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魔法使いの生徒会(私立クリスティ学園シリーズ1)  作者: 月森琴美


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 はにわが茉理を迎えに来たのは、しばらく経ってからだった。

 水の音を聞きながら、茉理は夜空を眺めてぼーっとしていた。

 そこへよったよったとはにわが現れ、茉理の手を引いて神殿の奥に案内してくれる。

 奥にそびえる小さな建物が、トノアの住居だった。

 それは水晶のように透明で光り輝き、三角錐の形をしていた。

(なんか、ガラスのピラミッド?)

 ピラミッドの外側に、階段が上までぐるりと続いている。

 はにわに背を押され、茉理はローブの裾を持ち上げながら階段を上がっていった。

 かなりの距離だと思ったが、意外と早く上までたどり着く。

 三角のてっぺん辺りに小さな扉があった。

 茉理は深呼吸して、その扉を叩く。

「トノアさん?」

 返事がないので声をかけると、突然扉がすっと開いた。

「えーと、失礼します」

 茉理はおっかなびっくり中に入る。

 中はひんやりしていて、透き通った階段が縦横無尽に伸びていた。

(ここはてっぺんだから当たり前だけど、今度は降りるのか……)

 茉理は果てなく下までぐるぐる続いている階段を、めまいのする思いで見る。

 まるで迷路だ。

 深呼吸して息を整え、彼女は階段を下りていく。

 真っ直ぐ下まで続いているのではなく、ぐねぐねと右に左に、あるいはまた上ったりしながら、茉理は階段を進んでいった。

 ちょうど中間まで下りて来たとき、階段の先に扉が見えた。

(まるで宙に浮いてるみたい)

 茉理は、透き通った階段から下を覗いてそう思う。

 扉は開いており、そこから光があふれ出ていた。

 あの噴水の光と同じ輝きをはなっている。

(間違いない、あそこがトノアさんの部屋だ)

 茉理はそう確信し、扉の中へと入っていった。



 入った瞬間。

 扉の中は別な空間だった。

 まぶしいくらいの白い光に満ち溢れている荘厳な世界。

 そして空間の中には、たくさんの光の球体が浮いている。

 小さな粒ぐらいのから、バスケットボールぐらいのまで大きさも様々だ。

 茉理は、あまりの別世界に驚きながらゆっくり進む。

 中央には輝く魔方陣があり、そこにトノアが座っていた。

 白の空間の中で、彼女の纏う黒のローブがしっとりと落ち着きをみせている。

 トノアは力を落とし、疲れ果てているようだった。

「トノアさん?」

 今にも彼女が消えてしまいそうで、茉理はあわてて駆け寄る。

 その華奢な手を取ると、しどどに濡れていた。

 顔をあげたトノアを見て、茉理は驚く。

 瞳は赤く腫れ上がり、頬にはいく筋もの痕がある。

(トノアさん、泣いてたんだ)

 茉理は胸が痛くなった。

 トノアはやつれきった顔で、茉理の方に倒れ込む。

「わ、トノアさん?」

「ごめんなさい……しばらくこうしていて」

 彼女に寄りかかられ、茉理はどきどきしながら肩で受け止めた。

 そっと銀色の髪を撫でると、まるで子どものように彼女はしがみついてくる。

(こんな風に一人で悲しむなんて――)

 アルツールはどうしたのだろう。

 茉理より先にトノアに会いに来たはずなのに――。

 彼女ははっと気がついた。

(もしかしてケンカしちゃったのかな)

 アルツールも今日はどこか変だったし、ひょっとして二人は喧嘩して互いに傷ついたのかもしれない。

 茉理は黙って、トノアをぎゅっと抱きしめる。

「暖かいわね、マツリは」

「そ、そうですか?」

「ええ。あなたはとても……」

 トノアはそうつぶやくと、もう少しだけこうしていてね、と言って、茉理に身をもたせて瞳を閉じた。

「ありがとう。おかげで少し楽になったわ」

 顔を上げ、微笑むトノアが痛々しくて、茉理はしょうがなかった。

 無理をしているのがわかる。

 でも原因は何なのか。

「あの、アルツールさんと、けんかしちゃったんですか」

 思い切って聞いてみると、トノアの瞳がわずかに揺れた。

(やっぱりそうなんだ)

