将棋セット【揚げパンと粉末牛乳】
「あー、もう! なんで勝ってるのに負けるのよ!」
「しゅぎょーが足りまセンね」
ぬふふ、とアリスが腕組みして勝ち誇った。
瑞穂に勝ってもあまり自慢にはならないのだが、勝利の余韻に水を注すこともないだろう。
それよりも、
「勝ってるのに負けるってなんだ?」
対局を観てなかったので意味が分からない。
「居飛車対振り飛車なんだけど……」
「なるほど、対抗型か」
「たいこータイプ?」
「居飛車対振り飛車のことをそう呼ぶんだよ」
居飛車は飛車を定位置(先手なら2筋から4筋で飛車を構える)で、振り飛車は横(先手なら5筋から8筋)に振る戦法だ。
つまり居飛車対振り飛車では、最強の武器である飛車が同じサイドでぶつかる形になる。
だから対抗型だ。
対抗形の例 同じサイドで飛車が向かい合う
「事情はだいたいわかった。ようするに居飛車で殴り合いに勝ったのに、アリスの玉を詰ますことが出来ずに逆転負けしてしまう、と」
「よくわかったわね」
「プロも同じことを繰り返してきたからな」
盤に矢倉と美濃囲いを並べる。
歩 歩歩歩
歩銀金
玉金角
香桂
矢倉囲い
歩歩歩歩歩
金 銀玉
金 桂香
美濃囲い
「居飛車の矢倉と振り飛車の美濃、この2つの囲いの特性はなんだ?」
「あ……! 矢倉は上からの攻めに強くて、美濃は横からの攻めに強いんだ!」
「そういうことだ」
居飛車同士の対決なら、お互いに飛車のいるサイドへ玉を囲うので上から囲いを攻められる。
つまり縦の戦いだ。
相居飛車(居飛車対居飛車)の矢倉24手組
ここから先手は8八、後手は2二に囲うので飛車先へ玉が来る
だが対抗型では飛車が同じサイドにいて、玉は逆サイドに囲われている。
「対抗型ではまず縦の戦いが行われ、勝った方が逆サイドの玉を攻める。つまり縦と横、2つの戦いに勝たないといけないんだ。そして横の守りは振り飛車の得意技」
「居飛車が美濃囲いに手こずっている間に、振り飛車は逆襲を仕掛けるわけね」
「もともと美濃が横からの攻めに強いのもそのためだしな」
美濃は横から攻められることを想定している囲いなのだ。
反撃できる余裕ができれば囲いの堅さ比べになる。
そうなると必然的に美濃が勝つ。
居飛車も横から攻められることを想定して『舟囲い』を組むが、美濃の堅さには勝てない。
歩 歩
歩歩 歩
角玉 金
香桂銀金
舟囲い 美濃と同じく横に強くて上に弱い
「……というわけで、居飛車党のお前に秘策を授けよう」
ひそひそと瑞穂に伝授する。
「え、それだけ?」
「それだけだ。これで振り飛車に勝てる」
「本当でしょうね」
半信半疑ながらもアリスと再戦開始。
瑞穂は矢倉にも舟囲いにも組まなかった。
「ぬ、穴熊デスか!」
歩歩歩
香銀金
玉桂金
穴熊囲い
「これが秘策だ」
居飛車党はどうやって美濃を崩すのかではなく、どうやって美濃よりも堅い囲いを作るのかを考えたのだ。
最強の囲いといえば穴熊。
居飛車党が穴熊を組むのは必然だった。
「いわゆる居飛車穴熊だ」
「プロもずっと美濃を攻めあぐねてたんでしょ? なんですぐ穴熊にしなかったの?」
「穴熊は筋が悪いって思われてたからな」
「ナゼに?」
「駒が一ヶ所に固まりすぎるからだよ。働かない駒が出るし、攻めるための駒も足りなくなる。なにより形が美しくない」
「あー。プロが指したがらない要素がてんこ盛りね」
「しかも昔は筋の悪い将棋を指してると弱くなると思われてたしな。だが穴熊が最強の囲いである以上、背に腹は代えられない。不本意ながらプロも穴熊を使い始め、イビアナは振り飛車党を虐殺した」
「こんな風にね」
「ぐぬぬ!」
瑞穂が穴熊の堅さを活かして美濃囲いをぶち壊す。
美濃の攻略に手間取って反撃を許しても、堅さ比べなら穴熊の勝ちだ。
「……アリスにもヒサクをプリーズ」
「与作みたいに言うな。……まあ、片方にだけ秘策を授けるのはアンフェアだからな」
アリスにもこそこそ指導すると、
「む」
秘策を授けたのとは違う部分で瑞穂がむっとした。
嫉妬深い奴だ。
「シンプル・イズ・ベスト」
「だろ?」
ただ不安がないでもない。
作戦そのものはシンプルだが、穴熊を組むという策に比べるといささか難しいからだ。
無駄な手はいっさい指せない。
