37
黒い柱の並ぶ廊下を歩きながら、茉理はまた質問した。
「そういえば会長の名前って、どうしてイジュールなの?」
「イジュールは俺の魔族名だ」
帝はあちこち見回しながら答える。
常に彼は周囲に気を配り、警戒を怠らない。
「魔族名?」
「クリスティ一族筆頭五家には、代々先祖から受け継ぐ名がある。アルツール・クリスティには5人の息子がいた。その5人のうち長男はイジュールという名で、彼を第一家――いわゆる本家としたんだ。そして彼の直系子孫は本家筆頭となり、跡取りの長男はイジュールという魔族名を受け継ぐことになっている。だから俺の正式な魔族名はイジュール・クリスティとなる。日本名では伊集院帝だけどな」
「ふうん」
茉理はまた聞いてみた。
「ねえ、どうしてアルツールさんには、クリスティの一族だって言わなかったの?」
「馬鹿か、お前は」
帝は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「いいか。あいつが本当のアルツール・クリスティだとしたら、今、ここのクリスティ家をすべて掌握しているのは奴なんだ。もしクリスティだと名乗ってしまったら、ここのクリスティ一族に俺は属していないから、一族の名を語る不届き者として即刻捕まって拷問、処刑は確実だ」
「で、でも未来から来たって言えば……」
「この時代、異次元を自由に行き来する魔術は、まだ発達していなかった。ユーフォニアとの行き来が精一杯だったはずだ。巫女と契約を結んでいないのに、そんな新しい魔術を使うなんて知れたら、怪しまれて終わりだぞ」
「うーん、なんかごちゃごちゃややこしいね」
二人は歩き続けて、さっきの噴水の場所に出た。
「あ、トノアさんがいるよ。アルツールさんも」
茉理は、黒薔薇の円柱に囲まれたガゼボを示す。
「行ってみようよ」
「待て」
帝は彼女の首根っこをつかまえた。
「あててて……何するのよ」
「少し様子をみよう」
来い、と引っ張られ、茉理は帝と一緒に息を殺して、円柱の側にある黒薔薇の茂みに身を隠した。
「トノア様、どういうおつもりですか」
ゆったりと座る巫女の少女に、怒気もあらわにアルツールは詰め寄っていた。
「あのようなどこの誰かもわからぬ者を客人などと! ただでさえ今、闇神殿は混乱しているのです。エレア様のみならず、貴方まで得たいのしれない者たちと接触なさるとは。一体、あの者たちはなんなのです」
「アルツール、心配いらないわ」
トノアは悲しそうに微笑んだ。
「あの方たちは、ここに来る運命の人たちです。わたしがお呼びしました」
「あなたが? 娘の方は聖魔一族のようですが、少年は一体どこの一族なのですか」
トノアは悲しげに微笑んだ。
「ねえ、アルツール。あなたは知っていますか。ここにいるわたしもあなたも、今すべてのものが過去という時間軸の中で生きているということを」
「過去?」
「すでにわたしたちは一度生を得て、力の限り生きて結果を残した。今はその過去の残像の中をただたゆたっているだけなのです」
「おっしゃっている意味がよくわかりません。今が過去だとあなたは言いたいのですか? そんな事がありえましょうか」
困惑気味のアルツールに、トノアは優しく言葉を紡ぐ。
「良いのです。あなたは何もわからずとも。ただ私は今、あなたがここにいてくださることがとても嬉しいのですよ、アルツール」
「トノア様」
「私は信じていたのです。必ずやあなたは私の願いを叶えてくださると。そしてそれは間違いではなかったと、彼らに出会って確信しました」
トノアは立ち上がると、アルツールに身を寄せた。
「あなたが私の騎士で良かった、本当に。ありがとう、アルツール」
「我が姫……」
アルツールは強くトノアを抱きしめた。
そして――。
(うっわーっ、す、すごいキスシーンだわ)
茉理は顔が真っ赤になり、そのまま見続けていられず、黒薔薇の茂みに顔を沈める。
先ほど自分と帝がしたよりも数段大人の接吻は、まだ恋も知らない少女には刺激が強すぎたのだ。
濃厚なラブシーンに、もう声をかける気力もない。
「行くぞ」
帝も同じ気持ちだったのか、茉理の袖を引いてすばやく茂みから姿を消す。
あわてて茉理は、音を立てないように後を追った。
(まあ、ちょっと音がしたくらいでは、あの自分たちしか目に入ってない恋人たちには気付かれなかったでしょうけどね)
そう思いながらまた廊下に戻ると、帝は眉間にしわをよせ、ため息をつく。
「部屋に帰るぞ」
「え?」
「俺達はここをうろうろしてもしょうがないということだ。どうもここには制限魔術がかけられている」
「制限魔術?」
「動ける範囲が設定されているようだ。廊下で違和感を感じたが、やはりな」
「え?」
