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朝、目覚めたとき、床の感触が体を固くさせた。
(うーっ、そうだった)
昨夜のことを思い出し、茉理はうめく。
まわりを見回すと、昨日の悪夢のような部屋が広がっていた。
もちろん茉理も女の子。
キラキラ可愛いものは好きなのだが、こうもたくさんそればっかり置かれていると、息が詰まるというかなんというかで居心地悪いことこの上ない。
(雅人先輩、一夜でよくここまでにしたわね)
茉理は変なところで感心する。
自分が行方不明になっていた時間は、どうやら一晩だけだったらしい。
さりげなく日付を確認し、茉理は驚いてしまった。
(きっと魔法とか使ったんだわ。親にも気付かれずにここまでするとは――)
内心うめきながら、茉理はのろのろと着替え始める。
鏡を見ると、顔はまだぼーっとしていた。
(信じられないよ。あれが一晩だけの出来事なんて)
悪い夢のように感じるが、胸には白いペンダントがしっかりと下がっている。
その冷たい感触が、あの出来事は現実のものだったと伝えていた。
覚めきらない瞳で時計を見ると、朝の七時。
茉理は制服の着替えを済ませ、髪を結ぶとキッチンに向かった。
台所では茉理の母、峰子が朝食の支度をしていた。
「おはよう。あら、どうしたの?」
「え? な、何が?」
昨日は家に帰ってから早々に眠りこけてしまったので、母とは顔をあわせていない。
峰子は近所のスーパーでレジをしていて、大抵夜の9時頃に帰ってくる。
茉理にしてみれば一晩ではなく、もう半年ぐらい母親に会っていなかったような感覚だった。
だから不思議そうな目で見られ、茉理は一瞬ひるんでしまう。
(どこか変かな)
自分が異次元に飛ばされている間、雅人が彼女に変化して両親の目をごまかしてくれたとは聞いていたが、その間、変なことになったやもしれないと彼女は一瞬不安になった。
(いつの間にかキラキラ乙女趣味の女の子みたいにされてたし……)
額から一筋汗が流れ落ちた茉理だったが、峰子は不信がる様子もなく問う。
「だって今日、土曜日よ。学校に用事でもあるの?」
(あ!)
茉理は、たちまち真っ赤になった。
ぼうっとしていたので、つい曜日の感覚を忘れたのだ。
「あ……はははっ、そっ、そうだった、ははっ」
「もう、しっかりしてよ、朝から寝ぼけてないで」
早く食べなさい、とつぶやくと、峰子は祖母を呼びにいってしまった。
母親がパートに出てしまうと、家の中はしーんと静かになった。
台所兼食堂兼居間では、祖母がテレビをぼーっとみている。
祖母の背中を見ていたら、茉理は随分細くなったなあ、と思った。
(おばあちゃん、前はもう少し肩に力があったような気がするんだけど)
背中を丸めてテレビに見入る祖母は、どこか哀愁が漂っている。
(久しぶりだし、おばあちゃんとお散歩しようかな)
外を見ると少し雨が降りそうだったが、午後までは持つだろう。
茉理はそう決めると、すぐに部屋にあがって準備をした。
「寒くない? おばあちゃん」
「そうだねえ」
二人は手をつないで歩いた。
茉理の祖母 藤子は華奢で少ししわになった手をしている。
茉理は自分の暖かな手を重ねながら、ゆっくり祖母に合わせて歩いた。
近所の公園まで来ると、ベンチに祖母を座らせる。
「疲れた? 少し休もうね」
家から持参したペットボトル入りお茶を出して、藤子に渡した。
「……茉理ちゃん」
「なに? おばあちゃん」
何気に返事をしてから、茉理は飛び上がる。
(おばあちゃん、今、わたしのこと茉理ちゃんって呼ばなかった?)
