チヌ釣りセット【海の幸定食】
「スイカでチヌを釣ろう」
「ちぬ?」
「クロダイだ。庄内藩とか紀州では釣りが奨励されてて、武士が釣ってたんだぞ」
「オー、サムライフィッシュ!」
釣り竿も刀に見立てられていて『名竿は名刀より得難し』といわれていたそうだ。
「スイカで釣れるんですか?」
「わりと何でも食いますから。なんならミカンとかトウモロコシとかメロンも食いますし」
「クロダイよりエサダイのほうが高くない?」
「釣りではよくあることだ」
浜辺ではスイカ割り用だけでなく、釣り用の小さなスイカも売られていた。
スイカを扱っているということは、この辺りではスイカで釣られているということ。
チヌは食べなれた餌に食いつく習性があるので、スイカの威力は絶大だろう。
「釣りの前に海の家で飯食っとこう」
「そうデスね」
「異議なし!」
4人で海の家に入店する。
昼前なのにかなり混み合っていた。
昼には満席で待たされることになっていただろう。
「ご注文は?」
「かきふらい食べたいから海の幸定食!」
「エビチャーハンでお願いします」
「リゾット・ネエロ!」
「なんだそれ?」
「イカスミのリゾットですヨ?」
「……そういうのもあるのか」
最近の海の家はあなどれない。
俺は物珍しいイカスミスパゲティにした。
スミだけでイカが入ってないのはご愛嬌。
これはこれで美味い。
「いーってしてみて」
「イー!」
「わ、真っ黒!」
子供か。
小腹も満たしたところで、本命のチヌを狙いに行く。
「スイカの出番だな」
飯を食う前にある程度仕込みは終えていた(本当は釣りをやる2時間前ぐらいが理想なのだが)。
付けエサになる甘い部分はサイコロ状に。
粉砕されたスイカと安物のスイカは赤身をバケツに盛って細かく砕き、握り固める。
「針につけるのは真ん中の甘い部分がオススメだ」
「魚のクセにグルメね」
「いや、味じゃなくて比重の問題だよ。スイカの外側は比重が軽くて水面に浮く。チヌは水面のエサはあまり食べないんだよ。だから砂糖を混ぜて比重を重くする」
「塩は混ぜないの?」
「海水に嫌ってほど含まれてるだろうが」
「なるほど」
……適当に答えたのに納得されてしまった。
ちなみに砂糖を混ぜると身がしまって針も外れにくくなる。
ただ砂糖が多すぎると、早く沈んで食いつきが悪くなるので注意(チヌはゆっくり沈むものに反応する)。
「皮は?」
「潮の流れや速さを読むために流す」
「全部流すんですか?」
「いえ、余った分は漬物にします」
「スイカの皮の漬物!?」
「意外に美味いぞ」
食物繊維やシトルリンが豊富で健康や美容にもいい。
砂糖と酢、少量の塩だけで漬けられるので調理も簡単だ。
「あ、そういえば『大草原の小さな家』にもあったかも……。スパイスと酢で漬けたピクルス」
「それは作ったことないな」
機会があれば作ってみよう。
ただ現代のスイカは皮が薄いから、昔と同じ製法では作りにくい気がする。
こればかりはやってみないとわからないが。
「釣り場は向こうだな」
着替えてポイントへ移動する。
南風で水温は26度。
これで水が濁っていれば完璧なのだが、贅沢はいうまい。
柄杓でスイカの寄せ餌を撒き、チヌを誘い出す。
ついでにスイカを切り分けて俺たちもかじる。
「甘いデス」
「真ん中だけすくって食べるのは初めてですね」
外側なので甘味が薄く、塩に頑張ってもらう。
まあ、外側でも充分甘いからいいのだが。
「チヌはどこを狙えばいいの?」
「サラシだ」
「さらし?」
「こことかあそこみたいに波が砕けて泡立ってる場所だ。この泡で酸素が供給されて魚の活性がよくなるし、広く深く餌を運んでくれる。波で人間の姿も見えにくくなるから、警戒心も薄らいで釣りやすくなる」
「足元に落とせばいいのね」
「ああ」
寄せ餌を食ってチヌが上がってくる頃だ。
しかし、
「来ないわね」
「来ませんね」
「……水が澄んでるからかもな。ちょっとあの辺まで投げてみよう」
「そういえばこの串団子はなに?」
「浮きだ。これが沈めば魚が食ってるから合わせろ」
「なんか沈んでるんだけど……」
「なに? 合わせて竿を立てろ!」
「え? え?」
「ちっ」
口で一々説明していては逃してしまう。
後ろから手を添えてアシストする。
チヌが暴れたら糸を出し、タイミングを見て竿を後ろに倒して引き寄せる。
そして竿を前に倒し、引き寄せた分だけ糸を巻き取り、また竿を起こす。
以下繰り返し。
「よし、ヒラを打ち始めた」
水面に顔を出して空気も充分に吸わせただろう。
引き寄せて竿を真っ直ぐに立て、玉網でチヌをすくう。
「チヌ、ゲットだぜー!」
「40センチちょいか。まあまあだな」
それからはちょくちょくチヌがかかり出した。
やはりスイカの威力は絶大だ。
「それ!」
順調に3匹目をゲット。
50センチオーバーの大物なのだが……
「……これは厳しいな」
チヌの大きさ勝負となると様々な障害があるので難しい。
念のため魚拓を取っておく。
ちなみに魚拓も庄内藩が発祥だといわれている(現存する最古の魚拓も庄内藩主のもの)。
現代では写真などから魚の形を読み取り、デジタル処理して魚拓を作ることもできるらしいが、今回はアナログだ。
新聞で水気やぬめりを取り、体液などが染み出さないように栓をする。
魚の頭は右側だ。
これで魚拓を取れば左向きになる。
魚拓は頭を左向きにするのが作法なのだ。
丁寧にしかし素早くスミを塗り、乾く前にさっと紙をかぶせる。
尾ヒレから頭まで、体の線にそって押さえ、頭からそっと剥がす。
後は魚の種類と体長、日付・場所・釣り人の名前・現認者(釣りの証人。現認者がいなければ公式の記録とは認められない)を書けば完成だ。
「これでよし」
「わ、大きい!」
「54センチだからな」
「あれ? なんかここ変な色してない?」
「う」
「……それは本当にクロダイですか?」
「クリーニング!」
「あ!」
アリスが水をかけて表面を洗った。
するとスミの下から赤い鱗が顔を出す。
「マダイじゃない!」
「……タイには違いないだろ」
まさかエビならぬスイカでマダイが釣れるとは思わなかった。




