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魔法使いの生徒会(私立クリスティ学園シリーズ1)  作者: 月森琴美


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53

 理科室の異変も収まって、生徒会室の三人は、額の汗をぬぐっていた。

「なんとか間に合ったな」

「ああ」

「まさに危機一髪ってね」

 穏やかな口調とは裏腹に、全員がまだ緊張を崩していない。

『……』

 斎は話題についていけず、戸惑うばかりだ。

 彼はモニターの前に写った光景を思い出す。

 まぶしい光にすべてが包まれ、見事に消滅した。

 あの力は一体――。

(前にも似たようなことがあった。僕と英司先輩が後野さんと手を重ねたとき――)

 一瞬だが茉理の体から暖かい力が溢れ、二人の腕を通して全身に満ちた。

 そのときから英司との間にあった見えない障壁のようなものがなくなり、思念で会話することが可能になったのだ。

(あの力は何? 後野さんって一体……)

 先輩たちが、何かあって彼女を常に監視しているのは知っていたが。

(これは思ったより重大なことかもしれない)

 考え込む斎の横で、三人は椅子に座り直し、モニターをチェックする。

「やれやれ、まったく危なかったな」

「帝が気付いてよかったよねえ、ほんと」

「この特館の封印まで解かれてしまったら、どうなるか俺たちにもわからないしな」

 帝の言葉で、斎は怪訝そうに三人を見た。

「そうか。斎、君は知らないんだったな」

 直樹が気がついた。

「昔からこの中等部生徒会は、クリスティ一族が勤めることは知っているだろう。その理由は、この特館を監視することなんだ」

「きわめて邪悪で目覚めさせてはならない怪物が、この館の下に眠っているらしい。僕たちのご先祖、アルツール・クリスティが日本に来たとき、見つけた場所だそうだよ」

 雅人は、目を大きく見開いて驚く斎の頭をくしゃくしゃかきまわす。

「そんな怖い顔しなくても大丈夫だよ。この館が存在する限り、封印は完璧さ。この館の存在自体が、その得たいのしれない怪物を僕たちの世界から遮断してくれてる」

「でも魔術で作り上げられたこの館の魔法が消滅し、館がなくなれば、その怪物はよみがえってしまう。そうしたら俺たちで総力をあげて、そいつをなんとかしないといけなくなる」

 冷静かつとんでもないことを、直樹はさらりと言ってのけた。

「その話は、また今度ゆっくりと説明しよう。それより英司たちが空間合流する。二人が来るぞ。斎、ちょっと帝の仕かけが出来るまで、お前が廊下で遊んでやれ」

 斎はモニターをちらっと見て、白い顔でうなずく。

 そしてすっと席を立ち、生徒会室を出て行った。

 そんな彼を見送って、雅人は心配そうにつぶやく。

「無茶しないといいけどね、彼」

「自分でその辺の加減は出来るはずさ。ここは別に命をかける場でもなんでもないってことぐらい、わかってるだろう。なんせお前より分別はありそうだからな」

「ひどいなあ、直樹君、僕には分別がないとでもいうのかい?」

「人の三割程度は欠如しているというのが、俺の評価だが」

 直樹は微笑むと、さて、次が楽しみだ、とまたモニターに向かった。

「僕は可愛い英司君に疲れを癒すローズティーでも入れてあげよっと。あ、帝、君も飲むかい?」

「いらん」

 いらいらしながら帝は拒否する。

「肩の力を抜けよ、帝。次はお前だが、そんなにあせっていては二人を見極めることさえ出来ないぞ」

 直樹の言葉に、帝はわかってる、とそっぽを向いてつぶやいた。




「お疲れ様。はい、これ鍵ね」

 英司は二人と一緒に廊下に出ると、鍵をくれた。

「いよいよラストステージだね。がんばって」

 ポンと二人の肩を叩き、笑顔を見せると、彼は瞬間移動して消えてしまう。

 茉理は手の中の鍵を見つめた。

(いよいよ最終ステージ……)

 ここまで来れたなんて、正直信じられない。

 でも最後まで進まないと、目的は達成されないのだ。

 美奈子は、ぼーっと鍵を見ている茉理を置いて、さっさと廊下を進んでいってしまう。

 いつの間にか一人になっていることに気付いた茉理はあわてた。

(うわっ、円城寺先輩、何時の間に行っちゃったの?)

