衝立将棋セット【ドーナツとルイボスティー】
「お前審判な」
「え、なに?」
「軍人将棋ですよ?」
端的にルールを説明する。
「駒の強さを判定すればいいの?」
「ああ」
ルールが呑み込めたようなので対局開始。
「えっと、この駒とこの駒ではこっちの方が強いんだっけ? ……なんか面倒臭いわね」
「まだ始まったばっかりだろうが」
「だいたい駒が多すぎるのよ。なによ、62枚って。盤上にぎっしり駒敷き詰めてるし。馬鹿なの?」
馬鹿はお前だ。
「なら駒を減らしましょう」
軍人将棋の駒の強さは、
大将>中将>少将>大佐>中佐>少佐>大尉>中尉>少尉
短くまとめれば『将官>佐官>尉官』だが、格がわかりやすいように一番偉い『将官』を『大将』だけにする。
同じように真ん中の『佐官』は『中佐』だけ、一番階級の低い『尉官』は『少尉』だけにした。
大将・中佐・少尉。
これで大分わかりやすくなった。
それでも、
「……審判つまんないんだけど」
判定以外やることもなく、馴染みのないゲームの審判をやらされるのは苦痛だったか。
「お前はメジャーの審判を見習え」
「メジャーリーグ?」
「ああ。メジャーの審判はストライクゾーンぎりぎりに球が来ても、展開によっては空気を読んでボール判定するんだぞ。試合を盛り上げるためにだ」
「……確かにそれなら審判も試合に参加できて面白いかもしれないけど。初めての審判にそんなことを求められても困るわよ。だいたい軍人将棋でそんなことしたらゲーム性が崩壊するでしょ。……いっそ駒を表にしない?」
「それこそゲームが成立しなくなりますよ?」
「だから『審判が駒の強さを決める』のよ。たとえば普通の軍人将棋とは逆で、階級の低い方が現場で働いてるから力が強いとか。大・中・少で強さを決めるのもいいわね。大尉は少佐より階級が低いけど、『大』だから『少』に勝つとか」
「なるほど。プレイヤーは『審判がなにを基準に判定しているのか読む』わけか」
「いち早くそれを推理して、最強の駒を見つけるのが鍵ですね」
「でも最強の駒を見つけても、それを多用したら相手に見破られるわよ」
「よし、それで指してみよう」
駒を表にして、改めて一局。
「これでどうだ!」
「あんたの負けね」
「なに!?」
「じゃあこっちはどうでしょう」
「先生の負け」
「え」
「おい、ぜんぜん法則がわからんぞ!」
「それを推理するゲームでしょ」
結局、ゲームが終わるまで二人とも価値基準を推理することが出来なかった。
ゲームは力技で無理矢理最強の駒を見つけた先生がごり押しして勝利した。
「……で、強さの基準はなんだったんだ?」
「ひらがなにした時の文字数」
「わかるか!」
「漢字の画数の方がよかった?」
「同じだ!」
やはり審判は慎重に選ぶべきだった。
「んー、頭使ったから糖分取らなきゃ」
「……お前は頭使ってないだろうが。で、なに食う?」
「ドーナツ!」
「ドーナツならコーヒー・ほうじ茶・玄米茶・ハーブティーだな。どれがいい?」
「ハーブティー」
「ほうじ茶でお願いします」
「あいよ」
俺はコーヒーにしよう。
ドーナツとコーヒーといえば、ハリウッド映画の警官だろう。
あれがステロタイプになるからには、それだけ日常的に食べられているということだ。
ドーナツとコーヒーはアメリカ人が最も愛する究極の組み合わせなのである。
ハーブティーはプーアル茶のような風味を持つルイボスに、ペパーミントでアクセントをつける。
先生のほうじ茶はいつものように熱々で。
「このドーナツ、ねじれてますね」
「あ、それ知ってる! 揚げてると勝手に裏返るのよね」
「ああ」
おそらく『大草原の小さな家』からの豆知識だろう。
ねじるのは手間がかかるが、普通の輪のドーナツと違ってひっくり返す必要がないので、こちらの方が楽に作れるのだ。
「油っこいドーナツもメントールでさっぱりするわね」
「だろ」
鎮静作用もあるから、頭を使った後に飲むとスッキリする。
「じゃあ一息吐いたところで……。衝立将棋をしよう」
「なにそれ?」
「自分と相手の間に衝立をして指す将棋だ」
2つの将棋盤を用意し、その間に衝立をする。
「軍人将棋は駒の種類こそわからないが、それでも相手の駒は目で見える。だが衝立将棋の場合、そもそも相手の駒がどこにいるのかもわからないんだ」
相手の駒は見えない。
「自分の駒が取られたら相手の駒がそこにいる、ということですね」
「はい」
「軍人将棋よりも推理要素の強いゲームね。でも王手をかけられたらどうなるの?」
「審判がちゃんと王手というぞ」
王手コールがなければ、攻める方も守る方も状況がわからないからだ。
「相手の駒のいる場所に持ち駒は打てないわけですが。もし打ってしまったら反則負けですか?」
