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第9話 ルシア=ノヴァリス

「はぁ……はぁ……はぁ……」


 ゼスマティア神王国、ノヴァリス公爵家が長女、ルシア=ノヴァリスは雪の降り積もる森の中を一人で歩いていた。

 

 身に纏うは白銀の全身鎧。これは神国騎士団のみが着用を許された神聖な鎧だ。

 森の中をこんな重装備で歩けるのもこの鎧が魔導具だから。軽量化や環境適応といった数々の魔術が施されている。


「どうしてお祖母さ……いえ、フィレイン様はこのような預言を……!」


 ルシアの口からつい小言がこぼれる。

 

 なぜこのような場所を歩いているのか。

 その答えは、単純明快。預言が出たからだ。それ以上でも以下でもない。

 

 ルシアが暮らすゼスマティア神王国は預言を信仰している。

 預言とは天恵(ギフト)【預言者】を持つ者が視る未来の可能性。ゼスマティア神王国の民はこの預言こそが神の意思だと信じている。

 

 ではなぜ預言が信仰対象になったのか。

 それはゼスマティア神王国の建国にまで遡る。


 かつて世界を二分した大戦、黒白大戦(こくびゃくたいせん)。その大戦で【黒闢(こくびゃく)の厄災】を打ち倒した勇者の中に預言の巫女フィレインという人物がいた。


 数多の預言で勇者たちの窮地を救い、活路を切り拓いた英雄だ。

 龍帝セリア=ルクシアに次いで人気が高く、2500年経った今でも歴史に名を残す偉人である。

 

 ゼスマティア神王国はそんな預言の巫女(フィレイン)によって興された。

 

 だからこそ預言は絶対。疑うことなどあってはならない。それは神の意思を疑うことになるのだから。


「ですが、せめて……もうすこし……くわしく……!」


 小言が止まらない。

 なにせルシアが受けた命令はただ一つ。

 

 ――一人で冷厳山嶺に赴け。

 

 それだけだ。理由も、目的も、何も知らされていない。

 もちろん、どこまで進めばいいのか。どこに向かえばいいのか。いつまで歩けばいいのか。

 それらも全て不明だ。


 しかもよりにもよって場所が最悪だった。

 冷厳山嶺といえば凶悪な野生生物が跋扈する超危険地帯。それが世界の常識だ。

 

 熟練の猛者でもまず入山しない。入山するのは自殺志願者か命知らずだけ、なんて言われる始末だ。

 いくら騎士とはいえ入団したばかりの新米が来るような場所ではない。


「もういいですよね? ここまで来れば帰っても……」


 ルシアは一人呟く。

 入山してからというものの、怖くて堪らなかった。

 なにせルシアはまだ成人したばかり。15歳だ。

 このような場所に足を踏み入れるのも当然初めて。しかも一人で、だ。

 一時間我慢しただけでも上出来だといえる。


「もう指令は達成していますし……」


 祖母である当代預言の巫女(フィレイン)から下された命令は「冷厳山嶺に赴け」だ。

 極論、一歩冷厳山嶺に足を踏み入れた瞬間に達成はできている。


「……ですが、問題なのは何も起きていないことですね」


 預言があったからには何かが起きる。

 そう信じて歩いてきたけれど、まだ何も起きていない。だからこのまま帰ってもいいのかがわからない。

 なにもせず、帰ってきましたなんて報告が通用するとはとても思えなかった。


「……なにかを見落としてしまった……とか?」


 ルシアは知っている。預言も完璧ではないと。

 それは預言を信仰するゼスマティアではあり得ない考え方だ。

 だけどルシアは常日頃から祖母である預言の巫女(フィレイン)に言い聞かせられてきた。


 ――いいかいルシア。預言を受け取るのが私たち人類種である以上、必ず偏りは生まれる。だから盲信してはいけないよ?


 とても預言の巫女(フィレイン)の名を継いだ当代最高の預言者の言葉とは思えない。

 だけど他の誰でもない尊敬する祖母の言葉だ。その言葉はいつもルシアの胸の中にある。


「――ッ!」


 その時、木の影から物音がした。

 ルシアは咄嗟に剣を引き抜き、油断なく構える。


「……」


 ルシアは自分の心拍数が上がっていることを自覚していた。

 冷厳山嶺(ここ)にいる野生生物は全て悪魔のような強さを持っている。新米騎士であるルシアにとって全ての相手は格上。

 だから一時たりとも油断してはならない。


 そうして姿を現したのは小さな動物だ。

 四つの短い足に長い耳。体長はせいぜい人の頭程度。まるで愛玩動物のような見た目をしている。

 額から生えている凶悪な角を除けば。


「ッ――!」


 ルシアはいつの間にか、かなり深くまで足を踏み入れてしまったことを悟った。


 見た目の愛らしさに騙されてはならない。

 この野生生物の名は一角兎(セイブル)

 発達した後ろ足で槍のように突進してくる危険生物だ。その速度は凄まじく、熟練の剣士でも避けることは叶わない。


「……」


 ルシアは最大限に警戒を引き上げ、ジリジリと後退していく。

 一角兎(セイブル)はルシアを一瞥したが、その興味は地面に生えている草へと移った。

 一角兎(セイブル)は見た目通り草食だ。食べるために人類種を害することはない。


 ……お願いします。そのままでいてください。


 ルシアは祈りながら後退する。

 そして十歩ほど後退したところで、一角兎(セイブル)が唐突に顔を上げた。


「――ッ!」


 ルシアの心拍数が跳ね上がった。

 しかしその視線が向いている場所はあらぬ方向、頭上へと向けられ――。

 直後、一角兎(セイブル)の頭上から黒い影が落ちてきた。長い手で一角兎(セイブル)を掴み、無造作に口へと運ぶ。

 血飛沫が舞い、木々や地面を汚した。


 ……マズいですね。


 ルシアの頬を冷や汗が伝う。

 一角兎(セイブル)を捕食したのは、手足が異様に長い生物、長猿(エンビ)

 人類種と似たような顔をしていて知能が凄まじく高いことで有名だ。そして一角兎(セイブル)を捕食したことからわかるように長猿(エンビ)は肉食。もちろん人類種を襲って食べる。


「……!」


 ルシアは一目散に逃げ出した。

 長猿(エンビ)の強さはそれほどでもない。新米騎士のルシアでも十分勝てる。

 しかしそれは一対一での場合だ。

 長猿(エンビ)は群れる。


「キーキィイイイイイイイイ!!!」


 悲鳴のような甲高い鳴き声が響く。それに釣られるようにして周囲からも同じ声が聞こえてきた。


 ……これで死んだら恨みますよ……! お祖母様……!


 ルシアの逃走劇が始まった。

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