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前編

 いつもどおり学校から帰ってきて、着替えて、コンビニで買った菓子パンを食べ、漫画雑誌を読み、ベッドに寝転がって特に目的も無く携帯をいじる。ありふれた男子高校生である彼……「ユキオ」は、そうして夕飯まで暇を潰そうとしていた。しかしそれは叶わなかった。

「やあ、こんにちは」

 どこからか聞こえてきた声。とても近いところから聞こえてきたそれの主は、自室の中央に佇んでいた。

「へ!? え? ……誰だお前? というか、いつの間に」

 突如出現した見知らぬ少年に、彼は戸惑い、驚き、焦った。近所の子供だったか、親戚の子供だったか……弟を持たないユキオは記憶の中の子供の顔を思い出すが、目の前の少年はそのどれにも当てはまらなかった。見た所、小学校高学年くらいだろうか。やや中性的な顔立ちと、気味が悪いくらいに白い肌が印象的な少年である。

「突然ですが、あなたの願い事を叶えることにしました」

「いきなりなんなんだよ、誰だって聞いてるだろ」

「願い事をどうぞ」

「おい!」

 ユキオがいくら呼びかけ、叫んでも、少年は表情を全く変えずにこちらに語りかけてくる。

「面倒くさいので僕のことは白昼夢だとでも思ってください」

「いい加減にしろよ……!」

 ユキオは立ち上がると、少年の手首をひっつかみ、とりあえずリビングにいるであろう親の元まで連行しようと考えた。悪戯で入り込んだ親戚の子供かもしれない、もしかしたら少し精神がおかしいよその子なのかもしれない。前者なら親から事情が聞けるだろうし、後者なら警察にでも預けなくてはならないだろう。

 部屋を出ようとドアノブに手をかける。だが、ノブはいくら力を入れても凍りついてしまったかのように動かない。

「あ、れ……」

 ドアノブに気をとられているうちに、ユキオは掴んでいた少年の手首の感覚がなくなっていることに気が付いた。小学生が高校生に掴まれていた手をふりほどいたのか? いや、「ふりほどかれた」という感覚すらユキオにはなかった。

「願い事を」

 振り向くと、少年は再び部屋の中央に佇んでいる。

「どうぞ」

 ユキオの背筋にぞくりとしたものが奔った。

 光の無い少年の瞳に見つめられると、体中から嫌な汗が噴き出す。混乱しそうになるのをこらえ、どうにか震える手で携帯電話を取り出すが、いくら操作しても反応が無い。おかしい、さっきまで使っていたのに。電源は確かに入っているのに、画面が一向に切り替わらない。

「適当に、なんでもいいので。願い事、あるでしょ?」

 抑揚の少ない淡々とした口調で、少年はユキオに「願い事」を求める。

「夢ですよこれは。『そういうオチ』ですので」

 そう言われ、ユキオは段々と「ああ、夢なのか」と納得していった。感覚はリアルなのに、展開は急過ぎる。夢の中で夢を理解するのも妙な話だが。

「夢、なんだな、これ」

「はい、そうです。願い事をどうぞ」

 ユキオは急に力が抜ける。少年が叶えたがっている「願い事」……どうせ夢ならうんと適当で、ぶっとんだ内容にしてやろうと、彼は暫し考える。そして、さっき読んでいた漫画雑誌のラブコメディを思い出し、少年に言った。

「女子ばっかりの学校に転校して、キャーキャー言われてみたいな。それで毎日ドキドキの生活を送る……っていうのは」

 生まれてから恋愛事に縁が無かったユキオには、普段からコンプレックスのようなものがあったのかもしれない。一度でいいからそんなあり得ない体験をしてみたい、という単純な思考に基づく「願い事」だった。

「わかりました。では」

 少年は両手を胸元まで持ってくると、「ぱん」と、ひとつ鳴らした。



「転校生のユキオ君だ、仲良くするように」

 知らない教室、知らない教師、知らない生徒たち。ユキオはいつの間にか「転校生」となっており、自分の他には女生徒しかいないクラスで自己紹介をする所だった。

(展開早! さすが夢だ……)