 彼女は小走りで美奈子の後を追っていった。




 斎は廊下の隅で気配を消して、二人の様子を感じていた。

 彼には大地の魔力があり、目を閉じていても彼女たちがどうしているのかわかってしまう。

 この床に――地に足をつけている限り。

『帝先輩は、たぶん誰も待ってないと思います』

 茉理の発言が彼の脳裏に甦り、心を揺さぶった。

(さすが後野さん……)

 帝のことをよくわかっている、と斎は感じた。

 生徒会メンバーの誰もが肌で感じていながらも、口に出せないでいた言葉。

(でもそれがわかっているのに、君は生徒会室をどうして目指すの?)

 斎は、じっと茉理の気配を探る。

 彼女は小走りに長い廊下を駆けて、美奈子に追いつこうとしていた。

 先へ進む努力をしている――。

 彼は静かに目を閉じ、生徒会室にいる英司に言葉を送った。

『英司先輩』

『おっ、斎か』

 元気な英司の声に、斎は静かに言葉を返す。

『先輩に質問があるんですが』

『なんだ?』

『二人とも失格になったら、今年の帝先輩の彼女ってどうなるんですか』

『斎、お前……』

 つながった意識の先で、英司が息をのむのがわかる。

 斎は目を開けて、微笑んだ。

『ずっと考えてたんです。さっき後野さんが言ってたこと――帝先輩は本当は誰も待っていないっていうのは、真実ですよね』

『……』

『僕たちは、わかっていたけどそれを見ない振りしてました――帝先輩のすぐ横にいたのに。家のためだとか、しきたりだとか、それが正しいのだとか自分に言いきかせて。たぶん帝先輩本人も』

 英司からの返事はない。

 でも斎は、かまわず続けた。

『でもそれで本当にいいのですか。僕たちは常に彼のためにあるべき存在。クリスティ本家筆頭の持ち駒の一つであり、彼のためだけに動き、どんなことからも彼を守り、その命には絶対に従うべし。他の誰の意思にも従ってはならない。そう僕達一族は教えられてきた。そうでしよう?』

『そうだけど……だけどあのな、斎』

『だとしたら、僕たちが今、帝先輩の為に本当にするべきことは、ただ一つ。先輩が心から望んでいないこのイベントを――』

 白い顔に、つよい決意の表情が浮かぶ。

『僕は二人を全力で阻止します。帝先輩の元へなど行かせない』

『おいっ、斎っ』

『二人が来ました。会話を終了します』

 英司の声を無視し、斎は一方的に会話を切った。

 両手を組み合わせ、呪を唱える。

(円城寺先輩、後野さん、ごめんね)

 斎は、一瞬だけ心で二人にあやまる。

(でも君たちを、これ以上通さない。帝先輩のために僕が今、すべきことを果たす!)

 呪文が完成し、斎の体から魔力があふれ出た。

 透きとおった魔力は廊下一体を満たし、徐々に辺りの景色を変えていく。

「何? これは」

 美奈子は廊下の中ほどで立ち止まり、前方に広がる物を見て声をあげた。

 そこにはキラキラと輝くガラスの迷宮が出現していたのだ。

「特別教室でもない廊下に、何でこんなしかけが……」

 怪訝そうに、彼女はガラスに触れる。

 それは通常のガラスよりも冷たく、体の芯まで凍えさせてしまうような感触だった。

(ここを突破しないといけないのね)

 美奈子は突然の試練に微笑んでみせる。

 両手を組み、呪を唱えた。

「わが魂に宿りし風の探り手よ、我が声を聞き、姿を現せ!」

 少女の足元に、小さな魔方陣が出現する。

 そこから小さな風が沸き起こると、モモンガのような魔獣が現れた。

 魔獣はリスのように小さく、全身が透きとおっている幽霊のような姿をしている。

 でもとても愛嬌のある顔をしており、くう、と鳴いて、主人の腕に乗ってきた。

 美奈子は魔獣を指の先で撫でると、軽く笑む。

「いい子ね。この迷宮がどうなっているのか、見てきてちょうだい」

 透明モモンガはくうっと一鳴きすると、加速をつけて飛び上がる。

 背中のマントを四肢で広げながら、すーっと飛んで迷宮の中に入っていった。

(ふふっ、あの子が出口を見つけてくれるまで、ここで休んでいましょうか。こんなもの、わたしにとっては障害にもならないわ)

