25
数日が何事もなく平穏に過ぎ去った。
(あ……平和だわ)
昼休み、茉理は屋上でぼーっと何も起こらない日常を満喫していた。
(本当に平和が一番よね。何もないのが一番いい)
あれから生徒会メンバーとは会っていない。
(雅人先輩、どうしたかな。ちゃんと元の体に戻れたかなあ)
校内でかえるの姿をみかけたという話はないから、大丈夫になったんだろうが。
『後野さん、今、どこ?』
ふいに思念が聞こえてきたが、もう茉理は驚かなかった。
『今は屋上。一人でぼーっとしてるよ』
『そっか』
『遠野君は?』
『僕? 僕は生徒会室。帝先輩のかわりに、ご意見箱の中身を整理中』
ふうん、と茉理はつぶやき、一人空を仰いだ。
「御機嫌よう、レディ」
「わっ」
突然目の前に薔薇の花を差し出され、彼女は思いっきりのけぞる。
『どうしたの?』
『あ……雅人先輩が目の前に』
『そっか。じゃ、僕は一旦これで』
思念は消え、茉理はあわてて居住まいを正した。
微笑んでいつもよりぎこちないポーズをする雅人に、彼女は首をかしげた。
(なんか違うな。ポーズが決まってないっていうか)
トレードマークの薔薇は右手に持っているだけで、いつものように香りを楽しんだり、口元に持ってきてさりげなく格好つけたりしない。
茉理の不思議そうな目線に気づき、雅人は苦笑した。
「やあっぱばれてるな。俺って修行が足りないよね」
けっこう通用するんだけどね、とつぶやきながら雅人はぼりぼり頭をかく。
茉理はいよいよ目が点になった。
(雅人先輩、どうしたわけ? 突然イメージ崩れちゃってる)
思いっきり見つめられ、雅人はにやっと笑って指を一回はじく。
「う……うわわわーっ」
「あっ、驚いた? ごめん、君って初めてだったんだ」
雅人の姿が一瞬歪み、揺らいだあとにまたはっきりした。
でもそこにいたのは――。
「や、や、や、山下先輩っ」
「正解。俺だよ」
にこっと英司は微笑みかける。
「今のね、変身魔法。でも俺、あんまり得意じゃないんだな」
「……」
「ちなみに雅人先輩は変化の魔術の超天才なんだ。俺なんてまだまだ――よくしごかれてるけどね」
「はあ……」
最初の驚きが消えると、茉理は胸に手を当てた。
(この学校って本当に……わたし、卒業まで心臓が持つかしら)
心なしかため息まで出る。
「大丈夫? 顔、青いけど」
「そりゃあ、誰だって驚きますよ。突然人が別な人間に変身しちゃったら」
「まあ、そうか。俺たち、けっこうよくやるから慣れちゃってんだなあ」
さらっと言われ、茉理はますます気が重くなった。
(普通の神経じゃついてけないわ)
「でもどうして山下先輩が雅人先輩に化けてるんですか」
「ああ、会長命令でね。授業以外でどうしても雅人先輩じゃなきゃいけないこと――委員会とか体育系クラブの助っ人とかは、しばらく俺が変身して代理で出ることにしたんだ」
「雅人先輩はどうかしたんですか」
「本人はいたって元気だよ。でも例のスプレー効果はまだ顕在でね。おかげで廊下をまともに歩くわけにはいかなくなったんだ」
「それで山下先輩が身代わりですか」
「うん、事が収まるまで雅人先輩は休み時間とか教室を出るときは、俺とか帝とか別な生徒に変化してるんだ。そうしたら見つけられても、まず悲鳴をあげられないだろ」
「まあ、確かに」
「俺は目の前で悲鳴があがっても、別にかえるにならないから問題ないし。ま、しばらくの間の応急処置ってことかな」
ふう、と息を吐くと英司は肩をまわす。
「あー、でも他人に成りすますって、とっても疲れるなあ。ずっと神経張りっぱなしだし」
「それはまだまだ修行が足りない証拠だよ、え・い・じ・君」
突然耳元でささやかれ、英司は腰が抜けて座り込んでしまう。
「ま、雅人先輩っ。おとなしく生徒会室に篭ってる予定じゃなかったんですか」
「いやだなあ、英司君。僕は君が僕の姿で何かトラブルに巻き込まれてないか、心配で見に来たんじゃないか。後輩を想うこの気持ち、君なら受け止めてくれるだろう? ん?」
(この人も進出気没だわ)
突然英司の背後に現れた雅人を見て、茉理はこめかみを押さえた。
もう何も言う気になれない。
思いっきり脱力した茉理は、まだ立てずにいる英司に手を差し出した。
英司は彼女の手につかまって立ち上がる。
「ありがとう。それにしても先輩、どうしてここに?」
「僕の可愛い英司君が浮気してないか心配でね」
茉理は耳を疑った。
(えーと、この二人ってどういう関係なの?)
