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ついにその日が来た。
生徒会イベント――学園のクイーンを決める時が。
放課後になり、特館の周囲にはかなりの生徒たちが見物に来た。
「おー、いるいる」
英司は生徒会室の窓から下を見て、声をあげる。
「今年は去年の1,5倍は多いですよ。すごいなあ」
「館の前にたむろっていたって中の経過は見えないというのに、みんなひまだな」
直樹はPCをいじりながらため息をつく。
「監視モニターのカウントによると、全校生徒の70%は来ているようだ」
「みんな、次の学園の女王を待ち焦がれているのさ。ああ、一人は名門の自他共に認める天才の姫君。一人は去年まで王の愛を一身に浴びて輝いていた寵姫。そして最後の一人は下町出身のマイ・フェア・レディ。この僕が見つけ出し、丹精込めた少女だ。さあ、王よ、君の愛を授ける姫を、どうぞ選びたまえ」
「英司、このコメディアンをどっかに運べ」
帝の苛立つ声が、生徒会室に響いた。
「はあ……でも帝、一番手は雅人先輩なんですけど」
英司は困った顔で雅人を見る。
「じゃ、さっさと配置につけ」
帝は不機嫌そうにどかっと椅子を蹴飛ばした。
「おお、王よ、今日はまた一段とご機嫌が悪いようですね。下僕が何か気に障ることでもしてしまったのでしょうか。ならばその罪を、どうぞこの私めに償わせてください。あなたのお心が癒せるのなら、わたしはどんな罰でも喜んで受けましょう」
跪き、ポーズなんぞ決めながら一向に反省していない雅人。
そんな彼の頭に、教科書と辞書がありったけ詰め込まれている重そうなかばんが投げつけられた。
「あたっ、なんだよ、直樹君。人がせっかく盛り上がっているというのにい」
「くだらん王様ごっこはいいから、さっさと行け。また帝の電撃をくらいたいのか」
「帝のためなら、電撃ぐらい何度でも喜んで受けてみせるよ」
赤面物のセリフをさらりと言って、雅人は優雅に一礼する。
「それでは王よ、わたしの華麗なる余興をご覧あれ。あなたの心の慰めとならんことを」
芝居がかったセリフに仕草、そして最後に瞬間移動――雅人の姿はふっと消えた。
帝はいらいらしながら自分の席にどっかり座る。
「まったくあいつは――」
「そう怒るな、帝」
直樹はまたPCに向かいながら声をかけた。
「少しは冷静になれ。あいつと付き合ってると身がもたんぞ」
「……」
「それにあいつの言うことにも一理ある。今日が大事な日なのはわかるが、お前も少しいらいらしすぎだ。まだ雅人のことを怒っているのか」
「別に」
そっぽを向く帝を、直樹はじっと凝視する。
「こないだのことは、ちゃんと説明しただろう。雅人は別に後野茉理に手を出そうとして空中に引っ張り出したわけじゃない。彼女を守ろうと思っただけだ」
「……」
「下校中の後野茉理の背後を、早川響子がずっとつけてた。おそらくどこかで彼女に攻撃するつもりだったんだろう。いつも警戒してくれてる斎もいなかったし、お前も気付いてなかったし、雅人はすばやく空中に退避させようとしただけさ。いくら早川響子でも空中では手が出ないだろうし、雅人とやりあう気もないだろうからね」
直樹の言葉に帝は、わかってる、と低くつぶやいた。
「ま、きっとなんか失言をしたんだとは思うけど、なんとかなったからいいじゃないか。最後は結局お前がかっこよく決めたわけだし」
「かっこいいだと」
帝はバンッと円卓を叩く。
「どこがだっ。俺はあんな恥ずかしい思いをしたのは初めてだ」
「そうか?」
「おまけに、いつの間にか俺があいつを好きだなんて醜聞まで立ってるし。冗談じゃない」
膨れる帝に、直樹の声が穏やかに飛ぶ。
「醜聞ではなく、本当の事じゃないのか」
「なんだと?」
「少なくともお前がこんなにペースを乱され、対応せざるをえなかった女子は過去いなかった。そうだろう」
「俺は別に!」
「お前はそうでも、もう一人の方は? いい加減に認めろ、帝。もう一人の自分を」
「……」
「そうしなければお前は先に進めない。本当のお前にはなれないぞ」
直樹の言葉に、帝は唇を噛んで静かに考え込んだ。
茉理は特館の前で緊張していた。
(ついにこの日が来たわね)
横には早川響子と円城寺美奈子がいる。
二人ともさっきから闘志まるだしの視線を向けて、お互いに威嚇しあっていた。
茉理はそんな視線に辟易しながら、ため息をつく。
彼女は制服姿のままだったが、横の二人は気合を入れたコスチュームだったからだ。
早川響子は、何を思ったのか紫のカクテルドレス。
ビーズやレースのふんだんについた、かなり豪華な物だ。
胸も背中も大開きで首には真珠のネックレス、靴はハイヒールといういでたちに、茉理は唖然としてしまう。
「わたしの魅力で、帝様を落としてみせるわ!」
(……そういう問題じゃない気がするけど)
モンスターでも出てきて、戦闘モードになったらどうするのだろう。
茉理は彼女の姿に一言言いたくなる言葉を何とか飲み込んだ。
(もし美人大会とかお色気で競争するんだったら、それでもいいけど――ああっ、天才の考えることは、わたしにはやっぱりわからないわ)
対する美奈子はクリーム色のワンピース。髪もアップに決めていて、アクセサリーも服も靴も、そういう物にはうとい茉理でもわかるブランド品だ。
これらはすべて帝にプレゼントしてもらった物だという。
「これは全部、帝様のわたしへの愛がこもっているわ。これに包まれてわたしは戦うの。帝様の愛を勝ち取るのよ」
まだこっちの方がまともだし、帝への意気込みも感じられ、茉理は少々へこんでしまった。
(でもやっぱり負けられない!)