 美奈子は使い魔が行ったのを見届けると、目の前にそびえる迷宮を見上げ、余裕の態度で微笑んだ。



(はあ、はあ、はあ……)

 走りに走って、やっと美奈子に追いついた。

 茉理は止まって呼吸を整える。

「円城寺先輩、早いですよ」

「何言ってるの、後野さん。あなた、本当に自覚してないわね」

 目を吊り上げて、美奈子が不機嫌そうに声をあげる。

「わたしとあなたは、帝様の愛をかけて勝負しているのよ。勝者は一人。馴れ合ってる場合じゃないの。真剣に戦ってるって自覚はあるの?」

「それはそうですけど、次の教室へ行く間ぐらい、ちょっと気を緩めてもいいじゃないですか」

 茉理は頬を膨らませて反論した。

 美奈子は、ふん、とそっぽを向き、遊びじゃないのよ、とつぶやく。

 彼女の背後には、きらきらと輝くガラスの迷宮。

 茉理はそれに気付き、声をあげた。

「綺麗……これが次のステージですか」

「違うと思うわ。次の教室は、この先よ」

 美奈子はそう答えると、目を細めて考え込む。

「おかしいのよね。去年は各教室でのみ課題が出たわ。廊下には、こんなしかけなんてなかったはずなのに」

「じゃ、今年は方針を変えたんでしょ。いいじゃないですか、別に。去年と同じじゃなくても」

 茉理はそう言って、手でガラスに触れてみた。

「冷たくて気持ちいい――ここが入り口ですね。円城寺先輩は行かないんですか」

「わたしは使い魔が戻るまで、ここに待機するつもりよ。さっさと先に行けば?」

 美奈子はガラスの壁にもたれかかる。

「どうせ闇雲に歩いたって出口なんてみつからないわ。トラップがあるかもしれないしね。そんなのにひっかかるぐらいなら、少し待ってから確実な道を行く。わたしのことは気にせずに行ってちょうだい」

(使い魔かあ、偵察させてるんだ)

 茉理はちょっぴりうらやましくなった。

(わたしには魔力がないから、体で勝負するしかないもんね)

 軽く溜め息をつくと、茉理はじゃあ、とつぶやいて中に入っていった。



 迷宮の中は、静寂と光に満ちていた。

 茉理はその中を、出口を求めるというより、ただ彷徨っている。

(なんか涼しくて気持ちいい)

 きらきらと輝くガラスに、そっと手を触れた。

 冷たさが茉理の腕に伝わり、心が落ちつく。

 そのまま壁に手をつきながら、彼女は壁にそって進んだ。

 薄いガラス越しに、向こうの道や壁が見える。

 だからといって、出口がわかるわけではないのだが――。

(なんか落ち着くなあ、誰が作ったのかな)

 茉理は、ここの製作者に思いをはせる。

 あと課題を出していないのは、斎と帝だけだ。

(遠野君だ、きっと)

 茉理は二人を思い浮かべて確信した。

 こんなに穏やかで、静かな空間を造り出せるのは彼ぐらいだろう。

 冷たいのに落ち着くし、優しい光の反射に包まれていると、穏やかな気分になってくる。

 でも――。

 茉理は足を止めた。

(なんか変……)

 歩けど歩けど、出口は見えてこない。

 迷宮だから簡単には出口を見つけられないだろうけど、それでも何か違和感のようなものが、少女の心に忍び寄った。

(歩けば歩くほど、どこかに入り込んじゃってる気分になる。出口に近づいてる感じじゃないわ)

 角を曲がるたび、募る想いはどんどん沈んでいく。

 まるで浮き草の茂った淵の中を、進んでいるかのようだ。

 素朴で穏やかで、風に吹かれて水の中を漂う浮き草。

 でも水の底は、深い深い深遠の哀しみ――。

 進むのは危険。

 茉理の足は、止まってしまった。



 突然足を止めた少女を見て、斎は不思議に思う。

(後野さん……どうしたんだろ?)

