将棋ソフトセット【ガトーショコラとマンデリン】
「ハムスター強すぎ」
「……お前が弱いんだよ」
「あー、もうダメ!」
瑞穂がかんしゃくを起こしてハムスターならぬマウスを放り出した。
遊んでいたのはブラウザで遊べる将棋ゲーム。
マスコットキャラこそハムスターで可愛く見えるものの、見た目によらずそこそこ棋力があり、現代将棋において初級者が乗り越えるべき最初の壁だと言われている。
あまり指さない戦型の練習とはいえ、ハムスターに負けているようでは話にならない。
「手本を見せてやる」
最初からプレイしなおし、軽くハムスターをいじめてみる。
やはり弱い。
あっという間に俺の勝ち筋になる。
「もうすぐ詰みそうね」
「ああ」
勝負を決めるべく持ち駒を打って敵陣をえぐる。
すると、
パチン
「ん?」
「……なに、この手?」
「時間稼ぎの一手だな」
「時間は稼げるかもしれないけど、逆に状況悪くなってない?」
「いわゆる『水平線効果』だな」
「なにそれ?」
「たとえば3手読めるソフトがあったとする。で、なにもしなければ3手で詰む状況ができた。そこでソフトは時間稼ぎをする。そして詰むのが5手先に延びた。するとどうなると思う?」
「どうにもならないでしょ」
「ソフトはそう思わない。なぜならソフトは3手先しか読めないからだ。問題を水平線の向こう、つまり自分の読めないレベルにまで先延ばしすることにより、その問題をなかったことにしようとするんだよ」
「先延ばしにしたって、いつかはその一手を指されるってわからないの?」
「ソフトにはわからないんだな。人間ならたとえ3手しか読めなくても『これはただの時間稼ぎで、致命手はいつか必ず指されてしまう』と判断して、状況を打開しようとするんだが。ソフトは問題を延々と先延ばしにし続けて状況を悪化させる。時間稼ぎで問題が解決すると本気で思ってるんだよ」
「へー」
当然、俺のような有段者相手にそんな理屈は通じない。
水平線の向こうから主砲を撃ってハムスターを木端微塵にする。
「まあ、ざっとこんなもんだ」
「じゃあ、これに勝てる?」
「なんだ?」
「最近話題になってるんだって」
瑞穂がネットで別の将棋ゲームを立ち上げた。
『ASHIKAGA』
なぜか足利将軍をマスコットにした将棋ゲームらしい。
ハムスターと違って劇画タッチだ。
無駄に格好いい。
製作者によると「操り人形なのにちっとも自分の思い通りに動いてくれない。それどころか主の自分に牙を剥く」ところが戦国時代の足利将軍を髣髴とさせるのでそう名付けたという。
将棋ソフトにしてはユニークなネーミングだ。
「歯ごたえがありそうだな」
ゲーム画面も凝っていた。
画面に表示される数字は形勢判断らしい。
ASHIKAGAは様々なパラメータを参考に将棋を指しており、形勢判断はその総合値のようだ。
数値がプラスならASHIKAGAが優勢で、マイナスならプレイヤーが優勢。
もしたった一手で数値が大きく変動したとしたら、それは悪手を指した時か、あるいは『神の一手』を指した時だろう。
ここに注目していれば、将棋のわからない初心者でも楽しめるかもしれない。
「俺が勝ったら金払えよ」
「ええー」
「お前が対局するより勝率は高いはずだぞ」
「じゃあガトーショコラね!」
他力本願なやつだ。
「ガトーショコラならコーヒーだな」
豆はマンデリン。
焙煎具合はフレンチローストがいい。
適度な苦みとコクが出る。
カフェオレにすれば最高だ。
「じゃあお願いします、と」
ガトーショコラを食いながらターンっとキーを押し、ゲームをスタート。
ランダムで振り駒が行われた結果、先手は俺になった。
初手7六歩。
セオリー通り角道を開けた。
対するASHIKAGAはというと、
6二玉。
『は?』
俺と瑞穂の声が重なる。
形勢判断の数値が-256になった。
マイナスだから俺が優勢だということだ。
俺が先手なのだから、先に指している分、優勢になっても不思議はないのだが……。
こんな数値はありえない。
「え、意味わかんないんだけど」
「……俺だってわからん。なんだ、この一手は。いや、待てよ? この形、なんかで見たことあるぞ……」
脳みそをフル回転させて記憶を引っ張り出す。
どこだ、どこで見た?
