43
はにわが茉理を部屋に連れて行って、食事と入浴をさせてくれた。
寝台に彼女を運ぶと、にいっと笑って毛布をかけてくれる。
とりあえず茉理は、横になって休むことにした。
(ちょっと寝てから考えよう)
これからどうしたらいいかを。
そう思って目を閉じると、すぐに瞼が落ちていく。
自分でもわからないくらい、心も体も疲労していたのだ。
数分もしないうちに、茉理はぐっすりと眠り込んでいた。
茉理が深く眠っている間、帝も部屋に戻っていた。
彼は寝台に座ると、辺りを警戒しつつポケットから小型PCを取り出す。
横にあった卓の上には、顔を洗う為に用意されたものらしい洗面器と水の入った水差しがあった。
彼は水を人差し指につけ、呪を唱える。
そして人差し指についた水で、寝台の上に魔方陣を書いた。
魔方陣は、帝の手のひらより少し大きめに光輝く。
その上に小型PCを置くと、彼は蓋を開けて魔力を注ぎ込んだ。(このPCも直樹の製作した物で、動力は魔力となっていた)
カチャカチャとキーボードを叩くと、ピッと電信音がして、画面に懐かしい顔がどアップで写る。
「帝っ、無事ですか」
「おいおい、英司、そんなにアップで顔を近づけたら、けっこう見苦しいぞ」
「でも英司君だったら可愛いから、帝も大丈夫なんじゃない?」
「……お前ら、通信回線、切るぞ」
帝のドスの聞いた声に、画面の向こうの三人はあははは、と笑った。
「それにしても良かった。連絡が取れて」
「そっちは変わりないか」
「変わりも何も、まだ授業が終わって、2時間も経ってませんけど」
英司の答えに、帝は眉をひそめる。
「何?」
「ああ。おそらくお前が飛ばされてから、1時間20分ぐらいだろうな」
帝は黙って考え込んだ。
(こっちでは、かなり時が経っている――時間の流れが違うのか)
「でもやっかいなとこに飛ばされたね、君も茉理姫も」
雅人が薔薇を片手にポーズを決めながら微笑む。
「どうします? 俺の魔力で空間を捻じ曲げて、そっちに迎えにいきましょうか」
英司の問いに、帝は一瞬目を閉じた。
自分と彼女の安全を考えるなら、英司の力を使った方がいい。
その方が、これ以上やっかいな事にならなくて済むのだが――。
『でもまだなのです。最後まであなた方には見守っていただかなくては――ここで起こること、すべてを』
悲しそうなまなざしで、自分に告げた巫女姫。
その言葉の真意、何故自分と後野茉理だけが、この世界に引き込まれたのかという疑問。
(今、リタイアしたら、永遠にわからないままだろうな)
帝の直感はそう判断する。
危険なのはわかっているが、このまま引き下がって離脱するのも癪に障るというものだ。
心を決め、彼は英司に答えた。
「いや、まだいい」
「もう少し様子をみるかい?」
黒めがねを光らせた直樹に、軽くうなずく。
「何かあったら連絡する。一応、待機しといてくれ」
「はい」
英司の素直な答えに、帝は少し微笑んだ。
――最もそれが微笑みだとは、雅人と直樹以外気付かなかったが。
「じゃ、頼んだぞ」
そう言って、帝は通信を切った。
久しぶりに声を聞いた気がするが、それだけで安心する。
もし何かあっても、彼らが自分たちをほうっておくことはない。
思い通りにならない空間の中だが、外部からの援助を期待出来るなら、いつでも手を打てる。
心強い仲間がいることが、彼に自信をつけさせた。
さっきまでのもやもやした感情が、すっと楽になる。
言われるままに、この世界に留まるのではない。
今度は自分の意志で、ここにいることを選んだのだ。
(ただ何が起こるかわからない。いつでも動けるようにしておかないと――)
認めたくないが、先ほどの戦闘はかなりの魔力を消費するものだった。
今、何かが襲ってきても、対処出来るほどの力は残っていない。
(俺も少しは休まないとな)
帝はPCをしまうと魔方陣をさっと手を振って消し、寝台にごろりと横になった。
どのくらい眠ったのか。
茉理は起き上がった。
体は疲労から回復し、空腹すらおぼえる。
(でもその前に、喉渇いたな)
彼女はそう思い、はにわを呼ぼうとした。
そのとき、寝室のドアが開き、誰かが入ってくる。
とっさに茉理は毛布をかぶり、寝たふりをした。
(馬鹿っ、わたしったら……別に起きてたっていいじゃない)
心臓がどきどきと音を立てる。
誰が入ってきたのか知らないが、茉理は顔を枕に押し付けて身を堅くした。
足音が寝台に近づいてくる。
誰かが身をかがめて、彼女の様子を覗いた。
寝てるかどうか確かめているようだ。
茉理はぎゅっと目をつぶり、ばれませんように――と心の中で念じる。
彼女の頭に、誰かの手がすっと触れた。
茉理の広がった黒髪を、ゆっくりと大きな手が撫でていく。
やさしい仕草に、茉理は少しづつ心が落ち着いた。
少しだけ薄目を開けてみて、茉理は驚く。
(会長?)