 確かに彼女は、間違っていない。

 闇雲に歩いたところで――いや、歩き続けたってこの迷宮に出口はない。

 入り口はあっても、出口を彼は作らなかったのだ。

(ごめん、後野さん)

 迷宮のちょうど中央で立ち止まっている茉理に、斎は心で深く謝罪した。

(君たちは、もう外には出さないよ。出口なんかないんだ。ここであきらめてくれ)

 そして帝先輩を解放して欲しい。

 斎はそう願い、更に呪文を追加した。

 いまだ外で余裕の態度を取り続けるもう一人の候補者。

 彼女をこの迷宮に誘い込むために――。



 あれからかなり時間が経っただろうと、茉理はぼんやり考えていた。

(もっと進まないと、出口までいけないよね)

 でも何故か奥に進みたいという気になれなくて。

 彼女はガラスの壁にもたれて、休憩することにした。

(でもどうしようかなあ。なんかただ歩いたって、ここを突破出来ない気がするんだけど)

 歩き続けるだけで、出口を見つけることが出来るのか。

 そうは思えなくて、茉理の顔は沈みぎみだった。

(自信ないなあ。なんかじわじわと追い詰められている感じ)

 これも一つの試練なら、なんとかする方法はあるはず。

 うーんと考え込む茉理の前を、何かが横切った。

「へっ?」

 思わず飛び退る。

 それはふわっと彼女の目の前を、もう一度通過した。

「何、これ……目の錯覚じゃないよね」

 茉理は二つの目をこすり、現れたものをじっと見つめる。

 動物のようだった。

 りすぐらいの大きさで、背中をマントのように広げて飛んでいる様は、昔動物系ドキュメンタリー番組か何かで見た、モモンガによく似ている。

(でも透明だよ、こいつ。幽霊かなんかじゃないよね)

 薄ら寒くなって、茉理は体を自分の両腕で抱きしめた。

 モモンガもどきは茉理には目もくれず、すうっと空中浮遊して、ガラスの壁の向こうに消えた。

(なんだったのかなあ、あれ)

 と思うや否や、またやってきて、別な方へと進んでいく。

「あ……また来た」

 その場に立ち止まって数分。

 その間に、何度もモモンガもどきは茉理の目の前を行ったり来たりした。

「なんなの、一体。道案内してくれてるってわけじゃないよね」

 茉理を誘っているわけではないらしい。

 むしろ何かを探しているかのようだ。

 しばらくそれを観察し、茉理はふと思いあたる。

(あ、そうか。もしかしてこの子――)

 美奈子の言っていた使い魔ではないだろうか。

 主の命に従い、迷宮の出口を探しているのだ。

「お前も迷ってるんだね」

 茉理はまた前を通過していくモモンガもどきに、そうつぶやいた。

 やっぱりそう簡単に出口はみつからないようだ。

 そう実感し、重たい溜め息をついた彼女は、次の瞬間目を丸くした。

 モモンガもどきが浮遊している横のガラスから、突然緑のつる草のようなものが伸びてきたのだ。

 つる草はモモンガもどきに絡みつき、あっという間に縛り上げる。

(やだ、これじゃ動けないじゃない)

 茉理はあわててモモンガもどきに駈け寄った。

 つる草は幾重にも絡み付き、モモンガもどきを締め付ける。

 モモンガは、クウッと悲しそうな声で鳴いて、もがいた。

 つる草はそんな可愛らしいしぐさにも反応せず、撒きついて絞殺しようとする。

(あれじゃあ窒息死しちゃうじゃない)

 茉理はモモンガを助けたくて、つる草を引っ張った。

 すると何か電流のようなものがつる草から発せられ、彼女の全身に衝撃を与える。

「きゃあああーっ」

 体中をえぐられるような痛みに、茉理はつる草を離し、しりもちをついた。

 手のひらが痛くて見てみると、つる草を掴んだ部分が黒く焼けてしまっている。

(っいたっ、これって本当に攻撃してるんだ)

 試験でもなんでもなく、モモンガもどきを確実に消そうとする魔法攻撃。

(命の危険はないんじゃなかったの?)

