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午後の教室は少々騒がしかった。
「あ、茉理、ちょっとちょっと」
(何だ?)
1-Aの教室に入るなり、雅人扮する茉理は奈々に捕まって詰め寄られる。
「1階の掲示板見た? 5月31日に予定されてたイベントが延期になったって」
「え……うん」
雅人=茉理は軽く肩をすくめた。
「いいんじゃない? わたし、そもそもそういうの興味なかったし」
「えーっ、でもどうしてよ、何か生徒会の人からわけとか聞いてないの?」
「知らないわ。あの人たちっていつも勝手じゃない。いちいち説明してくれるわけないでしょ」
そう言うと雅人=茉理は奈々の腕を解き、自分の席に戻る。
(我ながらよく言うねえ、僕も)
内心ほくそ笑みながら教科書の準備をした。
(いつも勝手かあ。そういうこの僕こそ勝手きわまりない存在なんだけどね)
ふふっと意味のわからない笑みをうかべた少女を、クラスメイトたちは不思議そうな目つきで見つめていた。
苛立つ心を抱えながら、帝は授業を終えて特館に向かった。
生徒会室に入ると、まだ誰も来ていない。
彼は軽く息を吐くと、鞄をどさっと机に置いた。
自分の席に座ろうとして、ふと目を見開く。
机の上に本が乗っていたのだ。
「ったく誰だ。こんなとこに書庫の本を出しっぱなしにしといた奴は」
彼は叫んで本を手に取る。
一目見ただけで、それには強力な魔術が施されているのが感じられた。
『魔法の国の巫女姫』
童話のようなタイトルだが、あきらかに魔法の本だ。
注意深く開くと、美しい挿絵が彼の目の前に広がる。
(昔の闇聖堂か)
先祖たちの習慣や生活は個人的に家庭で嫌というほど学んできたし、話を聞かされていたので、彼にはそこに描かれている場面がどこなのかすぐにわかった。
見知った紋章をつけた魔族達が祭壇に立つ巫女姫に跪いている。
(くだらんな。所詮おとぎ話か)
彼は鼻を鳴らしながら、ページを繰った。
この本は、おそらく昔の魔術師たちが自分たちの生活や習慣を魔族の子どもたち用にわかりやすく教えるために作られた物に違いない。
魔術がかけられているから表の図書室に安置できなくて、重要書物の一つとして書庫に保管されているのだろうが、それだけで特に価値がある内容ではなさそうだ。
そう思っていた帝は、たいして本文を見ることもなくぺらぺらとめくって、パタンと本を閉じた。
そのまま卓に乗せ、一息つく。
(あとで英司にでも返しにいかせるか)
のどが渇いたので彼は立ち上がり、ジュースでも買ってこようと椅子を引く。
そのとき。
突然、児童書がばたっと開いた。
「何!?」
帝の目の前で、開いた本のページから光があふれ出す。
「なんだ、これは!」
あまりのまぶしさに彼は腕で目を覆い、保護した。
体がふっと軽くなるのを感じ、彼は驚く。
(馬鹿な! これは異次元に入るときと同じ感覚……)
本からあふれ出た光は生徒会室全体に満ち、帝をすっぽり包み込んだ。
「くっ」
彼はあわてて両手を組み、呪文を唱え、引き込まれるのを防ごうとした。
しかし本から発せられる未知のエネルギーは強力だった。
帝の魔力を完全に無効化し、思いのままに導いていく。
「うわわわーっ」
なすすべもなく帝は本の中に吸い込まれ、生徒会室から姿を消してしまった。
「ふうーっ、まったく疲れるなあ」
汗を拭き拭き、英司は生徒会室のドアを開けた。
大分慣れてはきたものの、先ほどまで雅人の格好で委員会に出席していたのだ。
「あれ? 誰もいないのか」
帝がてっきり来てると思ったのに――と、ぶつぶつ言いながら彼は鞄を置き、隅の机に白い箱を置く。
職員室から持ってきた物で、それには全校生徒の生徒会への嘆願書や苦情その他もろもろが入っていた。