 驚嘆よりも感心した様子で、心の中で唸る。

「あ、そうだ、えっと、よ、よろしくお願いします」

 ユキオが慌てて挨拶すると、生徒たちの話声やくすくすという笑い声が教室のあちこちで起こった。

「静かに! ユキオ君の席は……花山の隣が空いているな」

 それを聞いて、ユキオはぎくりとする。

 教師が指さした先に目をやる。「花山」という名には聞き覚えがあった。そして、花山がユキオの視界に入る。

「花山……?」

 見慣れたショートヘアの幼馴染が、そこに座っていた。一瞬驚いたが、夢に現実で知っている人物が登場するケースはさして珍しくない。ユキオは「ははあ、こういうパターンか」と考えながら空席に向かう。

 ユキオが席についても、花山は何も言わなかった。それどころか、視線をこちらに合わせようとしない。花山は、元々何を考えているのか解りづらく、人を寄せ付けない自分の世界を持っているタイプだった。夢の中でもそれは変わっていないようだった。せっかくなら見知らぬ美少女に囲まれてみたかった、と小さな溜息をつき、ユキオは肩を落とした。



 授業中は現実の学校とさして変わらなかったが、休み時間になるとクラス中の女子が一斉にユキオの席に押し掛けた。大して顔がいいわけでもなく、転校してきたばかりで特に仲がいいわけではないにもかかわらず、女生徒たちはユキオに話しかけてくる。新しいものへの興味もあるのかもしれないが、それにしても異常な熱狂ぶりだった。

「ユキオくん、好きな食べ物は? 運動は得意?」

「前の学校では部活とかしてた?」

「ウチの学校の制服似合ってるよ!」

「私、ユキオ君のこと結構タイプかも……」

「カノジョはいるの? もしいなかったらアタシなんかどう?」

「あー、抜け駆けはずるーい!」

 次から次に浴びせられる甲高い声や、甘えた声に軽く脳が麻痺したようになる。ユキオは苦笑いしながらも、最初から好感度マックス状態の女子たちを前に歓喜していた。

 ああ、これが春か、人生の春というやつなのか……夢だけど。これからハーレム展開で色んなハプニングが起こるのだろうか、などとユキオは妄想を膨らませる。どうやら知った顔は花山しかいないらしく、当の彼女も教室の隅からこちらを伺っているだけだ。あの花山がこの女子たちのようにキャーキャー言うのは想像できないし、あまり想像したくない。ギャップが大きすぎる。

「放課後一緒に帰ろうよ!」

「ねえねえ、部活どこ入るの? 案内しようか?」

「移動教室の場所とか教えてあげるー」

 女生徒達の声は止むことを知らない。そろそろ授業が始まるので、ユキオは周りの女子に席に戻るよう促そうとした。

「なあ、もう休み時間が……」

「えー、もう少しいいじゃーん」

「ユキオ君ってさー、すごくおいしそうだよね」

「せっかちだなー」

「……ん?」

 会話の終了を惜しむ声に混じって、不可解な声が耳に届く。

「昼休みまた話そうね」

「あー、私も思った。おいしそう」

「だよねー」

「おいしそう」

「ユキオくん」

「おいしそうユキオくん」

「オイシソー」

 その奇妙な、理解しがたい声は伝播するように増えていく。彼女たちの笑顔が、次第に狂気じみたものに変化していく。


「ユキオクン オイシソウ」


 思考する間も与えられず、ユキオは目の前の女生徒に勢いよく首を掴まれる。女子の腕力とは思えぬ力だった。気道が締まる。息ができない。苦しい。

 酸素を求めて開かれたユキオの口から、意味を成さない言葉が漏れる。

「あ、か、は……っ……あ」

 なんだこれ。殺される。夢の中で殺されたらどうなるんだ? 訳もわからぬままに、ユキオの意識が遠のいていく。

「オイシソウ」

「オイシソウ」

「イタダキマース」

 まるで人形の玩具のような、無機質でどこか人間らしくない声。それが発せられる口腔の、並んだ白い歯が見えた。


「あげないよ」


 ユキオの首が解放された。途端、ユキオは激しくせき込む。彼の首元には、力なくぶらさがる女子の手首があった。手首だけが。

「うわあああああ!?」

 制服の袖の破れ方と、手首の断面を見るに、力任せに千切られたようだった。机に赤い水たまりが拡がっていく。

(何で? ラブコメは? いきなりホラー? なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ)