 茉理は心の中で叫んでしまう。

 彼女の動揺をよそに、モモンガもどきは最後の時を迎えていた。

 つる草の容赦ない締め付け攻撃に耐え切れず、クウウッと小さな声で断末魔の悲鳴をあげる。

 そして次の瞬間。

 小さなプチッという音――それはまるで梱包用のプチプチを一つ指でつぶした程度のかすかな音――がした。

 茉理の目が大きく見開かれる。

 つる草に締め上げられ、モモンガもどきは風船が割れるように千切れて空中に霧散した。

 元々透明だったから、かけらも残らぬほど綺麗に空気の中に消えてしまう。

 それと同時につる草も変化した。

 緑色の太いグロテスクな縄のようだったのに、色を失い、ガラスのように硬く冷たくなっていく。

 最後につる草もパアンッとはじけてその場に飛び散った。

 きらきらとガラスの破片となって、床に積もるつる草の残骸。

 役目を終えた道具の末路は、儚くもの寂しい光景であった。

「あ……」

 茉理は、辺りにきらきらと降り落ちるガラスのカケラを目で追いかける。

 まるで雪のように美しく落ちてくる――でも雪よりも鋭くて冷たいもの。

(消えちゃった……モモンガ……)

 茉理は、冷たい床に膝をついた。

 全身の力が抜ける。

(死んじゃったってことなんだよね)

 きらきらと光りながら、モモンガもどきは消えてしまった。

 茉理の目から、我知らず涙がこぼれる。

(馬鹿みたい。なんで泣いてんの、わたし)

 別に自分の使い魔でもないし、ライバルのものだ。

 消えてくれた方がいいに決まっている。

 なのにどうして――。

(違う、単に使い魔が消えたから、こんなに悲しいんじゃない)

 茉理は涙に濡れた顔をあげ、迷宮を見回した。

 この中全体が、悲しみで満ちている。

 そして溢れるほどに強い意志がみなぎっている。

(なんだろう。これって遠野君の心と共鳴してるのかな)

 茉理はそう思い、そっとガラスの床に片手で触れた。

 ひんやりとした感触をその身に受けながら、もう一つの手で胸に下げたペンダントを握る。

 それはとても熱かった。

(なんだろ、この感じ……)

 茉理は目を閉じ、ガラスの床から感じる想いを、ペンダントを通じて受け止めていた。



 ずっと入り口で待っていた美奈子は、気配に気付き、顔をあげた。

 使い魔が倒されたのだ。

「やっぱり簡単にはいかないみたいね」

 彼女は、目の前に立ちはだかる障害に向かう。

「自分の足で攻略しろってことね。いいわ」

 挑戦的な瞳をして、美奈子は中に足を踏み入れた。

 使い魔の残した足跡を辿り、迷宮の中央に出る。

 そこは円形になっており、道が七つ、あちこちに分かれて出ていた。

 中央には茉理が床に膝をつき、座り込んでいる。

(会っちゃったわね)

 美奈子はため息をつき、動かない茉理を見た。

「こんなところで、もう歩けないの? さっさとどいてちょうだい。わたしは、そっちの道に行きたいんだから」

 茉理の横をすり抜け、彼女は別な道を進もうとする。

「無駄よ、円城寺先輩」

 茉理のか細い声がした。

「この迷宮には出口なんてないもの。歩くだけ無駄だよ」

「なんですって?」

 驚き、美奈子は茉理に詰め寄る。

「どういうことよ。迷宮なのに出口がないなんてありえないわ」

「でもないの。造っていないんだもん」

 茉理は、頬に涙の跡をつけながら答えを返した。

「ここはね、わたしたちを試験するための場所じゃないよ。わたしたちを先へ行かせないための――閉じ込めるためのものだもん」

「そんな!」

 美奈子は絶句する。

「ありえないわ。誰かがこのイベントに、横槍を入れてるってわけ?」

「ちょっと違う、かな。たぶん遠野君だと思うから」

 茉理は答えた。

「遠野君? あの今年生徒会に入った呪い付きの王子様?」

「呪い付きなんて、ちょっとひどい言い方じゃない?」

「本当のことでしょ」

 ふう、と茉理は息を吐くと、困ったように笑う。

「彼の気持ちが、この迷宮全体に満ち満ちている。最初はとても静かで、心落ち着ける場所だと思ったんだけど、奥に進むたびに何か悲しい気持ちになるの。円城寺先輩、何も感じませんでしたか」

「別に……」

 美奈子は、辺りを見回した。

 だが特に感じるところはない。

(魔力もないくせに知った風な顔をして……あなたなんかが何を感じるというのよ)

 余計にいらいらして、美奈子は叫んだ。

「いい加減にして! そんなのあなたの勝手な思い込みよ」

「……」

「わたしは出口を探すわ。あなた一人で、ここにいくらでも閉じこもっていれば? じゃあね」

 勢いよく叫ぶと、美奈子は別な道に走っていってしまう。

 茉理は肩を落として、彼女の後姿を見送った。

(円城寺先輩……)

