第1話 人と龍
「……」
預言の巫女は臥せった病床でゆっくりと目を開けた。
「まさか……。最期の最期にこんなモノを視るとは……」
死期を悟った老婆の脳裏に思い浮かぶは、今し方視た夢のこと。
当代預言の巫女の力は予知夢。夢を通して未来の出来事を視る天恵を持っている。
強大な性質故に、発動時期や回数は不規則。
いつ、どのような夢を見るのかは神のみぞ知る。
予知夢とは、そんな安定性に欠けた天恵だ。
しかし預言の巫女とは、その時代における最高峰の預言者が継承する名。
当代預言の巫女が預言の巫女たる理由はただ一つ。
それは他の預言を隔絶する精度。
当代預言の巫女が視た予知夢は必ず的中する。そして預言を回避できるのも預言の巫女のみ。
そんな預言者が見た予知夢。それは……。
「……北方に厄災の影あり」
預言の巫女は力をふり絞って、重い身体を起こした。そして枕元にあった羊皮紙に口にした言葉と同じ文面を書き留める。
「まさか……十年前の夢がここに繋がるとは……」
小さく呟きつつ、預言の巫女は枕元にある鈴を鳴らした。
……まずは神王様に……いえ、間に合いませんね。
預言の巫女は悟っていた。自分の命があと数分ともたないことを。
「お呼びでしょうか。預言の巫女様」
「……最期です。ルシアを呼んでください。これは預言令です」
預言令。それは何よりも優先されるべき命令。
たとえすでに下された王命でも覆すことができる最上級の言葉。
「……ッ!」
預言の巫女の言葉に従者は顔を歪ませながらも一礼した。
「直ちに――」
「――レナン」
部屋を後にしようとした従者を預言の巫女が呼び止める。
「よく仕えてくれました。感謝しています」
「それは私の台詞です。預言の巫女様に仕えられて私は幸せでした。ルシア様はすぐにお連れします。しばしのご辛抱を」
レナンを見送り、一息。預言の巫女は窓辺から空へと視線を向ける。
夜空には煌々と輝く満月が浮かんでいた。
……ルシア。世界の命運は貴方に掛かっています。頼みましたよ。
そうして預言の巫女はゆっくりと目を瞑った――。
「んぅ……。って、さむぅ……」
肌を刺す寒さで僕はゆっくりと目を覚ました。
温もりを求め、急いで毛布に手を伸ばす。しかし悲しきかな。僕の手は空を切った。
「あれ……?」
不思議に思い、目を開ける。すると、信じられない光景が視界に飛び込んできた。
「んぅ? 外……? は……? 森っ!?」
一瞬で意識が覚醒した。
飛び起きて辺りを見回すと雪化粧をした木々がたくさん。僕は雪の上で寝っ転がっていたということだ。
「そりゃ寒いわけだ……って。ここ、どこ?」
どこを見ても見知らぬ景色。こんな場所に来た覚えは……。
……覚えは……?
ない。というよりも何も思い出せない。
「……あれ? おかしいな」
頭を捻る。
だけど意味はなく、やはり何も思い出せなかった。
「ここはどこ……? 私は誰……?」
本当に何もだ。
自分の名前すら思い出せない。
ここはどこなのか、僕はどこから来たのか。そして自分は何者なのか。
何もわからない。全てが空っぽだ。まるで漂白されてしまったかのように。
「……いや、ふざけてる場合じゃない。どうしよう」
森の中にひとりぼっち。完全に遭難だ。
僕は途方に暮れた。
もしかして夢なんじゃないかと顔に雪を当てたりしてみたが、ただ冷たいだけ。まるで意味はなかった。
風邪を引きそうだ。
「なにかないかな……」
もう一度辺りを見回す。だけど何もない。
服の中を弄ってもそれは変わらず。
「……そもそも僕はどうやってここまできたんだろう」
現在地は雪が積もる森の中。もちろん人の声や喧騒も聞こえない。
聞こえるのは鳥の囀りのみ。
なんとなくだが、かなり深い森のように感じる。空気が澄んでいるからだろうか。
……いや、ひとまずそれは置いといて。
深い森の中に入るのならば、何かしら準備をして入ったはずだ。そう思いたい。
なぜならば無計画でこんな深い森に来るなんてのはバカのすることだから。
……だよね?
不安になる。なにせ何もわからない。
だから自分がバカではない確証がない。
なんて言ったって状況証拠は自分がバカであることを示している。本当に勘弁してほしい。
……ひとまずなにか……。
準備をしたはずだと仮定する。
服の中に何もないのは確認済み。だから木の陰や雪の中を探す。
……ないな。
そんな予感はしていた。もしかしたら僕はバカなのかもしれない。
「困ったなぁ……」
しかし途方に暮れていても仕方ない。
まずは人里に向かわないと。
とは思うもののどちらに向かえばいいのかすら見当がつかない。
……こういうときは動いたらいけないんだっけ?
そんなことを思ったがすぐにその考えを振り払う。それは救助が見込める場合の話だ。
今がそうでないのは確定的。バカでもわかる。
「……本当に困ったなぁ」
空を見上げると、雲一つない快晴が広がっていた。
こんな時じゃなかったらお昼寝したいぐらいだ。
「まあどうにかなるかぁー。とりあえず歩こう」
ここにいても始まらないのは確実だ。
なにせここは雪山。日が落ちれば厳しい寒さになるだろう。
せめてそれまでに寝床を確保しておきたかった。じゃないと冗談抜きで死ぬ。
「流石の僕でも死にたくはないかなぁ」
何も覚えてはいないけれど、死にたいとは思わなかった。だから僕は歩き出す。
生きるために――。
「――ん?」
一歩踏み出そうとしたその時。ふと、なにかが聞こえた。……気がした。
耳を澄ませてみると遠くから規則的に何かを叩くような音が聞こえてくる。
「なんだろう? 上?」
その音は上空から聞こえてきているようだった。
しかし目を凝らしても木々に阻まれて何も見えない。
……もしかしてヘリ? それにしては音がなんか……。って近付いてくる?
音が次第に大きくなっていく。
そしてわずか数秒でソレは現れた。
「わーーーーー」
黒い鱗に覆われた肌。見上げるほどの体躯に巨大な翼。四肢は見るからに強靭。そして尾は長く、しなやか。
見覚えはある。
かっこいいフォルムは全男子の憧れ。すなわち――ドラゴンだ。
「ふぁんたじーーー……」
僕は死を覚悟した。
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