これは将棋ソフトだ。
ならそれに関連する対局だろう。
ソフト対ソフトではありえない展開のはず。
すると人間対ソフトだ。
こんな印象的な対局、話題にならないわけがない。
ピンときた。
「米長玉か!」
「よねなが?」
「……間違いない、新米長玉だ。将棋ソフトとの対局で将棋協会の会長が指した一手だよ。ソフトには古今東西あらゆるデータが蓄積されているわけだが、その中でも後手6二玉なんてのはまず存在しない。つまり会長は何千万というデータベースをたった一手で破壊したわけだ」
ソフトが最大のポテンシャルを発揮するのはデータの多い定跡での対局。
だったらそれを外せばいいという戦略だ。
理屈としてはわかっていても、なかなか指せる一手ではない。
「でも破壊したのは人間の脳じゃなくてソフトのデータベースなんでしょ? なんでソフトのASHIKAGAがこんな手を指すのよ?」
「ASHIKAGAじゃない。常にプラスを志向するソフトが、初手からマイナスになる手なんて指せるわけがない。『指さない』じゃないぞ、『指せない』んだ。ソフトの思考ルーチンってのはそういう風にできてる」
「でも指してるじゃない」
「よく『人間対コンピュータ』っていう図式で将棋ソフトとの対局をとらえがちだけどな、ソフトには必ずそれを設計してプログラミングした人間がいる。これはそいつが指示した一手だ。……たぶんハンデだろうな」
これなら話題になっていた理由がわかる。
『これぐらいのハンデがないと君たちが勝つのは不可能だ』
暗にそう言っている。
とてつもなく製作者の自己主張が激しいソフトだ。
この手の将棋ソフトは聞いたことがない。
ソフトが製作者の意のままに動かないのも納得。
むしろ製作者の方がおかしいのだ。
おそらくこの一手からして、意のままに操れないソフトを強引に操るための一手だ。
俺が主人だとソフトに誇示している。
ソフトにはそんなこと理解できないというのに。
「……あんまり調子に乗るなよ、この野郎」
ただでさえ一手遅れる後手で、飛車を横に振ることも出来なくなるマイナスの一手。
新米長玉は相手が将棋ソフトだからこそ成立する。
人間相手にそんな手を指したことを後悔させてやろう。
相手に体勢を立て直す暇を与えず、一気にひねり潰しにいく。
序盤から激しい殴り合いになった。
「ん?」
ASHIKAGAが俺から奪った駒を自陣に打っていく。
「なんだ、こいつ?」
どんどん駒が増えていく。
いや、俺も相手の駒を取っているから差はないのだが。
なにかおかしい。
「大山名人の指し回しに似てるな」
駒は盤上に存在するだけで働いてる。
大山名人は『意味のない持ち駒打ち』に意味を持たせるのが非常に上手かった。
当初は無防備に近かった玉が、持ち駒を打つことによって鉄壁の守りになっている。
俺が攻める前よりも守りが堅い。
なにもなかった場所に急造の城を作り上げたのだ。
いわゆる『大山建設』。
普通、玉を守る『囲い』は盤上に存在する駒を『指して』組み上げる。
相手に攻められながら、持ち駒を『打って』囲いを作るのは至難の業だ。
ソフトのレベルの高さがうかがえる。
ただ、この指し方は製作者の棋風に合っていない。
おそらくソフトが自分で考えて組み上げた戦い方だろう。
「……なるほど、永禄の変だな。足利と名付けるわけだ」
「えいろく?」
「松永久秀は13代将軍・義輝を操り人形にしようとして失敗してな。自分の命令を聞かない将軍はいらんと義輝を襲撃したんだよ。それが永禄の変だ。剣豪将軍と呼ばれていた義輝は屋敷に立てこもり、古今の名刀を畳に刺して、刀をとっかえひっかえしながら暗殺者たちを斬り捨てたらしい」
「へー」
どんな名刀も数人斬れば血と脂で切れ味が鈍るし、肉に食い込めば簡単には抜けない。
だから義輝はあらかじめ古今の名刀を畳に刺しておいたのだ。
名刀を持ち駒に置き換えれば大山建設になる。
足利というネーミングにも納得だ。
「くそ!」
流れを変えようと序盤に交換した角を敵陣に打つ。
「さあ、どう受ける?」
だがASHIKAGAは俺の予想を超えていた。
逆にこっちへ攻めこんでくる。
「角を無視した!?」
守らなくても受けきれると判断したのか?