 彼女もまた少ししたら、ここに戻ってきてしまうだろう――さっきのモモンガのように。

 七つの道は、この中央に足を踏み入れたときからすでに外界とは遮断され、どの道を辿っても真ん中に戻ってくるしくみになっている。

(遠野君、わたしたちを帝先輩のところに行かせまいとして、こんなことを……)

 茉理は目を閉じ、ペンダントを握り締めた。

 彼の気持ちが痛いほど伝わってくる。

 でもそれとは違う別な感情も流れ込んできた。

(え?)

 床の冷たい感触から与えられるものではない。

 その上から、もっと上の階から燃え上がるように熱い激しい闘志のような心を感じる。

(何? この気持ちは――)

 茉理はそれを感じ、震え上がった。

 斎のどこか哀しい切実な感情とは違い、それは彼女の胸の奥を激しく鋭く貫いて攻撃してくる。

(早く上がって来い。俺の前に――)

 強く激しく闘いを待ち受ける、強烈な感情。

(この俺がこの目で見極めてやる。他の誰でもない。最後の答えを出すのは俺だ)

 己の運命に立ち向かう意志は、熱く強固でガラスの意志など粉々に打ち砕いてしまうほどのもの。

(これって、会長! 帝先輩だ)

 茉理は身をすくませながら、その想いを受け止める。

(これが帝先輩の意志。だったらこの迷宮は、遠野君は……)

 彼女の瞳に、先ほどとは違う力が宿る。

 斎の心を理解すると同時に、帝の想いを知ってしまった。

 そんな茉理の胸に、強い感情が湧き上がる。

(駄目だ、このままじゃ)

 彼女はそう思った。

(――ここから出たい。あの人の前に行かなきゃ……)



 斎は魔術に集中していた。

(円城寺美奈子先輩――帝先輩の去年の相手)

 一年つきあって、帝の心を掴むにはいたらなかった少女。

 でも誰よりも帝を慕い、恋焦がれている。

 今年もまた彼の側にいるために、彼女は全力で上を目指していた。

 その心が体中に溢れていて、ためらいなく先へと進んでいる。

(でもあなたは一年帝先輩の側にいたのに、先輩を少しも見てはいなかった)

 そんな彼女を帝の元へ通すつもりはない。

 斎は心を頑なにし、更に呪文を唱え続ける。

 ターゲットは円城寺美奈子。

 彼女は瞳を燃え上がらせて、どんどん足を速めていた。

 でもどんなに勢い込んでも、出口は見えてこない。

 それどころかなんだか奥に誘い込まれているかのようだ。

(何なの、ここは――)

 強い意志を持つ者でも、繰り返し現れる冷たい壁、同じような場所、自分だけしか存在しない空間の中を彷徨い続けると、不安と恐怖心に襲われてしまう。

 事実、彼女は先へ進めば進むほど、どんどんガラスの壁が出現し、迷路の道は複雑になり、中央に戻るどころか更に深みへと迷い込んでいた。

 元来た道を振り返っても、右から来たのか左を曲がって出たのか、それすらも判断がつかないほど迷宮は入り乱れ、彼女の精神力を萎えさせる。

(何よこれ。本当にあの子の言うように出口がないの? 閉じ込められたというの?)

 ついに美奈子は疲れ果てて、その場に座り込んでしまった。

 もう一歩も進む勇気が出ない。

 進めば進むほど迷い込むだけ――出口を見つける希望など、どこにあるというのか……。

 美奈子の闘志が挫けたのを感じて、斎は呪文を中断する。

(彼女はもう動けない。あとは後野さん……)

 今度は迷宮中央にいる茉理に意識を集中させた。

 茉理は、静かに壁にもたれて座り込むと、目を閉じている。

 背後にガラスの冷たい感触を感じながら――。

(さっきから君は、ずっとそうしている。もう動けないからなの? ……違うよね)

 斎には、そうだとはとても思えなかった。

 彼女はいつも予想外の動きをみせる。

 未知の力をその身に秘め、考えもしなかった言葉を放つ、不思議な存在。

 斎は持てる全魔力を使って、少女のまわりにガラスの壁をどんどん出現させた。

 先ほどの美奈子と同じ。

 茉理の周囲はガラスに囲まれ、少しずつせまくなっていく。

(これで君は、もう外には出られない。今、きっと怖くてしかたないよね。外に出る道どころか先に進む道すらないんだから)

