リバーシセット【きんつばと鉄観音】
「はい、これで私の勝ち」
無情の一手で盤上が白く染まった。
「ぐ、なんでオセロ強いんだよ」
「だってオセロ盤で囲碁やってたし。オセロは8×8でチェスと同じ広さだから、チェッカーもできるわよ?」
チェッカーはチェス盤を使って赤と黒の丸い石を動かし、相手の石を取っていくゲームだ。
「どうすれば勝てるんだ?」
「とりあえず『X』には打たないことね」
「X?」
「これがオセロ盤の位置の名前」
隅CABBAC隅
CX XC
A ■□□■ A
B □□□□ B
B □□□□ B
A ■□□■ A
CX XC
隅CABBAC隅
辺 CABBACの範囲
中辺 空白の範囲
ボックス □と■のある範囲 ■はボックスコーナーと呼ぶ
「オセロで一番重要な場所は?」
「隅だろ」
「そうね。じゃあXに打つとどうなるの?」
「あ」
「言うまでもないわね。高確率で隅を取られてしまう。隅の隣にある『C』も同じよ。たとえばこれ……」
単独C打ち
↓
隅CABBA●隅
↑
単独C打ちの後ここに打たれると隅を取られる
「辺に石がない状態でCを打ってるでしょ? これを『単独C打ち』っていうんだけど。この状態で相手に左側のAを打たれたら、ほぼ確実に右隅取られるわよ」
「なるほど、左Aの石を取ろうとしてもすぐに挟まれるな。そしてCに石があるから、相手に詰め寄られたら隅を取られる、と」
逆に言えば相手にCやXを打たせればいいということだ。
「もう一回する?」
「当たり前だ」
初期配置に並べる。
○●
●○
初期配置
「なら私が先手ね」
「先手有利じゃないのか?」
「オセロは後手、つまり白が有利って言われてるのよ」
「なんでだ?」
「パスがない限り白が『最後の一手』を打つから」
「あー。どれだけ上手く打っても、その後に打たれたらひっくり返されるもんな」
「初級者は『最後の二手』に気を付けて。特に先手ね。後手は最後の一マスに打つしかないんだから。上手く打てば後手にパスさせることもできるでしょ。もちろん後手もそういう事態にならないように打つんだけど……。終盤は『お互いに打つことができる場所には先に打つ』のがセオリーね」
「『自分だけが打てる場所を残しつつ、相手の打てる場所を消す』わけか」
「そうそう」
ルールが単純なだけに、終盤の駆け引きもわかりやすい。
「ただ終盤は石を数えるのが大変なのよね。……特に時計を使う場合は」
瑞穂がチェスクロックをセットした。
「10分でいい?」
「ああ」
「始めるわよ」
瑞穂が黒石を打つ。
「どういう風に考えながら打てばいいんだ?」
「『開放度理論』を使いながら打つのが基本ね」
「開放度?」
「ひっくり返した石に隣接している空きマスの数のことよ。たとえば私の初手だけど……」
○●
●○
●←瑞穂の一手
○●X
●●X
X●X
Xはひっくり返した石に隣接している空いたマス
「これは開放度4ね。開放度が高いほど相手の打つ場所が増えるから、なるべく低い手を打つのがコツなの」
「前にアリスが言ってたやつだな。周囲を囲まれている石を取る」
「そうね。だから相手の石を囲む『壁』は代表的な悪形なの」
相手を囲んでしまうと、自分の打つ手がなくなって、相手の打てる手が増えてしまう。
壁を作らない、相手の壁を壊さない、相手に壁を作らせる。
それに開放度理論を組み合わせて打てばいいわけだ。
これで持ち時間がなければじっくり考えて打てるのだが……
序盤で時間を使うわけにもいかない。
パッと見で開放度の低そうな手を打っていく。
「ここ、ひっくり返し忘れてるわよ」
「あー、すまん」
「斜めは見逃しやすいから注意。持ち時間がなくなって焦ってても、確実にひっくり返すこと」
「わかった」
「じゃあ隅もらうわよ」
「くそ……」
あっけなく隅を抜かれる。
「隅を取れたら確実に『確定石』を増やすこと」
「なんだそれ」
「取られることがない石よ。わかりやすくいうと隅と繋がってる石ね」
●
●
●●●BBAC隅
確定石
「こうやって隅の石に繋げて確定石を増やしていくのが『ヤスリ攻め』。辺を制圧する基本手筋よ」
「ぐ」
隅がヤスリがけされるように削られていく。
「隅の次に重要なのが辺だろ? どうやって取ればいいんだ?」
「自分で辺に打つ場合は『ダブルA打ち』がオススメね」
隅C●BB●C隅
↑ ↑
ダブルA打ち
「Cに打てば死ぬ。Bに打っても取られる。たしかに好形だな」
「辺で石がぶつかったら、できるだけ取っておいた方がいいわよ。ただ中辺に相手の石がある場合、あんまりひっくり返さないこと」
「了解」
中辺を自分の石にしてしまうと、辺に打たれるからだろう。
アドバイス通り中辺をあまりひっくり返さずに、辺を制圧していく。