いつもは隣のミヨちゃんなのに――。
目を丸くして自分を見つめる茉理に、藤子は苦笑した。
「そんな顔をしないどくれよ。恥ずかしいじゃないか」
「だって……おばあちゃんが突然正気に」
「時々はなんかはっきりするんだよ。茉理ちゃんが一晩いなくなったときには、どうしようかと思ったけどね」
「え?」
「変な男があんたのかわりに家に入り込んできたときには、胸がつぶれる思いだったよ。あんたがどうにかなっちゃったんじゃないかって、びっくりした」
「そ……そうなの?」
(雅人先輩、しっかりばれちゃってるじゃん)
茉理はため息をつく。
「あんたが明ちゃんの妹さんに異次元に飛ばされてしまったと聞いたときには、心底驚いたよ。探しにいきたくてもいけないし――ま、変な男だったけど、ちゃんとお孫さんは見つけ出してみせますから、ご安心ください、なんて頭を下げられたから、もう信じるしかなかったけどね」
「え? 雅人先輩ってそんなことしてくれたの?」
驚く茉理は、そのあとはっとした。
(ていうか、この会話が成立してるってどういうことよ)
祖母は普通の人間で、当然魔族だの魔法だの異次元だのには無縁のはず。
それが異次元に飛ばされたという説明を、こうもあっさり信じるなんて――。
「ふふっ、茉理ちゃん、あんたにはまだ話したことがなかったけどね」
祖母は笑むと、茉理の手をぎゅっと握った。
「うちは魔族じゃないけど、魔族と切っても切れないつながりのある家なのさ。この日本にご先祖様が移住してきて移り住んだ。ここに、どうしても自分たちの力を受け継ぐ子孫を誕生させねばならなかったから」
(なんかクリスティ家と似てるわね)
茉理は目を丸くしながら、祖母の告白に聞き入る。
「わたしも自分の母から話を聞いたときには驚いたよ。本当のこととは思えなかったんだからね。でも実際、わたしの中に力が宿っているのを感じてしまい――それと同時に愕然とした。それはね、この先、自分の人生をすべてメチャメチャにしてしまうかもしれない、とわかったからなんだよ。普通の人並みの幸せを味わうことが出来ないかもしれないと悟ったとき、わたしは運命に逆らう決心をした。でも全部、無駄だったようだね」
「あ……あの、おばあちゃん?」
突然、祖母は茉理の手をしっかりと握りしめて懇願した。
「このおばあちゃんの一生の頼みだよ、茉理ちゃん。今すぐあのクリスティ学園から転校しておくれ!」
「ええっ?」
「あそこにいてはいけないよ。あそこにいたら、あんたはまともな人生を送れない。それどころかもっと辛くて苦しい立場になってしまう。決して魔族と関わってはいけないよ、あいつらはわたしたちを不幸にする――戦いと混乱に巻き込まれて、命を落とすかもしれないよ」
「そ、そんな……」
「あいつらにとって私達はただの道具にしか過ぎないんだ。目的の力を手に入れたら、あっさり捨てられてしまうだろうよ。それどころか殺されるかも」
「そんな馬鹿な」
茉理は祖母の真剣な口調に、どんどん不安になってきた。
「あんたがあそこに行きたいなどと言い出したとき、わたしゃどれほど反対したか。こうなることはわかってたんだよ。もう十分だろ? 茉理ちゃん。あんたは毎日魔法で攻撃されるわ、異次元にまで飛ばされるわ、学校生活もメチャクチャじゃないか」
(うっ……それはそうだわ)
今までの約二ヶ月を思い出すと、藤子の言葉を否定出来ない。
「お願いだよ、茉理ちゃん、転校しておくれ」
祖母の必死の嘆願に、茉理は返す言葉もなく黙り込んでしまった。
家に帰ってきたら、祖母はまた元のボケた言動に戻ってしまった。
(一体、どうなってるの?)
