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教室に戻ってきた茉理を待っていたのは、クラスメイトたちの冷たい目線だった。
「すみません、遅くなりました」
保健室で手当てを受けていたら、授業は始まってしまっていた。
「遅刻は許さん。廊下に立ってろ」
苦手な数学の教師の大声が、教室中に響き渡る。
「え? あの、わたし、保健室に言ってて」
「言い訳はするな。さっさと教室から出て行け」
山田先生は、思いっきりチョークを投げつけてきた。
「あたっ」
茉理の頬に正確に当たり、彼女は頬を押さえる。
(もう。理由ぐらい聞きなさいよ、この暴力教師)
心の中でそう叫び、救いを求めるように奈々を見た。
でも。
仲良しの友達はあわてて目をそらし、この状況を無視し続けたのだ。
茉理はためいきをつき、廊下に出る。
さっきの帝会長の攻撃でかなり体も痛んでるのに、チョークまで投げられて教室にも入れず、精神的にショックが大きかった。
また涙が出てくる。
(やだな……こんな格好じゃお兄ちゃんに会いにいけないや)
あとからあとからあふれる涙を袖でこすると、彼女は辛抱強く廊下に立っていた。
昼休みになった。
「奈々、おべんと、食べよう」
いつもは彼女の方から声をかけてくれるのに、何故か今日は寄ってこない。
茉理は弁当箱を持って、奈々の方に行った。
彼女は一瞬ぎくっとしたが、表情を変えて茉理に叫んだ。
「こ、来ないでよっ。あんたとはもう友達じゃないわ」
「え……奈々?」
「生徒会の帝様にあんなことするなんて許せない。あんたなんか大っ嫌いよ。もう声かけてこないで」
彼女はそう怒鳴ると、弁当箱を抱えて教室を走り去ってしまった。
(何よ、それ)
茉理はあっけに取られたが、徐々に怒りがこみ上げる。
(黒板消しを落としたの、奈々じゃない。どうしてわたしを責めるのよ)
やり場のない怒りを抱え、彼女は身を震わせた。
「ここにいたね」
校庭の隅にある木々の中に、雅人は探し人を見つけて声をかけた。
「やあ」
小さな小型PC(ボケットに入るぐらいのサイズ)を打ちながら、探し人は答える。
木の幹にもたれながら雅人は、座ってPCに集中している彼を見下ろした。
「おもしろいこと、見つけたんでね。君にも教えとこうと思って。直樹君」
「結構だ。こっちは今、忙しいんでね」
PCを打つ手は止まらなかった。雅人は大仰にためいきをつき、薔薇の花片手に悲しそうな表情になる。
「親友の僕を無視するつもりかい? なんてつれない人なんだ」
「いつから親友になったか知らないけど、もうお前の全校女生徒追っかけファンの話は結構。さっさと帰ってくれ」
黒い眼鏡を直しながら、直樹はPCに神経を集中する。
雅人はついっと腕を伸ばし、優雅な仕草でPCの蓋を閉めた。
「おいっ、何するんだ」
「まあまあ、聞いておいて損はないよ」
にこにこしながらも笑っていない瞳に、直樹は肩を落としてつぶやいた。
「なんだ」
「こ・れ」
彼は脇にかかえた小冊子を出す。
直樹の眉毛が数ミリあがった。
「これがどうかしたか」
無くなったと騒いでたのに、お前が持ってたのか、とぶつぶつ言う彼に、雅人は小冊子を渡した。
「どこにあったと思う?」
「お前が持ちだしたんじゃないのか」
「残念でした。僕じゃないよ」
優雅に微笑み、雅人は薔薇で名簿を指す。
「あの子が持ってたんだ」
「あの子?」
「ほら、今朝、帝の頭に黒板消しを落とした少女だよ。名前は」
言いかけて、彼はぷっと吹き出した。
「……なんだよ」
突然笑われ、直樹は不機嫌そうに顔をしかめる。
「あとのまつり、だって。ふふっ、面白いネーミングだと思わないかい」
「冗談に付き合ってる暇はないんだが」
「今の君の言葉、あのレディが聞いたら、さぞご機嫌ななめになるだろうね。いや、本名だってさ」
「で、彼女がこれを?」
雅人はうなずく。
直樹は黙って考え込んだ。
「おもしろいと思わないかい。魔力を持たない普通の少女が、我が生徒会室に厳重保管されてる重要機密を手にするなんて」
「確かに」
「しかも彼女、なんて言ったと思う? この名簿、帝に貸してもらったそうだよ」
「何」
直樹は驚きで立ち上がった。
「帝! あいつにか?」
「そう。なんでも『天使』のような帝だったそうだよ」
薔薇の花をくるくる回しながら、雅人はくすくす笑った。
「お前な」
