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「やあ」
ゴールデンウイーク明けの昼休み。
中等部特館の最上部――早い話が屋根の上で、小さな密会が持たれていた。
「僕をこんな所に呼び出すなんて直樹君、君はなんて罪な人なんだ。君の秘めたる熱い想いを受け止めるには、まだ僕は心の準備が出来ていないというのに」
「お前は今度、魔法薬入りの紅茶を進呈した方がよさそうだな」
メガネを指で上げながら、暗い声で直樹が脅す。
「君も帝と同じで冗談がわからない男だね」
やれやれとがっかりした表情の雅人に、直樹は憮然とした顔で言った。
「お前と違って俺は忙しい。用件は手短に言う」
「はいはい」
つれないの、と口を尖らせる雅人を無視し、直樹は続けた。
「後野茉理の件。調査してみた結果、彼女は白と判明した」
雅人の瞳がきらりと輝く。
「それは確かなわけ?」
「ああ、50代にわたって先祖を探ってみたが、まったくの白。魔族の係累と血筋が交わった形跡はなし」
「なんだ、それ」
怪訝そうな雅人に、直樹もうなずいてみせた。
「ああ、おかしいほどだろう」
「そこまでまったく魔族のご先祖がいないってのも、めずらしいね」
普通、どこかで一人や二人は知らずに魔族係累の先祖と交わっているはずなのだが、彼女はまったくその気配がない」
「故意、かな」
「かもしれん。あるいはまったくの偶然かも」
直樹は難しい顔をする。
「とにかく今の段階では彼女は魔力のかけらも持たず、魔族となんのかかわりも持たない少女ということだ」
「ふーん」
つまらなそうに薔薇を弄ぶ雅人を見やり、直樹は立ち上がる。
「以上。俺は行くよ」
彼は、すっと屋根から飛び降りた。
「はーい、ごきげんよう」
ひらひら~とポケットから白ハンカチを出し、当たり前のように雅人は振ってやる。
誰もいなくなった屋根の上、久しぶりに真剣な顔で、彼は薔薇の花を空にかざした。
「後野茉理……か」
おもしろくなってきた。
彼の中の何かが高揚して止まらない。
いつのまにか彼の持つ赤い薔薇が、その色のごとく煙を上げて燃え上がっていた。
昼休みの終わりを告げるチャイムが、校舎中に響き渡った。
(あーあ)
今日もぼろぼろになった制服を、茉理は恨めしそうに見る。
午前中に受けた魔法攻撃で、もう彼女は頭の先から足の先までぐしょぐしょのよれよれだった。
1時間目、数学。
当てられた問題が解けなくて困っている彼女の頭に、突然水の入ったバケツが現れた。
バケツは、すかさず大量の水を彼女に浴びせる。
クラスメイトの嘲笑を浴びながら、彼女はまたも叱られて廊下に立たねばならなかった。
(もう、先生も先生よ。わたしが水を出したんじゃないことぐらいわかるでしょうに。どこの馬鹿が問題が出来ないからって、自分で水をかぶるなんていたずらをするかっていうのよ)
まったく理解しない教師にも腹が立つ。
2時間目は英語の小テスト。答案を書こうとすると、シャーペンが消えてしまう。
「あ、あれ?」
あわててかわりを出そうと筆箱を覗くと、中身がごっそり消えていた。
(なんで、どうして!?)