さっきのは一時の気の迷いだったのだろうか。
頭が混乱しつつあった茉理は夕食後、祖母が寝付いたのを確認し、何気に母に話題を振る。
「ねえ、お母さん。おばあちゃんってさあ、いつもぼけてるのかなあ」
「急にどうしたのよ」
峰子はテレビを見ながら、気のなさそうな返事をした。
「だって、なんか時々ちゃんとわかってるような答えが返ってきたり……」
「おばあちゃんは、もともと少しおかしな症状があったのよ。ほら、おばあちゃんのお母さんは早くに亡くなっているから、小さな頃からお母さんがいなくってね。それの影響もあって、ずっと精神不安定なんじゃないかって言われ続けてたみたい、若い頃から」
「そうなの?」
「そうよ、お父さんなんてもっとよく知ってるから、今度聞いてみなさいよ。なんでもね、アトノの家は昔、魔法使いととても縁のある家だったんですってさ」
「は?」
「魔族だの別次元だの、吸血鬼だの契約だの――そんな話ばっかりされたんですって。可笑しいでしょ」
「……」
「しまいにね、わたしとお父さんの結婚まで反対されたのよ、ひどいと思わない? なんでもわたしとお父さんは絶対に結婚してはいけないんですって。結婚したら変な子どもが生まれるなんて、ぶつぶつしつこく言われたわ。もう完全に気違いだと精神病院でも診断されて――ま、わたしはそれが病気だとわかってたから気にしなかったし、そんなの無視してお父さんと結婚したけど」
「そ……そうだったんだ」
思いもかけない話を聞いてしまい、茉理はうろたえる。
「ま、結婚しちゃったら、おばあちゃんもおとなしくなったけどね。でも子どもを作るなって散々に言われたわ。参っちゃうわよね、ほんと」
「……」
「茉理が生まれたとき、おばあちゃんったらあんたを抱っこして、なんて言ったか話したでしょ? 『あとのまつりだ』ですって。わたしもお父さんも空いた口がふさがらなくて――しかも勝手に市役所にあんたの名前を届けてしまってねえ。あんたも大変でしょ、その名前」
「うん、まあね」
「茉理自体は可愛いのにね、苗字とあわせたらお笑いよ。変えてあげようと思ったんだけど、おばあちゃんったら、どうしてもこの名前にするって聞かないし」
「そ、そうだったんだ」
茉理は突然知ってしまった事実に、頭の中がぐるぐるした。
(そんなことになってたんだ)
うちは魔族とは何のご縁もない家系だと思っていたけど。
(実はそうじゃなかったんだ。これはおばあちゃんに、くわしく聞いてみるしかないか)
祖母がぼけ老人になってるのじゃない。
ぼけ老人としてしか扱われなくなったのだ。
(ま、しょうがないか。普通信じないわよね、こんなこと)
茉理は自室のベッドに寝転び、ため息をつく。
自分もそうだった。
実際奈々たちに説明されたときは半信半疑で、生徒会メンバーの使う魔法をちょこちょこ見ている今でさえ、なんだか本当とは思えないくらいだ。
(でも、でもさ……)
茉理は、首に下げた白いペンダントをいじってみる。
(これが本当にあるし)
異次元世界ユーフォリアで、最後にトノアからもらった物。
これがしっかり元の世界でも、茉理の首に下がっていた。
白いハート型の石が一つペンダントトップとしてついていて、銀の鎖はトノアの髪を思いおこさせる。
(夢だったら良かったのにな)
茉理はペンダントに触れて、また泣きたくなってきた。
最後の最後に消えてしまったユーフォリア。
そこまで思い入れのある所ではなかったはずなのに、何故か消失してしまったのは辛い。
崩れた建物、あちこちから漏れる断末魔の悲鳴。
そして――。
今だに目を閉じればせまってくる、あのせつなげなスミレ色の瞳。
茉理の目が、また少しずつ濡れてきた。
知らずに涙が頬を伝わる。
トノアの悲しそうな声と、アルツールの愛する人と永久に離れた最後の叫び。
(それから――)
最後に茉理の心によみがえったのは、あの黒髪と黒い瞳の少年だった。
本意ではなかったけど、してしまった初めてのキス。
彼の今までとは違う一面を知ってしまった。
大部分が過去の残像だけど、彼だけは違う。
今もこの世界で、一緒の時の流れの中にいるのだ。
(会長も無事にこっちに戻ってきてるわよね。月曜日、学校で会ったら、なんて挨拶したらいいんだろう)
茉理は帝のことを考えて、頬が熱くなった。
さっきまで泣いていたのに、今はもう現実問題に切り替わっている。
(ちゃんと普通にしてればいいじゃない。おはようございます、とか、こないだはどうもありがとうございました、とか)
言えるだろうか、彼の前で。
茉理は何度も口の中で考えた言葉をつぶやきながら、いつの間にか眠ってしまっていた。