直樹はためいきをついて座り直す。
最初の驚きは消え、彼はまたPCの蓋を開けた。
「話はそれだけか」
「そう。じゃ、よろしく」
雅人はそう言うと、直樹の肩にぽんと手を置き、すっと消えた。
残された直樹は、ふうと息を吐く。
忙しくなりそうだ。
彼はPCに文字を入力した。
『後野 茉理』
(よろしく、か。まったく雅人のやつ)
苦笑しながらPCの検索を押す。
少しでも情報を集めねば。
その為に、彼は自分に会いにきたのだから。
直樹はさっきよりも真剣にPCに向かっていた。
誰にも相手にしてもらえない昼休みが過ぎた。
むしゃくしゃした気持ちのまま一人で昼食を済ませた茉理は、どしどし階段を上がっていく。
(もう。黒板消しを落としたぐらいで、みんな大げさなんだから)
彼女は腹立ち紛れに、勢いよく階段をあがっていった。
もう少しで2階に到着しそうになる最後の一段。
足を踏み出した茉理の体が、すっとよろけた。
なんと一番上の段が突然透明になり、無くなってしまったのだ。
「きゃああーっ」
彼女は悲鳴をあげ、ごろんごろんと音をたてて階段から落下した。
一番下の踊り場まで落っこちて、しばらく起き上がれなくなる。
(うーっ、今の何よ)
ゆっくりと体を起こすと、まわりの生徒たちがくすくす笑っていた。
「やあだ、どじねえ」
「落っこちたわよ、いい気味」
「帝様に逆らうからさ」
どこを向いても敵意と憎しみのまなざしで、茉理は更に怒りを燃やした。
(何よ、みんな。ミカド ミカドって、そんなにあの先輩がえらいわけ? たかが一生徒じゃないの。そりゃあ先輩ではあるけどさ)
茉理は起き上がり、手すりにもたれてなんとか立ち上がった。
一段、最初の一歩を踏み出そうとして――。
「あっ、ない」
彼女は目を丸くした。
今度は階段そのものが消えていたのだ。
他の生徒たちは消えた空間を平気で上っていくのに、茉理には階段がまったく見えなかった。
(嘘……どうなってるの?)
彼女はゆっくりと考える。
(もしかして、これって魔法?)
どこかから魔法を使って、彼女をいたぶっている。
そういえば、さっき雅人先輩が言ってたではないか。
帝は一番魔力が強い。このままでは済まさないだろう、と。
「……」
茉理はどんどん怒りがこみ上げてきた。
(何よ何よ何よ。人の話を聞きもしないで、勝手に誤解して。最低だわ)
しかも自分にありあまってる魔力を、こんなことに使うなんて。
(それだけの力があるんなら、もっとましなことに使いなさいよね)
心の中でそうつぶやくと、彼女は消えていない手すりを握った。
(みてらっしゃい。そっちがその気ならわたしだって負けないわ。絶対、何が何でも上ってみせる。魔力なんかなくたって出来るんだから)
震える足を一見何もない空間に踏み出しながら、茉理は上に進んでいった。
「けっ、しぶといな」
校舎の一角。
教室の半分くらいの部屋にて、革張りの椅子に足を組み、帝は言った。
「なあにしてるのかな。帝様」
すっと横の空間が揺らぎ、薔薇の花が投げられる。
帝がじっと薔薇を睨むと、ぽっと火がついた。
花はへなへなと床に落ち、真っ黒に焼けて灰になる。
「あららー、危ないなあ。火遊びにお子様は手を出さないほうがいいよ」
「だまれ」
不機嫌な声で帝は怒鳴った。
「このペテン師め。誰がお子様だ」
「ふふっ、怒ったの? 帝」
雅人は笑むと、そっと指を伸ばして帝のあごをとらえた。
上向かせ、瞳を近くに合わせるとささやく。
「そうして怒ってる君も、十分可愛いよ」
「なっ」
彼はばっと赤くなり、瞬間、怪しげな先輩から飛び退った。
「やめろ。気色悪い。変態男」
「やれやれ、君は冗談がよくわからないようだね」
からかいがいがあって楽しいけど、と雅人は笑う。
「ふざけるな。用事がないなら、どっか他行け。俺は今、忙しいんだ」
ぶつぶつ言いながら帝は椅子に座りなおし、意識を集中させる。
両手のひらを胸の前でかざすと、大きな球体になった。
その中には、階段をぼろぼろになりながら必死に上る茉理の姿がある。
横から雅人も覗き込んだ。
「おや、それが君の新しいおもちゃか。どう、気に入った?」
「全然」
「あららー、そりゃ意外」
雅人はおおげさに肩をすくめてみせた。
「てっきりお気に入りだと思ったのに――でもしばらくは楽しめそうでしょ」
「そうだな」
にやりと悪魔のような笑みを浮かべ、帝はつぶやいた。