 確信した茉理は、更に突っ込んでしまう。

「あの、どうして……」

「彼が求めているものを、わたしはあげることが出来ないの。だからひどく彼を傷つけてしまった」

 悲しそうにつぶやくトノア。

 何か彼女に秘められた意志を感じ、茉理は背筋が冷たくなった。

「あなたには、何もかも知っておいて欲しいの。わたしの心をすべて」

「……」

「わたしのすべてを貴方に見せるわ。力も罪も、悲しみも――想いのすべてを」

 トノアの瞳が更に真紅に染まっていく。

 言葉も出ない茉理に、トノアは手を差し出した。

 両手のひらを自然に合わせ、二人は目を閉じる。

(あ……)

 巫女姫から伝わってくる暖かな光。

 それは茉理の全身に行き渡り、彼女のすべてを包み込む。

 その中で茉理は知ってしまった。

 トノアの心の中を。

 その奥底にある大きな苦しみ、そして未来の為の決意を――。

(嘘……こんなことって……)

 想像もしていなかった衝撃の事実。

 流れ込むトノアの感情に同調し、茉理の胸は締め付けられ、心は激しく痛んだ。

 涙が我知らずにこぼれる。

 今まで生きていて、こんなにせつなく辛い思いをしたのは初めてだ。

 トノアのすべてを知って、茉理は激しく泣いた。

 他にどうしようもなくて、ただ彼女は泣き続けた。




 ずうっと泣いて、泣きつかれて。

 意識がいつの間にか薄れ、そして――。

「気がついた?」

 茉理は耳に届いた優しい声に、自分自身を取り戻す。

 そこは光溢れた空間ではなく――茉理のいつも使っている寝室だった。

 彼女は寝台に寝かされており、おぼろげな記憶しかない。

(えーと、わたし、どうしたんだっけ……)

 頬に触れると、まだ濡れていた。

 茉理は必死で記憶を探る。

 横に座っていたトノアが、どこか寂しそうな顔で説明してくれた。

「あなたはわたしの心の中に入ったの。わたしのすべてを見たのよ」

「えーと……」

(そうだっけ?)

 茉理は、まだぼーっとした頭でそう思う。

 何故かトノアとの事が何も浮かばない。

「そうなの。でもそれは今の時点では必要のない記憶なのよ。だからしばらく貴方の心の中に眠らせることにしたわ」

「え?」

「その記憶が貴方にとって必要になるときまで封印したの。貴方の魂の中にね」

「はあ……」

(またむずかしいこと、言われてるよー)

 茉理は何がなんだかわからなかったが、とりあえずうなずく。

「大丈夫。その時になれば、すべて思い出す。そしてわたしの言ったことがわかるようになるでしょう。それまでは気にしないで生きてちょうだい」

 トノアは茉理の髪をそっと撫でた。

「もうすぐ貴方達とお別れすることになるわ。あと少しでこの書の魔法は終わる。元の世界に貴方達は帰るのです」

「ええっ、本当ですか」

 身を乗り出す茉理に、トノアは笑ってうなずく。

「元の世界が恋しい?」

「あ、はい」

 素直に答えると、トノアはそうでしょうね、とつぶやいた。

 彼女は首に下げた白い石の首飾りをはずして、茉理の首にかける。

「これを持っていって。わたしのすべてがここにあるわ。これはきっと未来の希望となるでしょう」

「え?」

「巫女の聖なる印よ。あなたに授けます」

「でも、これ、大切な物じゃあ……」

 戸惑う茉理に、トノアは微笑み、そっと彼女の手を握った。

「もう少しだけ我慢してね。貴方達は必ず無事に元の世界に帰れるから」

「はい」

「たとえどんなことがあっても必ず帰れる。だから最後まですべてを見ていってね。辛いことも、悲しいことも、全部」

 とても苦しそうなトノアの口調。

 茉理は胸が痛くなった。

 何故かはわからないが、これから何かが起こる。

 それは幸せなものではないということが、彼女の脳裏にはっきりと感じられた。

(トノアさん――)

