第十六回:プラウディア
まさかの3回連続での三菱車の話題である。いい加減にしろと宣われる読者も居るかもしれないが、我慢して暫し付き合って貰いたい。恐らく今後、旧車に立ち返る等に及ばない限り、三菱の車に触れる事は当分ないと思うからだ。と云うのも、このプラウディアを最後として、現在のところ三菱は高級セダンを一切造っていないからである。もしも三菱が復興を果たしてデボネアやディアマンテのネームの復活、またはギャラン等の高級化、さもなければ全く新しい名前の新型高級セダンを販売しなければ、またこのエッセイで三菱の車を取り上げる事は、たぶん無い。
で、事実上三菱の最後の高級車になってしまったプラウディアについてである。
一言で言えば、まずこの車の存在自体を知っている非車ヲタが非常に少ないが、ごく一部の車ヲタにとっては三菱車の黒歴史として物凄く有名、な自動車である。その為オーナーの数も現存車両数も極端に少なく、滅多な事ではお目にかかれないにも関わらず、何故か調べれば簡単に情報が収集出来てしまう、そんな不思議なモデルである。尤も、エンジン以外を日韓共同で開発してから裏切られて三菱が地の底へと落ちていくという事の顛末が詳しく判るだけで、実際中古車や内装等の突っ込んだ情報を得るのは他の絶滅危惧種と同様に困難である部類には違いないが……。まあ、ない事もない。寧ろこの手の全然売れなかった車の割には充実している方である。
いくらトヨタのセンチュリーに対抗して5L近い大排気量エンジンを引っ提げたグレードが存在していたからといって、3.5LV6を搭載している車の割には大柄なボディーを持っている。そこまで極端に大きな訳ではないが、現行300Cといったクライスラーのフルサイズセダンのような容姿をしている。同じフルサイズでも、他のアメ車のように近距離でまじまじと見つめたり乗ったり別の小型車と比べたりするとその大きさがよく分かるが、遠目に走っている姿を観察する限りそこまでは感じない、というのとは違う。近くで見てもでかいし、遠くから眺めてもでかい!そんな感じである。もっと言えばC10系やC20系セルシオと似たような雰囲気があるような気がする。
15系クラウン・マジェスタのように四半円弧状の縦に並べたブレーキランプとハザードランプを配置し、トランクリッドの中間部辺りにバックライトを持ってくるというリア周りをしている所為か、全体のフォルムは90年代のキャデラックのそれに極めて近い。センターピラーの辺りがクラウンのハードトップドと異なり、それっぽい形状をしているので後ろ姿は紛れも無くキャデラックのそれである。
しかし、20世紀を目前にした時期の車としては珍しい、バンパーにフロントフォグを置かずにハザードランプを設置したフロントマスクは至極日本的である。だが、断じて三菱の顔ではない。強いて言えば日産・Y33シーマとトヨタ・C20系セルシオ後期型の前面を足して2で割ったような風貌である。いくら三菱関係者専用車という汚名を払拭して高級車市場に打って出たかったとはいえ、そこまでしてトヨタや日産と対抗したかったのか?三菱よ……。
内装も言うに及ばず、クラウンとかシーマとか、三菱と言うより如何にもトヨタ派や日産ファンがひどく好みそうな、露骨な造形をしている。筆者的にはありだが、三菱としてはやってはいけない暴挙だったのではあるまいか?まあ、高級車のATと言う割には、円形のシフトノブの右側面ではなく真上にRレンジやPレンジへのシフトロック解除のボタンを持ってきている等、詰めの甘い所が散見される辺り、らしいといえばらしいが……。
何方にしろ、車自体の出来具合はさておいて、純粋に戦略の面から言えば、プラウディアは明らかに三菱にとっての失策車だった、と筆者は思う。
というのも、ディアマンテにしかり、デボネアにしかり、その購入層の割合の多くは生粋の三菱車好き、と言うよりも単なるトヨタや日産のアンチだが外車への信仰心も乏しい人々だったと、勝手に推測しているからである。実際はそうでもないかもしれない。が、それでも三菱の高級車というネームに拘った人は、とても少数派だったのには違いないのではなかろうか?
しかしながらそんなアンチの中にも、トヨタや日産のようで決してそうではない、三菱車独特の雰囲気に惚れた人も少なからず居たとも、筆者は思うのである。
2012年の2月20日付の日刊自動車新聞が、今年の夏にY51フーガをリバッジし、プラウディアして発売すると三菱が発表した、と報じていた。が、それが本当であると仮定して何処に需要があると言うのだろう?商用車やバストラックとは違うのだぞ。どうせ同じ500万以上の大金を積むのに、どうして皮も中身も同じ車を本元の日産ではなく三菱から購入する必然性が生まれるというのだろうか?
いや、もしかしたらそんな需要などない事を見越して適当な言い訳を会社内ででっち上げる為に、敢えてY51のOEMをプラウディアにあてがい、本家のフーガのマイチェンとシーマの復活の混乱に乗じて負け戦に打って出たのか?オリジナルで一から開発したらン億も掛かるし、昨今の震災や洪水の影響による業績の悪化でヨーロッパの工場を潰したばかりだしな。どうせ売れないと踏んだから開発費の掛からない他社の車の借用したのだとしたら、車好きとしては非常に悲しい。
影の薄いプラウディアだが、リムジン仕様の兄弟車のディグニティは秋篠宮家の公用車として今でもメディアによく露出される。たった1台の三菱車として、トヨタのセンチュリーや日産プリンスやプレジデントに囲まれ、秋篠宮殿下を乗せて働くその姿は凄く目立ち、強烈な印象を見る者に焼き付ける。三菱だからこそ醸し出せたオーラだろう。
そして、その独特のオーラに惹かれて敢えて三菱・プラウディアに大金を叩いて購入した人が居たのだ。いや、今も少数とはいえ確実に居るのだ。そうした本当のファンの気持ちを、三菱は蔑ろにするつもりなのか?彼らはプラウディアという名前でさえあればどんな車でも良いのではない、三菱が一から創り上げたプラウディアという車そのものに惚れているというのに……。
新型プラウディアの売上の展望によっては、また高級車のネームが三菱のカタログに戻って来るかもしれない。だからこそ利益を損なわない予防線として、他社の既存の車種をOEM販売する、という安全策を取る事にしたのかもしれない。
だが筆者としては、フーガなんかのOEMではなく三菱のオリジナルの高級車としてプラウディアの復活を見てみたかった、というのが本音である。
どちらにしろ、プラウディアが復活したとしても、それが現行フーガと変わらない物である限り、恐らくこのエッセイで新型プラウディアを取り上げて語る事は絶対にないと思う。同じ車を何度も語っても、筆者としては仕方がないからだ。