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魔法使いの生徒会(私立クリスティ学園シリーズ1)  作者: 月森琴美


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21

 次の日。

 予告したとおり、斎は学校に登校してきた。

 いつもより表情が明るくなってクラスメイトたちは首をかしげたが、あとは変わらず授業を受ける。

 彼が登校してきたので茉理もほっとした。

 お昼休み、屋上で弁当を広げていると、斎から声が送られてくる。

『後野さん、昨日はありがとう。今日は放課後、生徒会室に行こうと思うんだ』

「そっか。良かったね」

 茉理は青い空を見ながら、気分爽快に返事をした。

(誤解が解けて良かった。これで遠野君は生徒会の先輩たちとお話出来るようになったし)

『あのさ……後野さん』

 少々ためらうような言葉に、茉理はどきっとする。

『大丈夫だとは思うけど、一応気をつけて』

「え?」

『ほら、こないだ後野さん、魔力で襲われたじゃないか。それってこの学校内に後野さんの存在を疎ましく思ってる人がいるってことだよ』

「……」

『何かあったら、すぐに言葉を送って。出来るだけ助けるから』

「あ、ありがとう」

 寒気がして茉理はぶるっと震えた。

『じゃあまた』

 そう言って声は途絶え、茉理の頭に静寂が戻ってくる。

 でも彼女の心には一抹の不安がよぎった。

(わたしのことを嫌ってる人か――)

 この間のことを思い出し、茉理ははっとする。

(そういえばあの時、砂に助けられたっけ)

 特館で斎が放った魔法でも、魔獣は砂となった。

(じゃ、あの時わたしを助けてくれたのって遠野君なのかな)

 もしかして彼は知っているのかもしれない。

 茉理を狙う誰かのことを。

 その理由も。

(だからあんな忠告をしてくれたんだ)

 はああっと大きなため息をつき、茉理は弁当の蓋を閉める。

 お腹はすいていたが、なんか食欲がなくなった。

 のんきに青空の下、弁当食べてる場合ではないのかもしれない。

 彼女は立ち上がると、神妙な顔をしてあちこちに目を配りながら教室に戻っていった。




「ようこそ我らの城へ。愛しの君よ」

 にこやかに微笑んで、雅人は斎を迎えた。

 放課後の穏やかな日差しが窓越しに入ってくる。

 広い部屋には赤い絨毯が敷き詰められ、大きな円卓が真ん中にあった。

 そして何故か天井からは、薔薇の真っ赤な花びらが雨あられと大量に降っている。

「ここが生徒会室の会議場。中世は円卓の騎士の世界を連想させるとは思わないかい。彼らは国と自らの主君、そして愛のために激しく生き、散っていった。誇り高き騎士達の冒険談を語るならば、この僕の言葉をいかに駆使しても言い足りないよ」

『……でも円卓の騎士の時代には、薔薇の花びらの雨は降ってこなかったと思うんですけど』

 斎の返事が聞こえて、英司はくすくす笑った。

「なんだい、英司君。君はこの演出に文句でもあるのかな」

 憮然とした雅人に、英司は斎の肩に自分の腕をからめて答える。

「えーと、先輩の歓迎イベントに感動して言葉も出ないそうですよ。ね、斎」

 同意を求められ、斎は不承不承うなずいた。

「そうかそうか。さあ、こっちへおいで。可愛い弟よ。この雅人様が美味しいローズティーを入れてあげるから」

「その前にいい加減、このはた迷惑な行為をなんとかしろっ」

 中央の椅子に座り、頭に大きなヘルメットをかぶった帝がドンっと卓を叩く。

「薔薇の花びら降り注ぐ下で優雅に歓迎のお茶会をするというのが僕のプランさ。遠く離れて三千里、今まで探しても会えなかった愛しい弟との感動の体面! このくらいの演出は必要だよ。ねえ、いいだろう? 帝」