 そっと茉理の額に白い手が置かれ、もう少し休んでいて、とささやかれる。

 言われるままに茉理は横になり、また目を閉じて眠りについた。



 そして次に気がついた時――。

 終焉は、あっという間に訪れた。



(……何? なんだか変な音が――)

 深い眠りから、茉理は何かに揺り起こされる。

 それはいわば虫の知らせとでも言うべきものか。

 彼女が寝台に身を起こしたと同時に、部屋全体が激しく揺れた。

 茉理は弾みで寝台から石の床に投げ出される。

「いたたた……って、うわあああっ」

 体制を整えるひまもなく、第二段の揺れが来た。

(地震なの?)

 茉理は何とか這いずって、寝台の下にもぐりこむ。

 地震のときは、とにかく何かの下に隠れること。

(小学校のときから嫌というほどやった避難訓練の成果が、ここで役に立つなんて……)

 茉理は身をちぢ込ませながら、そんなことを思った。

 それにしてもこんな激しい揺れは初めて体験する。

 地面だけでなく世界すべてが揺れ動いているかのようだ。

 そしてそれは間違いではなく――今、ユーフォリア全土が何らかの力によって、空間をメチャクチャに切り裂かれていた。

「きゃああーっ」

 さっきよりも激しい揺れの衝撃で、寝台が横にふっ飛ぶ。

 茉理も寝台と一緒に横に飛ばされてしまった。

 彼女の体は石壁に向かって真っ直ぐに落ちる。

 衝撃を覚悟した茉理だったが、体をぶつける寸前、柔らかなものが彼女を受け止めた。

(……会長)

 瞬間移動して現れた帝が、間一髪で茉理の落下を食い止めたのだ。

「大丈夫か」

「う……うん」

 茉理はほっと息をつき、それからぎょっとする。

 帝と一緒に自分も宙に浮いているのに気付いたからだ。

「う、浮かんでるよっ、わたし」

「騒ぐな。浮遊魔法だ。俺から手を離すんじゃないぞ」

 茉理はあわてて帝にしがみつく。

「ねえ、これってどうしたの? 地震?」

「何寝ぼけたこと言ってる」

 帝は激した口調で叫んだ。

「デューキュアの攻撃だ。ユーフォリアの空間を切り裂こうとしてるんだ!」



 揺れが収まったのは、かなり時間が経ってからだった。

 帝は舌打ちし、辛そうに顔をゆがめる。

「止まったね」

 茉理は下に降りないのだろうか、と首をかしげながら声をかけた。

 彼につかまっての浮遊は、足場がない分不安定に感じる。

 慣れてない彼女には、ちょっぴり怖いものがあった。

 でも帝は下に降りる気はないらしく、そのまま外に出ようとする。

「ね……ねえ、どこ行くの?」

「外の様子を見る」

「降りて、歩いた方がよくない?」

 茉理の質問に、帝は複雑な顔をした。

「空中の方が安全だ。俺一人なら別に問題はないが、お前を抱えて地上での戦闘はちょっとな」

「ええっ? 戦闘?」

「さっきも言ったはずだ。これはデューキュアの攻撃だと」

 帝は状況が良く飲み込めていない茉理に、苛々しながら説明する。

「あの揺れは、おそらくエレアとかいう巫女の力だ。トノアの力を打ち破り、この空間に侵入するルートを作るためのな」

「侵入って……」

「ユーフォリアはトノアの力で作られた空間。彼女の意思なくば、何人たりともここに入ることは出来ない。当然出ることも不可能だ」

「そっか。だからわたしたちも、ここから出られなかったんだっけ」

 茉理は思い出してうなずいた。

「そんな場所に侵入するためには空間を維持している巫力に大量の巫力をぶつけて亀裂を作り、そこと己のいる空間をつなげるしかない。どちらがより大きな巫力を持つかで勝敗が決まる」

