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第十五回:デボネア

 恐らく後述するだろうザ・黒歴史のプラウディアを除けば、1964年から1999年まで実に35年間も長きに渡り三菱のフラッグシップを務めた名車……、もとい迷車である。

 一概に、車のモデルチェンジは大体5年を目安にし、概ね4年から長くても7、8年の周期で行うものなので、35年間というと最低5代、若しくは7代位車種がありそうな物だが、このデボネアはたった3代でその生涯を終えている。

 と言うのも、初代デボネアが64年から86年に掛けて、手を変えて品を変えつつも実に22年間も同じ車が生産されているのである。故に付いた仇名は『生きた化石』。当の三菱自動車の幹部陣までが運転手付きの社用車として乗用するのを敬遠した、というから相当な物である。


 だがしかし、ちょっと待て。そんな事を言えばトヨタのセンチュリーはどうなるのだ?あっちだってトヨタの旗艦車種として、もう何十年もデザインを変えてはいないではないか!と反論される方も居られよう。だが残念。現時点までにおいて、センチュリーは既にメジャーチェンジを1回、マイナーチェンジに至っては10度も施され、常に時代に合わせてカスタムされてレベルアップし、エンジンから内装に電装品、安全装備や基本構造に至るまで随時アップデートされている。何処までも古いままだったデボネアと一緒にしたら可哀想である。


 正直な話。写真以外で生の初代デボネアを見たのは筆者も数える程しかない。同じ古い車でも三角窓のセンチュリーならその辺で腐る程見掛けるのに……。雑誌やネット上の情報に寄れば、初代デボネアにもオーナーズクラブが幾つかあって、結構な台数が今でも道路の上を元気に走り回っているそうだが、実際自動車数全体を見ればずっと少数派だろうと筆者は考えている。


 初代と比べれば、月に1度か2度位なら目を凝らして探せば元気良く走っている姿をまだ見掛ける事があるから、生存台数は多いのだろうが、それでもマイナーな部類に入るのが2代目である。

 前後してギャランの時に3ナンバー化を達成、エメロードやディアマンテといった中・上級車種が既に大型化の道を歩み始めていたというのに、肝心の最上級車が5ナンバーサイズのまま、つまり普通小型車規格で排気量2リッター以内のグレードがあったというのも妙な話である。

 どうやら、三菱自動車内で社用車としてこのデボネアV使用するに当たり、2リッターを越えるエンジンを載せる中枢幹部用の3ナンバー車と、中間管理職用の5ナンバー車をナンバープレートの数字の種別で差別化する為だったとか、何だとか……。それでも、何故、と問わざるを得ないが……。


 この代からのデボネアの特徴は、お隣韓国の自動車メーカー現代自動車から要請によるノックダウン方式で生産されていた事だろう。つまりデボネアは、ヒュンダイ・グレンジャーと兄弟、否違う名前の同一車となる訳である。

 アメリカの方では本田技研の遠縁企業のような振りをしながら、実態は三菱が深く関わっていたのだから、これ程失礼な事はないな、現代自動車。うん……。


 まあ、兎も角。当時のソウル五輪にて韓国に華を持たせる為に賓客用の高級車を日本のメーカーに開発させるという現代の見栄っ張りもさるものながら、大して新しく高級車を造った経験もないのに引き受けた三菱も三菱である、としみじみ筆者は思う。


 ただ、メルセデスブランド以外でAMGの手掛けたメーカー認定チューニング車がカタログに載っていた、という意味で2代目デボネアは本当に特異な日本車だと筆者は思う。

 AMG自体、ドイツのチューニングパーツ及びカスタムショップメーカーブランドであり、主にメルセデス社のメーカー公認改造車のセッティングを担う、トヨタにおけるTom’sやホンダの無限、日産車で言えばIMPULやNISMOのような関係の企業である。そんなメーカーが本家ベンツとは、クライスラーとの提携関係があったという以外ではさして繋がりのない日本のマイナーメーカーにパーツを供給、依頼を受諾したのだから相当な物である。