 机から溢れる液体と、ぶらさがる手首から垂れる液体の生温かさに、気が狂いそうだった。

「ハーナーヤーマー」

「ジャマスルノォー?」

 楽しみを妨害されたことに憤る女生徒たちの声。ユキオの傍らには、いつの間にか花山が立っていた。

 花山はユキオの首にぶらさがる手首をわしづかみ、取り上げたかと思うと床に叩きつける。

「ユキオはあげないよ」

 目の前の光景にただただ唖然としていたユキオは、ようやく花山の異変に気が付いた。制服の袖から、襟から、スカートの内側から、細長い鞭のようなものが生えていたのだ。先端に鍵針のようなものを持ったそれは、生き物のように蠢き、粘液を纏った桃色の生々しい肉の触手だった。そのうちの数本には赤い液体が付着している。先程女生徒の手首を千切り取ったのは「これ」なのだろう。

「ユキオ、逃げるよ」

 花山は触手を使わずに、自らの両手で無理やりユキオを立ちあがらせ、教室の外に引っぱり出した。

「ニゲタ!!」

「キャアアアアアアアアアオイカケテ!」

「ゼッタイニガサナインダカラーァ!」

 既に化け物の雄叫びと化した女生徒らの声に怯えながら、ユキオは花山に導かれるまま駆け出す。先程まで窒息しかけていたのに、いきなり走り出したせいで呼吸が乱れっぱなしだった。花山の触手のことや、急変した女子たちについて問いただしたかったが、うまく声が出せない。

「は、はっ、花山……」

「話は後。まず逃げることを考えて」

 廊下を抜け、階段を下り、たまに空き教室に身を隠しながら校舎の外に出た。校庭の脇を通り、校舎裏の倉庫に飛び込んだ。もちろん鍵がかかっていたが、花山が触手で器用に外してしまった。

 倉庫の中には体育祭や文化祭で使う大掛かりな装飾や、部活動に使うスポーツ用品、草刈り機などが収納されている。丁度校舎の死角にあるため暫くは見つからないだろう。文字通りの肉食系女子に捕まることを考えれば、埃臭いのは少し我慢すればいいことだ。確かに願い事の通り、女子に囲まれてキャーキャー言われている。ドキドキの生活を送っている。だが、こんな叶い方をするとは思わなかった。

「これ……夢だよな……?」

 ようやく息が整ったユキオは、ぐったりしながらそう漏らす。

「そうだといいね」

 ユキオはいつものようにシンプルに返答する幼馴染を、おそるおそる覗きこむ。触手が服の隙間から飛び出ている以外は、いつもの彼女だった。無気力そうに見える伏しがちの目、決して上がらない口角、夏でも穿いている黒タイツ。仕草も話し方も、間違いなく彼が知る「花山」だった。

「はやく目が覚めないかなって考えてるんだけど、私一週間ここにいるのよね」

「一週間!?」

「しっ」

「……悪い」

 思わず大きな声を出したことを咎められる。一週間目が覚めないと聞いて驚いてしまったが、冷静に考えれば夢の中の登場人物が一週間夢の中で過ごしたからといって、別にどうということはないはずだ。自分まで同じ症状が現れるとは思えない。そもそもここは現実ではないし、目の前の幼馴染も現実の花山ではなく、夢の中の花山だ。だからこうして、妙なものが体から生えている。