「ということは――」

 茉理は帝の話を聞きながら、はっと顔色を変える。

 帝は彼女の言わんとする先をよみ、唇をきゅっと噛んだ。

「空間に亀裂が入ったようだ。俺の魔力で、それを感じる」

「……」

「このただならぬ魔の気配、おぞましいほどの殺気。ユーフォリアにはなかったものだ」

 茉理は帝の腕をつかむ指先を震わせて、俯く。

「トノアさん……」

「エレアに負けたな。おそらく外はデューキュアによって吸血鬼化した敵の侵入で戦闘状態になってるはずだ」

 帝はそう言うと、がしっと茉理の腰を捕えて引き寄せた。

「わっ」

「しっかりつかまってろ。神殿の外に出るぞ」

 茉理は顔を上げて帝を見つめる。

 彼の黒い瞳が、決意の色に染まっていた。

「空から状況を把握し、お前を安全な場所に下ろす。そして必要とあらば俺も戦闘に加わる。いいな」

 帝の言葉に、茉理は黙ってうなずいた。



 神殿の外に出たとたん、二人に向かって天から光が降りてきた。

「うわっ」

「何? この光……」

 空中に浮かぶ二人を、光の球体が包み込む。

 まるで輝くシャボン玉の中に入ったようだ。

 光は二人をふわふわと空中に漂わせ、下で起こっている残酷な出来事を目の当たりにさせる。

 あまりの悲惨な光景に、茉理は息を飲み込んだ。

 ユーフォリアはかつての美しい姿をとどめてはいない。

 まるでゾンビ映画そのものの光景が、目の前に広がっていた。

 正気を失って次々と人を襲っているのは、おそらくデューキュアによってヴァンパイアにされた者たちだろう。

 聖魔一族の娘たちを次々に捕まえては、噛み付いて生血をすすっている。

 あちこちで燃える火の手が上がり、たくさんの悲鳴が地に満ちた。

「ひどい……」

 口元を覆い、吐き気を抑えながら、茉理は悲しい戦闘場面を瞳に映す。

「くそっ、閉じ込められたか」

 光の球体を内側から叩きながら帝が怒鳴った。

「閉じ込められた?」

「正確には俺たちをこの場から保護している、という方が正しいんだろう。これはおそらく書の魔術だ」

「書って……」

 合点がいかず、戸惑う茉理に、帝は溜め息をもらす。

「書とはあれだ。『魔法の国の巫女姫』」

「あの本?」

「あれを開いて俺はここに吸い込まれた。お前は少し違うようだが――あの書はただの児童書じゃない。高度な魔術がかけられた特別な仕掛けの本。過去に起こった出来事を未来の誰かに伝えるために作られたものだ。ここから先は俺たちの力が介入出来ない状況なんだろう。書は俺たちをこの球に包み込み、傍観させようとしている」

 茉理の中で、ある声が甦った。

 ――最後まですべてを見ていってね。辛いことも、悲しいことも、全部……。

「あのね、さっきトノアさんが言ってたの。全部見ていって欲しいって」

「トノアが?」

「うん。辛いことも、悲しいことも、全部って……」

 茉理はそう言うと、また下をみる。

 先ほどよりもっとひどい光景が、彼女の目に飛び込んできた。

 それはもう一方的な殺戮に近い。

 黒い衣の少女達がヴァンパイアに次々と襲われ、血を吸われていた。

 体内に流れる命の液を一滴残らず吸い尽くされ、ひからびた死体となって地面に投げ出される。

「いやーっ」

「やめてっ、お願い」

 まだ幼い子どもたちの悲鳴が響く。

 吸血鬼たちは年齢も性別も関係なく無差別に捕縛し、すべてを吸い尽くし、奪いまくった。

(いやっ……やだよ、こんなの……)

