表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/44

第二十回:A32

 前期型と後期型で、基本的なコンセプトやデザインは維持したまま印象を大きく変換してきた、かなり少数派で珍しい車だと、筆者は感じている。


 実際、フロントフォグランプやその周りのバンパーのエアロの空気の取り込み口の形状の変更、前照灯の反射鏡のクリスタル化とライトカバーの透明処理、リアコンビランプのデザインの小変更と球面加工のやり直し、そうした些細な変化が積もっていつの間にか全体の印象が刷新されたのだから大したものだと思う。

 特にフロントフォグランプの形状を、真四角でコーナリングライトとの間に隙間があったタイプから、逆さになった台形円弧状でコーナリングライトと密接している現代的なタイプへとベクトルを上手く変えてきた事は、筆者は十分評価して然るべきだと思う。たったこれだけの処理でも、何処か古臭くて安っぽいデザインから現代的で少しサルーンめいた物へと、質感が一気に向上しているからだ。


 A32で思い出深い事件といえば、たいして長くないとは云え、セフィーロ史上この後期型にだけWA32という派生ワゴンが登場した事だろうか。

 古くはクラウンやセドグロ等のように、昔からセダンの派生車種にワゴンや背の低い商用ライトバンがラインナップされているのはよくあった。だが、初代からずっとワゴン仕様を造っていた車がいつしかワゴンを廃止してセダンに一本化する事例、若しくはスバルのレガシィのようにワゴンの方がメインになった車は数多くあるが、セダンしか無かったのに突然ワゴン車もラインナップに加わったという例は極めて珍しい部類だと思う。少なくとも筆者は殆ど知らない。しかも1代、どころかマイチェンしてからフルチェンするまでの極々短期間しかその派生車種が存在出来なかった、という希少性も考慮すると、中々珍奇な事のようにも感じられるのである。


 ここで1つの疑念が筆者の中で巻き起こる。どうして日産はセフィーロワゴンをA32のマイナーチェンジが済んでから出したのか?そしてどうしてA33の時には前後期共にワゴンをラインナップに加えなかったのか?


 A31の項目でも考察したが、セフィーロは元々シルビア等のクーペに乗りたい、若しくは乗っていたが諸事情で4ドアの乗用車が必要になったカップルとその家族の為に開発されたのではないか?という可能性が多いにある。

 この仮説が正しいとして考えると、セフィーロは高級セダンではなく、ファミリーセダンというのがその本分であると窺える。

 今なら相当なセダン好きか変わり者か相当保守的な人でない限り、既婚者で子持ちの環境で敢えてセダンをファミリーカーとして購入する事は無いだろうから時代錯誤も甚だしい。が、兎に角ファミリーカーといえばセダン!そんな昭和な感覚を元に製造されていたのがセフィーロという車だったのだ、と筆者は考える。


 丁度A32が世に出た90年代後半。富士重工がレガシィを口火にその活路を見出した家庭用ステーションワゴンという新しいカテゴリーによって、世間にはステーションワゴンで溢れていた。ビスタ・ワゴン、ステージア、カルディナ、アコード・ワゴン……。そのすぐ後から続き現在まで隆興しているミニバンブームとやらの下地が出来たのもこの時代である。


 単に時系列とその背景だけで二元的に考えると、当時の日産は急に到来したワゴンブームに肖って急拵えでA32にワゴンをラインナップしたように見える。いや、事実そうだったのだろう。

 しかし、よく考えてみるとWA32の登場年はA32がマイチェンを終えてから少し経った97年。さらにその1年前の96年にはステージアという家庭用ワゴンの専門車が出ていたし、その他には当時の流行だった5ナンバーサイズのFFのアクティビティー性の高いモデルにはその頃からウィングロードやプリメーラ・ワゴン等、結構な数のモデルが揃っていた。

 加えて、クライスラー社が発掘したミニバンの購入層の潜在的で莫大な予想需要に各メーカーが注視し、現在のようなミニバン一辺倒に向けて既に様々な商品が開発され、同時に販売も始められていた。無論日産も例外ではない。


 こういう奥行きのような物を見出すと、はっきり言ってA32のワゴンは急を要してまで加える必要があったのか?という疑念に辿り着くのである。いくら高級車市場で3ナンバー化が粗方完了していた時期とはいえ、否元々高級車からの派生車種である事も含味しても、3ナンバーのワゴンを出す事がこの手の需要に適応していたと云うのは時期尚早過ぎるだろう。しかもステージア等と違ってFF車だと、後の歴史が証明したようにミニバン勢に根こそぎ食い荒らされ、一部の超人気車種を除いてステーションワゴンが軒並み絶滅する、その陰りのような物も上層部は既に見通せていた筈である。

 この辺りで断定するのもどうかという声も上がるかもしれないが、結果的に要らない子になってしまった事を、後のP12と共に販売数で、さらに次代にワゴンがラインナップから消失するという過酷な現実によってA32は我々にその身を以て示してくれた。


 しかしながら、そうなると薄々予測できていただろうにどうして日産はセフィーロ・ワゴンを敢えて世に送り出したのだろうか?それは、セフィーロの本分が家族の為の車だったからに他ならないのではないか……。そう筆者は想像するし、同時に当時の日産の心意気のような物に感心してしまわざるを得ないのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