「今のところ俺達は、自分の部屋とこの廊下、噴水のある広場までしか行き来できない。廊下をどんなに彷徨っても他の場所に行き着けず、必ずあの噴水の前に出るように空間を捻じ曲げられている。あちこちうろついて欲しくないようだ。俺たちに見られたくないものでもあるのだろうな」
そう説明すると、帝は茉理を急かして部屋に戻っていった。
「結局何もわからなかったね」
「……」
部屋に戻ると、また椅子に座ることしかなく、茉理はつまらなくてしょうがなかった。
「あーあ、なんか喉渇いたな。会長は?」
帝が何か言う前に、突然ばたんと扉が開く。
「え?」
思わず身構えた帝の前に、はにわがよたよた入ってきた。
手にはグラスの載ったお盆を持っている。
「なっ、なんだ、お前は」
狼狽する帝に、茉理は笑いをかみ殺しながら説明した。
「この子は、はにわって言って」
「見ればわかる!」
「トノアさんがわたしにつけてくれた使用人ってとこかな。わたしの世話係なんだって」
「こいつが?」
帝はしげしげとはにわを見つめ、緊張を解いた。
「使い魔か。おそらくアルツールが魔術で出したんだろうな」
「トノアさんじゃないの?」
「トノアは巫女だ。魔力がないから使い魔は呼べない。お前、人の説明をちゃんと聞いていたのか」
「だって魔力と巫力って似たようなものじゃないの?」
「違う。魔力は魔術を行う力だが、巫力は出来ない」
「えっ、何も出来ないの?」
「魔力の無効化、契約によって魔族に新しい魔術の力を与えることは出来るが、それだけだ。攻撃とか束縛とか、こういう使い魔の償還とか、そういった普通の魔術は一切使えないはずだ」
「それで騎士が必要なのね」
「そういうことだ」
納得する茉理の前に、はにわはグラスを差し出した。
「ありがとう。うわあ、綺麗な色ね」
お酒かなあ、と薄ピンクの液体を見つめる茉理を帝は止める。
「お前は馬鹿か。それを飲む気か」
「え、いいじゃない。せっかく持ってきてくれたのに」
「ちょっと貸せ」
帝は茉理の手からグラスをもぎ取ると、片手をグラスの上に翳して呪を唱えた。
グラスの中の液体が一瞬金色に光る。
ほっと肩の力を抜くと、帝はグラスを茉理に差し出した。
「大丈夫だ、飲め」
「もしかして毒が入ってないか確認したとか」
「魔法薬を使って俺たちをいいように操ることだって出来るんだぞ。お前は隙がありすぎる。もっと警戒しろ」
「そんなこと言われても」
茉理はそこまでわたしには考えられないよ、とぼやき、グラスの中身を飲みほす。
「あ、美味しい。なんかすっきりした」
茉理は微笑むと、グラスをはにわに返した。
「ね、もう一つないかな」
「おかわりするのか」
「じゃなくて、会長も喉渇いてないですか」
「俺はいい」
帝は壁に寄りかかり、そっぽを向いた。
(もう、そんなに警戒しなくてもいいのに)
茉理は肩をすくめ、ありがとう、いいわ、と言って、はにわを下がらせた。
「とにかくここが過去の世界だということはわかったな」
壁にもたれていた帝が、ぽつんとつぶやいた。
「そうね」
「状況を整理すると、ここはユーフォリア。俺のご先祖アルツール・クリスティの時代だ」
「うん」
「巫女はトノア。彼女はどうやら俺達がここに来ることを予見していたらしい。偶然来たとばかり思っていたが」
「そうね。あ、でもわたしは早川さんに飛ばされたんだよ。早川さんが、わざとわたしをここに飛ばしたってことでしょ」
「それは違う。異次元転送の魔術は高等魔法の一つ。天才と名高い早川響子は当然出来たろうが、目的地を定めることまでは不可能だったはずだ」
「そうなの?」
「目的地を定めての時空移動はかなり高度な魔力とセンス、そして何より風属性の魔術を必要とする。つまり風を操るスペシャリストでなければならない。早川響子の専門は炎だ。どんなにすぐれた才能を持っていても、別属性魔法のスペシャリストにしか出来ないことをやるのは不可能に近い」
「そうなんだ、あ、じゃ、会長も風属性の魔術師なわけ? ここに飛んでこられたんだから」
「違う。俺の専門は光だ。風は英司の奴だな」
(山下先輩? あ、そういえば)
茉理は以前全体集会で、薔薇の花を吹っ飛ばした風を思い出した。
(そういえば副会長もどっかに消えちゃったのよね)
ということは、あの時副会長を飛ばしたのは英司だということか。
茉理は今更だが納得する。
「じゃ、わたしってとにかくどこでもいいから飛ばされちゃったっていうことなのね」
「そういうことだ」
帝は深いため息をつく。
「俺の方はもっとわけがわからん。生徒会室に魔法のかかった児童書があった。それを開いたら、突然吸い込まれたんだ」
「児童書ってまさか」
「『魔法の国の巫女姫』」
茉理は驚いた。
(会長は、あの本で?)
