第十八回:MCX10
現在もカムリと共に北米トヨタの旗艦セダンとしてその任に着いている、アバロンの初代モデルである。
3LV6エンジン、大柄なボディー、FF……。北米を主軸と据えているとはいえ、ものの見事にその頃から近年までの流行りのアメ車を体現した車である。少なくとも基本的なコンセプト、ないしスタンスの上では間違いがない。
だがしかし、そこはトヨタ。どこをどう見ても日本のトヨタ車にしか見えない。アメリカらしく豪快なファストフードを作ろうと思ったら、どういう訳か懐石料理になりました、というような理解に苦しむ自動車を見事に拵えてみせた。
筆者的に、初代アバロンは140系クラウン・ロイヤルのFFセダンバージョンという言葉がぴったりな車のように思えて仕方がない。実際、MCX10の前期型のヘッドライトは、140やC10を彷彿とさせる、タレ目で頼りない雰囲気を醸しているからだ。
リアデザインも如何にもトヨタらしい。後期型に変わる時こそ今様になってしまったが、前期型のそれは少し古いセダンを彷彿とさせるシンプルな造りをしている。
少なくとも、外観に関してトヨタらしくない箇所をこの車に求めるとすれば、Cピラーの後部ドアの硝子のすぐ後ろに設けられた三角窓位だろうか?あくまで素人の疎い知識と印象からの勝手な意見だが、この手の三角窓の配置は、日本車に限って言えばトヨタにはあらず日産のお家芸のような気がする。現に、Y50フーガとか現行J32及び先代J31のティアナにもバックピラーに三角形のガラス窓が誂えられているし、古く時代を遡れば、A31セフィーロやJG50プレジデントもそうだった。一方、トヨタの中でこの手のインCピラーの三角窓を採用しているセダンを考えても、思いつく物でこの車と、次期型のMCX20、古い時代の初期のカムリやコロナの一部位しか筆者でも思い浮かばない。精々、トヨタの系列に入ったからという理由で強引にスバルの歴代レガシーのセダンやB4を挙げる程度か。
だからこそ、3ナンバーサイズの大型車で且つトヨタ車のセダンの中で唯一ドア後ろのCピラーに窓ガラスを取り付けていたアバロンは、地味だけれども大変珍しい車のように筆者には思われるのである。
この車、MCX10アバロンを語るとすると、その真髄は凡庸なエクステリアではなくインテリア、車内のデザインの方ではなかろうか。兎に角、筆者の感覚からすると、アバロンのそれは形而上、または概念的な意味で明らかにおかしい。
ただし、R32だとかシトロエン・DSのように、操作部の位置が変等、誰の目から見ても明確な相違点ではなく、一見他の車との顕著な違いは見いだせないが、何となく違和感が拭えない、そんな漠然とした不安を内包した非常に判り難いおかしさだが……。
最初に目に付くのは昔ながらのハの字に開いた2スポークのステアリングホイールである。車はどうみても内外共に平成時代のトレンドのデザインで構成されているのに、ここだけ妙に末期の昭和臭い。しかもカクカクに角張らせておけばまだ納得する事も出来たのに、変に今様に丸みを帯びているから、どう見ても少人数の普通乗用車ではなく、トラックやバスのそれの小さいサイズの物としか見られないから余計にムズムズする。
どういう訳か、このハイエースの方が相応しそうな八の字ハンドルを、4本や3本の普通のステアリングホイールに仕様変えする事無く、トヨタは後期型にも継続して採用していた。この形のハンドルに拘りでもあったのだろうか?
まあ、このステアリングホイールの形状から彷彿した訳でもないが、インパネの、特にメーターフードのセンターコンソールになだらかに沿い落ちる平たい丘のような造形も、微妙に10系ハイエースを思い起こさせる。これが筆者にはとてつもなく奇妙に感じて気持ち悪いのだ。視点も天井も低い、何故かボンネットが見える!ハイエースという偏見から、その実態は普通のFFセダンであるという事に筆者は激しく打ちのめされるのである。
まあ、それは言い過ぎだとしても、車に詳しくない人のように、ああこれこういうデザインなのね、と素直に受け入れる事は非常に難しい。決して嫌いなデザインでは無いのだが……。
MCX10についてさらに語るとすれば、前期型から後期型への変遷だろうか。
トヨタ車にはよくある事だが、このMCX10も相当なデザインの変更を為されている。特にリアコンビランプ。台形を2つ左右の端に並べたようなデザインから、トランクリッドと両端にライトを分け、それぞれ上下とトランクリッドの境界で分割して2つのブレーキランプとハザードランプとバックランプで4分した物に交換されている。
さらにフロントではフォグランプが前照灯内部からバンパー下両端に移動され、着色ガラスの黄色から白いクリアレンズの物に変化した。どうもこの時期、90年代後半に、トヨタは高級車の外装デザインを一斉に変化させたらしい。思えば15クラウンも、C20セルシオも後期型でその雰囲気を一変させていた。
因みに筆者は格好良いからという理由で、どれも後期型の方が好きである。そんな、だからどうしたという無駄な情報を添えて、今回は話を終えようと思う。