 もしもTom’sが日産車を、NISMOがトヨタ車の改造依頼を快諾し、相手方のメーカーの販売系列のディーラーから公に発売した事がもしも明らかになれば、自動車ジャーナリズムの常識を揺さぶる、と云うより覆す大騒ぎになるだろう。其れ位、業界の事情の片鱗を知る者にとっては地味に肝を潰す程の事を、デボネアと三菱はやってのけてしまったのである。


 更に、このデボネアVに関して特筆するべき事があるとすれば、クライスラー側にも当時のニューヨーカーやエンペリアルのデザインに大きな影響を与えた事だろう。あの時代のアメ車特有のガス圧式リトラクタブルライトの目隠し顔というオリジナリティを持ちつつも、両車の全体のフォルムやフロントボンネット周りの造形は、紛れも無く兄弟車のデボネアのそれである。少なくとも三菱にとって、2代目デボネアは日本車がアメ車を席巻する予兆なような物に見えていたに違いない、と筆者は想像する。


 そんな三菱とデボネアが斜陽の陰りを見せ始めたのは、韓国の現代自動車とズブズブな関係が明らかになった90年代の半ばに誕生した最終型デボネアである。


 ソウルオリンピック開催という尋常ではない事態に直面した韓国側による要請という、その先代のように特異で一時的な状況ならいざ知らず、この3代目デボネアは正式に三菱と現代自動車による、その実三菱から現代への一方的な共同開発車両として販売された。

 つまり、実際は三菱・デボネアから現代・グレンジャーとした単なるリバッジ車を、日韓共同開発車という看板を掲げる事によって三菱側から現代側へ一方通行で技術がただ漏れしていくという、今から振り返れば悪夢のような出来事が繰り広げられていたのである。

 そうこうしている内にバブルの終焉の負債が増々重く伸し掛かり、クライスラーからも提携を解消されて四苦八苦しているところに、俗に言う韓国の法則が三菱へ発動したのである。そして、現代からも足蹴にされた三菱が、その後今日までどのような辛酸を舐める羽目に陥ったか、筆者が説明しなくても読者の既に知るところであろう。


 尤も、最終型デボネア自体は、特段褒めるところもないが、総じて平均以上の造りをした普通に良い高級車だ、と筆者は評価している。ディアマンテ同様、折角結構格好良いスタイルを与えられているにも関わらず過給器を装着したはっちゃけたモデルが存在しない事や、足回りがダレやすい事や、内装の見た目がやや貧弱に感じられる事等、細かな不満点を上げれば切りがないが、普段使いとして乗り回す分には、値段が高めな事に目を瞑れば妥当な車だと思うのだ。特に中古車市場では他の三菱のセダンと同じく、性能と年式の割には安価な上に玉数が多い訳でもないので、他人と違う車に乗りたいが低価格帯で且つ高性能な車に乗りたい人には丁度いい車なのではなかろうか?


 思うに、一時期とはいえ三菱と現代の技術提携、否一方的な供与の関係は、技術を掠め取られた三菱だけではなく現代自動車にとっても大きな負の遺産を遺す結果に終わった、と筆者は考えている。

 少なくとも楽をしようと超片利的に、原動機や車体の骨子となる基礎開発まで三菱に依存しきった結果、どんなに皮だけを最新仕様に取り繕っても、現代車の中身は20年近く前のレベルで完全に進化を止めてしまった。


 ただ、ヨーロッパからデザイナーを招致していると自慢するだけあって、最近の現代車を始めとした韓国車は、日本車贔屓の筆者の目から見ても、それなりに様になる外観をした車を造るようになってきている。中身さえ伴っていれば、乗ってみようかと思う車種も多い。


 そこで三菱よ、どうだろう?もう一度現代自動車と手を取ってみれば良いのではなかろうか……。ただし、今度は現代から三菱のOEM契約で!取り敢えずかつてのグレンジャー、今はジェネシスと言ったか……、の外観だけ借り、鋼板やエンジンは三菱の物に全て取り替えて造り直した物をデボネアとして売れば良いのではなかろうか。


 まあ、ただの素人の戯言である。

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