「ちょっ、先輩、変なこと言うのはやめてくださいよ。誤解されちゃうじゃないですか」
あせって雅人に飛びかった英司を、彼は笑ってひらりとかわず。
そして背後にまわると、英司をぎゅっと抱きしめた。
「うわっ、離してください」
「つれないなあ、英司君。僕は君に会えなくて、とても寂しく思っていたのに」
もがく英司と、ますます腕に力を込める雅人。
(うっ……やっぱりそういう関係なのね)
茉理は、半ばあきれながら後ずさりした。
(これ以上関わったら、こっちまで頭がおかしくなりそうだわ)
この場は逃げるのが一番。
「あ、あの、わたし、失礼します」
「ちょっと、後野さん、行かないでくれーっ」
「バイバーイ、レディ」
「ばいばいじゃなくてっ。お願いだから、この変人と二人っきりにするなあーっ」
英司の叫びもむなしく、茉理は立ち去っていった。
「さっすがレディ、ちゃんと気を利かせてくれたね」
「流石じゃないですよっ。気を利かせてくれたんじゃなくて、あれは逃げたんです!」
顔を真っ赤にして英司は怒鳴る。
「いい加減にしてくださいよ、先輩。何なんですか、もう」
彼の腕から逃れると、英司は本気で雅人をにらみつけた。
「俺だって限界ですよ。身内じゃない人間の前で、変な言動は謹んでください」
彼の怒りに雅人はふっと微笑む。
「まだまだお子様だね、英司君」
「なっ」
「時には変人と思わせておいた方が都合が良いこともあるんでね。得に僕らのような場合は」
少し真剣な雅人の口調に、英司の怒りが少しずつ治まった。
「ふふっ、少しは僕のことを理解してくれたかな」
雅人は満足そうに笑うと、黙り込んだ英司の髪をわしゃわしゃとかき回す。
「英司君、気づいてるとは思うけど、彼女は普通の魔族じゃない」
「やっぱりそうなんですか」
「まだ断定は出来ないんだけどね。僕たち――いや、ひいては世界の危機につながる存在になるかもしれないんだ」
「はあ?」
英司は目を瞬かせる。いきなりスケールのでかい話だ。
「君は疑問に思ったことはないのかい。どうして僕たちクリスティ一族が、他の魔族たちより重要視されているのか」
「そりゃあ最初にこの国に魔族を率いて移住してきたリーダーの子孫だからじゃないんですか」
「それだけで、ここまで他の魔族から敬意を表されると思うのかい。大体魔族っていうのは元来実力主義なものなんだからね。君と帝は来年15歳で成人する。そのときすべては明かされることになるだろう。僕たちが存在する真の目的が」
英司は考え込んだ。
直樹と雅人は、15歳になる年の新年に成人の儀式を行った。
それは一族の成人のみが参席出来るため、帝も英司もその場にはいなかったから具体的なことは知らない。
(確かにそう言われてみれば、変だよな)
クリスティの他にも由緒ある魔族の血筋は存在し、中には強力な魔力を誇る者たちもいる。
そういう者たちですらクリステイ一族には礼をつくし、帝を帝王のごとく奉っているのだ。
それは何故なのか。
今時の日本社会ではむしろそういう行為は邪魔でしかなく、異端とみなされるだけで、日常生活に支障まできたすだろうに。
それでも皆、自分たちに敬意を示し、服従するのはどうしてなのか。
難しい顔の英司を、雅人は少し悲しげな目で見つめた。
よもや自分たちの時代に、こんな自体と遭遇するなんて思いもしなかった。
これからもっと大変なことが待っている。