 茉理は目をきつく閉じ、球の中でしゃがみこんでしまった。

 とても立ってなどいられない。

 横では必死に薄そうな球体の膜を破ろうと、帝がこぶしを叩きつけている。

「くそっ、俺をここから出せ。奴らなど一掃してやる!」

 何も出来ないことに対する彼の激しい苛立ちが、空気を通して伝わってきた。

 茉理も彼とほとんど同じ心境で、悲しい気持ちを必死に抑える。

 ここから出て行っても、自分には何も出来ないとわかっている。

 わかってはいるが、ただ見ているしかないというのもあんまりな話だ。

 まして帝は尚更だろう。

 彼はここから出さえすれば、何とかする力を持っているのだから。

 何度も拳を叩きつけたあと、帝はあきらめたように黙り込んだ。

 茉理は嗚咽にも似た声を漏らし、止まることのない悲惨な光景を目に焼き付ける。

 ふとその目が、戦闘を続けている集団にとまった。

「ねえ、あそこ、戦ってる」

 一方的にやられるのではなく、反撃をしているのは魔族の戦士たち。

「いいか、足をねらえ。次に手を」

 少数の魔族を指揮しているのは、アルツールの横にいた魔術師だ。

 仲間に指示を出し、吸血鬼の侵攻をくい止めようとしている。

「奴らは不死身だ。でもすぐに再生するわけではない。動けなくすれば、我々に勝機はある。ひるむな!」

 必死に攻撃魔法をかける魔族たちを見て、帝は舌打ちした。

「駄目だな」

「え?」

「圧倒的に不利だ。動きを止める? 止めたって奴らの数は半端じゃない。まして不死身だ。対するこちらは普通の人間。魔力の限界が来て、攻撃出来なくなったら終わりだ」

「そんな……」

 絶望的な見通しを聞かされ、茉理は全身が震えてしまう。

「俺たちが見ているのは過去だ。確か伝承によれば、この吸血鬼との戦闘で、ユーフォリアは消滅。一族も巫女も死に絶える」

「うそよ……」

「お前、本を最後まで読んでなかったな。ラストはこうだ。ついに聖魔巫女は観念し、己の持つすべての巫力を命ごと燃やして、侵略してきた吸血鬼全軍をユーフォリアの空間を閉じることで捕獲。そして最後に自らユーフォリアを破壊、消滅させて全部を無に帰した。本にはそう書かれている。児童書のくせに悲劇の結末なんだ」

「そんな……じゃあ」

「お前だって薄々感づいてたはずだ。俺たちの時代にはユーフォリアは存在しない。過去の伝承に成り果ててる。それは滅んだからだと」

 茉理は何と返してよいかわからず、唇を噛み締めた。

 帝はじっとアルツールの動きを目で追う。

 彼と彼の率いる魔族の戦士たちは、手足を攻撃して一時的に動けなくしたヴァンパイアを一箇所に集めていた。

 何をするつもりなのかと思っていたら、10体ほどのヴァンパイアに対してアルツールが何か呪文を唱える。

 すると集められたヴァンパイアたちの足元に、輝く光の魔方陣が現れた。

(あれは……そうか)

 帝はすぐに気がついた。

 間違いなくあれはトノアの創生した魔法。

 対ヴァンパイア戦のための新たな力。

 呪文は何と唱えているのか空中からではよくわからない。

 だが彼の目ははっきりと魔方陣から現れた無数の光の帯がヴァンパイア達を包み、眩しく輝くのを見た。

 魔法が収まると、そこにはヴァンパイアではなく意識を失った人間の集団が現れる。

(あれが新たな魔法か)

 帝はそっと己の額に指先で触れた。

 今は消えているが、高度な魔法を使う時、必ずクリスティの紋章がそこに浮き出る。

 アルツールより受け継ぎし魔法とは何なのか、今その本質をこの目で見たのだ。

(しかしアルツール一人しかあの魔法を使えぬとは、圧倒的戦力不足だ)