確かに風変わりな本だと思ったが、魔法がかかっているとは思わなかった。
「変なの。わたしもあの本、読んでる途中だったけど、別になんともなかったよ」
「お前もあの本を読んだだと?」
帝は叫ぶ。
「どうしてそんなことが出来た。お前、どこから本を手に入れたんだ」
「え? 学校の図書室で」
「そんな……あの本は世界にただ一つ。魔力仕掛けの本だから、お子様向けでも万が一を期して厳重に特別書庫に保管されていたはずなのに」
茉理は首をかしげた。
「でもちゃんと図書室にあったよ。わたし、図書室の貸し出しカードも書いたもん」
(帰ったら図書室を英司に調べさせるか――それにしても)
帝は茉理をじっと見つめる。
(この女、何者だ。わからないことが多すぎる)
彼女が普通の人間ではないことは、さすがにこれまでの経緯でわかってきた。
斎と交信、思念会話を可能にし、英司との壁を取り払っただけでもすごいのに、今度は過去に飛ばされて、そこで聖魔巫女に大事な客人と言われている。
帝は頭の中でこれまでの過程を思いめぐらせ、必死に答えを見つけ出そうとした。
そんな彼を茉理は不思議そうに見る。
(また何か考えてるみたい。ほんと、会長って不思議な人よね)
どうせだったらA君じゃなくてB君の方がいいんだけど――そう考えながら、茉理は椅子に深く沈みこんだ。
(なんか疲れたな……ふああーっ)
自然にあくびが出る。
「あ、おい、おいっ、起きろっ」
誰かの怒鳴る声がしたが、茉理の意識は徐々に薄れていった。
(この状況でよく寝れるな、こいつ)
帝は茉理の寝顔を眺めて、あきれてしまう。
あどけない顔で眠る彼女は平和そのもの。とても窮地に立たされている異次元に飛ばされた少女とは思えない。
すっとドアが開き、はにわがまた現れた。
はにわはういーんと腕を伸ばし、茉理の体をつかむ。
「あ、おいっ」
帝の目の前で彼女の体ははにわの肩にかつぎあげられるが、おせじにも寝心地が良い体制とは思えなかった。
「おい、お前、その女を下ろせ」
帝の命令に、はにわはういーんとまた茉理を椅子におろす。
(世話のかかる奴だ)
彼は彼女の体を横抱きにして抱えると、はにわに命令した。
「こいつは俺が運ぶ。案内しろ」
はにわはにっと大口を開けて笑うと、ういーんと方向を変えて帝を寝室に案内した。
白い石で出来た寝台に彼女を下ろし、帝は額の汗を拭く。
(思ったより軽かったな)
結ばれている髪紐をほどいてやると、長い髪が広がった。
少女の顔にかかった髪をどけると、小さな口元に指が触れてしまう。
一瞬、胸の鼓動が跳ね上がった。
さっき不本意とはいえ味わってしまった彼女の唇は、小さく艶めいてみえる。
(こんな奴は初めてだ。目が離せないというか退屈しないというか)
今まで一度も感じたことのない感情がわきあがり、彼の胸をざわめかせた。
去年つきあった美奈子とでは、こんな気持ちは起こらなかったのに。
――どうしたの? 認めたくない? 彼女が君にとってなんらかの特別な存在だということが。
あのしゃくにさわる一つ年上の兄貴分に以前かけられた言葉が、また帝の耳に響いてきた。
「くそっ」
なんだかわからないが無性にイライラして、帝は寝台の支えにこぶしを一回叩き付ける。
そしてそれきり彼女の方を見もせずに、寝室を出て行った。