どうしても最上階にたどり着きたい。
それぞれの決意を胸に秘め、三人は待った。
ついに特館の扉が開く。
自動ドアのように、ギイイイっときしむ音を立てて誰もいないのに扉は開いた。
「行くわよ」
「待ちなさい、わたしが先よっ」
二人は押し合いながら扉の中に消えていく。
(あーっ、出遅れた)
茉理もあわてて二人の後を追い、館の中に入る。
ついにイベントが始まったのだ。
「ここって……」
「どうやら音楽室のようね」
廊下を進んで最初に見えたドアは、音楽室だった。
「開けますわよ」
響子が叫び、勢い良く扉を開ける。
ひんやりした教室に、グランドピアノと長い机が何列も並んでいた。
人の気配はない。
三人は、ゆっくりと中に入る。
「どうしたのかしら」
「誰もいないわね」
怪訝そうに響子と美奈子がつぶやいた。
三人が入ると同時に、すっとドアが自動で閉まる。
「ええっ」
「閉まったわね」
「ふっ……始まるようだわ」
響子の余裕の笑みに、突然グランドピアノから澄んだ音色が聞こえてきた。
驚き、グランドピアノを見ると、いつの間にか人がいる。
指を滑らせ、滑らかなセレナーデを引いているのは雅人だった。
三人は、しばらく彼の演奏に聞きほれる。
「雅人様、素晴らしいわ」
「本当――さすが名作曲家とピアニストの息子さんだけのことはあるわね」
(へーっ、そうだったんだ)
思いがけない雅人の一面を知って、茉理は驚いてしまう。
いつもの茶化したような芝居がかった仕草とは違い、ピアノに向かっている彼はとても柔らかな顔をしていた。
真っ直ぐで澄んだ優しいピアノの音色は、茉理の心を落ち着かせてくれる。
一曲引き終わると、三人はたくさん拍手をした。
「ありがとう、レディたち」
雅人は優雅に微笑む。
「今の一曲は、これから君たちが進むべき愛の試練へのプレリュードといったところさ。気に入っていただけたかな」
「もちろんです、雅人様」
響子が真っ先に賛辞を贈った。
「素晴らしかったです、本当に嬉しいですわ、久しぶりに雅人先輩の演奏が聞けて」
美奈子も笑顔で返した。
茉理は何も言えず、黙ってしまう。
雅人は微笑みながら茉理を見た。
まだ彼女は、さっきの雅人の優しい音色の余韻に浸っていて、もの一つ言えないでいる。
(ふふっ、どうやら僕の演奏を心で聞き取ってくれたみたいだね)
満足げににやっと笑うと、雅人は薔薇の花を取り出した。
「では、乙女たちよ、君たちに最初の試練を与えよう! それは――」
パチンと指をはじくと、雅人の姿が揺らぐ。
「え?」
茉理は我に返り、雅人がいた方を見る。
そこには――。
「まず最初の試練だ。この俺のことをどう思っているのか、聞かせてもらおう!」
雅人ではない。
そこには生徒会長 伊集院帝が出現していた。
(えーと、あれは……)
茉理は目を瞬かせる。
帝ではない、帝の姿をした雅人だ。
でもあきらかに本物そっくりで、茉理は正直胸がどきどきしてしまった。
黒髪も、静かに自分たちを見つめる黒い瞳もそっくり同じ。
(うーん、すごいわよね、さすが雅人先輩)
茉理は響子と美奈子の方を見る。
二人とも、もちろんあれが本物だとは思っていないだろう。
気付いていないはずはない。
「つまり、この音楽室での課題はこうなのですね。貴方が扮している帝様を本当の帝様のつもりで、わたしの熱い胸のうちを告白する。どれほど帝様を愛しているか、それを貴方に示せばよろしいのね」
響子が余裕たっぷりの笑みで言った。
「さあ、誰から来る? この俺の心を狂おしく掻き乱す、熱い告白をしてみせろ」
雅人扮する帝は不適な笑みを浮かべ、グランドピアノの前に立った。
立つ姿勢、かもし出す雰囲気すべてが帝そのものだ。
「わたしから行きますわ、帝様」