「こんな体になってしまうし、夢じゃなきゃやってられないんだけど」

 彼女はそう言ってずるりと触手を引っ込める。触手が肌を這った痕に、透明な液体が筋を作っていた。

「ひとつ確認していいか?」

「何」

「お前はあの女子どもみたいに俺を襲ってきたりしないよな?」

 相手が幼馴染だからか、ここが夢の中だと信じ切っているからか、ユキオはとくに配慮も考えもせずに自らの身の安全を第一に据えた。また急に首を絞められたらたまらない。

 少しの間の後、花山は答える。

「……たぶん」

「たぶんって何だよ、たぶんって」

 こっちは命がかかってるんだ、と叫びたかったが、ぐっとこらえる。この状況で大声を出すのはまずい。

「夢だったら、この後どんな展開になるかわからないじゃない」

「そりゃ、そうかもしれないけど」

「襲わないように努力はする」

「……頼むぜおい」

 とりあえず花山は味方と見ていいようだ。油断ならないが。

「ユキオはコレ、生えない?」

 花山はスカートの裾から先端だけ触手を覗かせて言った。

「生えねーよ」

「そっか」

 心なしか残念そうにして、彼女は触手をしまい、その場に座り込む。ユキオも、その隣に腰を下ろした。

「……元気?」

 ぽつり、と花山はつぶやいた。いきなり何だ、と思うが一応答える。

「んー、まあまあ」

「そう。クラス別々になってから、あんまり話さないから。きいてみただけ」

「そうか。花山は変わんないよな。触手生えてるけど」

「うん……変わらないよ。触手生えちゃったけど」

 夢の中とはいえ、幼馴染に触手が生えると言うのは中々シュールである。

「はー、なんでこんなことになってんだ……ハーレム展開でウハウハだと思ったのに」

「うはうは?」

 首をかしげる幼馴染に、ユキオはしまった、と思った。あんな馬鹿馬鹿しい願い事をしてしまったとバレるのはさすがに恥ずかしい。

「なんでもない……」

「ユキオ、変なの」

 それからお互い無言だった。何を話せばよいのやら、思いつかなかった。花山もそうなのだろう。とりあえず今後のことについて話し合っておいたほうがいいだろうか、と、ユキオが沈黙を破ろうとしたときだった。


「ミーツーケーター」


 べりべりと屋根の板材を剥がす音と共に、狂気の笑みを浮かべる女生徒の顔が頭上の穴から現れる。

「こいつら鼻がいいみたい」

 この状況にも動じず、花山は素早く触手を伸ばす。今回はやや本数が多い。

「ユキオ、校舎から離れよう」

 提案しながら、彼女は数本の触手を剥がされた屋根の隙間から女生徒めがけて差し込んだ。

「イタァアイ!!」

 悲鳴と共に数滴の血液が倉庫の床に落ちる。どうやら花山は触手で女生徒の眼を刺し貫いたたらしい。何故分かったかといえば、引き抜かれた触手に白くて丸い光沢のある物体がくっついていたからだ。服のゴミを払う仕草で、彼女は触手に刺さった眼球を壁に叩きつける。神経と思しき線維が、壁を伝って、しぼんだサッカーボールに落ちた。

「行こう」

 倉庫の扉を開け、二人は再び駆け出す。先導する花山は、正門からではなく、体育館裏の塀を登って出ることにしたらしい。触手を塀の縁に固定し、軽々と上に登ると、今度は下にいるユキオに触手を伸ばす。掴まれ、ということだろうが、少し抵抗があった。

「イタイイタイイタイアアアアアアアアアアア!!!!!!」

 倉庫の方角から聞こえる絶叫を耳にすると、躊躇っている場合ではないと嫌でも思わせられる。ユキオは花山の触手を握り締める。ほんのり温かい。湿っているが不思議と手が滑ったりはしなさそうだった。

 触手に体を支えられながら、ユキオは塀を登り終える。本数が多いとはいえ、この細い触手のどこに男一人支える力があるのだろう。物理法則を完全に無視しているような気がするが、夢の中なら仕方あるまい。

 降下時は二人同時に飛び降りた。きれいに着地する花山の横で、ユキオはバランスを崩し、危うく足首をひねってしまうところだった。

「どこか逃げるあてはあるのか!? 俺は転校生ってことになってるからこの町のこと知らないぞ!」

 よろけながら、ユキオはこの世界に一週間前からいるという幼馴染に問う。

「隠れるところが多いところ……商店街、とか?」

「じゃあそこで!」

 二人は学校から離れ、商店街に向かうことにしたのだった。

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