「こうデスか?」
小首を傾げながらアリスが秘策を指す。
「え、囲わないの?」
「囲いまセン」
アリスは居玉。
玉を全く囲わず、穴熊を組みに行く瑞穂へ猛然と攻めかかった。
そして十数手後。
「ヴィクトリー!」
「……嘘でしょ?」
瑞穂が呆然とする。
それも当然、穴熊を組むことすらできずに潰されたのだ。
「穴熊は堅いからそう簡単には崩せない。なら囲われる前に潰す。発想は単純だ」
穴熊は玉を囲いに行く瞬間が一番無防備になる。
そこを狙って上から歩を突き、斜めから角でえぐり、総攻撃を仕掛ければいい。
ただ将棋には急戦と持久戦がある。
急戦というと先手必勝で攻めまくる印象を受けるが、玉を少しだけ横に逃がすか、守りの駒を置いてから攻めるのが当たり前だった。
だがそんなことをしていると穴熊を組む余裕を与えてしまう。
だから守りを完全に捨て、初手から穴熊を潰すための手を指す。
それ以外の手は指さない。
「居飛車が穴熊に行くと見せかけて急戦を仕掛けてきたらどうするの?」
「その時は囲えばいい。穴熊に行かない中途半端な囲いが相手なら、堅さ比べをしたら振り飛車が勝つ。これが『藤井システム』だ」
「フジイさんのシステムですネ」
森下システムと同じく、戦法の幅が広いので藤井流ではなくシステムと呼ばれる。
「んー。やっぱり無駄な手を指さないっていうより、穴熊を怖がって『無駄な手を指せない』ように感じるんだけど。これ対策されやすくない?」
「まあ、対策されるわな。対策されてしまうと、どうしても穴熊が堅い分だけ居飛車が有利になる」
「無限ループ」
「歴史は繰り返すってことだな。振り飛車党はまた穴熊攻略という課題に挑まなければならなくなったわけだが……。彼らが出した結論がこれだ!」
盤に対抗形の形を組み、振り飛車の角道を開ける。
「『角交換振り飛車』だ」
「角交換? 振り飛車って角道を止めるんじゃなかったっけ?」
「そうだな。振り飛車は7七角と上げるのが基本。これは相手に飛車先の歩を交換させないための一手だ。つまり『角交換すると相手に飛車先の歩の交換を許す』ことになり、しかも角を打たれて一気に攻められる。『振り飛車には角交換』って格言があったぐらいだ。だが穴熊攻略には振り飛車党にとって禁じ手ともいえるこの角交換が有効だった」
穴熊に組み、逆サイドを指さす。
「穴熊で駒を密集させてしまうと自陣に隙間ができるだろ? つまりどうしても角を打ちこまれる場所ができてしまうんだな。それに角道を開けていればいつでも角が出られるわけだから、居飛車は穴熊に組みにくい」
「びゅーてぃふる」
「角交換振り飛車の革新的なところは角交換だけじゃない。カウンター戦法だった振り飛車で、攻め将棋ができることだ。これで将棋の可能性は一気に広がった」
「へー」
だからといって、初級者が簡単に指しこなせるものではないが。
「じゃあ角交換振り飛車で対局ね。おやつ賭けましょ」
「なにがいい?」
「揚げパン!」
「……また妙なものを」
「ザ・給食でしょ」
「あー、給食な」
そういえば人気メニューだった。
コッペパンを揚げて、きな粉をまぶすだけなのでお手軽だ。
「ミルクをメークしていいデスか?」
「好きにしろ」
「いえー!」
「私も私も!」
俺が揚げパンを用意している横で、これまた給食の人気メニューだったミルクに混ぜてメークする粉末を2人であさりだした。
きな粉や抹茶、紅茶やココア、コーヒーetc。
一種類だけだった給食と違って、ずいぶんと豪勢だ。
「ん、おいしい」
「のすたるじー」
素朴なだけに、給食もたまに食べるとどうしようもなく美味い。
なにより楽しかったあの頃を思い出させる。
店で給食メニュー特集をするのも面白いかもしれない。
「……で、角交換振り飛車に勝つにはどうしたらいいの?」
「振り飛車といっても中飛車、三間飛車、四間飛車、向かい飛車があるんだぞ。アリスがどの振り飛車で来るかわからんし、一言でお前が理解できるような対策はない」
「え」
目に見えて狼狽えた。
……こいつ、俺から対策を聞いて賭け将棋に勝つつもりだったな。
「ど、どうすればいいの?」
「どうにもならんな」
「では角交換しまショー」
「いやー!?」
自業自得。