「良くない」

「そうだな、せっかくのお茶もカップに花びらが浮くだけではなく、積もり積もって飲めなくなるのが現実だ」

 黒い雨傘をさしながら、せっせとPCを打ち続けている直樹も同意した。

「なんなら、お茶は俺が入れてやろう。雅人、お前も座ったらどうだ?」

 眼鏡のフレームをあげながら、直樹はふっと微笑んでみせる。

 瞬間。

 雅人は顔をしかめてパチッと指を鳴らした。

 降り注いでいた花びらが止まる。

「英司、掃除しろ」

「はーい」

 帝の一言で英司が指を鳴らした。

 すると突風が吹き、窓の外へ花びらを飛ばしていく。

 あっという間にすべての花びらは吹き飛び、赤い絨毯と円卓だけになった。

「味気ない……なんと味気ない光景なんだ!」

 雅人はその場に膝をつき、悲劇に打ちひしがれるポーズを取る。

「これが僕たちがこれから生涯の兄弟の契りをかわす場所なんて! ああ、かの有名な中国の古書『三国志』に出てくる王の末裔とその親友たち、兄弟の契りをかわした場所はといえば、桃の花咲く庭園の中なのだ。それなのに僕たちは今こんなお粗末な殺風景な場所において、義兄弟の契りをかわさねばならぬとは! 僕の心はもう哀しみで引き裂かれてしまいそうだ!」

 大仰に自らの体を両手で抱きしめ、身をよじらせて涙する雅人にその場の全員が白い目を向けた。

「あの、もう一つ掃除しときますか」

「ああ、そうしてもらおうか」

 英司と帝の会話を聞いて、あわてて雅人は立ち上がる。

「もう、二人ともひどいなあ。今日初めて勇気を出して生徒会室のドアを叩いた可愛い後輩の気持ちをなごませてやろうという、この気配りがわからないなんて」

「気配りだったんですか」

「いや、それは逆効果だろうな」

 直樹が傘を畳みながらつぶやく。

「おそらくこれで生徒会のイメージが、可愛い後輩の中では思いっきり落ちた確率の方が高い」

 きっぱりそう言うと、彼は笑みを見せて斎に言った。

「気にしないでくれ、斎。来てくれて嬉しいよ。若干妙なのがいるがほっといていい。どうしても始末に終えないようなら俺に相談してくれ」

『はあ……』

「<特製泣く子も黙る沈黙大好きっ茶>を、彼に飲ませてやるからね」

 それは何? と斎のみならず、その場にいた全員が思った。

「あの、そのお茶って」

 聞きかけた英司の口に、雅人が薔薇の花を突っ込む。

「ああっ、英司君、そんなに薔薇の花が食べたかったのかい?」

「むぐっ、むぐぐぐっ……」

「そうかそうか。思う存分食したまえ――って、この馬鹿っ! そんなこと直樹に聞いたら、ほんとに出してくるぞ」

「ぐぐっ……そ、そうですね……」

「そしてここにいる全員、その妙なのを飲まされるのがおちだっ。そのことに関しては突っ込むな」

 後半の言葉は直樹に悟られないよう、英司の耳元でささやく。

 薔薇の花を口に押し込まれたまま、英司はむぐむぐしながら何度もうなずいた。

「ささっ、斎君、こちらに座ってくれたまえ」

「俺、斎の隣でいいですよね」

 後輩二人が席につくと、直樹はまたPCに戻る。

 残念だな、というわずかのつぶやきが聞こえ、英司は背筋に冷たいものが走った。

『あー、危ない危ない。変なの飲まされるとこだったぜ』

『そんなに変なんですか。直樹先輩のお茶って』

 頭の中で斎が質問してきた。

 直樹に気づかれないよう、こっそり英司は思念を送る。

『ああ。変もなにも、今までまともなのは一度もなかったぜ。お前も気をつけろよ』

『はあ……』

『こないだのなんて最悪だったな。無理やり飲まされたんだけど、生徒会一同ウサギになっちまってね』

『は?』

『中和剤を作ってなくて、全員泣く泣く鞄を置いて、ウサギの姿のまま帰宅したんだ。俺なんて家に入れてもらえなくて一晩庭の隅で夜明かししたんだぜ。ほんっと参ったよな』

『それは大変でしたね』

『もうほんとにいろいろあった。あの先輩にお茶入れさせると、たいてい何かの魔法薬を混ぜてくるから、絶対にお茶くみだけはさせられない。それで雅人先輩がお茶当番になったんだ』

『じゃ、今度は僕がやりましょうか』

『いいって。他の仕事、雅人先輩は何もしないから、それぐらいはさせろって会長が言ってた。俺がやろうかと思ったけど、帝の仕事はほとんど俺にまわってくるから忙しくてね。お茶なんか入れてる暇も飲んでる暇もないよ』