自分が崩されるよりも早く、俺を詰ませられるという読みか?
やはり人間とは感覚が違う。
指し手が進む。
タン・タン・タンとASHIKAGAがテンポよく指してくる。
早い。
持ち時間を使わず、ノータイムで指してくる。
形勢判断がどんどんプラスになっていった。
「これ、やばいんじゃないの?」
「……大丈夫だ」
口ではそう言ったものの、たしかにこれはやばい。
将棋ソフトの必勝パターンだ。
指し手が限定される終盤の強さは人間を圧倒する。
ソフトがノータイムで指すのは、詰みまで読み切っている証拠。
ただ指し手が限定されるといっても、全てを読めるわけじゃない。
逃げられる可能性はある。
万に一つの可能性ではあるが、これに賭けるしかない。
水平線効果のごとく時間を稼ぐ。
そして間接的にこちらの玉をにらんでいた角を、あえて呼びこむ形を作った。
「え、なにやってんの?」
「大丈夫だ、詰まない」
ASHIKAGAの手が止まった。
+だった形勢判断の数値が、一転して0になる。
「は、なんで?」
「時間稼ぎで俺の玉を詰ませる手順が変わった。このまま進めばASHIKAGAの持ち駒は歩だけになる。歩を打って玉を詰ませるのは『打ち歩詰め』の反則だ。だから詰まない」
「打ち歩詰めが読めなかったの?」
「初歩的なプログラミングミスだ。いや、ミスというか、入力するのを忘れてたってとこだな。普通、歩や飛車、角が敵陣に進んだら成るだろ?」
「そりゃ成るでしょ。銀・桂・香と違って損することないんだから」
「そうだな。銀・桂・香は駒の動きが特殊だから、状況によっては金に成ると弱体化する。でも歩や飛車、角は動ける範囲が増えるだけでマイナス要素がない。だから『将棋ソフトは敵陣に歩・飛車・角を進めたら確実に成る』ようプログラムされてる。成らないのはマイナスの行為だからな。『不成り』というコードがプログラムに組み込まれていない限り、ソフトは絶対に成ってしまうんだ。その逆もまたしかり」
「逆?」
「将棋ソフトは『人間が不成りで攻めてくることを予測できない』んだよ」
実際にプロ棋士と将棋ソフトとの対局で、不成りを読めずに負けた例がある。
ソフトの欠点は以前から指摘されていた。
ソフトは1500手詰めの詰将棋を数秒で解けても、『打ち歩詰め回避』の5手詰め詰将棋を解けないのだ。
2三角成りだと2五玉で2六歩の打ち歩詰めになる。
2三角不成りなら2五玉→2六歩でも2四玉と逃げられるので、打ち歩詰めにならず3四金で詰む。
不成りを指せないASHIKAGAは手を変えて打ち歩詰めを回避せざるをえず、俺の玉に逃げる余裕を与えてしまった。
このミスは大きい。
ASHIKAGAの魔手から玉を遠ざける。
「正しくASHIKAGAだな。二度目の包囲網だ」
俺の玉を逃がすまじとASHIKAGAがしつこく食い下がる。
さながら打倒信長のために2度の信長包囲網を敷いた足利義昭か。
包囲網を脱出して入玉する。
これでもう俺に詰みはない。
反撃に転じる。
そして十数手後、
「ワレヤブレタリ」
ASHIKAGAが投了した。
これもソフトの悪癖だ。
詰将棋を解くのが得意なだけに、自分が詰むのを読むのも得意。
だから『人間がまだ詰みまで読みきれていない状況でも投了する』のである。
「じゃあ、お代を払ってもらおうか」
「……自分が負けたわけじゃないのにお金払うって、なんか納得いかない」
「ならお前がこいつと対局するか?」
「やってやろうじゃない!」
10分後。
「……容赦なくボコボコにされるんだけど」
「まあ、ソフトは設定された難易度で指すものだからな」
客商売でもないし、人間のように空気を読んで手加減したりしない。
「もう無理」
投げ出した。
時として人間の方がソフトよりも諦めが早いということか。




