毒性があるから吸い込まないようにね」
「そういうことは先に言え!」
念のためマスクをしてうがい薬を温める。
「お、浮き出てきた」
「じゃあ、その指紋を他の指紋と照合してみて」
照合した結果、カウンターの伝票はアリスと先生のものだと判明した。
ついでに瑞穂の指紋もついている。
「ん? 11時半には店出てるのに、なんで12時に会計されてるんだよ? 2人いたからには金が足りないなんてことはないだろ? しかも12時には別の場所にいた」
「それを推理するゲームなのよ」
「……アリバイトリックか。とりあえず11時半に店を出る時はどうしたんだ?」
「黙秘権を行使します」
「は?」
「思う所があって、この件では一切発言しません」
「アリス」
「黙秘」
「くそ」
「聞くことができるのは目撃者の証言だけよ」
「じゃあ11時から11時半の様子は?」
「普通にランチを注文して、私と一緒にゲームをしてたみたいね」
「なにか変ったことは?」
「普段通りのランチタイムだったようです」
「ゲームに勝ったのはどっちだ?」
「アリスたちが勝ちマシた」
「瑞穂の一人負けか。……ん? じゃあ、そもそも11時半には会計してないのか?」
「賭けに勝てば一食無料なんだから、そういうことになるわね」
「そういえば前と後ろ、どっちから殴られたんだ?」
「バックアタック!」
「つまりカウンター越しに殴られたわけじゃない、と。……レジの前には誰もいなかった? 瑞穂は12時に2人の伝票をまとめて、自腹を切って1984円払ったのか!」
「いい推理ね」
ただ5円と50円の謎が残っている。
5円と50円の共通点といえば、真ん中の穴か?
硬貨に穴が開いているのはヒモを通して持ち運びやすくし、まとめて使いやすくするためだといわれているが、それは俗説である。
昔は技術が未熟なので綺麗な円形に成形できず、やすり掛けをしていた。
まとめて数枚の硬貨をやすり掛けできるように、真ん中に四角い棒(古銭の穴が四角いのはそのため)を通して硬貨を固定していたのである。
穴が開いていたからヒモを通したのであって、ヒモを通すために穴を開けていたわけではない。
現代の穴はもっぱら費用節約のためだが、古銭のようにヒモを通すことはある。
「……凶器は見つかってない。もしかして硬貨にヒモを通して、それで殴り殺したのか? 一枚一枚は小さくても銅貨だ。金属の板を100枚集めて振り回せば、それなりの殺傷能力がある。しかも血を拭ってドロアーに置けば、簡単に凶器を隠ぺいできる。まさか警察も硬貨で殴り殺したとは思わないだろうしな」
「……なかなかやるじゃない」
瑞穂が悔しそうに唇を噛む。
しかし犯人特定には至らない。
小銭なら誰でも手に入れられるからだ。
「遺留品を調べるしかないのか」
ただ遺留品の数が多すぎる。
1つ1つ推理しながら調べていたら時間が足りない。
捜査のかく乱というより、むしろ時間切れを狙って遺留品をバラまいたのだろう。
3億円事件のようなものだ。
あの事件でも大量の遺留品があったのですぐに犯人を特定できるだろうとたかをくくっていたが、逆に多すぎて初動捜査が遅れ、しかも遺留品のほとんどが大量生産された品物で個人を特定するのは困難だったという。
時間制限があるということは、制限時間内に犯人を特定しないと初動が遅れて犯人が高跳びしてしまうということだろう。
おそらく本物の証拠は1つだけ。
不自然なものはどれだ?
目につくのはトランプ。
ケースに入っていたものが落ちて散らばったにしては、拡散の仕方がおかしい。
これはダイイングメッセージかもしれない。
トランプを拾い集めてみると、
「やっぱりな」
トランプの横側に血で何かが記されていた。
トランプを並べかえればダイイングメッセージが浮かび上がるはずだ。
問題は正しい並べ方だ。
瀕死の瑞穂が特殊な順番に並べてから横にメッセージを書いたとは考えにくい。
すると考えられる順番は一つ。
新品のトランプの並びだ。
スート別に1から13まで規則正しく並べ変えればいい。
「OS?」
浮かび上がったのはその2文字。
その意味するところは……
「はい、時間切れー」
カシャン
「は?」
瑞穂が俺の手首におもちゃの手錠をかける。
「OSは大城普吉。あんたよ」
「ちょっと待て!?」
「なによ?」
「俺のことなんて何も言ってなかっただろ!」
「聞かれまセンでシタ」
「な」
「そもそも自分の店が舞台で、被害者は私、容疑者はあの2人なのよ。あんたが無関係の方がおかしいじゃない」
「……2人が黙秘してたのは俺をかばってたからか」
「そういうことです」
「動機は?」
「私が勝手に賭けをした上に、帳簿をごまかそうとしてたから」
「客にカモにされると赤字になるから、俺や親父がいない時に賭けるなとは言ってあるが……。たかが1984円だぞ?」
「じゃあ、もし私が実際にこれと同じことをやってたとして。それ一回だけだと思う?」
「……思わないだろうな」
積もり積もって殺害に及んだ、ということか。
怒られた瑞穂が嫌々ながら会計してた所を撲殺したから、このよくわからないシチュエーションが出来てしまったわけだ。
「ふふふ。どう、探偵が犯人なんて想像もしてなかったでしょ!」
「まあ、想像はしてなかったが……。『ノックスの十戒』って知ってるか?」
「なにそれ」
「後で調べてみろ」
『変装して登場人物をだます場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない』
それがロナルド・ノックスの提唱した、推理小説の最も基本的なルールの1つである。
探偵自身が犯人としての自覚がない推理ゲームなんて前代未聞だろう。




