バックギャモンセット【アフタヌーンティー】
「オカエリナサイマセ、ゴシュジンサマ」
「……その挨拶はやめろ」
帰宅するとアリスが珍しくシフトに入っていた。
しかも客がいないのに忙しく動き回っている。
「なにしてる?」
「サンドイッチにクッキー、それとしゅこーんですヨー」
「スコーンな」
これに紅茶を加えればアフタヌーンティーのセットになる。
アリスがオーブンにスコーンとクッキーを投入し、額の汗を拭く。
一区切りついたらしい。
「というわけでバックギャモンをしまショー」
「お、おう……」
なにが『というわけ』なのかはわからないが、バックギャモンとは『盤すごろく』のことだ。
すごろくの歴史は古い。
『持統三年十二月丙辰、禁断雙六』
『持統天皇の時代にすごろくが禁止された』と日本書紀にも書いてある。
日本でも昔は将棋・囲碁・盤すごろくのことを『三盤』と呼んでいたのだが、絵すごろく(現代人がすごろくと聞いてイメージするもの)に人気を奪われ、盤すごろくの存在はほぼ忘れられてしまった。
「アフタヌーンティーだから敗けたら高くつくぞ?」
「かまいまセン」
「じゃあやるか」
「ではセッティングを」
アリスが岡持ちを運んできた。
ケーキスタンドの代わりらしい。
どういうセンスだ。
「……本当にキュウリだけなんだな」
サンドイッチをつまむ。
薄く切ったパンにバターを塗り、キュウリだけを挟んだキューカンバーサンドイッチだ。
「サンドイッチはパンよりもキュウリが美味しいのデス。挟まれたらいい味出しますヨ?」
調理法がシンプルなだけに一つ間違うと大変なことになりそうだ。
とりあえず一口。
「……なんだこれ?」
コリッという歯ごたえを感じたかと思うと、メロンのような香りが広がった。
『キュウリに蜂蜜をかけるとメロンのような味がする』という都市伝説を思い出す。
これを食べればその理由がよくわかる。
質のいいキュウリはもとからメロンの香りがするのだ。
蜂蜜など必要ない。
……これが本場の味か。
英国貴族おそるべし。
「デハ始めまショー」
「ボードを直に見るのは初めてだな」
6マスごとに区切られた全24マスのボード。
マス目が縦長の三角形で表現されていることもあり、すごろくという感じはしない。
「駒は15枚ずつ。スターティングポジションはこーデス」
アリスが白黒30枚の駒を並べる。
←○白の進行方向
←●黒(赤)の進行方向
この並びの意味はわからないが、戦術的・戦略的に最も面白くなる配置なのだろう。
アリスの説明だけでは不安なので、ボードに付属している説明書を読む。
「黒のお前は1・2・3とカウントアップ、白の俺は24・23・22とカウントダウンで進むんだな。ボードの右側が『インナーボード』で、まずここに全ての駒を集める。それを『ベアイン』と呼ぶ」
○
○
○○ ○
○○ ○○
○○ ○○○
654321
ベアインの例 とにかくインナーボードに自分の駒15枚を全て進めればOK
「それから『ベアリングオフ』? なんか面倒だな」
「ジャパニーズスタイルではベアインがゴールですヨ?」
「あー、時代や地域によってルールが違うのか。じゃあ今日は日本式でいこう。俺はボードの右下、つまり1から6マスまでがゴール。お前は右上の19から24マスまでに全部駒を集めれば勝ち。ベアリングオフとかいうのはなしだ」
「いえっさー。では二人でダイスを振りまショー」
お互いにサイコロを1つ振る。
「アーレア・ヤクタ・エスト!」
ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の名言『賽は投げられた』だ。
カエサルはバックギャモンが好きだったらしい。
ころころ
6と3
「オープニングムーブ」
出目の大きいアリスが先手になった。
この先手を決めるサイコロが、先手が初手で使うサイコロになるらしく、6と3で駒を動かす。
「こーやって好きなピースをムービングできマスが、黒のアリスは6・8・13・24のよーに相手のピースが2枚いじょーある『ブロックポイント』にはストップできまセン」
「止まれないだけで飛び越えることは出来るんだよな?」
「イエス」
今度は俺がサイコロを2つ振る。
「ここにお前の駒が一つあるが、止まれるのか?」
「それは『ブロット』なので『ヒット』しまショー。ヒットされたピースはセンターの『バー』、0ポイントへ行きマス」
ボードの真ん中の部分をバーと呼ぶらしく、そこへヒットされた駒を置くらしい。
例 ○の手番でサイコロの目が2と4の場合
● B
○ ● ● A
111987R654321
210
○の進行方向→
8マスは●が2つあるブロックポイントなので、12マスにいる○は最初に4の目を使って進むことは出来ない
12マスにいる○は2の目を使って10の●(ブロット)をヒットしてBARに飛ばせる
その後、4の目を使って6マスまで進むことができる
●←○にヒットされた10マスの駒
● B
● A○
111987R654321
210
アリスが俺にヒットされた駒をバーに置き、サイコロを振る。
「ヒットされたピースをボードへリターン、これが『エンター』。でもアリスのダイスは二つともブロックポイントなので、バーのピースはエンターできまセン。エンターしないと他のピースをムービングできないのでパスになりマス。これが『ダンス』」