超えていけるのかわからない程、辛いことが――。
「ま、そう深刻な顔しなくても、大丈夫だよ、英司君」
いつもの茶化した口調に戻し、雅人は英司の肩を引き寄せた。
「心配しなくても君は一人じゃない。そうだろう?」
「そうですね」
英司はやっと笑みをみせる。
顔がいつもより引き締まっていた。
「よくわからないけど、俺は俺に出来るせいいっぱいのことをやりますよ。それでいいですよね、先輩」
「そうそう、その調子」
雅人は景気付けに、ばんばんと後輩の背中を叩いた。
「直樹も僕も、これから大いに彼女と関わろうと思っている。僕たちだけじゃない。生徒会のメンバーは皆、きっと彼女と無関係ではいられなくなるだろう。これはね、真剣な話で『宿命』とでもいうものなのさ」
「それ、いつもの大げさな表現とかじゃなくてってことですか」
「そうだよ」
久しぶりに見る雅人の真剣な表情に、英司は驚く。
「これは成人になったとき明かされる、一族の過去と受けた運命に関わりがあることだ。色々教えてあげたいけれど、成人でない君たちにすべて話していいものかどうか、僕たちの独断で判断は出来ない」
「そうですか」
「これから彼女のまわりで、いろんなことが起きるよ。直樹はもっとちょっかいを出すだろうし、もちろんこの僕も」
「それはもしかして彼女の力を目覚めさせるために……とかですか?」
「まあ、そういうことだね。もし僕たちの予想が当たっていたら、彼女は僕たちにとって必要な存在となるだろうし、力が目覚めていなかったら、いろいろ面倒なことになる」
軽く髪をかきあげ、雅人は英司を見た。
「でもなんだか君と帝が成人になる前に、事が起こりそうなのが僕には気になる。直樹はそう思っていないようだが、何も知らないまま、もし一大事になったら大変だ。話せるぎりぎりのとこまでは教えておくべきだと僕は判断したんだ。だから今、君にここまで話しておくよ」
「帝は? 帝も知ってるんですか」
「いいや、彼にはまだ……」
雅人はそうつぶやくと、目を伏せた。
「彼はね、英司。今の帝は本当の帝じゃない」
「は?」
「君は見たことがなかったよね。彼が本気で怒ったところを」
「ってよく怒ってるじゃないですか」
英司は首をひねる。
「いや、おそらくそれは本気モードじゃなくて、帝のほんの一部分――彼が無意識に作り上げ、演じている『クリスティ本家の跡取り』の怒りであるだけだ。『伊集院帝』本人の本当の姿じゃない」
「……」
「いつか君も本気の彼を見たならわかるよ。それまでは何を言っても理解出来ないだろう」
英司の眉が困惑に寄ってしまったのを見て、雅人は付け加える。
「だから今の帝にはいろいろ教えられないんだ。まずは彼を本気モードにしないと――普段の生活でもね」
「やっぱり、よくわからないや、俺」
英司は頭をがしがし搔くと、笑顔を見せた。
「もういいや。俺、考えるのは苦手だし。でもこれだけはわかります。直樹先輩と雅人先輩はちゃんと帝や俺たちのことを考えてくれてるって。だからとにかく俺はついていきますよ、先輩たちにね」
「素直でよろしい。英司君はそうでなくちゃ」
雅人はいつもの作った微笑ではなく、心からの笑顔を見せた。
長いようで短い昼休みは終わりを告げ、5時間目が始まった。
(数学かあ)
苦手な公式が連なった黒板を前に、頭を真っ白にしながら茉理は一時間を過ごす。
ノートに書き取り、問題を解き始めていると――。
(え?)