帝が静かに寝台の横に座り、茉理を見つめていた。
くせのない黒髪が、わずかに俯く。
「……すまない」
彼の低い声が、ささやくように小さく聞こえる。
「本当なら、すぐにここから俺たちの世界に帰るべきなんだろうが」
(え? 帰るって……)
茉理は不思議に思った。
帰りたくても帰れないんじゃなかったのか。
「さっきユーフォリアへ戻る前に、あいつらと連絡を取った。英司の魔力で、向こうと俺のPCをつなげたから、あいつを呼んで帰ろうと思えばいつでも帰れる――英司の力を使えば、この空間を脱出できるが」
帝は、じっと寝た振りの少女に目を注ぐ。
「でも今帰ったら中途半端で嫌なんだ。帰れることがわかったら、急に帰りたくなくなった。矛盾してるかもしれないけどな」
己の感情をもてあますように、彼の口から深い溜め息がこぼれた。
茉理は必死に寝てる風を装い、身を硬くする。
(う……今更、起き上がれないし……どうかばれませんように)
どうやら気付かれてないらしい。
帝は言葉を続けた。
「悪いがデューキュアとの戦いに何らかの決着がつくまで、ここにいることにする。そのかわりお前は俺がきちんと責任持って元の世界に連れ帰ってやるから、もう少しだけ我慢してくれ」
膝に置いた手を、彼はぎゅっと握りしめる。
その声に謝罪の意がこもっていることに気付き、茉理は胸が痛くなった。
(そんな……わたしの方こそ迷惑かけてるのに)
早川響子と諍いになり、ここまで飛ばされてしまった。
これからどうしてよいかもわからなく、心細いばかりだった自分。
そんな彼女を、全然知らない異世界に帝が探しに来てくれたのだ。
なんだかんだ言ってかばってくれたり、助けてくれたり、いろいろ教えてくれたりする。
(会長って、ほんとはとっても優しい人だったりするんだね――遠野君が言ってたみたいに)
普段の行動、言動ではとてもそうは見えないが。
これが本当に素直なありのままの帝なのかもしれない。
(A君とB君が合体したみたいなこの性格の時が、きっと本当の会長なんだ)
茉理は少しだけ帝を知った気がして、嬉しくなる。
話したいことは、すべて言ったようだ。
帝は立ち上がり、すっと姿を消す。
茉理は起き上がると、ほてる頬を両手で包んでほおっとため息をついた。
(やだな……駄目だよ、こんなの)
少女は辛そうに瞳を閉じる。
(こんなの見ちゃったら、会長のこと、少し意識しちゃうじゃない)
彼は自分が絶対に好きになってはいけない人だ。
(駄目駄目、そんなことって絶対に駄目だよ。そうよ、きっとお兄ちゃんに冷たくされたから、ちょっと会長に心が傾いちゃっただけ……そうだよね、きっと)
新たな恋の始まりは、自然に相手を意識してしまうことから始まる。
そんなことなど知らぬ彼女は、何度も違うと心に言い聞かせ続けた。
――結果として見事に彼を意識してしまっていたのだが、その想いを素直に認めるまで、まだ先は長い。
いつまでも寝ているわけにはいかなくて、茉理は起き上がり、はにわを呼んで身支度をした。
「トノアさんに会いたいんだけど」
茉理の言葉に、はにわは彼女を神殿の広間に連れて行く。
(うわ……なんかとっても物々しいんですけど)
そこには集会のときのように、たくさんの魔族たちが集まっていた。
でもこないだと違うのは、集まった者たちが全員武装している事だ。
ほとんどが戦士のようで、皆、武器を持っていたり、妖しげなローブを纏ったりしている。
壇上にはトノアとアルツールの姿があった。
こないだと同じ横の椅子に、はにわは茉理を連れて行く。
「起きたのか」
椅子の横には、壁に背をもたせて帝が立っていた。
さっきのことを思い出し、茉理は顔が赤くなる。
「う、うん……」
そんな彼女の変化に気付くことなく、帝はじっと壇上を凝視した。
トノアの声が広間に響く。