「……日本語で頼む」
覚えるだけで一苦労だ。
説明書片手にルールを確認する。
ようするにヒットされた駒は『振り出しに戻る』。
振り出し=真ん中のバーからボードに戻れないと『一回休み(ダンス)』。
振り出しにある駒をボードに戻さないと、他の駒は動かせない。
そういうことだ。
例 ●の手番でヒットされた駒をエンターしたい場合
●←ヒットされた駒
B○ ○ ○
A○ ○ ○
R654321
←●の進行方向
1・4・6マスに○のブロックポイントがあるため、●はサイコロで1・4・6の目を出すとBARからボードに戻ることが出来ず、一回休み(ダンス)になる
「俺のターンだな」
ころころ
6のゾロ目だ。
「よし!」
「レピュニットはバイになりマス」
「れぴゅ? ああ、ゾロ目のことか。2倍ってことは、6の目を4回動かせるってことか?」
「イエス」
「よっしゃ!」
「ジャパニーズスタイルにこのルールはありまセンが」
「それを先に言え!」
「アリスはアリでも構いまセンよ?」
「じゃあゾロ目2倍な」
一気に4枚の駒を進ませる。
信じられないほどうまく進んでいた。
……まあ、アリスが手加減しているのだろうが。
「まだ盤すごろくにないルールはあるのか?」
「ダブリングキューブですネ」
「ダブり?」
「賭金をバイバイにするキューブなのデス」
2・4・8・16・32・64の目が書かれたサイコロを取り出した。
「64倍とかなに考えてんだ」
「ダイスではなくキューブなので振りませんヨ? 二倍からバイバイになっていきマス」
「数字はいま何倍なのかを現わしてるのか。つうかバックギャモンの大会では何が倍になるんだ? 金賭けてるわけじゃないだろ?」
「ポイントですネ。ゲームに勝てば1ポイントなので、ダブルで勝てば2ポイント。トーナメントはポイントマッチです」
「既定のポイントが溜まるまでゲームを続けるってことか。ダブリングキューブもありにしておこう。3ポイントマッチだ」
「OK」
ゲーム再開。
ビギナーズラックで運はこちらに向いていた。
ゾロ目が続く。
現状でかなりレースで先行している。
連続でヒットでもされないかぎりこちらの勝ちだ。
キューブの出番だろう。
「ダブルだ!」
「パス」
「は?」
「ここでゲームセット。アユ太は1ポイントです」
「……しまった。そうだよな、こっちが一方的に有利な状況で賭け金が倍になるわけがない。2ポイント取られるぐらいなら勝負を降りて1ポイント譲るわけか。必勝態勢になってからダブルしても遅いわけだ」
「イエス。ごりよーは計画的に」
「だが1ポイントは取ったぞ」
「しょーぶはこれからデス」
チン
にわかに盛り上がってきたところで、スコーンと焼き菓子が焼き上がる。
「ちゃんと口が開いてるな」
『狼の口』だ。
膨らんだスコーンが赤ずきんちゃんの狼のごとく横に裂けている。
一見失敗作ではないかと心配になるものの、実は狼の口が開いていないと美味しくないのだ。
狼の口なのに美味しく食べられるために裂けているという皮肉。
「ぬりぬり」
まずはバターを塗り、ジャムをのせ、その上にクロテッドクリームを盛る。
狼のごとく大口を開けてスコーンを頬張ると、冷たいクリームとジャムが混ざりあい、スコーンの味を引き立てた。
スコーンは甘さ控えめ。
クロテッドクリームとジャムをつけるのが前提に作られているからだ。
クロテッドクリームも生クリームのような甘さはない。
スコーンで紅茶をたしなむことを『クリームティー』と呼び、クロテッドクリームはスコーンと紅茶をクリーミーに楽しむものでもある。
ジャムは基本のベリー系を始めとして、スイカ糖や柚子練りなど、日本的なものも用意されていた。
スコーンを食べた後は紅茶をいただく。
「アッサムをぷりーず」
「あいよ」
ここは当然ミルクティー。
ウバ、キャンディあたりもオススメだ。
気取って上品に飲んではいけない。
スコーンでパサついた口にはたっぷりの紅茶が必要なのだ。
そして最後にゴマクッキー。
かなり味が濃い。
アフタヌーンティーは寿司のように味の薄いものから食べる。
つまりサンドイッチ、スコーン、焼き菓子の順番だ。
締めにはちょうどいい。
『アーレア・ヤクタ・エスト!』
クッキーをつまみながら、2ゲーム目を開始する。
今度は先手後手が逆になるものの、いい出目が続いたのでガンガン攻めていった。
「ダブル!」
「テイク」
乗ってきた。
これで勝てば3ポイントで俺の勝ち。
負けてもアリスは2ポイントだから次がある。
悪い賭けじゃない。
……はずだったのだが、
「リダブル!」
「は?」
「バイバイですヨ?」
「4倍か!?」
負けたら4ポイントで即死、降りても2ポイント奪われる。
状況はたぶん俺の方が有利。
このままゲームを進めても勝ち目は薄いと見て、リダブルで俺を勝負から降ろそうとしているのだろう。
これがダブリングキューブの駆け引きか。
「テイクだ!」
流れに乗ってこのまま勝ちきるのがベスト。
そう判断したのだが……。
「byeーbyeゲーム!」
「……誰が上手いこと言えと」
やはりビギナーズラックも長くは続かなかった。




