第二回:Y32
クラウン史上最悪の糞車だった140系前期ロイヤルよりは数倍マシだが、セドグロ、及びシーマの中でも駄作中の駄作という印象がある。140系の販売台数を上回り、日本車の歴史の中で唯一クラウンとセドグロの売上高が逆転した事を除けば特に取り立てる所もない車だ、と個人的には思う。
強いて言えば、Y33及びそれ以降に続く、セドグロの完全3ナンバー化の流れとハードトップレスからハードトップド化、シーマのハードトップレスからセダン化……、大型化への過渡期に於けるこれらのモデルのデザイン性を良い意味でも悪い意味でも特徴付けたと云う事くらいだろうか。
もっとも今記述した通り、次世代へ引き継がれたその造詣は決して悪い物では無い。寧ろ、それまでクラウンと同じ横長の長方形の形をしていた尾灯のレンズが、限り無く三角形に近しい台形のような形状へ変化したという意味では革新を起こした車と言えるかもしれない。
年式やグレードによって多少の差異は見られるが、往年の伝統通り、セドリック、グロリア、シーマの3車種は同じモノコック構造の骨格と車体を与えられており、殆どの部品が共通している。
その形状は直線基調で角張っていて、局所に丸みを帯びており、低く広くを地で行っている。
だから格好良いのだが、背高ノッポで曲線基調の車がもて囃される現代においては、どうしても古臭いと筆者は感じてしまう。当時の大部分のオーナーのように、14クラウンかY32の2択なら、筆者も迷わず後者に飛びついただろうが、数ある選択肢の中でとなると、敢えてこの車を選ばなければならない必要性が全くない。
筆者にとってY32はそういう自動車だ。
確かに詰まらない凡庸なデザインをしたY32だが、セドリックとグロリアに関して言及すると、自動車の造形設計のお手本になる程基本に忠実に則したその形状は、3ボックス構造のハードトップドセダンの基準点と定めるに必要十分である、と見做しても差し障りないと思う。そう言う側面から見れば十二分に及第点を与えられる車だ。だから凡庸という点で駄作ではあるが、失敗作では決してない、と筆者は考えているのである。
良い意味で平凡だが、その内にセドグロの伝統である不良のような悪っぽさを秘めた車。それがY32の印象から受ける筆者の評価である。
この印象は他の人も同じ物を抱いて居るのか、セルシオ等と共にVIP系の改造車の素材として、比較的よく見受けれるような気がする。そしてそれは、丸目4灯仕様をした前照灯を持つグロリアで特に顕著な感じがしてならない。まあそれは、単に筆者がこの型のセドリックとグロリアのアルティマの前期が好きだというだけだからかもしれないが……。
兎に角、セドリックとグロリア、この2台はまだ良いとして、問題はシーマである。こいつは、勿論最悪という意味で日本車史上類を見る駄作だ。
恐らくプレジデントのすぐ下のクラスに位置する上級サルーンだからだろう。そのまま悪ぶらせてセドリックのセダン形態として終わらせておけば良かった物を、下手に手を加えた事で素材ごと駄目にしてしまった。だから筆者はこの型のシーマがとても不憫に思えてならない。
例えるなら恰幅だけは良い三下のチンピラ風情か。スタイルだけが取り柄だったのに、引き締まっていた体つきがだらしなくなった事で目も当てられない事態に陥ってしまっている。
具体的に言うと、まず一回りも太った。しかも丸くなった。シャープな印象のハードトップと比べると、普通のセダンである事を考慮して、もうこの時点で致命的にダサい。
次にヘッドライトの形が輪を掛けてダサくなった。セドリックのような横長な目ではなく正方形に近い異形ランプを採用する事で可愛らしくなった。が、これはコンパクトカーではない。はっきり言って誰もこの手のセダンに愛嬌など求めていない。欲しいのは高級車らしい男の格好良さだ。
更に、トランクリッドの上縁のラインが後方下側へ向かってガクッと落ち込んだ。これは後のレパードJフェリーやU13ブルーバード・セダンに特に顕著に見られたデザインだが、筆者は一度たりともこれが格好良いとは思えた事がない。逆にこの手の風貌の車位リアウィングの似合わない車も珍しいと思う程だ。
極めつけは、セダンにした時のピラーや窓枠等のディテールの作り込みのお粗末さである。ピラーに窓枠を一部でも掛けるならせめてY31セダンやセフィーロのようにAピラー全体にドアが被さるようにして欲しかった。あと、硝子を囲む部分にメッキ加工をしていないのも頂けない。
この前のY31型と次のY33型が名車にするに相応しい出来映えであるが故に、筆者はY32シーマの出来が残念に思えて仕方がない。ここできちんと造り込んで勝負を賭け、次代のY33へと襷を繋げていれば、F50でその短い歴史に終止符を打たなくても済んだかもしれない。セルシオ超えだって夢では終わらなかっただろう。
最後は筆者の愚痴のようになってしまったが、今回はこの辺で話を終えようと思う。