「その形は『ウイング』ね」
ウイングの例
○●●○
隅○○○○○C隅
「いい形なのか?」
「残念、代表的な悪形でした」
「ぐ……」
瑞穂がXに打った。
「ここでX?」
何か裏があるのだろうが、隅を取らざるを得ない。
○●●○●←X打ち
隅○○○○○C○←隅を取り、Xの●を取りに行く手
「普通Xに打つと隅を取られて不利になるわけだけど、ウイングの場合は別。Xを打って相手に隅を取られても、こうやってCに打てば逆サイドの隅に打てるでしょ」
○●●○●
隅○○○○○●○
↑
C打ち
「うああ!? 辺ごと根こそぎか!」
「これを防ぐにはCを潰しておくこと。これで相手のX打ちは無力化できるでしょ。それが『山』。悪形じゃないけど、好形とも言い切れない形ね」
山の例
●○●○
隅○○○○○○隅
「これで私は『ライン』の完成」
「ライン?」
「こうやって斜めにラインを通すのが好形なの」
○ ●
○ ●
○ ●
○●
●○
● ○
● ○
● ○
「右上から左下に通すのが『ブラックライン』、左上から右下に通すのが『ホワイトライン』。初期配置の石がそういう形で並んでるところからの命名ね。だから右上から左下まで○を通しても、ホワイトラインじゃなくてブラックラインって呼ぶの」
「色んな形があるな」
「ある意味、囲碁に似てるかも」
ビジュアルで覚えられる当たり、たしかに囲碁的だ。
「そろそろ終盤。ここからが重要よ。現時点で勝ってても、ミスすれば一気にひっくり返されちゃうんだから。オセロだけに」
最後の一言は余計だ。
「狙うのは『手止まり』。固まってるマスの最後の一手を打つことよ」
■■●●○○●■■
■●●●○○○■■
固まったマスの例 ■が空きマス
「最後の二手と考え方は似てるな」
「手止まりを狙う場合はだいたい『偶数理論』を使うからちょっと違うわね」
「偶数?」
「たとえば2マス空いてる場合。先に打ったら相手に最後の一手を打たれるでしょ? じゃあ3マス空いてたら?」
「こちらから打って2マスにする?」
「そう、だから偶数理論なの」
「でも偶数になったからって、相手が打ってくれるとは限らないだろ」
「後手の場合、空きマスを全部偶数にしておけば必ず最後に打てるでしょ」
「あ!」
「だから後手の方が有利なの」
「よくできてるな」
アドバイスに従って偶数にする。
しかし、
「パス」
「げ!?」
手番が入れ替わった。
パスされたら有利なはずなのに、俺が先に打つことで瑞穂の打つ場所ができる。
手止まりを全部黒に打たれる形だ。
「手番が変わったり、石の関係で相手から先に打てない空きマスを残したりすれば偶数理論は崩せるのよ」
偶数理論で完封できるのは初級者レベルだけということらしい。
「コツは飲みこめた。もう一局だ」
「その前に一服したい」
「オーダーは?」
「きんつば!」
「あいよ」
渋い注文だ。
きんつばは金鍔。
もともとは刀の鍔のような丸い形をしていた和菓子だが、現代では四角く作られることがほとんどだ。
まあ、忍者の刀は壁に立てかけ、鍔を足場にして障害物をよじ登りやすくするために四角くされているから、現代のものも鍔と呼べないこともない。
あんこを四角く固め、水で伸ばした小麦粉の生地を付けながら油で焼く。
「お茶は深蒸し煎茶かエスプレッソ、『鉄観音』だな」
「鉄の観音さま?」
「夢で見たお茶を観音岩で見つけたから鉄観音というらしい」
「へー」
俺はエスプレッソ、瑞穂には鉄観音を淹れる。
「んー、花の香りがする。ちょっと苦いけど後味が甘くて……。焼き立ての香ばしいきんつばにぴったりね」
「だろ?」
鉄観音は油分の多い料理と相性がいいのだ。
一方のエスプレッソ。
コーヒーとあんこの組み合わせは鉄板だ。
年齢層が高くなるほどコーヒーとあんこ菓子の注文は増える傾向にある。
エスプレッソの苦味もいいが、酸味のあるコーヒーでも美味い。
「じゃあ行くわよ」
「おう」
再び俺が後手でオセロを打ち始める。
「あれ?」
「どうした?」
「あー、ちょっと勘違いしてたみたい。これまずいかも……」
瑞穂が顔をしかめる。
形勢は俺に傾いていた。
狙い通りだ。
「……なんかおかしいわね」
「何もおかしくないだろ」
「いーえ、絶対おかしいわ! 私がこんな形作るはずないもの。なんでこんな形になってるのよ。あんたもしかして、私が目を逸らしてる隙に石ひっくり返してない?」
「一瞬でそんなことできるか。逆ならともかく」
「逆?」
「あ」
しまった。
「ああー! あんた、石ひっくり返してないでしょ!」
「ちっ」
バレてしまった。
焦るとひっくり返し忘れて負けることがある。
ならばその逆もまたしかり。
気づかなかったふりをして、あえて自分に不利な部分をひっくり返していなかったのだ。