 斎は、静かに己の閉じ込めた少女を見つめた。

(ごめん。でも君ならきっとわかってくれるよね、僕の気持ちを)

 これで、ジ・エンド。

 二人がイベントを放棄し、ここから出して欲しいと叫ぶのを待つだけだ。

 彼はじっと待ち続けた。

 どちらが先かわからないが、二人からの終了の言葉を。



 茉理は壁にもたれて、目を閉じる。

 どこかで呪文を唱え、ここを造りあげているであろう斎に向かって、思念で言葉を送った。

『遠野君、聞こえてるよね』

『……』

 斎は、茉理から言葉を送られ、はっと顔をゆがめる。

(後野さん……)

 待っていた言葉は、彼の親しい少女からのもの。

(君の方が先に放棄するのか)

 それを待っていたはずなのに、何故だろう。

 胸の中を締め付ける、どこか哀しいこの気持ちは。

 茉理は小さく笑みながら、彼への言葉を続ける。

『もういいよ。こんなにガラスを出さなくても。あんまりやったら、遠野君、また消えちゃう』

『……後野さん』

『遠野君の気持ちはよくわかった。わたし、ここにいるしかないんだよね』

『ごめん』

『遠野君が出してくれなきゃ、ここから出られないしね。わたし、魔力がないから、どうすることも出来ない。ばあっと派手な魔法で壁を吹き飛ばしちゃえればいいんだろうけど』

 茉理の柔らかな声が、斎の心に波紋を起こす。

『僕は……本当にごめんね、後野さん』

『そんなにあやまらないでよ。遠野君、会長のこと、けっこう好きなんだね』

『うん』

 素直に、斎はうなずいていた。

『会長のために、わたしたちを行かせないようにしてるんでしょ。誰も生徒会室にたどりつかなければ、きっと会長、今年は誰とも付き合う必要ないもんね』

『わかってくれて、ありがとう』

 斎は、心の奥底から嬉しさがこみ上げる。

 でも、と茉理は、少し俯いた。

『遠野君の気持ちはよくわかる。でもさ、これってやっぱり、ちょっと違うような気もする』

『え?』

『遠野君が、わたしたちを抑えていること。会長にとって、本当に嬉しいことなのかな』

『……』

 斎は思いもかけないことを言われ、戸惑ってしまう。

『感じたんだ、会長の気持ち』

『帝先輩の気持ち?』

『うん、今もね、この壁なんか通り越して、びんびん上から伝わってくるの。待ち構えてるんだよ、わたしたちを』

『帝先輩が君たちを待ってる? どうして……』

『自分で決めたいって思ってる。最後はやっぱり自分自身で答えを出したいって』

 茉理から送られてくる言葉は、斎の心を衝撃で震わせた。

(そんな……帝先輩が、二人を待ってるなんて……)

 考えたこともなかった。

 二人が来ることを拒否しているのかと思っていたのに。

『会長らしいかもね、その方が』

『帝先輩らしい?』

『遠野君に守られて終わるんじゃなくて、やっぱり自分で決着つけたいんじゃないの? あの人。すっごく自信過剰っぽいから。頼られるのは良くても、頼るのは格好悪いから嫌がるタイプ』

『それはそうかも』

 斎はくすっと笑った。

『すごいね、後野さん。まだ会長と会って、1ヶ月半しか経たないのに、そこまでわかってるなんて』

『うーん、なんかそんなに経ってないはずなのに変だよね。もっとずっと前から知ってるような感じなんだ。自分でも可笑しいとは思うんだけど』

 茉理はふうっと溜め息をこぼす。

『遠野君の力で今、会長は解放されそうになってる。遠野君がこうして彼女候補を閉じ込めることで、会長は自由になれるかも。でもそういうの、とても嫌がりそうな気がするんだけどね』

『……』

『遠野君の気持ちはわかるよ。でもやっぱり会長は、自分で決めたいと思ってるんじゃないかな。誰かに守られて終わる結果じゃ絶対ぶつぶつ言いそうだよ。どう思う?』

(そうかもしれない。帝先輩なら――)