「さて、と」
箱から中身を出し、英司はけっこうな量に驚く。
「予想以上に今日は多いなあ。どれどれ」
一枚読んで、彼ははあっとため息をついた。
『雅人先輩、ぜひ今度の文化祭では、ロミオとジュリエットを再演してください』
『ぜひ環境委員長の雅人様のお力で、校庭に薔薇園を作ってください』
『森崎先輩、今度の中間テスト前に、どうかカンニング用グッズを開発してください』
「みんな、もう少しまともなの、書いてくれよなあ」
半ばあきれながら、彼は次々と紙を仕分けしていく。
「雅人先輩に10枚、直樹先輩に5枚、おおっ、俺には……またこれかあ」
英司は紙を広げて、がっくりした。
「何が悲しくてバトミントン部の雑用までやんないといけないのかね、俺が」
他の生徒が校内魔法禁止だからしょうがないのだが、彼の風の魔力を用いて体育館の天井にひっかかった羽を落として欲しいという毎回の要請には、英司もうんざりしていた。
「おや、英司だけなのか」
がらっと生徒会室のドアが開き、細身長身の先輩が現れた。
メガネのフレームに手を添えながら、彼はぐるりと室内を見回す。
「帝がいないな。教室にいなかったから、てっきりここだと思ったんだが」
「帝はまだ来ていないみたいですよ」
英司はそう言うと、直樹に、はい、今日の分です、と白い箱から仕分けした投書の束を渡した。
「ありがとう。ああ、それと英司」
直樹は机に乗っていた児童書を取り上げる。
「悪いけど、あとでこれを書庫に戻しておいてくれ」
「はい。誰が持ってきたんですか、こんなの」
目を丸くしながら、英司は本を受け取る。
「お前がいつも面倒みてる、我がまま勝手で変態ナルシストな先輩だ」
「雅人先輩が?」
英司は、ま、いかにもあの先輩なら好きそうな本ですけど、とぶつぶつ言って表紙をめくった。
「ねえ、直樹先輩」
「何だ」
「この本、不良品ですか」
「え?」
英司が開いたページを見せる。
「だって全ページ白紙ですよ」
「……」
直樹の眉が上がった。
(どういうことだ。初等部の頃、その本は一度読んだことがあったが――)
父が彼につけていた家庭教師が、『魔族の子どもなら読んでおかないといけませんっ』の一言と共に押し付けてきた本だった。
(あれと同じ本のはず。世界に一冊しかない、ここの書庫に保管されていた物のはずなのに)
「ヤッホーッ、どうしたの?」
ガラッとドアが開いて、能天気な顔で茉理=雅人が顔を出す。
「なによ、直樹先輩ったら神妙な顔しちゃって。そんなに眉間にしわよせてたら、あっという間におじいさんになっちゃいますよ」
茶化して女言葉を使う雅人だが、直樹を和ませようという気配りは見事に無視された。
「雅人、お前、この本読んだか」
「あー、それ? 初等部三年のときにお芝居をやったじゃない。忘れちゃったの?」
雅人はおおげさに両腕を広げてみせる。
「質問を変えよう。最近この本、開いたか」
「茉理姫の鞄にあったのを見つけただけで、中まではみてないよ」
「……そうか」
直樹は英司から本を受け取り、雅人に渡した。
彼は静かにページをめくり、顔色を変える。
「やあだ、誰のいたずら? 全部消えちゃってるじゃない」
「いたずらだったらいいんだが――」
顔を曇らせる直樹を、英司は横で心配そうに見た。
(この本って、そんなに大変な本だったのかなあ)
よくわからなくて、ふと目線を卓にやると見慣れた鞄が置いてある。
「あーっ、これ、帝の鞄だ。なんだ、一度生徒会室に来てたんですね」
どこ行ったのかなあ、とつぶやく英司の声に、先輩二人はびくっとした。
「帝の鞄があるのか」
「ほんとだ。ここに来てたんだね」
直樹はふっと肩の力を抜くと、英司に言った。
