第6話
・・・はずだったんだけど。
「市居さん。市居さん。」
なんだろう。私を呼ぶ声がする。それに体が揺れている気もする。まさか…地震・・・?そんなわけないかと、考え直す。
あれ?今わたし何してたんだっけ。ぼんやりとしてた頭が動きはじめ、うっすら開いた瞳から光が差し込んでくる。誰かが自分のそばに立っていて影を作っている。
「市居さん。もう外は真っ暗だよ?帰らないの?」
「ぅ・・・ん。誰・・・?」
どこか、聞いたことのある声が聞こえてくる。なんだか安心できる声だなと思うも、誰だろうと、目をこすりながら机から顔を上げる。
「あ、1組の咲良です。」
私の問いに、声の主は素直に答える。
「そう。咲良・・・・・・。咲良!?」
ガタンッ
一気に意識が覚醒する。飛び起きたあまりに椅子がひっくりかえってしまった。目の前には、いきなり立ち上がった私に驚いたのか、目を見開いた咲良が立っていた。先ほどまで私は机に突っ伏して眠っていて、それを起こしていたのが咲良のようだ。
ちらりと時計を見ると針は9時を回っている。7時からの記憶がぷっつりとぎれているから少なくとも2時間ほど寝ていたようだ。なぜか気まずい雰囲気になり、お互い立ったまま視線を外さずに見つめ合う形になっている。
咲良と自分の他にだれもいない図書館は、外からは微かだが夏の虫の音が聞こえてくるほど静まりかえっている。その沈黙に耐えられなくなって、自分から声を出した。
「あ・・・えっと・・・咲良・・・君。お、おはよう。」
「あ、うん、おはよう。」
再び沈黙が続く。あーっ!もう私ってばサイアク!!勉強中に眠りこけてその上咲良に起こされるなんて!!!恥ずかしすぎる!穴がなくても掘り出して潜りたい・・・
「市居さん?大丈夫?」
俯いていた私の顔を咲良が覗き込んでくる。近距離で見る咲良の顔は確かに整っていて、女子が騒ぐのもわからないでもない。細身に見えるが、制服の袖から出ている腕はたくましくがっしりして見える。一方、肌はつるつるしており、まつ毛なんか、女子に負けず劣らず長い。…私のほうが長いけど。
とにかく、いつまでも黙っているわけにもいかず、なんとか会話を続ける。
「えっ?えぇ。だ、大丈夫よ。」
しかし顔を見ていられず、目を合わせることなく机の上に広がった教科書を片付けていく。
「もう帰るの?」
「そ、そうね。外も・・・く、暗くなってきたし・・・ははは・・・」
あぁもうだめだ。まともに話すことすらできない。早くあんたも帰りなさいよ、と心の中で必死に祈る。
「そ、じゃあ帰ろう?送ってくよ。」
「そ、そうね。送って・・・って、えっ?」
一瞬、耳を疑う。帰ろうって。送ってくって何が?何で?咲良が?私を?
フル回転させて考えを巡らす私の頭を知るよしもなく、咲良はさも当たり前かのように、ひょうひょうとした態度で言ってのける。
「うん。外はもう暗いし。女の子が一人で帰るのは危ないよ?一緒に帰ろ。」
そう言って咲良はにっこりと笑った。――咲良はこのスマイルが世の女子をオトしていることを知らない。無知は罪である。
「い、いいよっ!い、家、ち、近いしっっ。」
咲良の笑顔に図らずも動揺させられてしまい、もはや自分でも何と言っているのかわからない。
「でももし帰りに市居さんに何かあったら困るし。きっと俺一生後悔すると思うんだ。俺を助けると思って送らせて?ねっ?」
と言って手を合わせ、小首をかしげまたもや顔をのぞきこむ。顔に熱がいっきに集まるのがわかる。心臓の鼓動も相手に聞こえるのではないかと思えるほど耳の奥でどくどくと鳴っている。手にはじんわりと湿り気が出てきて、咲良の申し出を断ろうとも、どうにも喉から声が出てこなかった。