 斎は瞳を閉じ、自分の大切な先輩を想った。

 いつも自信にあふれ、優秀で、誰にも負けることを良しとしない孤高の王の性格。

 でも本当は優しくて、心温かい一面を持っているはずなのだ。

(帝先輩は、自分で未来を決めようとしている。二人のうちどちらかなのか、それとも二人とも違うのか)

 自分の求める運命の相手は、自分で見極める。

 それが彼の本当の心。

(僕のしていることは、帝先輩の意志を妨げている)

 彼のためにと考えたのに、自分の独りよがりだった。

 そのことを感じ、斎の中から力が抜ける。

 迷宮を維持していく力も、二人を閉じ込めたいと願う強固な心も。

(僕は……僕は今まで……)

 肩を震わせる斎の脳裏に、暖かい声が響く。

『斎、終了だ。帝の準備が出来たそうだ』

『……英司先輩』

『お疲れ様。もう彼女たちを放していいぞ』

 お前も早く戻ってこい、と優しく声はささやいた。

 斎は顔を上げる。

 口元には、少しだけど微笑みが戻っていた。

『後野さん、ありがとう』

 彼は、そっと言葉を送る。

『僕の思い違いに気付かせてくれて』

 茉理からの返事を聞くのが気恥ずかしくて、彼は思念を断ち切り、呪文を唱え、場のすべての魔力を納めた。

 ガラスの迷宮は薄れ、元の古びた木の廊下に変わる。

 二人が無事、元の廊下にたたずんでいるのを確認し、斎は笑むと生徒会室に戻っていった。




 斎は生徒会室に戻るなり、英司に飛びつかれ、頭をぐしゃぐしゃとかき回された。

「もう、あんまり無茶するなって言ったろ?」

『すみません、僕……』

 そう頭の中でつぶやいて、まわりを見回す。

 でも一番あやまりたい人は、ここにはいなかった。

『帝先輩は?』

 斎の物問いたげな瞳に、雅人が微笑んで答える。

「帝ならスタンバイしにいったよ。気合入ってたよねえ、彼」

『僕のせいですね』

 斎はしょんぼりしてしまう。

 余計なことをしてしまったと、心の中で自分を責めた。

 英司はポンっと慰めるように背中を叩くと、笑顔で言葉をかける。

「違うって、そんな顔するな。お前が悪いんじゃないだろ」

『でも』

「ま、あの王様的には、けっこう良かったみたいだぞ、斎」

 直樹が彼にはめずらしく笑みをこぼした。

「ああいう風にストレートに自分を想ってくれる奴がいるってことは、嬉しいものさ。これで迷いもなくなったろう」

「そうだね。僕も直樹も帝への想いでは君に負けないけど、直接的に『貴方のために』って感じでは伝えられないからね。年上っていうハンデもついてるし」

「お前の場合は、年上以前だ。ほとんど遊んでるだろ、帝で」

「おや、そう見えるの?」

「そうとしか見えない態度を改めたら、もう少し帝のお前への評価も上がるだろうさ。斎を見習って、今年は少し変えてみたらどうだ」

「えーっ、僕としていつも最高の愛情表現をしてるつもりなんだけどねえ。どうしてこの僕の純情な心が帝には伝わらないんだ。ああっ、僕の胸は、それを思うと今にも張り裂けそうだよ」

 床に跪き、悲劇のポーズに打ちひしがれる雅人を、三人は冷静に観察する。

「また出たな、あのポーズ」

「そうですね」

『雅人先輩らしいですけどね。あの芝居口調は』

「毎回すぎて、もう気にもならなくなったな」

「マンネリ化しているところが怖いですね。俺たち、見事に適応してますよ」

 仲間ののんびりした会話を聞くなり、雅人は膨れて立ち上がる。

「おいおい、ひどいなあ。もう少し感激の涙を流してくれてもいいんじゃないか。ここは悲劇的なシーンなんだよ」

「悪いがお前の三文芝居につきあってるひまはないんでね」

 黒眼鏡が、きらりと光る。

「あ、ほら、こっちを見ないと」

 英司の言葉に、四人はモニターに集中した。

 ついに最終ステージ。

 技術室に立つ、帝の姿がある。

「帝先輩、どうするんでしょうね」

「さあな、みたとこ、なんのしかけも魔術も施してないみたいだが」

 何を考えているのかな、と直樹はつぶやく。

 今、まさに最後の試練が始まろうとしていた。



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