 巫女より受け継ぎし魔法は子孫に伝授させることが可能だが、今すぐは無理である。

(やはり滅びるのか。ユーフォリアは)

 宿敵デューキュアにたどり着くまで、あと何千何万の吸血鬼を人に戻さなければならないのか。

 帝は絶望的な状況を冷静に分析した。



 目をつぶっても、耳をふさいでも、この悲しい現状は変わらない。

 戦場は灰と化し、力尽きた魔術師や聖魔一族の躯が闇色の空の下、あちこちに倒れていた。

 二人とももう何も言葉に出来ず、ただ絶望のみが埋め尽くす世界を見つめる。

 全身を震わせ、瞳を真っ赤に腫らしている茉理に、帝は近寄るとぐっと抱きしめた。

「辛いなら見るな。耳もふさげ。これはすべて過去に起こった真実。だからこの世界に存在しないはずの俺達にはどうすることも出来ないんだ」

「……」

「過去をすべて変えることは出来ない。たとえどんな魔法でも」

「そうだけど……そうだけど!」

 茉理は身を震わせた。

 耳をどんなに覆っても、悲しみの声が聞こえてくる。

 目をつぶっても、悲惨な光景は頭の中にはっきりと浮かんできて――。

「さっき、トノアさんが言ってたこと……」

 茉理は彼の胸の中で泣きながらつぶやいた。

「全部見ていって欲しいって。ここで起こったことすべてを」

「ああ、そうだったな」

「だから、わたしは見ないといけない。聞かないといけないんだよね」

 意を決し、茉理は顔をあげる。

 涙に濡れた黒い瞳で、空間に起こっている悲しい出来事を映していった。

 帝も黙って震える彼女を支え、共に下に目を向ける。

 丁度今、ユーフォリアは終焉の時を迎えようとしていた。



 吸血鬼の雄たけびが響き渡る空間に、白い靄がたち込める。

「な……何?」

「始まったな」

 帝は低くつぶやいた。

 ユーフォリア全土を霧が包み、何も見えなくなっていく。

 混乱し、右往左往する吸血鬼たちの声だけが耳障りに聞こえてきた。

「トノアが空間を閉じだんだ。この霧は起爆剤のようなものだろう。この世界すべてに霧が満ちたとき――」

「ど、どうなっちゃうの?」

 茉理の震える声に、帝は唇を噛み締めて返事を返さない。

 霧はどんどん濃くなり、ミルクのような不思議な色をかもしだしながら何もかもを視界から遮断する。

 薄気味悪いほどの空気の中、二人の耳に声が聞こえてきた。

「聖魔の力を持って、今、すべてを無に帰する時。我が身に宿りし白き闇よ、大いなる力を持ってすべてを砕き、忘却の彼方に消し去るのです」

 小さく通り過ぎる風のように儚い声が消えるや否や、それは始まった。

 白き空間が弾けとぶ。

 まるでいつか理科の時間に映像で見せられた、地球誕生のビックバンのようだと茉理は思った。

 白い光の爆発で、何もかもが霧散する。

 人も、家も、神殿も、もちろん敵さえも。

 皆、蒸発したかのように塵となって消えうせる。

 衝撃で二人を包む光の球が揺れ動いたが、中に爆発の余波が入ってくることはなかった。

 ただ声もなく、すべてが消えていくのを帝と茉理は目撃する。

 ――あまりにも一瞬で、あまりにも儚い、その瞬間を。




 茉理と帝は、光る球体に包まれながら闇の中で揺れていた。

 何もかも消え去った空間は星のない宇宙、深い闇の中を漂っているかのようだ。

 二人を包む光の球はふわりと動きだす。

 どこにいくのかわからないが帝と茉理は身動きせず、運ばれるままになっていた。

 しばらく漂っていくと――。

「おい、あれは……」

 帝の指差す方に、茉理は目を凝らす。

 小さな光が瞬いているのが見えた。

 近づくと、それは二人と同じように光の球に包まれた人だとわかる。

(あの球体はトノアさん! それにアルツールさんも)

