第七回:JZX81
それまで5ナンバーのハイソカーに過ぎなかったマーク兄弟が、バブルの波と大型化の煽りを受け、80系のマイナーチェンジを機に巨大化、高出力化したという印象が強い。
特にこのモデルを切っ掛けに2.5Lと3Lの1JZエンジンを心臓として与えられ、後の90系以降のツアラー系へ至る系譜の礎を築いたという意味で非常に意義深いモデルだと思う。
特にクレスタに於いては、70から80へのモデルチェンジで、ハードトップからセダンへ変更されたのが大きい。これは最終型となった100系へも引き継がれた。
ただ、実際にクレスタがそれを自身の個性として発現をするのは、100系まで待たなければならなかったが……。正直言って80と90クレスタは、筆者の意見としては、単にセダン化してずんぐり体系になったチェイサーだ。
ほぼそっくりさん同士のチェイサーとクレスタと違い。80系から他の2車と遠目にも明確な異なるビジョンを与えられたのは、他ならぬマークⅡである。
長年筆者が疑問に思うのは、内装を全く同じ物を流用している兄弟車
でありながら、何故先代の70系までのように、各々全く違うデザインのエクステリアをトヨタは与えなかったのか?どうしてチェイサーのセダン版のようなポジションにクレスタが甘んじられなければならなかったのか?という事である。
その理由の1つに、この代のマークⅡに、個人向けのハードトップ以外にタクシー向けのセダンが設定されていたという事情が挙げられる。
つまり、マークⅡとマークⅡ・セダンに倣って、チェイサーにクレスタを対応させたのではないか……。
自分から言い出して於いて難だが、筆者自らこの仮説は否定させて貰いたい。
まず、マークⅡ・セダンは、クレスタとチェイサーと違い、マークⅡとは似ても似つかない車である上に、3ナンバーモデルもなければ81型へアップグレードされていない。
次に、マークⅡ・セダンは純粋なタクシー車両として開発されたが、クレスタは一般向けにそうされたモデルであり、根本からの設計思想が相違する。
しかもクレスタがAピラーをドアで覆うタイプなのに対し、マークⅡ・セダンはBピラー以外のピラーが完全に露出しているタイプだ。外観に関しては両車の共通点が何も見いだせない。
今から思えば、マーク兄弟の中で長男のマークⅡだけに全力投球し、残りの次男以下は時期を見て切り捨てる算段をこの時から既に立てていたのか?と邪推しそうになるが、まだ後輪駆動のセダンが世間の定番だったバブルの真っ最中である上に、100系の三者三様のヴァリエーションを鑑みると、とてもではないが考え難い可能性である。
結局、当時の世相を知らぬ筆者には幾ら考えてみたところで、真相は藪の中だ。
されど、この80系、81系がその後のマーク3兄弟に大きな足跡を残した事は間違いない。筆者はそう思っている。