第三回:JZS140、JZS147
140系は兄弟でありながら、他のマーク兄弟等と異なり、それぞれが設計思想も性格も全く異なるという点で、トヨタにしては珍しい車だと思う。
Y32の項で言った通り、糞車としてデビューしてしまったロイヤル前期型。セルシオとクラウンの架け橋の役目を見事果たした名品の初代マジェスタ。傑作として讃えても申し分ない、巨匠ジウジアーロのデザインによる初代アリストである。
それでは、この3台それぞれについて語っていきたいと思う。
まず、140系ロイヤルはS60以来の失敗作としてトヨタの歴史に名を残す事になった。筆者はクジラの前衛的なデザインは嫌いではないが、14前期に関しては問答無用で糞だと考えている。
理由として、設計段階から無理があった。
当時、RV車とトラック、バスを除く殆どの乗用車がモノコック構造のフレームへと移行を終えた中、セダン型乗用車の中でクラウンだけがラダー型の車台構造を採用していた。そしてその上で140ロイヤルは、さもモノコック車に見えるように開発されたのである。
モノコック構造は車体全体で車を支えるという構造上、安全面でどうしても車格が大きくなる。そこへラダー構造の車にその思想だけをぶち込む訳だから、デブった車が出来上がるのは自明の理である。
しかもその身体を更に大柄に見せる為に、丸っこくて後ろへ大きく突き出したデザインを採用したものだから、140ロイヤル前期型は見る者にお尻の重たい鈍足なイメージを植え付けてしまった。
まだ速さも美徳とされたこの時代、見るからに性能の悪そうな車が売れる訳がない。しかも実際はそこそこ速かったのだから、デザインセンスが最悪であるという意味でますます救いようがなかった。
流石にトヨタもヤバいと感じたのか、後期型へのマイナーチェンジ時には、後部のデザインを刷新し、ぐっと質感が向上した。
13系後期のオマージュしたテール周りは、真ん中辺りに水平方向に微妙に山折りになっている細かい所まで粋に気を配った良い意味でクラウンらしい物で、その整った雰囲気を筆者は気に入っている。尤も、糞だったエクステリアデザインが及第点を取れる程度までに落ち着いたに過ぎないから決して褒められた物ではないが……。
このように同じ型式の車でも、前期型や後期型によってレンズ等のデザイン、果ては標準装備までが全く異なるという事が日本車では往々にしてある。もし読者の中に出たばかりの新車を購入する予定の方がおられる場合、あと2年か3年は待ちなさい、と筆者は助言したい。中期型や後期型が出てから考えても決して遅くないからだ。
マジェスタは、幸か不幸かアリストと基本構造や技術を共有する事になった為に、クラウン史上最初のモノコックボディー車としてその生を受けた。初っ端からそう云う車として造られたから当然だが、ロイヤルのような歪な感じは全然しない。至極自然なスタイルをしたモデルである。
衝突安全性が叫ばれ始めた頃のモノコックである上にフルサイズ化の先駆けとなった為か、前後のフェンダーに掛けてドアにもっこりとした膨らみが出来てしまっているけれども、クラウンらしいようでクラウンらしくない精悍な顔立ちと優美で引き締まった尻によって、却って調和を生み出す要素の1つとなっている。
特にヘッドライトに内包された黄色のフォグランプを、それだけプロジェクタータイプのランプにする等、潤沢な開発費をつぎ込んだと分かるお洒落で豪奢な造りにしていたし、消灯時の尾灯のレンズのほの暗さの加減まで拘りを感じさせる造りをしていた。内装こそ、ドアノブがメッキ部品ではなく同色のプラスチック等、当時の流行とは云え今と比べるとやや貧弱な感が否めないが、このクラスの車なら十分なレベルである。
兎に角性能も良いので、この車が居るだけで絵になる。日本車、それもセダンではこんな車は珍しいかもしれない。
デザイン的に初代マジェスタが成功した理由を考えるに、単純にクラウン以外の車をベースにしてクラウンを造り上げた、この1点に尽きると筆者は考察している。
4ドアセダンという特徴を除けば、設計思想も市場ターゲットも殆ど被らない、兄弟車とは名ばかりの車をベースに選ばざるを得なかった事が、結果的にマジェスタに幸運した、と筆者は思えてならないのである。
というのも、この14マジェはとても魅力的で食指が動くのに、この後現在までクラウンをベースに手を加えた15、17、18、20のどのマジェスタにもあまり魅力を感じないからだ。高級車としてはベース以上の1級品になったが、趣味車としては2流になった。そんな気がしてならないのだ。
JZS147アリストは、恐らく最初はJZS150か、他の開発コードを与えられた車だったのだろう。だがマジェスタのモノコックボディーへの仕様変更に当たってベース車として白羽の矢を立てられた事で、147というトヨタには珍しい中途半端な系番号を冠する羽目になったのではないか?そんな気がする。
しかし、中身はカーデザイナー界が誇る巨匠と、当時のトヨタが持つ最新技術の随を結集して造られた4ドアスポーツカーである。中途半端な物では断じてない。
特にそのデザインの先見性は凄まじく、ヘッドライトのプロジェクターランプは現在の車でも普通に採用されているという意味で流行の走りだったし、バンパーのエアロ開口部両側からサイドへ掛かるレンズ形状のフロントフォグランプは18系、通称ゼロクラウンでも採用されていた。左右2本出しの極太マフラーなんて、今でも大排気量高出力車の象徴する部品である。
特にリアデザインの形状は190系レクサス・GSにも踏襲されたのだから大したものである。
エンジンだって凄かった。何せスープラしか積んでなかった2JZ-GTEエンジンを搭載されていたのだから。
そう言う意味では貴重な車の筈なのだが、2012年現在、初代アリストは約10万円で取り引きされているらしい。中古市場は世知辛い。
因みに、自作品の中の登場人物の愛車として、筆者はよく147アリストを登場させている。そんなどうでもいい話をして、今回は締めようと思う次第である。