「反則は8回までOKです。9回目で反則負け。反則を指したら、その手を戻して指し直します」
「へー」
反則は持ち駒だけではない。
進めない場所に進んだらアウトだ。
具体的に言うと、進行方向に相手の駒がいるのに、飛車・角・香車でそれを飛び越えて走ってしまった場合だ。
「じゃあ、やってみるか」
ルール説明も済んだところでプレイ開始。
先生は審判だ。
序盤は反則の指しようがなく、相手の駒も取れないので黙々と淡々に進む。
開始から10手後、
「角が取られました」
「え、角交換?」
「そういうことだ」
相手の駒は見えなくても、駒の初期配置は普通の将棋と同じ。
ならば序盤の駒の動かし方も定跡通りになりがちだ。
飛車先の歩を突くか、角道を開けている可能性が高い。
お互いに角を交換して持ち駒にする。
そして、
「反則です」
「ええー」
俺の自陣に角を打とうとしたのか、あるいは角を不用意に動かしてしまったのか。
さっそく1つ目の反則。
どこに相手の駒があるからわからないので、飛車・角のような大駒は衝立将棋では使いづらい。
うかつに動かすと反則になってしまう。
だからせっかくの機動力も活かせない。
ただし持ち駒として打つのなら話は別。
大駒でも小駒でも、持ち駒を打つ場合の条件は同じだ。
そこに相手の駒さえなければ打てる。
だからこその角交換だ。
角交換によって角を持ち駒にさせ、派手に動かしにくい角を指させる。
瑞穂は強い駒を持っていると早めに打ちたくなるタイプだから、まんまとこちらの思い通りに動いてくれた。
こうやって地道に反則を犯させていれば、反則負けを恐れて消極的になるだろう。
「さて……」
角の頭を守っていた歩を進める。
「2四歩が取られました」
瑞穂はそこまで飛車先の歩を進めていたらしい。
「2四歩が取られました」
瑞穂はすぐに飛車を走らせて歩を取り返す。
取られたら取り返す。
そこに駒がいるのは確実なのだから、衝立将棋では取れる駒は確実に取っておいた方がいい。
問題は次だ。
俺の予想が正しければ、これで取れる。
「2八の飛車が取られました」
「ええ!?」
「馬鹿正直に引くからだ」
瑞穂は飛車で歩を取った後、俺が『飛車の頭に歩を打った』と予想して飛車を引いた。
しかし俺はそこで歩を打たずに一手待ち『飛車が2八に引かれてから2七に歩を打った』のだ。
序盤で飛車を取ったのは大きい。
「……だんだんわけがわからなくなってくるわね」
「そういうゲームだからな」
瑞穂がおそるおそる駒を動かす。
「9四の歩が取られました」
「お?」
不意に俺の端歩が消えた。
これも好都合。
すかさず9七に歩を打つ。
こうして端を制圧するのがセオリーだ。
なぜ端を制圧するかというと入玉のためである。
衝立将棋では駒が見えないから入玉しやすいのだ。
入玉すると二重の意味で『詰まらなくなる』ため、入玉なしのルールで指す場合も多い。
入玉してしまえばこちらのもの。
後は瑞穂の玉を探すだけだ。
玉を探すなら最初は網を広げ、徐々にしぼっていくといい。
「反則です」「反則です」「反則です」
「なるほど、こことここに瑞穂の駒がいる、と。すると玉はここだな」
「王手です」
「な、なによ、その探し方!」
「正しい反則の使い方だ」
「しかも王手って、どっちからかけられたのかわからないじゃない。えーと、こっち?」
「詰みました」
「え」
「……安易に動かすからだ。王手なんだから対処を間違えたら詰むぞ」
「なにこれ、つまんない」
子供か。
「トレーディング・チェス・ゲームでやらない?」
「古将棋の駒で衝立将棋か。派手な殴り合いになりそうだな」
試しにやってみる。
「王手です」
『え』
俺と瑞穂の声がハモった。
おそらく歩を動かしたことで、天狗の筋が開いてしまったのだろう。
古将棋の駒は破壊力があるので、気付かない内に王手をかけているなんて事態が発生してしまうのだ。
慎重に玉を逃がし、事なきを得る。
そして、
「反則です」
「なるほど。貫通駒は格上の駒を貫けない。つまり玉はここだ!」
「王手です」
「ええ!?」
TCGでも俺の圧勝は変わらなかった。
「さて、お代を払ってもらおうか……」
「うう、私のバイト代……」
これで何とか今日も赤字を免れた。
「そろそろ日が暮れるな。送ってくぞ」
「……勝手にすれば」
ご機嫌斜めだ。
まあ、軍人将棋でつまらない審判役をやらされ、衝立将棋も惨敗してバイト代を巻き上げられたのだから当然だろう。
家まで送っているものの、衝立が立てられたように二人の間に微妙な間ができていた。
……気まずい。
しかし今は衝立将棋を指しているわけではない。
だったら話は簡単だ。
ぎゅっ
「ふわあっ!?」
衝立を取り除く方法なんていくらでもある。




