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見えない悪意

作者: 白瀬治臣

子供のころ、童話のアリスを見てもちっとも怖いなんて思ったことはなかった。それが今はとても怖い。


私は現在ある種の幻覚に悩まされている。いいや、悩むなどという生半可な表現ではこれを表せない。気が狂った方がまし、いっそ何も感じなくなればいいと思うほどだ。

私の目の前に顔だけが見える。誰のものかわからない、輪郭を持たず、大きならんらんとした、黄色い濁った目と、終始にやにや笑いを止めない大きく開いた口だけが。

チェシャ猫を思わせるそれはいつも私の周りをふらふらと、ある時は非常なスピードを持って目まぐるしく、またある時はじっとこちらを伺うかのように、私の斜め上空で微風も感じさせずに静止している。

私はつい考えてしまう。この顔の見えない部分はどうなっているのか。それがどんなに、奇妙で見慣れぬ、そして、そのために自分に恐怖を呼び起こすだろう動きをしていることか。時々、その想像が現実のものになるのではないかと、鏡をのぞくたび、車中から暗闇をかんがみるたび、誰もいないはずの自分の背後を振り返る時、想像する。そうすると、笑い猫のようなそれは、ほんの一瞬、自分の想像通りの形を取り、私の心臓を飛び上がらせる。実際は相変わらず元のままの不気味な微笑みだけだ。

空中に浮かぶ得体の知れない恐怖のために、私は徐々に純粋な思考力を失い始めた。それが返って、冷静にそれを私に観察させる結果となった。あれは子供のいるところで一番活動が活発になる。登下校中の小学生の背後に忍び寄り、脅かすように伸び上がり、猫のように透明な毛を逆立ては唸った。それを何度も何人もの背後で繰り返して、ようやく一人に的を絞るとその子供の周りをぐるぐる回り続け、大きくなったり小さくなったりした。

ある時、いつものようにあれが登下校中の子供たちの中を巡っていると、そのうちのある二人連れの前で静止した。一人は活発そうな子供で、もう一人は陰気そうだった。笑い猫は陰気そうな方に寄り添って進み、しばらく進んだ。陽気で活発そうな方が、暗い表情をしている、何事にも遠慮深そうな方に何か話しかけている。近づいて耳を傾けてみると、決して仲良く話題に興じているわけではなく、陽気なほうがほとんど一方的にしゃべっていた。その内容は、陰気な方の神経を逆なでするほどでないにしても、チクチクと刺すような、主に相手の性質についての話題だった。たぶん、陽気な方はそれほど大した悪意もなく言っているだけだろう。しかし、陽気な方の声が大きくなるたび、笑い猫は狂乱するほど喜んで、二人の頭上をぐるぐるした。高速で動いているにも関わらず、今まで見えなかったその輪郭がはっきりと見えるようだった。


悪意だ、しかもしごく単純な悪意の化身だあれは。

唐突に私は悟った。

子供の悪意は単純で、実際にはそれほど裏などないものだ。しかし、その単純さゆえに本来の姿が見えにくくもある。想像力が思考に霞をかけ、疑心暗鬼の永続ループに突入するからだ。この悪意がそんなに単純であろうはずがない、と。隠された別の意味を持ちはしないだろうか、と。笑い猫はいつまでも二人の頭上を回り続けると見えたが、さっと身を翻して、陰気な方の目の前に降り立った。突然、悲鳴を上げたその子供を見て、私は一人、冷静に、

ああ、あの子も見えるようになった、と思った。


(終)


ご拝読ありがとうございました。

感想いただけると嬉しゅうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こういうの好きですわ~。 [気になる点] ただ、少し読み辛いかなと思いました。
[一言] 悪意って 表現したりしづらいと思いますが うまく描写出来ていたと思います。 「怖い怖いと思うから 怖いんだよ」…小さな頃 よく言われていましたが 怖いものは怖い! …ですよねぇ?
2007/07/16 23:59 宮薗 きりと
[一言] 過去の作品は読んで見るものですね。 私は最近ここの小説を読み始めたばかりですが、これは凄いです。正直言ってプロの方の作品として書籍化されていても何等疑問は抱かないでしょう。 恐らく誰も読んで…
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