第三十回:A33
A33に直接起因する訳ではない、いや、正確には掠りもしていないのだろうが、先の世紀末はある意味筆者にとって日産に失望させられる年だった。
当時、K12マーチ等、カルロス・ゴーン氏の指揮の元、新生日産としてのその後の主力車種となる様々な車の原型がモーターショーで紹介され、一気に日産への期待が高まりつつある頃だった。無論餓鬼だった筆者とて例外ではない。近所の本屋で売っている雑誌を立ち読んでは、当時の大人と同じようにワクワクとしたものである。
そんな中で夏に発売されたのが、U14からその地位を受け継いだ初代G10型ブルーバード・シルフィである。アヴェ・マリアがBGMだった深緑色の車のCMと言えば、ピンと来る方も居られるのではなかろうか?
で、このG10の前期型が問題なのである。当時からそことなく疑問に思っていたが、このシルフィ、何処からどう見ても5ナンバーサイズにしたA33なのである。
プアマンズ○○、という言葉がある。○○に該当する言葉は何でもいい。ただし、庶民には到底手が出せないお高い物なら、だ。貧しい人達の為に安価で提供される高級品そっくりのなんちゃって商品。要は持っていると少しならず恥ずかしい物の事である。
筆者としてはG10も、プアマンズセフィーロとも言える商品なのではないか、と考えている。
プアマンズ商品自体は悪くないと思う。FF用のシャシーを前後逆にする事で安価なMR車の生産に成功した、プアマンズフェラーリと呼ばれたフィアット・X1/9、そしてトヨタ・MR2。同じようにプアマンズポルシェと呼ばれつつもヨーロッパを中心にモータリゼーションを席巻したVW・ビートル。
いずれも、元になった商品は安くても1千万円、場合によっては億も軽く超え、さらには維持費だけでも年間100万円単位で金が飛んでいく超高級車である。
で、図らずもG10によってその対象とされたA33にそれだけの価値はあるのか?という事である。
A33のスペックは3LV6、車体価格は約350万円。うん、庶民でも普通に手に入る上に高級車として呼べるギリギリのラインのハイソカー由来のセダンである。
幾ら5ナンバー車でもセフィーロのプアマンズなんて有難味も何もあったものではない。しかもよりによってどうしてセフィーロだったのだろう?サニーベースで造るなら、同じ価格帯でも昔みたいにスカイラインやローレルのような人気車種の方が良かったのでは無かったのか?
読者の中で昨今の自動車業界の見識に明るい方が居るのなら、この少し前から欧州のメーカーを中心に、デザインに統一性を持たせてブランドイメージを固定化させる運動が盛んに行われているではないか?これもその黎明期に倣った日産の戦略の一環なのではないか?と反論もされるだろう。だが少し待って欲しい。
中型車にブルーバードを持って来るのは理解できる。日本の大衆自動車史を支えてきた大衆車の定番車種だからだ。だが、そのプレミアムモデルにどうしてA33を持ってきたのだろう?
A33が生産を終え、ローレルと統合されたJ31ティアナに統合された後こそテールライト周りのデザインだけJ31の前期型のようにした後期型が販売されていたが、G11に代替わりした途端、ブルーバード・シルフィは他の車種と同じように、V36スカイラインに代表される日産ブランド色を色濃く出した独自のデザインへと、何事も無かったかのようにシフトしている。結局G10の前振りは何だったのだろう?
さて、無駄な前振りを云えばこの記事の上述もそうであるか……。やっと本題である。
A33について、取り上げておいてなんだが、筆者にはあまり思い入れはない。というのも、あまり玉数が芳しく無かった上に、この時期の日産車にしては非常に無難に纏まった優等生のような車だからである。
ただし、これはあくまでも日本での話。東南アジア界隈では日産車の代表モデルなのではないのかという程、タイでもインドネシアでもフィリピンでも、アホみたいにA33ばかりが路上を疾駆していて驚いたのはいい思い出である。今はどうか分からないが、少なくとも00年代半ばから末までは、あの辺りで一番見掛ける最新型の日本車と言えば、カローラ・アルティスのような安い大衆モデルを除けば、その頃で既に1世代前のモデルにになったA33セフィーロ位だった。
日本と違ってセダンの需要が高く、値段もお買い得なアッパーミドルクラスのファミリー向け高級セダンなので、市場の裾野に広く深く食い込める事が可能だったのだろう。変に奇を衒ってない無個性とも言うべきデザインも、性能や耐性が均一的で信頼が出来る日本車をイメージ出来る意味で、良い方向に作用したのかもしれない。筆者はそんな風に勝手に推測している。
A33に関して確かに言える事は、大筋だけでなく細やかなところでも、A32のイメージを忠実に踏襲しているところだろう。
例えばテールランプのレンズ配置のパターン。全てのピラーに覆い被さるドア周りのデザイン。VQ30を横向きで搭載したFFパッケージ。よく見ると、左右に2枚ずつあるドアの下部に泥よけ用の細長いマッドガードがサイドカーテンとは別に付いている。
外装のみならず内装の雰囲気も、メーターフードの形状や計器類の色と配置等、A32とA33の2台は驚く程よく似ている。そりゃ、日産のみならず連続して継続されたモデル同士の雰囲気はどうしてもそっくりになるのは仕方がないが、日産車には特にこうした印象の同期性が強いモデルが多く存在しているような気がしてならない。
A32とA33の違いを強いて挙げるとすれば、全高や全幅といったサイズの違いだろうか……。時流に逆らえず、やっぱりA33はA32より全体的に一回り程大きくなっている。
それと、特に助手席側のダッシュボードの形状に大きく手が加えられ、後ろのナンバープレートの取り付け場所がリアバンパーから視認性に優れたトランクリッド上へと変更されている。細かい点だが、ステアリングホイールに刻印されていた日産のエンブレムがボディーに着けるのと同じステンレス製の埋込み式のそれに取って代わられている事もその1つであると言えるだろう。
先に記述した通り、A33はフォーマルな意味で無難という点では確かに良い車だった。しかし同時に初代のような攻撃的とも言える若々しさや、先代のような挑戦とか冒険性も失われていた。言うなればクラウン等の如く、大多数の通な車好きを自称する人間にとっては面白みの薄い、おっさん臭い車に成り下がってしまっていたのである。
ああ、そうか!だからG10は態とA33に似せて造られたのか。ブルーバードも世間的にはおっさん臭い車の代表格みたいな扱いだから、敢えてそれを逆手に取った戦略を取ったのだろう。流石、我らが日産自動車である。
想像すると無性に悲しくなってきたので、今回はこの辺りで話を切らせて頂きたい。