『そうなんですか』

『そして君は俺の助手。臨時書記だからね。これから忙しくなるから、よろしく頼むぞ』

「そこの二人。いい加減話を切れ。会議が進まん」

 低い声で怒鳴られて、二人はびくっとした。

 思念で会話しあっていたことなどお見通しらしい。

 先輩三人の視線に、二人は肩をすくめた。

 ヘルメットをはずすと改めて座り直し、帝は一同を見回した。

「これで歓迎会は終了だ。本日の生徒会会議を始める」

 全員の顔にさっと緊張の色が走った。

 目線は中央の帝に向かう。

「ではまず現状を報告してもらう。直樹」

 眼鏡を直しつつ、直樹は淡々と口を開いた。

「まず先日起きた魔法無断使用の件だけど、疑わしい者をリストアップしておいたから、各自データを見てくれ――ああ、斎」

 直樹はポケットから銀色のコンパクトサイズPCを取り出すと、円卓の上を滑らせて斎の方に寄越した。

「お前のだ。生徒会役員専用PC。この学園はもとより魔法や魔族、一般のことに関するありとあらゆるデータがそろっている。重要な連絡もPCを通じて行うことがあるから、常にチェックしておけよ。使い方は英司に教えてもらえ」

『ありがとうございます』

 斎はPCを受け取ると、直樹に向かって頭を下げる。

「ありがとうございます、だそうですよ。直樹先輩」

 英司の言葉に、直樹は顔をしかめた。

「英司にだけしか言葉が聞こえないとは不便だな。まあ、今までは誰にも受信できなかったから、少し前進したことにはなるのだが」

「それなんですよ! こないだ凄かったんです」

 勢いよく話し出した英司を、帝は制した。

「その話はあとだ。まずこの件に関しての報告が済んでからにしろ」

 そう言うと、PCを操作して画面を覗き込む。

 生徒の一覧表が現れた。

「ふうん、けっこういるね」

「様々なケースを考えてリストアップされた者たちだ。疑わしいのは59人ほど」

「そんなにあの後野さんって恨みをかってるんだ」

 驚いたな、という英司のつぶやきに、直樹の眼鏡がきらりと光る。

「まずあの時間に校内にいた者だ。どんなに遠隔操作が可能な魔術師でも半径3メートル以内が限界だろう。門のところに設置されてる登下校チェックカメラで確認してある」

「細かいねえ、あいかわらず」

 のほほんとつぶやく雅人をちらりと見ると、直樹は続けた。

「次に魔法系統が風ということで、その系統魔法を使える者、実際人をあれだけ高く浮き上がらせられる魔力を持つ人間を選び出した。大体これが100人ほどいたな」

「じゃ、どうやってそれを59人にしぼったんですか」

「あとは動機だ。彼女に恨みを持つという線から考えて、どうしても無関係な者たち――彼女と接触もなければ帝の信奉者でもなく、校内違反を犯してまで彼女を襲って何のメリットもない者をはずすと、こうなった」