誰かが貸してくれるはずもなく、茉理は答案を白紙で出さねばならず――やっぱり教師に見咎められ、休み時間呼び出しをくらってこってりとしぼられた。
いくら説明してもわかってもらえない。
ふてくされながら、受けた3時間目は体育。
今日は球技でバスケだったが、茉理がシュートしようとすると、ボールが必ず教師の頭目がけて正確に飛んでいく。
「すみません」
最初は気をつけろ、ぐらいだったが、毎回そうなので、ついに教師に怒鳴られた。
「なんだ、お前は。うらみでもあるのか」
かんかんになった体育教師によって、放課後体育館の掃除を言いつけられる。
ぐったりしながらの4時間目は、さすがに静かになったと思ったらとんでもない。
今度は古典だったが、突然茉理のカバンから弁当箱が飛び出したのだ。
ガシャーン。
派手な音を立て、床にころがる弁当箱に教師の目が注がれる。
茉理もあわてふためいた。
(なんでわたしのお弁当があっ)
これでお昼が台無し――というか、それどころではない。
今度は早弁をしていたとあらぬ疑いをかけられ、教室の後ろに立たされた。
それも両手に水入りバケツのおまけつき。
(今時、こんなんで後ろに立たすなんて)
はあっとためいきをつきつつ、腕の重みに閉口していると――。
突然バケツが動きだし、またまた彼女の両側から水を浴びせてきた。
(もう嫌っ)
茉理はうんざりしながら、びしょぬれになったおぞましい自分の姿を見た。
ここ数日毎日のことなので、体操服から制服もスペアを何枚か持ってきてはいるが、さすがに今度ばかりは着替えがなかった。
昼休みは日当たりの良い屋上にて服を乾かしたが、今度は体が宙に浮く。
「な……なんなの?」
突然宙に浮くと体はそのまま屋上を飛び出して、地面に叩きつけられそうになった。
「きゃああーっ」
今度こそ死ぬ、と思ったとき、ふっと体が軽くなる。
「え?」
コンクリ通路の脇に生えていた木の枝に、スカートのすそがひっかかったのだ。
(ふう)
助かった、と息をつく暇もなく、今度は枝がみしみし折れ、地面にどしんとしりもちをつくはめに。
「あーあ」
余計にすごくなった己の姿を見て、もはやため息しか出ない彼女であった。
(このままじゃ、お兄ちゃんに会えないじゃない)
少し弱気になりそうな自分を奮い立たせようと、彼女はこぶしをにぎりしめる。
チャイムが鳴って教室に戻りながら、茉理は決心を固めていた。
放課後。
決意も固く、少女は職員室に入る。
「失礼します」
教師の目線をものともせず、彼女は白い木箱に向かった。
職員室横の長机に、それはぽつんと置かれている。
箱の横に添えられた白いメモ用紙に、さっと書き込むと彼女は木箱に放り込んだ。
「失礼しました」
用件を済ませ、すばやく職員室を出る。
教師たちの間から、ほっとした安堵の息がつかれたことなど知る由もなく――。
「やれやれ」
雅人は面白そうにメモ用紙を見やった。
「何がおかしい」
憮然とした様子の帝。横で肩をすぼめる英司。
表情を変えずに、メモ用紙を集計するのは直樹だ。
「今日で12枚……と。一日平均2枚の割合かな、この投書」
「なかなかめげないね、彼女」
雅人は薔薇の花を優雅に投げる。
積まれたメモ用紙の上に、それはふんわりと落ちた。
「根性だけは認めますよ。毎日毎日……ねえ、帝」
英司がつぶやくと、帝は鼻を鳴らす。
「俺をここまで挑発するなんて、その度胸だけはほめてやるぜ」
「それにしてもすごいよねえ、これって果し合いでもするのかな」
雅人は一枚を拾って、芝居ががった口調で読み上げた。
『生徒会会長 伊集院帝様
わたしは、あなたに何も悪いことはしていません。
あの黒板消しを落としたのは、わたしではありません。
このおかしな魔法攻撃を直ちに中止してください。
どうしても納得出来ないのなら、一度わたしと会ってきちんと話をしてください。
それも一人で出来ないくらい、わたしが怖いのなら付き添い付きでもいいですから。
ぜひご検討ください。それでは失礼します。1年A組 後野茉理』
「完全に君に対する挑戦だねえ、どうする? 帝」
面白そうに雅人は言った。
「受ける? それとも」
ちろりと流し目で、彼を見る。
「いつまでもこのまま影から嫌がらせして楽しむかい?」
「ふざけるな」
帝の大声が、生徒会室の窓ガラスを揺らす。
「あの恥知らずの女に、自分の身の程をわからせてやる」
「そうこなくっちゃ。で、付き添いは? 僕が行こうか」
おもしろそうだし、と微笑む雅人を、帝はぎろりと睨んだ。
「いらん。俺を誰だと思ってるんだ」
息を整え、彼は足音荒く生徒会室を出て行った。
「やれやれ」
帝が消えると、雅人はにやりと笑う。
「それにしても、ほんと彼女って面白い子だねえ」
「ああ。帝の性格をよく理解しているよ」
眼鏡のフレームをあげて、直樹はつぶやいた。
「あんな風に書かれちゃあ、嫌でも一人で行かざるをえないですよね」
英司は窓の外を見る。
帝が戦闘態勢で歩いていくのがよく見えた。
「でも後野さんだっけ? 帝に殺されなきゃいいですけどね」
「さて、彼女に運があれば大丈夫だろ」
にべもなく直樹が言い捨てると、生徒会室は沈黙で満ちた。