突然、彼女の筆箱が消えてしまった。
(あ……あれ? 落としたかな?)
あわてて下を向くが、どこにもない。
(変なの。……って、え? 教科書は?)
また机に目線を戻すと、下を見た一瞬の隙に教科書が無くなってしまっていた。
(何なの一体――また嫌がらせ?)
眉をひそめた茉理は、床の隅に目をやり、はっとした。
(うっ……あれって……)
嫌な物を見てしまい、一瞬眼をそらしたが、また思いついて『それ』に近づく。
床に落ちてる『それ』をこわごわティッシュでつまむと、そっと数学のノートにはさんだ。
そして、わざとぼーっと窓の外を見る。
次に机の上をみたとき、予想どおりにノートが消えてしまっていた。
(あーあ、先生回ってきたら、なんて言おう)
みんな無くなってしまったなあ、と思いつつ、茉理は微笑んだ。
(ま、いーけどね。少しはお返しになったでしょ)
1年E組は、日本史の時間だった。
教室は比較的静かで、教師の鼻にかかった声が教科書を読み上げていく。
『いい天気だなあ』
斎は窓辺の席で、ぼーっとそんなことを考えていた。
すると――。
「きゃああああーっ、何よこれ!」
教室中を貫くような悲鳴が上がり、クラス全員が飛び上がった。
「どうした、早川」
担任が、椅子から飛び上がって震える響子に歩み寄る。
「やあっ、嫌っ、わたし、こんなの嫌いっ」
響子は床を足でばんばん踏みつけ、黒い物体から逃れようとした。
机が揺れて、教科書やノートが床に落ちる。
床を見て、教師は目を丸くした。
「なんだ、ゴキブリの死骸じゃないか」
「いやあっ、先生、早く捨ててくださいっ」
涙目で懇願する彼女に、教師は肩をすくめるとティッシュでつまんでゴミ箱に入れた。
「みんな、席につけ」
好奇心旺盛に立ち上がっていた生徒たちは、みな席に戻る。
斎は響子の机の側にいたので、ちらばった教科書やノートを拾い集めてやった。
ふと彼の目が、手に集めた教科書とノートに走る。
一瞬驚愕の表情が浮かび、次にそれは険しい顔になった。
彼は黙って響子にノートを差し出す。
「斎様、ありがとうございます」
目を潤ませながら、彼女はノートを受け取ろうとした。
しかし――。
「斎様?」
彼は厳しい目をして彼女を睨み、ノートを離そうとしない。
響子は彼の目線に敵意を感じ、ぞくっとした。
(何なの?)
ノートを見て、彼女ははっとする。
そこには黒のマジックで、持ち主の名前が書いてあったのだ。
――一年A組 後野茉理。
しかも数学のノート。今、ここでは日本史をやっているというのに……。
ふっと綺麗な唇で響子は笑う。
それは滅多に見せたことのない妖しい微笑みだった。
「斎様、ご親切感謝しますわ。そのノート、斎様から持ち主にお返しくださいな」
斎は黙って、ノートを引っ込めた。
そして静かに自分の席に戻る。
冷めた瞳で響子は彼を見た。
(ふふふ……所詮あいつはクリスティとは名ばかりの実力よ。わたしが本気になれば、いつでも始末出来るわ)
呪いゆえに彼が本来持つ魔力は制限され、ろくに魔法を使うどころか体を維持するのでせいいいっぱいであると、響子は思い込んでいた。
自分の実力なら、彼など紙を燃やすぐらいの能力で簡単に追い詰められる。
(何も出来ないクリスティのお荷物のくせに、いきがっちゃってさ。みてらっしゃい。わたしが帝様のクイーンになったら、あんたなんか真っ先に僕にしてこき使ってあげる)
野心たっぷりのその目は、あたかもはるか昔日本を支え、時には狂わせてきたであろう古代神話の巫女のようであった。