響子が名乗りをあげる。
そして帝の前に進み、うっとりと瞳をあげた。
「わたし、心から貴方を愛しています。貴方のすべてが愛しいんです」
「ほお」
帝はにやりと笑う。
「俺のどこがそんなにいいのか、聞かせてもらおうか」
「すべてと申し上げたでしょう。貴方の威厳ある帝王の姿、覇気のあるお声、意志を秘めたまなざし――貴方ほどの男性が、この世界のどこにいるというのでしょう。わたし、一生あなたについていきますわ」
(うっわーっ、すごい宣言……)
茉理は空いた口がふさがらなかった。
(これで本当は会長の家の権力と名声が目当てだなんて信じられない)
赤面物のセリフを口にし、少女マンガばりの輝く瞳で帝を見つめる少女の姿は、まさに恋する乙女そのものだ。
これで判定はどう出るのか。
帝(中身は雅人)はふっと笑むと、優しく響子の頬に手を触れた。
「なかなか心地よい言葉を聞かせてもらった。合格だ」
(ええーっ)
驚く茉理の目の前で、響子の手に鍵が渡される。
「ありがとうございます、帝様」
響子は小躍りして喜ぶと、残された二人に勝ち誇った笑みを見せて音楽室を出て行った。
(どうしよう。ようするに、あれが合格なわけね)
茉理は思いっきり気力がそげる。
(あんな恥ずかしい告白、言えるわけないでしょ。ああっ、困ったな)
でも言わないと、ここを通過できないのだ。
そもそも自分は、本当に帝の彼女になりたくてここにいるわけじゃないし。
困りきった茉理を横目に、今度は美奈子が進み出る。
「美奈子……」
帝の悲しげな口調に、茉理ははっとした。
元最愛の彼女を前にして、帝もきっとあんな声を出すだろう。
まさしく今の雅人扮する帝は、そういう雰囲気を再現させていた。
「すまない、お前は悪いことをしたと思っている」
項垂れ、うつむく帝の仕草は、彼女にわびている姿そのものである。
美奈子は微笑み、そっと帝の頬を両手で包んで顔をあげた。
「そんなお顔をなさらないで、帝様。迷わせてしまっているのは、わたしですわ」
「……」
「わたしが本当に貴方の運命の相手なのかどうか、迷ってしまったのでしょう? でもそれはわたしにも責任があります。だからそんな顔をしないでください」
「美奈子……俺は」
「わたしを選ぶことが出来ないことで、貴方がそんなに罪悪感を感じる必要などありません。大丈夫です。帝様、必ずわたしはあなたの元に上がってみせます。そしてわたしこそが貴方と運命を共にする相手だと証明してみせますわ」
(うっ……すっごくお似合いなんですけど)
茉理は胸痛く、二人の告白シーンを見つめていた。
決意を胸に帝をみつめる美奈子の瞳は、しっとりと濡れている。
(駄目だ。わたし、負けちゃってる)
茉理は半分絶望的になった。
勢い込んでここまで来たが、最初の課題でもうむずかしすぎる。
あきらめかけた彼女の眼が、次の瞬間、点になった。
美奈子が雅人扮する帝の首に腕をまわし、引き寄せて唇を重ねたのだ。
(嘘でしょーっ、円城寺先輩)
茉理は驚きで口をぱくぱくさせてしまう。
いくら雰囲気に呑まれたとはいえ、彼は本当の帝ではない。
それなのに――。
(偽者と、よくキスなんて……)
しかも唇。
茉理はだんだん腹立たしくなってきた。
(なんなのよ、もう)
絶対おかしい。
この試練は変だ。
そんな思いが、彼女の中にふつふつと沸き起こる。
先ほどまでの消沈した気持ちは、どこかに吹っ飛んでしまった。
「俺の大事な美奈子……待っている、生徒会室で」
「ええ、帝様」
愛してる、とささやいて、二人は固く抱き合う。
帝は美奈子の手に、微笑んで鍵を持たせた。
美奈子は鍵を握り締め、一瞬挑戦的な目を茉理に向ける。
勝ち誇った笑みを浮かべながら。彼女も教室から出て行った。
その様子を冷めた目で茉理は見守る。