「さすがだねえ、直樹君」

 薔薇の花片手に拍手する雅人を睨むと、直樹は言った。

「だが攻撃的な――あきらかに彼女を病院送りにするほどの攻撃を仕掛けた心理を考えると、当てはまるのはただ一人」

 カチャカチャとPCのキーを叩き、直樹は一人を選び出す。

「この生徒だ」

「ふーん、まあ、そうだろうね」

「ええっ、この人ですか」

 全員のPCに一人の少女が写っていた。

 勝気そうな瞳と、ストレートの黒髪。

「1年E組 早川響子。斎、間違いないか」

 斎に聞く帝の言葉に、英司は首をかしげた。

「帝、どうして斎に聞くんですか」

「こいつはこの魔法と対峙し、後野茉理を助けている。当然どこの誰とやりあったかわかってるはずだ」

「えーっ、そうだったんですかあっ」

 驚く英司に、雅人はにやっと笑った。

「おやあ、英司君、知らなかったの?」

「そんなのわかりませんよ。先輩たちはどうして知ってるんですか」

「こないだモニターに映ってたと思うが。彼女が地面に落ちる寸前で砂に助けられたのが」

 直樹が冷静に説明すると、英司はあっと声をあげて納得した。

「先輩たち、鋭いですね」

「って、英司君、君がにぶすぎなの。もう少しまわりに注意しましょうね」

 にっこり雅人に微笑まれ、英司はしゅんと席に縮みこんだ。

「で、どうなんだ、斎」

 PCを黙って見ていた斎は、顔を上げてうなずいた。

「やっぱりか」

「あーらら、どうする、帝」

 全然困ってない様子で、雅人は薔薇の花をくるくる指先で回した。

「校則破りは確かお仕置きじゃなかったっけ」

「ああ。他人に暴力行為を働いた者は一年の魔力封じ。実際に相手に重症を負わせた者は、理事と相談の末、退学処分になる」

「ま、彼女の場合は未遂だけどね、斎のおかげで」

 薔薇の花びらを一枚づつはがしながら、雅人はつぶやいた。

「更に彼女は今回のイベント候補者だ。本家跡取りの交際相手候補を厳重処罰するのは、未遂だとちょっとな」

 直樹はそう言うと、眼鏡のフレームを直す。

「さて、どうする? 帝」

 全員の視線が彼に集中した。

 指を組み合わせ、大人びた顔の長いまつげが思案に揺れて伏せられる。

 しばらく考えていたが、やがて帝は目を開けた。

「今回は未遂だったということで彼女は厳重注意としよう。直樹、貴様が言って彼女に注意してこい。元々お前が推薦した女だからな」

「わかった。そうしよう」

「この件は以上で終了する。では次」

 帝は顔をしかめながら議題を言った。

「前日、遠野の家で起こったことだが、英司、お前から説明してもらおう」

「それが凄かったんですよ、ほんと」

 勢いよく英司はこないだの一件を説明する。

「ふうん、あのレディがねえ」

 雅人は頬杖をつき、目を輝かせた。

「ますます興味深い少女だ。面白くなりそうだな」

「おや、直樹君、めずらしく意見が合うねえ」

 嬉しそうな雅人の声に、直樹は顔をしかめる。

「お前と意見が合うなんて世も末だな」

「ひどいな、直樹君。親友の僕に向かって――この際だからはっきり聞くけど、君はこの僕のことをどう思っているの?」

「一言で言えば、変態の顔見知りだ」

「そんな! この僕の君に捧げる純情が理解出来ないとは! 直樹君、どうして君はそんなに素直じゃないんだ。お母さんは――君のお母さんはきっと空の果てから悲しんでいるぞっ……ううっ」

