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第二十八回:プジョー・406

 某自動車雑誌であるモータージャーナリストがこんな記述を遺していた。曰く、ドイツ車が好きな人はフランス車を好まず、また逆も然り、と……。

 筆者に限定すれば確かにこれは的を射た意見だと思う。薄々お気付きの方も居られるだろうが、筆者は日本車の他にドイツ車、特にメルセデスのサルーンが大好きだ。

 だがしかし、そんな車大好きな筆者でもフランス車は今ひとつ好きになれない。否、素晴らしい車だとは思う。芸術の街巴里だけでなく大抵の石造りの欧州の街並みによく合うのはルノーやシトロエンの自動車である。乗り心地だって、石畳みの路面ではどうしても足のサスの柔らかいフランス車が他の国の車と比べて優位に立つだろう。デザインだって華ばかりのイタリア車とは違った意味でとっても上品でお洒落だ。

 だが、筆者とはどうしても馬が合わない。本来設計思想を異にする筈のセダンやクーペやミニバン等を、まるで小型車を造るようなノリでデザインしている風潮や、あのペコペコした独特のサスペンションの感触を心地よく思えないからだ。やはり足回りは少し固めの方がいい。それにいくらブランド毎の個性を出すからって、名前の番号と車格が違うだけで皆同じ顔なんてどう考えても興ざめだ。だからと云って持ってきたのがサムスン製の韓国車のリバッジとかもうね……。


 愚痴を言えば、このように立石に水の如く色々と捲し立てられる。しかしながら、こんな筆者でもいいなと思えた数少ない仏車が何台かある。その1台が今回紹介する406である。


 察しの良い方なら、もう既に今回の題字を見てピンときているであろう。そう、かの有名な仏画である『Taxi』シリーズの処女作から3部まで主人公ダニエルの相棒だった白い車体の改造タクシー、それのベース車両である。

 別に筆者は映画が嫌いではないが、偉そうに評論を下せる程精通している訳ではないし、映画譚を語るなんてこのエッセイの要旨に反するような気がするので割愛するが、たとえCGで創った紛い物だとしても、カーチェイスしてかっ飛ばす406の姿に痺れたのは、読者の中にもいらっしゃるのではなかろうか?


 まあ、そういう思い出補正を差し置いたとしても、406は、否その頃のプジョーのモデルは何とも言えない車だった。何となく既視めいた物を感じる車が多かったのである。

 特に406ではそれが顕著だった。何故だか分からないが、筆者には同時期に発売されたアコードの1つ前のモデル、CD3~6までのモデルの顔つきと非常に似ている気がしてならなかったのである。

 想像してみて欲しい。プジョー・406のフロントグリルに付いているあの二本立ちしたライオンのエンブレムを引き剥がし、代わりに四角い枠で囲まれたHのエンブレムを填め込んでみたら……。あまり違和感を覚えない事をお解り頂けるだろうか?

 普通なら日産車がルノーのエンブレムを着けていたりする程度の事なら何とも思わないが、特に提携関係がある訳でもなければグループ企業同士でもないトヨタ車がメルセデスのエンブレムを着けていたり、逆にフォード車が三菱のそれに変えていたら、誰だって疑問に思う。しかし406ではそういう疑念はあまり感じない。何故か?似ているからである。


 サイドの出っ張り部こそ他の部分を大きく膨らます事で誤魔化しているようだが、特に屋根等の全体のフォルムと、ドアと窓の縁のラインよりも上部に来るトランクリッドの平行なラインと、リアスポイラー状の反り返りのあるトランクリッドデザインの酷似。他にも色々あるが、リアコンビランプ等にプジョーらしさを醸し出していても酷い。

 無論、内装も云うものかな。ハンドルに付いているライオンのエンブレムがなければ、何処の日本車だろうか、と自他共に相当な車オタクである筆者でさえ一瞬考える位である。


 つまるところ、これをパクりだの商標権の侵害等だのと断定して弾劾するのは、ちと短絡過ぎる。というのも、プジョーが日本車のデザインと日本のカーユーザーの嗜好を分析した結果、こうなったという可能性も若干ながら捨て切れないところがあるからである。

 実際、日本に正規で導入された406は右ハンドル車ばかりだった。当時、右側通行国からの輸入車の中にも日本仕様の右ハンドル車の比率が徐々に増えていたとはいえ、余程日本の自動車市場を戦略的に重要視していない限り、ボルボやサーブ等の北欧車を除いてデフォルトは左ハンドル、というのが一般的だった。同じ左側通行国のイギリスのジャガーやロールスロイス、ケータハムまで、日本用には受けが良いからと大陸向けの左ハンドル車をそのまま輸出していた事が多かった程である。だから右ハンドル車しか無い、というのは今だからこそ普通にあったりするが、当時は相当異端だった筈である。

 これはあくまでも筆者の推察だが、対トヨタ、ホンダ、VW、フォードにおける世界戦略車、それがプジョー・406という車では無かったのか。大衆向けライトハイグレードサルーンとして先に成功していた、トヨタ・コロナエクシヴ、カリーナED、ホンダ・アコード、VW・ボーラ、パサート、フォード・トーラス。この辺りの車をライバル車として研究を重ねていたのではないのか。

 根拠は全くないが、駆動形式やエンジンの排気量とグレード展開を見る限り、何となくそんな事を考えてしまう。


 結局の所、プジョーの研究は一定の成果を挙げたのではないだろうか?それまでシトロエンやルノーのようなフランス車は、日本ではごく一部のマニアが好むような車だったが、プジョーが躍り出た事で一気にメジャーな車に結果的になった気がする。

 尤も、あくまで気がするというだけだが……。

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