もうどうでもいい。
合格とか不合格とか、彼女はどうでもよくなってきた。
「どうした、お前はこないのか」
憎らしいほど帝そっくりな口調で、雅人は茉理を挑発する。
彼女は彼を睨むと、つかつかと前に出た。
帝(中身は雅人)のすぐ前に立つと、挑むような目を向ける。
(なんだ、なんか告白って感じじゃないな)
雅人は目を丸くした。
「さあ、聞かせてもらおうか。お前が俺をどう思っているのかを」
「わたしは……」
茉理は一瞬目を閉じる。
次に目を開けたとき、そこには並々ならぬ決意の色があった。
次の瞬間。
バシイイッ。
気持ちよい音が、音楽室に響く。
帝扮する雅人の右頬が真っ赤になった。
片手を振り上げ、茉理は、はあはあと息を弾ませる。
驚き、声も出ない雅人に、茉理は真っ赤な顔で怒鳴った。
「あんたなんかに告白するつもりなんかないわっ。これがわたしの答えよ」
音楽室を沈黙が満たした。
頬を押さえながら、帝は目を吊り上げる。
「告白するつもりがないだと? お前は俺の彼女になるために、ここへ来たんじゃないのか」
「いいえ、わたしはあなたの彼女になりたくてここにいるんじゃないわ。あなたは本物じゃないもの。本物の会長になら気持ちを言ってもかまわないけど、偽者に自分の心を伝えようとは思わない。こんな課題、最低よ」
「……」
「あえて言わせてもらうなら――雅人先輩、わたしは先輩のこと、なんとも思ってませんから。そりゃあ悪い人だとは思わないけど、特別な感情とかは一切ありませんから。以上です」
帝はしばらく固まっていたが、次の瞬間、はじけたように笑い出した。
「あっははははははっ、いいねー、茉理姫。やっぱり君は最高だよ」
「笑いごとじゃありませんっ」
「いや……ごめんごめん。こう来るとはね」
雅人はひとしきり笑うと、パチンと指をはじいて元に戻る。
「いやあ、ほんとに君はいいね、はい、これ」
鍵を渡され、茉理は目を丸くした。
「不合格、じゃないんですか」
「合否を決めるのは僕だよ。それにね、僕はこう言ったはずだよ『この俺のことをどう思っているのかを、聞かせてもらう』ってね。熱い告白をしろ、とは言ったけど、別に『愛の告白』とは言わなかったし……ふふっ」
(なんかそれって、すっごくいい加減な気が――要するに、なんでも良かったって感じね)
茉理は思いっきり脱力した。
さっきまで悩んでいた自分が馬鹿みたいだ。
「がんばって。君は君らしくやればいいよ」
雅人は笑いながらポンと茉理の背を押す。
「大丈夫。帝は君を待ってるから」
「え?」
茉理が怪訝そうな目を向けたそのときには、もう雅人の姿は音楽室になかった。
(あ……行っちゃったんだ)
ぽつんと一人残されて、茉理はグランドピアノに触れてみる。
まだ蓋は開いたままだ。
ポン、と一音、指で鳴らした。
指先を通して、冷たい鍵盤の感触、そして震える音の振動が伝わってくる。
それと連動するように、先ほどの雅人の演奏が胸の奥に甦ってきた。
柔らかなセレナーデ。
冷たい鍵盤を軽やかに叩きながら、かもし出された小さなメロディー。
もう一音、ポンと鳴らしながら、茉理は心の奥の旋律に耳を澄ます。
(本当に安らげる音色だったな)
ピアノに真剣に向かっていた雅人の表情が浮かんでくる。
普段、思いっきり変人でふざけた先輩なんだけれど、あんな顔をすることもあるんだなと茉理は思った。
――彼は何を思い、あの曲を弾いていたのだろう。
これから先、この学園で過ごす中で、あの先輩の心の内を知る機会があるのだろうか。
顔を上げ、茉理は瞳に決意を宿す。
(とりあえず第一段階はクリアしたんだ。次に行かなきゃ)
手の中にある鍵を握り締め、茉理はピアノの蓋を閉めると、音楽室を出て行った。