 すべてが消え去った闇の中、トノアとアルツールのみが球に守られて存在していた。

 帝と茉理を乗せた球は、すっと側に寄る。

「トノアさん、アルツールさん」

 茉理は必死に二人を呼んだ。

 でも何故か二人は振り向くことはなく、互いを見つめあっている。

「やめろ」

 帝が低い声で制止した。

「お前の声は彼らに届いていない。たぶんこの球体が遮断してしまっている」

「そんな……」

「俺達に、ただ見ていろ、ということなんだろうな」

「……」

 茉理はもどかしい思いを堪えながら、前方に見えるトノアたちの球体に視線を注ぐ。

 トノアの深刻な顔、アルツールの悲痛な表情が、最悪の事態を迎えたことを物語っていた。

(トノアさん、アルツールさん……)

 これから二人はどうするのだろう。

 心配を胸の内に募らせながら、茉理は二人を見守った。



「我が姫……」

 悲しみに満ちたアルツールの声が、球を通り越して茉理たちに聞こえてきた。

 哀願するように、許しを請うかのように、彼はうなだれてその場に跪く。

「お許しください。あなたから新たな魔法を授かっておきながらこの始末。あなたの故郷を守ることが出来なかった。わたしが力不足だったために」

 トノアは静かに首を横に振り、自身も跪いて彼の手を取った。

「あなたはよく戦ってくださいました。他の魔族の戦士たちも。心からお礼申し上げます」

 悲しそうに彼女は微笑む。

「すべては我が妹エレアとデューキュアから始まった事。そしてまだ決着はついておりません」

「なんですって」

 驚いた顔をアルツールは向けた。

「あなたはユーフォリアの空間を閉じて進入してきたヴァンパイアたちを閉じ込めた。そして己がすべての巫力を用いて起爆させるその時に、ユーフォリアをエレア様の作ったヴァンパイア共の空間にぶつけて同時に消滅させたはず。そちらで高みの見物をしていた奴らとて無傷ではいられないでしょう」

「確かにそうです。彼らも消滅しました――()()()()()()は」

「この時代からは?」

 不思議そうにアルツールは繰り返し、はっと気づく。

「まさか――」

「はい。ほとんどのヴァンパイアを消滅させる事が出来たのですが、残念なことにデューキュアを逃がしてしまいました。といっても彼の肉体は塵のような破片となって、地球のある島国に逃れたようです」

 そう言うと、トノアはアルツールと共に立ち上がり、すっと両腕をかざした。

 茉理たちの球体とトノアたちの球体の間に、突然何か幻影が移る。

「これは……」

 そこには南北に細長い大陸が写っていた。

「ここはジパングと呼ばれる島。程なく人間界で発見されることになっています」

「ジパング?」

(っていうか、あれって日本じゃない!)

 茉理と帝は目を瞬かせた。

「デューキュアたちは、この島を吸血鬼の国に選ぶでしょう。これから何百年かの時を経て」

「この島をですか」

 アルツールの問いに、トノアはうなずいた。

「ユーフォリアへの攻撃ですべての力を使い果たし、フランソワ・デューキュアはしばしの眠りにつきました。己の持つ生命力すらつぎ込んで、この世界を破滅へと導いたのです」

「そんな……そんなことをするなんて」

「彼はすでに永遠の命を持つ身。言いかえれば、その生命力は無限。たとえ一時的に尽きたとしても時が経てば回復します。そんな彼にとって数百年の眠りがなんだというのです? それと引きかえに自分たちを封じる可能性のある力を消滅させられるなら、好都合ではありませんか」

