第二十七回:W210
第一印象は、驚いた……、だった。
この車を初めて見た時の衝撃は凄まじかった。幼子であった筆者でさえそうだったのだから、長年のベンツ愛好家にとっては相当なものだったのではなかろうか?喝采を送る者がいれば、失望し見限った者もいて、それはもう悲喜こもごもな様相を呈していたに違いない。
それは青天の霹靂だった。それまで何だかんだとW124やW140のように角ばったライトの四角い異型ランプの保守的な車を造り続けていたベンツが、前触れもなく丸っこい、それでいて鋭いデザインの新型車を市場に投入したのだから。
その車が、今回取り上げたW210、2代目Eクラスである。
旧来のメルセデスのモデルと一線を画したその一番の特徴は、何と言っても顔つき、目の造形である。
それまでのメルセデスらしい大口のフロントグリルの両脇に、四角いランプではなく、楕円系のそれを2つずつ配置する。しかも外側のロービーム側のランプは上下1:3位の比率で水平な隔壁が設けられ、その上4分の1のスペースはウインカーへ割り振られている。
現在こそ、丸っこい異型ランプのヘッドライトの中に不自然に隔壁を作ってウインカーやスモールランプをぶっ込んだ車など珍しくも無くなったが、少なくとも筆者の記憶では、W210より前にそのような車は無かった。つまり、W210の出現によって、メルセデスは元より、世界中の自動車のデザインの主流が大きな転換を迎えたのである。
そういう理由で、今でこそW210のデザインは街の自動車達の中に違和感なく溶け込んでしまっている訳であるが、登場後暫くはあのデザインが浮きに浮きまくっていた事は、当時生まれてなかった子供らや自動車に疎かった諸氏等にも想像に難くないと思う。事実、当時の感覚で言えばW210は奇抜過ぎたのだ。
勿論、当時、否それ以前ずっと昔から他の多勢とは袖を断つ色物とも云うべきモデルは数多くあった事も事実である。それ自体は別に珍しい事ではない。ただ、W210がその後の自動車の変遷に決定打を当てたのには、単にそれがスーパーカーとかスポーツカーのような元々世間から浮いている車ではなく、セダン、それもベンツという自動車の創世期から高級車を造り続けてきた古参メーカーの自動車だった事が大きい。ベンツが用意したトレンドという長い物に、業界全体が挙って巻き込まれたのである。
ベンツの提言した変革は、何もデザインだけではなかった。W210は、恐らくベンツが温めてきたのだろう当時としては新しい車の設計概念を如実に体感した車でもあったのである。
旧来、車は頑丈であれば剛強である程良い、とされる価値観が世界を大きく支配していた。ボルボ等が好例であろう。高速道路で横転しようが電柱に突っ込もうが出来る限りその原型を維持する。それが全てに於いて最重視されていたのである。
自動車が富裕層の間のみで普及し始めた初期の時代から、既にスポーツモデルを中心として流線型を基調とした曲線を多用するデザインをした車が跋扈していたのにも関わらず、1970年代から車のデザインが真四角の直方体を組み合わせたような物に一辺倒したのも、単に障害物への接地面を平坦な物にして接地面積を増やす事により、衝撃や圧力を分散させて少しでも原型を維持する事に終始した結果であるのだ。
ところが、ベンツは見事にそれを真っ向から否定した。つまり態と車体の一部を壊れやすくした車を世の中に提示したのである。
今でこそ、フロントのボンネット部やリアのラゲッジスペース部をセーフクラッシュエリアにして潰して衝撃を吸収させる事でキャビンに居る乗員の命を守る、という設計思想は車を製造する事に関わっている技術者達にとって最早当然のように知られている。しかし忘れてはならないのは、これはこのほんの20年で広まった新しい思想だと云う事だ。
全てはW210というモデルから始まったのである。
W210は新しいベンツを象徴する自動車であった訳であるが、同時に現在までも脈絡と受け継がれている保守的な性格も持ち合わせていた。
それは内装に色濃く現れている。まずはインパネの機能性を追求した判り易く使い勝手も良いボタン配置。ベンツというとどうしても裏稼業従事者や成金の愛用品というイメージの所為か悪者にされがちだが、純粋な評価としてメルセデスのこうした気配りの効いたユーザー重視の姿勢は素晴らしいと筆者は常々考えている。
次にドアの内鍵である。メルセデスのドアロックはとても細くて華奢だ。ドア自体が頑丈で半ドアでも無い限り走行中に開く危険性が低いからか、実際は違うものの見ようによってはあまり頻繁に手動での開錠施錠を考慮していないようにも思える。これも1つの伝統だ。
最後に、やはりヘッドライトの操作スイッチだろう。
メルセデスのオーナー、または乗車経験のある方ならご存知だと思うが、ベンツのヘッドライトの操作部は普通の車と違い、所謂ダイヤル式と言われる物が採用されている。しかしながらダイヤル式自体は特に珍しくはない。冬場に運転者が厚い手袋をして運転する事が想定して製造されている欧州車は大抵ダイヤル式だし、北米車や日本車にも採用している車は高級モデルを中心に案外多い。
メルセデスの珍しい所は、1つのダイヤルでハイ・ロー切り替えやパッシング操作を除く、前後フォグランプやパーキングランプの操作をもダイヤル一つにコンパクトに纏め上げている事だろう。オフ時から右にダイヤルを回せば、車幅灯、下向きと漸次点灯し、ダイヤルの鍔を左右のどちらかに振ればその方向のテールランプが強く点灯してパーキング状態を後続車へ通知する。
フォグランプの点灯操作も、初見の時には戸惑ってしまうが慣れてしまうとこれ程使い易い物もない。スモールライト点灯時にダイヤルの鍔を掴んで1回手前へダイヤルごと引き抜くとフロントフォグランプが点灯、そのままもう1段引き抜くとリアフォグが。逆に押し込むと後ろ、前の順番に消灯。ついでにフォグランプ点灯状態でダイヤルをオフの位置に戻すと、ライト消灯時に引っ張りだされていたダイヤルが元の位置まで引っ込む仕様となっている。
メルセデスは素晴らしい。……という話で今回は話を締めようと思う次第である。