「報告によれば、デューキュアはすでに自分の一族の他、数百人に渡る魔族を誘惑。不老不死の力を、与えてしまったようです」
「そんな」
「なんということだ」
ざわざわと広間にいた魔族たちがざわめく。
「彼らの魔術がただ不老不死だけなら問題はないのだが、魔術を行う方法が方法だ。見過ごすことは出来ん」
アルツールがそう言うと、その方法とは? と問う声があがる。
「彼らは人間の血を吸うことで、その人間を不老不死の存在――吸血鬼に変えることが出来る。だがそれ以降、その本質は人間ではなくなり、人間として日常生活を送ることは不可能になるのだ。まず日の光を浴びることが出来ない。光は彼らを弱らせ、生命力を低下させる。そして一番問題なのが、食料だ」
茉理はアルツールの声に震え上がった。
(吸血鬼の食料って……まさか!)
「彼らは永遠の命を保つために、人間の血を必要とする。絶えず人間の血を補給しなければならないのだ。他の食物は一切受け付けない」
その場が驚きと衝撃の声で満ちた。
「デューキュアは、もう別空間をかれらの食糧確保の為に作り上げている。人間を選りすぐって洗脳し、彼らの食料となるように教育して飼育している――人間をだぞ」
アルツールは激昂し、腹立たしげに壇上を足で踏んだ。
「何が人類を救うだ! 彼は自分の配下となる者に不老不死を与え、それ以外の者は食料として異空間に閉じ込める。そして自分だけを崇拝する王国を作り上げようとしているんだ。人間を食料とする吸血鬼の王国をな」
あまりのことに、その場の魔族たちはうめいだ。
茉理も口元に手を当て、こみ上げる吐き気を抑える。
考えるのもおぞましい世界――想像しただけで気分が悪くなった。
「我々は、なんとしてもこれ以上の被害を出してはならない。デューキュアを阻止し、囚われた人々と、彼によって不死などという自然に反する体にされた者を元に戻さねば」
「しかしそんなことが出来るのですか」
魔族の一人が、震えながら声をあげた。
「我々の持つ魔法では、これを押さえることなど」
「新しい魔法が必要です。わたしが創成します」
トノアの声に、その場はしーんと静まり返った。
彼女はアルツールに向き合うと、おごそかに言う。
「我が騎士アルツール・クリスティ。わたしは貴方を選びます。わたしと契約し、デューキュアからこの世界を救ってくださいませんか」
「謹んで契約いたします」
アルツールはトノアの前に跪くと、ローブの裾にうやうやしく口付ける。
「わたしとわたしの一族、すべての運命を貴方にゆだねましょう。この戦いがどれほど長く、この命果ててもなお続くとしても、我がクリスティ一族は貴方との契約を守り、子々孫々に伝え、必ずやデューキュアの野望からこの人類を解放してみせます」
帝の顔色が変わった。
彼は自分の額に手を当てる。
そこには生まれたときにすでに記されている一族の刻印が煌いていた。
普段は見えないが、彼が魔力を使うとき、それはいつも額に輝く。
そしてその刻印こそ、彼がすべての魔力を受け継いだ直系であることの証だった。
(成人したときに明かされるという一族の宿命とは、まさか――)
今、自分が直接見ているこの場面がそうなのか。
帝はじっと壇上を見詰めた。
トノアは悲しげに微笑むと、すっと両腕を胸で組む。
ふわっと暖かな光が、彼女の体からあふれ出た。
「いでよ、契約の書よ」
トノアは叫ぶと、両手を広げる。
彼女の両手の間から、金色に輝く本が出てきた。
(何、あれ……)
目を見張る茉理に、帝はぼそっとつぶやく。
「契約の書だ。巫女のみが使うことの出来る魔族との契約を記した書。あの書に、これから新しく創成する魔術が記され、魔族に伝授されるとか。俺も見るのは初めてだ」
「そうなんだ」
契約の場面を、茉理も帝も息をのんで見つめた。