 アルツールは敵たる彼らの力と可能性に、身を震わせて問う。

「わたしに今、出来ることはなんでしょうか。彼らが目覚める前に滅ぼしてしまうことはできないのですか」

「残念ですが、彼の眠る空間は閉ざされています。そしてもうわたしには、その空間を開く力はありません」

「そんな」

 がっくりとうなだれるアルツールに、トノアは再び膝をついた。

「なっ、トノア様」

 アルツールは驚いて自分も膝をつく。

「どうされたのです、わたしに貴方が跪かれるなど」

「アルツール、お願いです。どうか契約を守ってください」

「契約……」

「貴方は子孫の運命を、わたしに委ねてくださいました。これより先、どんなことがあっても生き延び、貴方の中にある契約魔法をすべて子孫に伝授させるのです。何時の日かデューキュアが目覚め、人間の世界を恐ろしい吸血鬼の巣に変えてしまおうとしたとき、貴方の子孫が力を持っていれば――デューキュアと戦ってくれるなら、世界は救われるかもしれません」

「そのためにはわたしに子孫が必要です。その子孫をくださるのは貴方ではないですか」

 アルツールはトノアをまた強く抱きしめた。

「いいえ、貴方は人間界に――ご自分の世界にお帰りになり、そこで運命を共になさる伴侶を魔族の姫君の中からお選びください。わたしは来るべき運命の日のために、別な道を行きます」

「別な道? 一体わたしから離れて、あなたはどこへ行こうというのですか」

 アルツールは激昂する。

 でもトノアは悲しそうなまなざしで語るのみ。

 そのことについては答えなかった。

 すっとアルツールの首に腕をまわし、トノアは彼に接吻した。

「さようなら、わたしの愛した騎士、アルツール」

「なっ、トノア様!」

 接吻を終えるとほぼ同時、彼女は球体の中から深遠の闇に飛び降りる。

 彼女の姿は果てしない闇の底に、ゆっくりと降りていった。

(嘘……別れちゃったの?)

 あまりの展開に茉理は呆然とする。

 あんなに愛し合っていたのに、どうして別れを選択したのか。

 それがトノアにとって何よりも辛い事なのに――。

 茉理の胸に下がっている白いペンダントが光を発した。

 淡い光は彼女の胸の中に入っていくと、せつない感情で心を満たす。

(痛い……心が悲しみでいっぱいになって引き裂かれそう……)

 立っていられなくなり、茉理はその場にしゃがみこんだ。

「おいっ、大丈夫か」

 帝が彼女の異変に気付いて、側による。

 茉理の頬を涙が流れ、自分でも止められなくなってしまった。

「わ、かんない、でも、なんでかな、すっごく悲しいの……」

 茉理はぼろぼろ泣きながらつぶやく。

 尽きぬ涙に頬を濡らす彼女の横で、もっと悲痛な絶叫が聞こえてきた。

「トノア様―っ!」

 アルツールの空間を切り裂かんばかりの慟哭。

 彼は自分もあとを追おうと、闇の中に身を投じようとする。

 でも彼を包んだ光の球はトノアが出て行った時と違い、彼を外に出しはしなかった。

「くそっ、トノア様っ」

 必死に魔法攻撃で球を破ろうと試みるものの、すべては失敗に終わってしまう。

 絶望に涙するアルツールを乗せ、光の球は上昇し始めた。

 トノアと反対にどんどん上へと昇っていく。

 そしてはるか高みへと上がった球は、空間に溶け込んで見えなくなった。

「この空間から人間界に移動したようだな」

 上に消えていくアルツールを見上げながら、帝がつぶやく。

 横を見ると、茉理はまだ膝をついて力なく項垂れていた。

「どうやらこれで終わったみたいだ。立てるか」

「……」

 茉理は首を横にふる。

 ボタボタと、雫が頬を伝って落ちた。

 胸の奥から込み上げる引き裂かれたような痛みが止まらない。

 何故、あの二人の永遠の別離が、こんなにも衝撃を与えるのだろう。

 もしかしたら自分の中に封じられたというトノアの記憶が、痛みを感じているのかもしれなかった。

 顔を上げられずに泣き続ける茉理と、横で心配そうに見守る帝を包んだ光球が、ゆっくりと動き出す。

 アルツールのあとを追うように、二人の球も上昇を始めた。

 まぶしい光を放ちながら、球は空間から消えていく。

 再び彼らの本当の時代を目指して――。

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