「ま、あいつのことだ。いつものとおりヤボ用を思い出して、どこかに行ったんだろう。それより英司、バトミントン部の依頼を早く済ませてくるといい」
「めんどくさいんですけどねえ、じゃ、ちょっと行ってきます」
「行ってらっしゃい、英司先輩。帰ってきたら美味しいローズティーを入れてあげますからね~」
ひらひらと女の子らしく手を振る茉理=雅人に、英司はため息をつきながら出て行った。
「ふふっ、今度は君が英司君をはずしたね」
雅人は笑むと、指を鳴らして元の姿に戻る。
「雅人、この本の最後の言葉を覚えているか」
「あとがき? ああ、そういえばあったね」
雅人はこめかみに薔薇の花を当てながら、思い出そうとする。
「――この本は、未来の聖魔巫女と宿命を共にする聖魔騎士の一族のために作られた。過去の記憶を彼らに渡すため、それをこの本に封印する。使命を果たしし暁には本はこの世から消滅する……」
「よく覚えていたな」
「あと何分後に爆破されるのかな」
「おいおい、よくあるマンガの悪キャラがふっとぶ機能じゃあるまいし、多分そんなことにはならないよ」
雅人の明るい口調に、直樹も肩の力を抜いた。
「どう思う、お前は」
「どうって、そのまんまじゃないの?」
「本から文字が消えている。使命を果たしたのか」
「帝もいないしねえ」
二人は見つめあい、同時にうなずいた。
「本は書庫より俺が作った超封印保管機能付金庫――名付けて『なんでもまもるくん』に入れておこう」
「いつも思うんだけどさ、君の作る作品はなかなかすぐれてる物なのに、その素朴なネーミングはなんとかならないの?」
「『なんでもまもるくん』のどこが悪い」
「なんかこう、金庫のネーミングとしてはちょっとねえ」
「じゃあ、『絶対まもるくん』はどうだ」
「変わらないよ、それじゃあ」
「じゃあ『必ずまもるくん』『大事なまもるくん』『あなたのまもるくん』」
「まもるくん、をやめたらどうだい?」
「『まもるちゃん』にするのか」
真面目に答える直樹に、雅人は大きなため息をついた。
「あーっ、いいよ、もう、名前なんて。さっさと保管してくれ」
「名前の話題を振ったのはお前のくせに、もういいのか」
首をひねりながら、直樹は呪文を唱える。
両手のひらを翳すと、間からぼんやりと犬の形の置物が出来てきた。
「『なんでもまもるくん』、セットアップ」
直樹がそう言うと、犬の口が大きく開く。
開ききった口の中は、真っ暗で果てしのないブラックホールのようだ。
「これを預ける。しっかり保管しといてくれ」
直樹は口の中に児童書を放り込んだ。
犬は児童書を飲み込み、また口を閉じる。
『保存完了』
犬の額に文字が浮き出た。
ウイイイイーンッ。
変な機械音がして、犬型金庫は身をがたがた揺らし始める。
「なんか中古洗濯機みたいだね」
「今、中の物を確認、良好状態に保管しているところだ」
ウーンウイーン、チーン。
一瞬大きな音がしたかと思うと、犬の両目がピカッと光った。
「電子レンジ?」
「音の参考にはしたな、そういえば」
二人のほのぼの会話の間に、犬はまた元の状態に戻る。
直樹は犬の額に指を当て、ここほれわんわん、とつぶやいた。
犬の額に『了解』の文字が現れる。
そしてまた空間が揺らぎ、犬型金庫『なんでもまもるくん』はすっと消えていった。
「もう少し気の利いたパスワードにすればいいのに」
「『枯れ木に花を咲かせましょう』の方が良かったかな」
「あー、はいはい。なんでもいいよ、なんでも」
言うだけ無駄だったと雅人は手を振り、直樹に背を向ける。
「お茶を入れてあげるから、座りなよ。英司君も戻ってくる頃だし」
慣れた仕草でお茶道具をそろえながら、雅人は心でつぶやいた。
――ちゃんと戻ってきてくれよ、帝。