 ハンカチを出し、涙を搾り出しながら(うそ泣き)雅人は直樹に泣きついた。

『あの、雅人先輩と直樹先輩って仲悪いんですか』

 首をかしげる斎に、英司はこっそり返事を送る。

『いや、とても仲良しだよ』

『はあ……』

 困惑している斎の表情に気づき、帝はダンっとまた卓を叩いた。

「くだらない話を入れて会議を中断させるな。ちっとも進まん」

「はいはい、失礼しました」

 雅人はにっと笑い、両手をあげて降参のポーズを取る。

「で、レディの件はどうするの?」

 帝は黙って考え込む。

「ま、どうするといっても、どうしようもないけどね」

「おや、直樹君、随分消極的なご意見で?」

「調べたって彼女からは魔族たる可能性は1%も出てこない。魔力サーチを使っても魔力はゼロ。こんな結果しか出ないのに何をどうしろと」

「うーん、そうだねえ」

 皆、頭をひねった。

「どうしても何とかしたいのなら、帝、お前が動くしかないが」

 直樹の発言に帝は目を細める。

「理事会に申し入れ、理事全員に聞いてみるという手がある」

「理事会ですか」

「あの、曲者ぞろいのねえ」

 気がのらなそうな声で雅人は薔薇を持てあぞぶ。

「あの人たちが、まともに僕たちの相手をしてくれると思う?」

「ま、茶化されて終わりってことは俺も知ってるさ。でも魔力も魔族の先祖もいない彼女の入学をどうして許可したのか、知ってる所は他にないだろう」

「そうですね」

 英司も同意する。

「ま、決めるのは帝だけどね。君が望むのなら理事会に問い合わせてみればいい」

 僕たちに出来ることは他にないよ、とつぶやかれ、帝はうなずいた。

「わかった。この件は俺が処理する。以上で本日の会議は終了だが、まだ他に話すことはあるか」

 一同は押し黙った。

 何も出ないのを確認すると、帝は立ち上がる。

「では本日の会議は、これで終了とする。解散!」

「ふわああっ、疲れたあ」

 英司が、うーんと両腕を伸ばして伸びをした。

「たかが30分だったのに、英司君、君もしかして老化が激しくなったかな」

「ひどいですよ、雅人先輩」

 楽しそうに言葉を交わす二人を見ながら、斎は微笑んだ。

 そのとき。

 ぽん、と肩に手が置かれる。

 見上げると、そこに帝の顔があった。

「……よく来たな」

 一言、それだけつぶやくと、帝はすっと背を向けて生徒会室を出て行く。

「あーらら、帝も素直じゃないの」

 ふふっと雅人は笑った。

「内心ではすっごく喜んでるよ、あれ」

『そうなんですか』

 斎の瞳がわずかに揺れる。

「俺たちも嬉しいよ、斎。これからよろしくな」

 直樹に差し出された手を、斎はしっかり握った。

『はい』

「僕の方こそよろしくお願いします、だって。先輩たち」

 英司が弾んだ声で通訳する。

「しかし英司君だけにしか声が届かないとは残念だね」

「そうだな」

「僕も君のさわやかに響く美声を心待ちにしているのに……ああ、運命とはなんて残酷なんだ!」

 また床に悲劇のポーズで跪く雅人を見て、3人はやれやれと肩をすくめた。

「そうだな」

 雅人の頭上で、直樹は眼鏡をきらりと光らせる。

「運命に挑戦してみるのもいいかもしれないな」

「え?」

 直樹はにやりと笑うと、手に持っていた何かを雅人に向かって放射した。

「うわわわーっ」

 驚きの悲鳴が辺りに響く。

「けほっけほっ、な、直樹先輩?」

『……真っ白で何も見えない。この煙は一体……』

 英司はすかさず指を鳴らす。

 風が吹きぬけ、突然発生した白い煙を吹き飛ばした。

「あー、びっくりした。どうしたんですか。直樹先輩」

『……』

 斎は床を見て、目をしばたたかせる。

『……ま、雅人、先輩?』

「え? 斎、どうした……って、う、うわわわわわわーーーっ!」

 英司は驚いて飛び退った。

 さっきまで悲劇の人がいた床の上には――。

「ふむ。試作品は成功だな」

「成功って直樹先輩っ、これ、雅人先輩なんですかあっ」

「見ての通りさ」

 英司は口をぱくぱくさせ、斎は顔を青ざめさせて絶句する。

 そこには悲劇のポーズを取る、なんとも情けない姿の蛙がいた。

 大きさは手のひらに乗るぐらいで、色は雅人の髪と同じ金色である。

「試作品NO51.ちかんストーカー撃退用スプレー。手のひらサイズで持ち運びやすく、相手に気づかれずに逆襲できる、かよわい婦女子の味方。ただいま商品名募集中」

「そんなもん商品化するんですか」

「ああ。来月には購買部に出荷する予定だよ」

「そ、そんなことより中和剤っ、元に戻すスプレーはないんですか」

 あせって叫ぶ英司に、直樹は冷静に答える。

「そんなものは作ってないよ。作る予定もないしね」

 その場にいた2人と一匹の額から汗が一筋流れ落ちた。

「げこっ、げこげこげこっ」

 蛙は必死に直樹の足元に飛びついて抗議の叫びをあげる。

「安心しろ、雅人。効力は一時間で切れる」

「じゃ、一時間だけ我慢すればいいですね」

 あー、良かった、と英司は胸をなでおろす。

 彼は指で蛙をつまむと、手のひらに乗せてやった。

「だそうですよ、雅人先輩」

『こうしてみると、けっこう可愛いですね。薔薇の花くわえた蛙も』

 斎がつんつんと蛙をつつく。

「あ、ほら、駄目だよ、斎。頭に青筋立ててるよ」

『すみません。可愛いのでつい……』

 口元に微笑みを浮かべる斎に、英司と直樹、雅人がえるは一瞬呆けた。

「気に入ったのなら君が持って帰るといい。愛玩動物としてはお勧めかもね」

『はあ……』

「君の望むときにはいくらでも薔薇を出してくれる蛙の王子様だ。――そうだな、そういうぬいぐるみも商品としては女子に受けるかも知れんな……」

 後半の言葉をぶつぶつつぶやきながら、直樹はPCをカチャカチャ打ち始める。

 もう二人と一匹のことは眼中にない。

『どうします?』

「どうしますって……斎、とりあえずお前が世話してやれ。俺、実はこれからサッカー部に行かないといけないんだ」

『英司先輩ってサッカー部でしたっけ?』

「違うんだけどね、……雅人先輩の代理で」

『代理ですか』

「いろいろあんのよ、俺ってほんと。あーあ、雅人先輩、斎にしばらく面倒見てもらっててください。いくらなんでも『伊集院雅人』様が蛙付きでサッカー部に行ったら、イメージダウンしますよ」

 英司はそう言うと、ほいっと斎の手のひらに蛙を乗せ、手をひらひら振って行ってしまった。

 残された斎は、情けなさそうな手のひらの蛙と一緒に大きなため息をついた。

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