「聖魔の力を持って、今ここに新たなる魔術を創成する。デューキュア一族によって編み出されし忌まわしきヴァンパイアの魔術を消滅させ、人を本来のあるべき姿に戻す魔術を」
トノアがそう叫ぶと、契約の書はぱらぱらと開かれ、真ん中のページでぴたっと止まる。
茉理たちの側からは見えなかったが、そこに次々と魔術の文字が書き込まれ、ページを埋めていった。
ページすべてが文字で埋まると、書き込まれたページを開いたまま、書は輝きながらトノアの左手に収まる。
トノアは書を左手に持ち、右手をすっと差し伸べた。
「聖魔の書の力を持って、今、ここにアルツール・クリスティと契約をかわす。これよりのち新たなる魔術はアルツール・クリスティとその子孫に永遠に与えられ、所有される。我が手より契約を受けられよ」
差し出された手を、アルツールはうやうやしく取る。
二人の手が重ねられたとき、そこから大いなる光があふれ出た。
「うわっ」
「ま、まぶしい」
光は壇上から広間一体に溢れ、その場にいた者たちはあまりのまぶしさに目を覆う。
トノアの手から現れた光は、アルツールの全身にいきわたり、彼の魔力に新たな力を注ぎ込んだ。
光に包まれ、彼は幸せそうに微笑む。
それは新たな力を得たことに対する喜びというより、敬愛する女性の役に立てるということ――彼女から永遠の信頼と愛を受けているという満ち足りた自信感。
彼女と一つになったような熱い熱情を、アルツールは一滴も漏らすまいとしっかり受け止めた。
トノアはすべての力を彼に注ぎ込み、その場に崩れる。
光がすべて収まり、辺りに静寂が戻った。
壇上にはアルツールが気を失ったトノアの体を抱きしめ、瞳を燃え上がらせて立っていた。
「トノアさん」
ぐったりと意識を失い、アルツールの腕に抱かれているトノアに茉理は驚く。
「心配ない。契約は巫女のすべての巫力を使う。契約を終えたあと、巫女は気を失ってしばらく眠りにつくらしい」
帝の声に、茉理はほっと安堵した。
アルツールは愛しげにトノアを抱き上げると、壇上から魔族の戦士たちに叫ぶ。
「今こそデューキュアの野望を打ち砕く魔術が完成した。私はこれから彼の作り上げた異空間に向かう。必ずフランソワ・デューキュアを倒し、彼を止めてみせる」
おおーっと歓声があがり、その場には興奮と戦いに対する熱意が立ち込めた。
「皆も力をあわせ、共に戦って欲しい。最後まで彼らに屈しないことを、我々は今ここに誓おう」
割れるような声で肯定の叫びが上がり、皆の士気が高まっていく。
(すごい熱気――みんな、戦うんだ)
あのせつなげで危険な青年と。
フランソワの甘い微笑みを思い出し、茉理の心はぞくっとした。
体を両腕で抱きしめる。
あの訴えるがごとき濡れた瞳に屈しない者があろうか。
今、思い出しただけでも胸がこんなに疼くのに。
(怖い……また、あの瞳にみつめられたら)
自分はどれだけ対抗出来るのか。
そのまま吸い込まれ、彼の僕になってしまいそうだ。
(トノアさんは、どうしてあの人と対峙して無事でいられたのかな。やっぱり巫女だから?)
アルツールに抱きかかえられている少女を見ながら、茉理は思う。
巫女だから、というのは違うかもしれない。
現実もう一人の巫女エレアは、デューキュアの魅力に膝を折った。
(エレアさんとトノアさんの違いって何だろ? トノアさんは運命を正しく導こうと思っていて、エレアさんは運命を憎んでいるとか――ううん、なんか違うな)
茉理は何故かそのことを一生懸命考えてしまう。
(別に考えたってわかるわけじゃないけど、でもわからないといけない気がする)
この気持ちは何だろうか。
何の関係もないはずの自分なのに、何故こんなに彼女たちのことが気になるのか。
茉理は高まり行く広間の熱気とは反対に、心かき乱されて複雑な心境になるのだった。




